光を追って

冬原桜

プロローグ

直人なおと。直人。これ、見てくれよ」

 帰ってくるなり、畳にどしどしと足音を響かせて僕のすぐ近くで立ち止まった時夫ときおさんは、声を弾ませて言った。ちゃぶ台に向かって宿題をしていた僕の肩を痛いくらいに叩くので、仕方なく振り返る。

「なに?」

 時夫さんはにこにこしながら、一通の封筒を僕に寄越よこした。飾り気のない白いもので、雑に開けたのだろう、のり付け部分が無残に破れている。

宛名に、『スーパーマイン 花岡 時夫様』とある。

 スーパーマインとは、時夫さんが組んでいるコンビの名だが、果たしてこれはなんだろう。時夫さんを見上げると、腕を組んで得意げな表情で、「中見てもいいぜ」と言う。

 許可が出たので遠慮なく中身を取り出す。二枚の便箋びんせんだった。

 時夫さんは僕の横にどかりと腰を下ろした。落ち着きなく体を揺らしている。

 便箋には端正たんせいな文字で、感動した。勇気をもらった。背中を押してくれた、といった内容の言葉たちがつらつらと綴られていた。差出人は、時夫さんに会って、とにかくすごく心が動かされたらしい。

 僕は、二枚分の便箋びっしりと埋められた差出人の想いを、二回読んだ。その間、時夫さんは、僕が読み終わるのを辛抱強く待っていた。

『私は、貴方のファンになりました。 浮島 雪花』

 手紙の最後はこう締めくくられている。これは。

「ファンレター?」

「そうなんだよ!」

 身を乗り出す勢いで、食い気味に答える時夫さんに圧倒され、僕は危険を感じ背中を反った。

「今日、久しぶりに事務所に行ったらさ、俺宛に手紙が届いているなんていうから、びっくりしてその場で開けちまったよ。カッターの刃でも出てくんじゃねえかな、ってビビってたんだけど、こんな手紙でさ」

 時夫さんは強面こわもてを崩し、溶けそうな笑顔で、僕が返却した手紙の文字を、指でなぞりながら読み返している。きっと帰ってくるまでの間に、何度も何度も同じことをしていたんだろうな、と想像がつく。

「俺さ、十五年以上も漫才やってきたけどな、こんな手紙もらったの初めてなんだ」

 時夫さんは目をきらきらとさせて、まるで恋する乙女が「私、好きな人ができたんだ」と報告してくるように、初めてもらったファンレターを自慢してくる。

 僕も十年以上を時夫さんと一緒に過ごしたけど、こんな表情を見るのは初めてだな、と思った。

「あのさ」

 時夫さんは急にもじもじとしだして、僕を上目遣いにうかがう。

「なに?」

 なんとなく、時夫さんが言い出しそうなことはわかったから、つっけんどんに返してしまった。時夫さんは僕をうかがいながら、訊いた。

「返事、書いてみてもいいかな?」

 時夫さんは、昔から、とても感情のわかりやすい人だ。


 急速に、時夫さんと過ごした十数年の日々が、次々と鮮明に蘇って、僕の頭の中に溢れた。

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