第4話小学校時代と家政婦の妊娠

 私が五年生になったとき、家政婦のお腹が膨らみ始めた。父の子供を妊娠したのである。家政婦はいつのまにか私の母親になっていた。家政婦にはすでに私よりも二つ年上の女の子がいて、その子も申し訳なさそうに私の家に住むようになった。

 姉となったのは、中学校の女の子だった。

 父と家政婦は結婚式とかはせずに、父と私と家政婦と姉で豪華な夕食をとったことでお祝いとした。家政婦が作ったステーキとかグラタンといったボリュームたっぷりなご馳走が並んでいたけれども、姉と紹介された女の子はうつむいていた。

 中学生の姉は幸という名前だったけど、幸薄そうな子だった。逆に家政婦の顔は自信で輝いていたから、酷い対比だなと思った。家族が増えたはずなのに、父の顔はいつもどおりすぎた。そこに嬉しいとかの感情は読み取れず、私は家族が増えるとはこんなにも味気のないものだったのだろうかと悩んだ。口に入れたステーキもグラタンも美味しかったけれどもそれは何時もの家政婦の料理の味で特別な雰囲気は一切なかった。

 家政婦は、幸と私を分け隔てなく扱った。というよりは、どちらにも興味はないようだった。自分のお腹のなかにいる、まだ見たこともない子供に最大の関心をはらっていた。

「男の子。次は絶対に男の子」

 家政婦はときより、呪文のような言葉を呟いた。

 それを聞くたびに、幸はどこか申し訳なさそうな顔をしていた。幸は、私とあまり二人っきりにならないように勤めていた。私を嫌っているというよりは、私が姉を嫌っているという雰囲気だった。そして、二人っきりなってしまうと何故か彼女は私に謝った。

「ごめんね。高校を卒業したら出て行くから」

 幸の言葉が、私には理解できなかった。

「出て行かなくていいよ」

 私の言葉に、幸は驚く。

「私、邪魔者でしょう?」

 どうやら姉は、ずっと自分が他人の邪魔になっていると思っているようだった。そのせいで、いつも彼女は暗かったのだ。

「邪魔じゃないよ。それに、もう家族なったから……私が守るよ。将来、私がこの家の跡取りになるから」

 私の言葉に、幸は驚いていた。

「えっと、お医者さんになりたいの?」

 小学生の私の言葉は、中学生の姉にはそう解釈されたようだった。

「それで家族を守れるならば、医者になるよ」

 幸は私の言葉に「夢があっていいね」と言った。私の言葉を全然信じていない言葉であった。私は、自分の未来を信じればいいのにと思った。私は、自分が跡取りになる未来を信じていた。

「姉ちゃんは、大人になったら何になるの?」

 私は、幸にそう尋ねてみた。高校を卒業したら出て行くといっているから、大人になったらやりたいことがあるんだと思っていた。幸は、不安そうな顔をする。

「考えてないの。都会に私をやとってくれるような人がいればいいんだけども」

 幸は、自分の未来に不安しか抱いていなかった。

 私は、こういう人にこそクズナクエストが必要なんじゃないだろうかと思った。成功して認められるサクセスストーリー。ああいうものがなければ、私たちは自分の将来なんて信じられなくなるのかもしれない。

 幸は、あんまり家によりつかなくなった。

 自分がいると家族が不快になるから、学校に隠れているようだった。その証拠に、心配はかけないように夕飯の時間には帰ってきていた。

 幸は必要最低限のご飯だけ食べて、自分の部屋へと急ぐ。そんな生活を送っていたせいか、幸はどんどんと痩せていった。ぎゃくに家政婦の腹はどんどんと膨らんでいって、まるで自分の娘の養分を母親が吸っているようだった。

 町の医者の再婚は、ちょっとしたニュースだった。クラスメイトたちにも私が特に言ってないのに、家族が増えたことが伝わっていた。増えた家族について聞かれたとき、私はできるだけ家政婦のことも姉のことも「優しい」というようにしていた。弟が生まれることに対しても「嬉しい」と答えるようにしていた。

 けれども、それが私の本心かと問われると違う。

 家族が増えたことに対しての感想としては、無に等しかった。なんだか、とても大事なイベントのはずなのに家族それぞれが別の方向を向いていることが私にこんな感想を抱かせていたのだろう。

 父は家族のことに対しては相変わらず無関心であったし、家政婦は膨らむお腹をなでるのに忙しかった。姉は相変わらず、自分がいることで家族が不満になると思っているようだった。夕食は必ず家族全員がそろっていたけれども、それぞれが別方向に向って食料を食んでいた。そんな食生活を続けたせいなのだろうか。

 姉の幸は、どんどんと痩せていった。

 けれども、母親であるはずの家政婦は幸が痩せていくことには全然気がついていないようだった。私はというと、なんだか笑顔が張り付いていた。そのことに初めて気がついたのは、勝利だった。

 ある日の放課後に、勝利は私に話しかけてきた。

 夕暮れに染まる、帰り道のことであった。

 いつも私の周りには友達がいたけれども、その日は私は一人だけで帰ってきた。そんな私の前に、勝利が現れたのだ。勝利は、ものすごく勇気を振り絞ったという顔をして、彼は私に話しかけた。

「大丈夫?」

 勝利は、私にそう尋ねた。

 私は、最初はどうして勝利がそんなこと尋ねるのか分からなかった。

「ええっと、私は大丈夫だよ」

 勝利に話しかけられたことを喜びながらも、私はそう答えた。けれども、勝利は首を振る。まだ、未成熟な首筋に黒い髪が散った。その様が、きれいだと思った。

 女の子が、男の子をきれいだと思うのは可笑しいのかもしれない。

 けれども、私はその時は勝利のことをきれいだと思った。

 すごく、すごく、きれいで、尊くて、大切な光景なんだと思った。

 だって、私は勝利が好きだったから。

「ええっと、未来ちゃんが無理しているように見えたから」

 勝利は、そう言った。

 彼は笑顔で周囲の人間関係の並をなんとか穏やかに乗り切っていた。だからこそ、他人の乾いた笑顔が分かったのだろう。

「大丈夫じゃないなら、言ったほうがいいよ。僕もそうだったから」

 勝利は、そう言った。

 そのとき勝利は私のことを見てくれるんだな、と思った。

 そして、ものすごく嬉しくなった。

 こんなにも嬉しくなることは、人生で初めてだった。

「結婚して!」

 私は、思わず叫んでいた。

 勝利はびっくりして、私から二三歩遠ざかった。

「え?」

 大きな目を見開いて、勝利は私を見る。

「な……なんて、言ったの?」

 恐れる勝利に、私はもう一度言った。

「結婚して。私は跡取りになって、あの家を継ぐから。だから、勝利君はお嫁に来て!!」

「嫌だ!」

 勝利は、思いっきり叫んだ。

「どうしてよ」

 勝利に近づこうとすると、彼は私から遠ざかる。どうやら、私と一定の距離をとっていたいらしい。勝利は、私から目をそらした。

「……だって、未来ちゃん。恐いんだもん」

 一瞬、私は今までの悪行が勝利にバレたのかと思った。だが、正義が言った言葉は私の予想外のものだった。

「二、三回喋っただけの人と結婚だなんて、恐い!」

 勝利の言葉に、私は「そういえば」と思った。

 私は勝利のことはよく観察していたけれども、喋ったことはあまりなかった。たぶん「おはよう」と「さよなら」ぐらいじゃないだろうか。そんな女の子に「結婚しよう」といわれたら、恐いであろう。

「じゃあ、私のことを知ってくれたら結婚してくれるの?」

 勝利は、勢いよく首を振った。

「むりっ! だって、女の子は恐い!」

 勝利は、私から一目散に逃げていく。

 私は、それを必至に追いかけた。

「結婚しなさい!」

「いっ、いやだ!恐い!!」

 小学生がそんな会話を繰り広げえていたから、道ですれ違った大人たちは微笑ましそうに私たちの背中をみていた。

 私たちは、ずっと鬼ごっこをしていた。

 正義は意外と体力があって、追いかけている私は段々と疲れてきて、立ち止まってしまった。この時期は、まだ私のほうが身長が高かった。足も私のほうが長いのに、勝利は私よりも足が速かった。でも、勝利は私をおいていくことに良心の呵責を覚えたらしくて、二メートルぐらい離れた距離でじっと私を見ていた。

「私のこと、恐いんじゃないの?」

「……恐いけど、心配」

 彼の言葉に、勝利は本当に優しいんだなって思った。

 私のことが恐くても、心配だから見捨てられないんだろう。私は、本当のことを飲み込んだ。

 本当は家族のこととか色々と言いたいことがあったけれども、それは私たち小学生たちがどうにかできる問題ではなかった。だから、私は相談することを諦めたのだ。

「本当?」

 とことこと私の側に近づいてきた勝利は、私の顔を覗き込む。

「本当だよ!そんなに心配ならば、せめて手を繋いで」

 私は、勝利に手を伸ばした。

 けれども、勝利は逃げ出した。

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