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 僕は、物心ついた時から、六畳一間のアパートに、時夫さんと二人で住んでいる。

 古い畳に、黄ばんだ壁。雨漏りをしているのか、天井の隅には茶色いシミがある。ユニットバスで、風呂は狭い。身体が大きな時夫さんは、ほとんど体育座りのような格好にならないと入れないほどだ。

 細い廊下にあるキッチンは、一口コンロで、流しも小さい。コンロの下に、冷蔵庫が備え付けられている。

 洗濯機はベランダに出してある。ベランダの三分の一を占領する洗濯機は、電源を入れるとガタガタと音を鳴らして揺れる。

 外観がいかにも古びていて、築何年なのか想像もつかない。鉄の階段はやたらと足音を響かせて、玄関の扉も薄いものだから、誰かが上がってきたら家の中にいてもすぐにわかる。特に、時夫さんの足音は、ガン、ガン、と音を立てて荒っぽく、わかりやすい。

 僕は、幼稚園や保育園には行っておらず、この小さな世界で、三人の大人に育てられた。

 一人はもちろん、時夫さん。トレードマークと言ってもいい角刈りは、多少サイズの変化はあるものの、僕の記憶にある限りずっとその髪型だ。顎には少しだけ髭が生えている。

 豪快な人で、出かけるとなると幼い僕を荷物のように軽々と担ぎあげた。時々、近所の銭湯に連れていかれたときは、僕が怖がって泣き叫んでいたとしても、問答無用で風呂の中に放り込まれた。

 料理をすれば、塩コショウが効いた山盛りのチャーハンだとか、ケチャップたっぷりのどでかいオムライスが出てくる。これが意外と、味は悪くない。

 そして、時夫さんの相方の、笹原秀樹ささはらひできさん。秀さん、と僕は呼んでいる。

 ひでさんは、肩くらいまである明るい茶髪を、後ろで雑にまとめている。面長な顔に、切れ長の目。黒縁のメガネをかけていて、おしゃれな雰囲気が漂っている。

 秀さんには、時夫さんのような豪快さはないが、何事にも動じず、無駄のないスマートさがある。時夫さんとコンビを組んでお笑いをやっているようには、到底見えない。

 秀さんは愛煙家で、僕らの家にいる時は、煙草を吸うためにベランダと部屋とを何度も行き来する。窓ガラス越しに見える、柵に身体を預けてどこか遠くを見ながら煙草をゆっくりと吸う秀さんの姿は、なんとも言えずかっこいい。

「時夫もヘビースモーカーだったんだぜ。でも、お前と暮らすようになってから、すっかりやめちまったな。俺が吸うのも、ベランダいけ! って鬼の形相で言うようになってな」

 と、いつか秀さんが教えてくれた。僕がここに来る前は、きっと、二人して部屋でパカパカ煙草を吸っていたのだろう。この部屋の壁が黄ばんでいるのは、そのせいに違いなかった。

 残りのもう一人は、秀さんのお嫁さんの笑美えみさん。黒い髪は鎖骨あたりまでの長さで、中肉中背の女の人だ。特別美人でもないけれど、その名のとおり、コロコロとよく笑う人で、笑顔はとても優しくて綺麗だ。

 時夫さんと秀さんが仕事やネタの練習などで二人して出かけるときは、笑美さん家に来てよく面倒を見てくれた。二人で過ごした時間は長く、笑美さんは幼い僕に文字を教えたり、絵本を読んでくれたりした。時夫さんは夜中に仕事へ行くことも多かったので、笑美さんが泊まって世話をしてくれた。

 笑美さんはとても料理が上手だ。一つのコンロで要領よく、何品もの料理をつくり、安物のお皿でも、笑美さんが料理を盛ると、たちまち華やかになる。長年つかっている簡素なちゃぶ台も、その料理たちを並べると美しく彩られる。まるで魔法のようだった。

 時夫さんと秀さんが帰ってきて、僕たちは小さなちゃぶ台を囲んでいつも笑っていた。

 幼い頃の無邪気な僕は、この生活になに一つ疑問を抱かず、とても幸せだった。


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