第5話小学校時代と弟誕生

 弟が生まれた年、私は五年生になった。私の生活自体はそんなに変りはなかったが、家族が新しく増えた。

 弟だ。

 生まれたばかりの弟に家政婦はかかりっきりで、家にはいつでも赤ん坊の泣き声が響いていた。家政婦はいつでも忙しそうに、幸や私に命令しながら家事をこなしていた。

 家政婦の代わりに、幸はたくさんの家事をこなしていた。

 私も手伝おうとしたが、小学生と中学生ではできる仕事がぜんぜん違った。私がジャガイモの皮を向くのに手こずっているうちに、幸は野菜の下ごしらえも食器洗いも全部終わらせていた。

 そのことの私には、幸は何でも出来るお姉さんに見えた。

 けれども幸は相変わらず暗くて、自分のことをずっと卑下していた。幸がこんないも自分を嫌いになっていたのは、家政婦のせいなんだろうと思う。家政婦はことあるごとに、幸ができないことを指摘した。それは学校の勉強だったり、常にうつむいている態度だったりと私から見ても分かる姉のダメなところだった。

 幸は勉強が苦手で、特に英語が全然できていないようだった。でも、そのかわりに絵は上手くて何かのコンクールで銅賞を取ったこともあった。でも、家政婦にはそういう栄光は何一つ見えていなかった。

 まるで娘がダメなことは世の中の常識である、とばかりに幸のことにチクリチクリと苛めていた。幸も言い返すような性格ではなかったから、家政婦になにかを言われるとひたすらに耐えていた。でも、時折堪忍袋の緒が切れるようで、幸は剣呑な表情で家政婦をにらむことがあった。

 そのときになって、初めて家政婦は幸が血の通った人間だと思い出すようだった。慌てて幸の側を離れて、弟の側へと行った。

 家政婦にとって、弟は自分の価値を上げてくれるアイテムみたいなものだったのだ。父の実子を産んだ自分は妻として安泰である、と思い込んでいるようであった。

 そんなものなのかな、と思った。

 物心付いたときから母がいない私にとって、妻の座というのは子供を産んだだけでは維持できないもののような気がした。家政婦は、朝から晩まで弟に夢中。姉は何だか、いつでも憂鬱。父は、どうしてか家庭のことには一切無頓着だった。

 私はというと、新しく発売されたゲームに夢中になっていた。キズナクエスト2である。前回同様にパートナーのモンスターを選んで、チャンピオンになるストーリーだ。ただし、旅する土地はまったく違うものになっていて出現するモンスターも別のものになっていた。

 私は、最初のパートナーのモンスターに「ビッくん」と名付けた。何故ならば、勝利の渾名がビッ君になっていたからだ。

 私は、ことあるごとに勝利に「結婚して!」と叫んでいた。

 勝利は、そのたびに逃げていた。

 そのせいで勝利につけられていたあだ名は、びびりのビッくん。可愛い渾名だけど、勝利は不服みたいだった。誰かが、ビッくんと呼ぶと「違うよ!」と叫んでいたけれども、五年生にもなるとなんだかそれにも慣れたらしい。

 私もビッくんと勝利を呼んでいる。

 五年生になったビッくんは、急に身長が伸びた。

 あっと言う間に私を飛び越えて、幼かった顔立ちも少し大人に近づいた。けれども、やっぱり睫毛は長くて美しい顔立ちだった。

 ビッくんは、ようやくキズナクエストを購入した。ただし、初代じゃなくて2だ。まぁ、この時期は初代なんてほとんど売っていなくて2のほうが圧倒的に手に入れるのが簡単だった。ビッくんは、他の男子たちと同じようにキズナクエスト2に夢中になった。四年生の夏休みに築いたオタク仲間たちともゲームを通して楽しくやっているようだった。

 こんなふうにゲームに夢中になれるのならば、どうして第一作目をしなかったのだろうかと疑問に思った。四年生の時とはちがって、私はビッくんに気軽に話しかけられるようになった。私が側によると他の男子が「夫婦!」と囃し立てるので、ビッくんはすぐに逃げてしまうのだが。それでも好きなゲームの話しをすると警戒する小動物みたいに、こっちを伺ってきた。

「ビッくんは、最初にどんなモンスターを選んだの?」

「……水のやつ」

 そんな感じで手なずけていって、最後にようやくビッくんは私の隣に並んでくれる。本当に、ビッくんは私のことを恐がっているんだなと思った。

「どうして、一作目は買わなかったの?」

 私がビッくんに尋ねると、ビッくんは少し恥ずかしそうに言った。

「誕生日に……タマッチを買ってもらったから」

 ああ、そうか。

 誕生日にタマッチを買ってもらったから、ゲームは買ってもらえなかったのだ。もうすっかり下火になっていたけれど、タマッチもブームだった。子供が誕生日で強請っても可笑しくはないほどに。

 私は、ビッくんと仲良くなるためにスケルトンブルーのタマッチを盗んだことを思い出した。あのときは、ビッくんとの会話するためにスケルトンブルーが必要だと思ったけれども今はもういらない。

 こんな優しい男の子と会話するのに、盗品なんかはいらなかったのだ。

 それが分かった私は、盗んだスケルトンブルーのタマッチを家の勉強机のなかから引っ張り出した。そして、誰にもばれないように町に流れる川にスケルトンブルーのタマッチを投げ捨てた。

 どんどんと流れていく、時代においていかれた玩具。

 もう誰も欲しがらない、それを見ながら私は欲望で無常だと思った。あんなに必要だと思ったのに、今は全然必要ない。もしかしたら、ビッくんに対しても同じような思いを抱くのかしらとも思った。

 今はこんなにもビッくんが好きなのに、いつかの私は好きじゃなくなるんだろうか。たとえば、幸みたいに中学生になったら、高校生になったら、家政婦みたいな母親になったら。ビッくんは、大切な人ではなくなっているのだろうか。

 流れていく、スケルトンブルーの玩具。

 それを見つめて、私はいつか大人になる私に願った。

 どうか、いつまでもビッくんが一番大切な人でいてくれますように。弟のこととかで、目がぐるしく私の周囲は変わっていたけれども――この思いは大人になっても失いませんように。

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