9、燃える赤鬼

 主人の受けた衝撃を代わりに引き受けたようにシロナが意識を取り戻す。そして彼女が見た光景は、右腕が斬り落とされた桃山の姿だった。

「あ、あぁ。ご主人、様……」

 倒れたまま動かない桃山。目の前の状況が信じられず、大嫌いな晴明に抱き上げられていることにも気づいていない。

 青鬼は黙して、腕ごと刀を取り上げられた少年を睥睨へいげいするだけだった。

 シロナは手を伸ばし、桃山になんとか近寄ろうとする。だが近づけない。それを阻害する土御門晴明と視線が合い、怖気を覚えた。

 如才ない男が、初めて心の底から笑っていた。本心からの喜悦が表に出て、期待するように少年の背中に熱い視線を送る。

「まだだ。彼はやはり特別だ。髪の輝きは消えず、血も流れていない」

 晴明のシロナの肩を掴む力が強くなる。なにより桃山の式神であるシロナが健在だった。

「さぁ見せてごらん。君の真価は、これからだろう!」

 晴明が興奮気味に声をあげた。

 桃山の肩の断面からゆっくりと火の手が上がり、出血が広がるように炎が全身に回っていく。少年の肉体は炎に呑まれ、命を燃料にするように勢いが強まる。炎はどんどん大きくなり、延焼していく。自身の右腕と日本刀も炎の中に消えた。闇を照らし上げていく炎は噴き上げるように高く燃え上がる。

 謎の人体発火は尋常じんじょうならざる大火と化した。

 桃山の猛烈な怒りをあらわすような激しく燃える炎はやがて、ある形へと実体化している。その威容に見る者すべてが恐怖と懐かしさを覚える。誰もが一度は読み聞かせられた、おとぎ話の敵役かたきやく

 桃山から発火した炎は、文字通り燃えるような肌の巨大な赤鬼となった。

「喜ばしいぞ、百城桃山ッ! 貴様は私に刻まれた! よくぞ鬼へ至った!」

 青鬼は喝采かっさいを送るように叫ぶ。

 斬り落とされた右腕は再生されていた。

 細身の青鬼とは対照的に、全身が炎に燃える赤鬼は筋骨隆々な力強い姿だ。高さは同じく二メートルほどだが肩幅は広く、腕は太い。大きな手には金棒かなぼうではなく、身の丈ほどの大太刀おおだちを握る。額から伸びる二本の角は真っ直ぐに突き出す。後方へ太く尾を引くように燃え盛る業火は長く伸びた蓬髪ほうはつを思わせる。

 煌々と光る双眸そうぼうは、敵と定めた同族を捉える。

 業火を体現する赤鬼が爆発するように駆け出す。

 大太刀を握る剛腕は構えも糞もない。力任せに青鬼へ振り下ろす。

 対する青鬼は少年の鬼化したことへの歓喜を即座に鎮静させ、己の持ちうる技量を十全に発揮できる状態で迎え撃つ。

 刃が交わる。

 青鬼の清流を思わせる巧みな剣技は赤鬼の一撃を受け流す──はずだった。

 だが、一切合切を容赦なく押し切る炎の鬼の剛力が勝る。

 純粋な力は理不尽すぎるほどの強引さで、常識も技量も問答無用に覆す。

 赤鬼の一撃を受けた物干し竿は、その長い刀身が無残に折れ曲がる。青鬼の卓抜した実力をもってかろうじて刀の破壊は免れていた。それでも赤鬼の剣先は青鬼の身体へ袈裟に食い込む。鎖骨を砕き、肋骨の半分が両断された。

「ぐ、むっ」

 赤鬼は巨体に似合わぬ俊敏な動作で刀を引き抜き、即座に二撃目を見舞う。

 青鬼の身体はショッピングモールの壁まで吹っ飛ばされた。

 激しい破壊音が響く。壁面が砕け、もうもうと立ちこめる粉塵(ふんじん)が青鬼の姿を見失わせる。鬼火の青い揺らめきは見えない。

 粉塵が晴れる前に、ふたつの影が駐車場から飛び出す。気を失った細身の男を抱き上げるのは髪の長い女性だった。青鬼の式神である彼女は一瞬だけ赤鬼を見て、全速力で離脱した。

 勝敗は語るまでもない。刀狩りを容赦なく力だけでねじ伏せた。

 敵を見逃した怒りで赤鬼の低い咆哮が月下に響き渡る。

「あれほどの強力な鬼ははじめてだよ、桃山くん。今宵こよい吉日きちじつだ」

 赤鬼の一方的な圧勝に、晴明の胸はこの上ない満足感に打ち震える。

 腕の中にいたシロナは主人の変貌に絶句したまま動けない。だが本能が自らに課せられた使命を遂行するため、彼女もまたその身を変化させる。

 人型だったシロナは、獣のように唸りを上げながら晴明の腕を離れて赤鬼と化した主人に襲いかかる。

刀化現象とうかげんしょう原典開帳げんてんかいちょう、さらに鬼化へ至れる者は自らの暴走を抑制するために式神を顕現させる。桃山くんも不完全ながらシロナくんが最初から現れていた。だが……青鬼をこうもあっさり倒すとは。見くびっていたのは僕の方だったか」

 赤鬼にまとわりつくようにシロナが幾度となく爪で攻撃を加えて、主の暴走をとめにかかる。だが赤鬼は揺るがない。大太刀を持たない左手がシロナの胴体を掴んだ。そのまま握りつぶすように締め上げていく。

 シロナは苦しげにもがくが赤鬼の力は強まる一方だった。

「さて己の式神を無に帰して、このまま自我を取り戻すことなく暴れ回るか。被害は一体どれほどだろう。ショッピングモール程度で済めばいいが、下手をすれば伊護那島全体が火の海になりかねないかもしれないな」

 半ば期待するように、晴明は陶然とつぶやく。

 桃山の思うままに振る舞え、とばかりに晴明は傍観者に徹して何もしない。ただ興味深そうに赤鬼の一挙手一投足を間近で観察するだけだ。

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