第53話 アメリカに来て二ヶ月…
〇桐生院知花
アメリカに来て二ヶ月…
体調が悪い。
そう思ってたら…妊娠が発覚した。
妊娠…
病院でそれを告げられた時。
あたしは…千里と別れて、悲しいのにそれを見ないフリしてた罰?って思った。
だけど同時に…
すごく…
すごく、愛しい気持ちが湧いた。
だけど…千里には言えない。
だって、あたし達…離婚した。
桐生院を勘当されて、聖子を頼って…
最初は、千里と一緒にいたいからアメリカには行かないって言ったあたしに呆れて…会ってくれなかった聖子。
…当然だよね。
聖子は、あたしのためにギターやベースを始めてくれたのに…
あたしと一緒に夢を見るって、言ってくれたのに…
千里の言った通り、あたし一人の夢じゃなかった。
なのに、初めて…あんなに強く誰かを好きになって。
自分を見失ってた。
…偽装結婚だったのに。
最初は…意外と真面目に家に居る千里に…ヤキモキしたりもした。
バンドの練習に行きにくい…って。
だけどそのうち…千里の帰るコールが待ち遠しくなったり…
『美味い』って言ってくれるのが嬉しくて…料理も頑張れた。
無理矢理…抱かれて…
…無理矢理だった…はずなのに。
あたし、本当はたぶん…嫌じゃなかった。
ああ、あたし…見付けちゃったかも…って。
そう思ったような気がする。
…居場所…大事な人…
千里がちょっとした事で笑ってくれたり。
振り向いたら目が合ったり。
飾ってる花を黙って眺めてくれたり。
…ああ…やだ。
思い出すだけで…泣けちゃう。
ダメダメ。
あたしに…泣く資格なんてないよ。
みんなからは、別れなくても良かったんじゃないかって言われた。
…うん、そうだよね…
だけど、あたし…ダメだって思った。
夢か、愛か。
あたしには…両方は無理だって思った。
しかも…
アメリカと日本なんて。
一緒に暮らし始めて…始まったから…
ずっと一緒にいた分…日本とアメリカ…
その距離を思うだけで…潰されそうになった。
だから…
「知花、知花。」
どっぷりと考え事をしちゃってる所に、陸ちゃんが小声で。
「いくら浅井 晋がジャージ姿だからって、そんなに呆然とすんなよ。」
「……陸ちゃんだって。」
今日は、センに呼び出された。
千里に打ち明けずに産みたい。
そう言ったあたしに…センは複雑な想いを話してくれた。
そして…
陸ちゃんの双子のお姉さんの子供、海くんが…
センの子供だ…って、打ち明けられた。
そこには陸ちゃんも現れて。
陸ちゃんもまた…複雑な気持ちを、話してくれた。
二人には…すごく、申し訳なかったけど。
それでも、あたしは…
「おっ、テープで聴くんよりええな。」
目の前では、浅井 晋さんのギタークリニックが始まってる。
陸ちゃんは目をキラキラさせて、センと一緒にギターを弾いてる。
…センも…海くんと同じ。
センのお母様は、浅井 晋さんと恋をして、そして…浅井さんと別れて、センを産んだ。
本当なら、お互い知らなかったはずの存在。
…本当に…いいの?
あたし。
本当に…
これでいいの?
〇朝霧真音
「……」
俺は今…SHE'S-HE'Sのメンバー全員の前に、仁王立ちになっとる。
なんでか言うたら…
「…なんで、今まで隠してたんや。」
俺はこいつらのプロデューサーやけど…それは日本でのそれであって。
こっちでは、ニッキーいう、ちと懐かしい名前の奴がプロデューサーや。
ニッキー言うても、ナッキーとは似ても似つかん、恰幅のええ奴やけどな。
そのニッキーも、俺に仁王立ちされてシュンとなっとる。
SHE'S-HE'Sが渡米して半年。
毎月来てたで、俺は。
毎月来てたのに…
なんで気付けへんかったんや…
「…知花。」
「……はい。」
「その腹、自前か?」
俺が知花の出っ張った腹を見て言うたら。
「ぷっ…」
「くくっ…」
「ぷはっ…」
「ふふふ…」
「……」
「……」
知花と光史以外は…笑うた。
「…自前です…」
知花は真顔でそう答えて…
「……」
「……」
「ぷはっ!!」
「あははは!!」
「自前って!!」
「ひー!!笑わせんなよ知花!!」
俺と光史以外、噴き出した。
「って、何で自前や。千里の子か。」
俺がそう言うた途端、笑いは静まった。
当たり前や。
笑えるか。
もう、俺は…頭ん中、パニックや!!
「…あたしの子です…」
「せやな、せやけど、相手を聞いてんねん。その大きさから言うて、もう産まれるんやろ?」
「…双子なんで…こんな感じです…」
「双子!?」
妊娠っちゅうだけでも驚きやいうのに…
双子…
「千里には言うてあるんか?」
俺がそう言うと。
「親父、ちょっと。」
光史に腕を掴まれた。
「え。」
「そうそう。あっちで話しましょう。」
続いて陸にも掴まれて。
「お…おい。」
「たぶん朝霧さん、こういう話は詳しいですよね。」
千寿に背中を押されて…別室へ。
顔だけ振り返ったら、まこと聖子が知花を挟んで、手を振っとる。
…おい!!
「お願いします。」
別室に連れて行かれた俺の前で、光史と陸と千寿が頭を下げた。
「…なんやねん。これは。」
「…神さんには、秘密にしてください。」
「……」
光史が、敬語で言うた。
その敬語は…ちと…胸に刺さる気がした。
俺は、光史の敬語がイヤや。
…あの日を思い出す。
「…ナッキーにもか?」
溜息交じりに言うと。
「…言ったら、絶対神さんに言う羽目になりますよね?」
陸が上目使いで言うた。
「…なるやろな。」
「せめて…子供が産まれて、俺達の活動が軌道に乗ってから…」
千寿が俺の目をじっと見て言うた。
…つい…眉間にしわが寄る。
「おっしゃりたい事は分かります。俺の…母と知花は同じ状況ですから。」
「……」
「俺も最初は反対しました。神さんに内緒で産む事。だけど…毎日知花を見て、あいつの想いを知ったら、誰も反対出来なくなったんです。」
千寿の言葉に、陸が頷いた。
光史は…ずっと俺を見据えとる。
…確かに、出産は…大仕事やけど…
男は、何も出来ひんわな…
おってもおらんでも関係ない…言われたら、それまでや。
「…イギリスにも事務所を出す事になりそうなんや。」
足元を見てつぶやく。
「え?イギリスに?」
「ああ。ナッキーの生まれ故郷や。」
さくらちゃんと…結婚式を挙げるはずだった…リトルベニス。
ナッキーはそこに、小規模な事務所を創る気でおる。
「しばらくは…あっちに気が行って、こっちの事は俺に任せる言うてるし…まあ…黙っとればバレへんやろな…」
半ばやけっぱちや。
ナッキーに仕事で秘密持つとか、ホンマ有り得へん。
気持ちわる。
「ありがとうございます!!」
「そういうの、気持ち悪いけやめや。」
頭を下げる三人にそう言うて、部屋を出たら。
「…ありがとうございます…すみません…」
知花がおった。
「…大仕事、しっかり頼むで?」
俺が少しだけ腹に触れて言うと。
「はい。」
知花は…
どこかで見た事があるような、笑顔…
「……」
つい、じっと見てまうと。
「妊婦に見惚れんなよ。」
光史が後ろから俺をどついた。
…アホか。
俺は、るー一筋やっちゅうの!!
〇高原 瞳
「タモツ、そこもう少しピッチ上げて。」
…なんだかんだ言って、TOYSはまた復活した。
千里は何も言わなかったけど、圭司が必死でタモツとマサシの二人を説得して…
ついでに、パパとマノンさんにも頭を下げて。
「最後のチャンスをください!!」
って。
…ちょっと、見直した。
あたしは四月にデビューが決まって。
それまではー…聖子と知花ちゃんがやってた広報室のバイトも、少し…少しだけ、手伝ってみたりして…
あの子達、ほんと凄いわ。
あたしには地味な作業は無理。
でも、給料泥棒って言われるのは嫌だから、ラジオのパーソナリティーを始めた。
アメリカでも地元のローカル局だけど、番組を持たせてもらってたし。
英語と日本語を織り交ぜて、洋楽や邦楽も流しながら…ちょっと恋の相談に乗ったりする一時間番組。
それがなかな好評で。
もしかしたら、枠を増やしてもらえるかも。
あたしは…何となく歌って、何となく好きな事をして、何となく成功って言えるぐらいになっちゃってて…
本当にがむしゃらに夢を追ってる人から見ると、ふざけてるのかもしれないって思う。
だけど、パパやママの七光りであろうと、あたしには運があるって事。
運も才能のうちよね。
ちゃんと使わなきゃ。
「え、今日も来るの?」
TOYSのスタジオを見学した後、圭司の家に帰る千里に並んで歩いてると、圭司が言った。
「瞳ちゃん、いい加減家に帰ったら?」
「えー、いいじゃない。」
こっちに来てすぐは、サラのアパートにお邪魔してたけど。
年が明けた頃から、サラの彼氏が入り浸るようになった。
さすがに申し訳ないから、あたしはサラの部屋を出る事に。
…パパのマンションは…
実は、ちょっとトラウマで…一人で寝るのが怖い。
あの部屋に戻ると、ジェフが電話して来るんじゃないか…って。
そんな事、もうないはずなのに…。
圭司と千里には…全然気を遣わなくて済む。
…千里の事、すごく好きだったのが嘘みたいに、今は…ただの親友って感じ。
シンガーとしての憧れはあるけど…男としては、何だかつまんない。
こんなに身近にいい女がいて、慰めてあげるって言ってるのに…
意気地なし。
ま…
それでこそ千里。って思ってるあたしもいるんだけどね…。
「…おまえ、来るなら飯ぐらい作れよ。」
久しぶりに千里が喋った気がした。
「…いいわよ。その代わり、残さず食べてよ?」
正直、料理は得意じゃない。
「えー、瞳ちゃん、作れんの?食材もったいないような事はやめてよ?」
「……」
圭司に痛い所を突かれた。
すると千里は目を細めて。
「何か買って帰ろうぜ。」
圭司に言った。
結局三人でお弁当を買って、少しは綺麗になってる圭司の家のリビングで食べた。
だけど…今まで、あまり食べてる所見なかったから気にならなかったけど…
「…千里、残し過ぎじゃない?」
千里のお弁当、半分以上残ってる。
「あー、神って偏食家なんだよねー。」
そう言って、圭司は千里の食べ残したお弁当を手にした。
…食べるの?
「そんなのでよく生きてるわね。」
そう言われてみると…
千里って、離婚して随分痩せた。
「知花ちゃん、料理上手だったんだよねー。あの頃の神が一番健康だったもんなー。」
あ。
圭司、バカ。
って思った時には…遅かった。
千里は無言で立ち上がると、静かに二階に上がって行った。
「…名前出すのやめてあげてよ。」
「神、意外とメンタル弱いよね。」
「まあ…そう言われるとそうだけど…」
「こんなに好きなら、追いかければいいのに。じれったい。」
「……」
圭司がこんな事言うなんて、ちょっと意外。
て言うか、それってあたしが言ってた事じゃない?
「千里の性格上、追いかけるなんて絶対しないわよね。」
「しないだろうけど、好きなら離婚にも応じなきゃ良かったのにさ。神ってバカ。」
「…どうしたの?圭司が千里の事、そんな風に言うなんて。」
少し違和感で、圭司にそう問いかけると。
「…神、朝霧さんに自信がないって言ったみたいなんだよね。」
圭司は…滅多に見せないような真顔で。
だけど、お弁当は食べながら言った。
「…千里が?」
「うん。」
「それって、自分にって事?」
「自分にも、TOYSにも、これからにも。」
「……」
「ほんっと…腹立つ。」
圭司は…いつもヘラヘラしてて。
毎日楽しくて仕方ないって顔してて。
でも…
意外と…もしかしたら、一番TOYSの事、大事にしてるのかもしれない…。
「ごちそーさまでした。」
圭司が千里の食べ残したお弁当を食べ終わった時。
ピンポーン。
嵐が…
やって来た。
「こんな時間に誰だろ。」
圭司が玄関に向かった。
あたしがここにいる間、来客なんて一度もなかった。
珍しいなー…って思ってると…
「…困るよ。」
玄関先から、圭司の声が聞こえた。
「誰か…いるの?」
「一緒に暮らしてるんだ。」
「…彼女?」
「…そう。」
えっ。
な…何!?
あたしは玄関先をそっと覗いてみた。
姿は圭司で見えないけど…女の人の声…だよね…
「とにかく…今更困るよ。」
「でも、ここは元々お母さんが建てたのよ?」
「親父じゃん。」
「違うわ。」
…お母さんとか、親父とかってワードが出て来て…
これはもしかして…圭司のお母さん?
あたしがさらに聞き耳をたてようとすると…
「あら…」
圭司の向こうから、女の人が顔を覗かせた。
「あ…」
「彼女?」
「……」
圭司が振り返って、あたしに小さく謝るポーズをした。
…彼女のフリしろって?
「…はじめまして…」
ゆっくりと圭司の隣まで歩いて、お母さんらしき人にお辞儀した。
…あまり圭司には似てない感じ。
「結婚するの?」
「えっ。」
「まだそんな話は出てないよ。」
「じゃあ、ここじゃなくても、もっと狭い所でもいいでしょ?」
「……」
「お父さんも色々大変なの。分かってあげて?」
話しが見えなくて、圭司とお母さんを交互に見ると。
「…この家をね、売ろうと思って。」
圭司のお母さんが…あたしを見て言った。
「…売る…」
「ええ。ちょっと…新しい事業のために、お金が必要で…」
圭司は…黙ってた。
黙って…お母さんの足元を見てた。
…お母さんは、ブランドの靴を履いてる。
圭司、あんたそんなの分かるの?
「…何もなかったように、いきなり現れてそんな事言われてもさ。」
圭司は鼻で笑って、そう言った。
…ん?なんか、らしくない。
「…悪かったと思ってるわ。でも…仕方なかったのよ…」
「仕方なかった?」
ピキッて音が聞こえた気がした。
圭司はゆっくりと前髪をかきあげて。
「朝起きたら母さんとあの男がいない。学校から帰ってもいない。次の日も次の日も…帰って来ない。」
「……」
あたしは…圭司の顔を見た。
目を大きく開いて…
瞬き…しなよ…
「幸い、俺にはあんた譲りの悪知恵とか、あんたがうっかり忘れて行った親父の預金通帳があったから、何とか生活は出来たよ。」
「圭司…違うのよ…」
「何が違うんだよ。俺の事捨てたクセに。なんで今更戻って来て、この家売るとか言うんだよ。まず、謝れよ!!俺と親父に!!」
「……」
「謝れ!!」
あたしは…咄嗟に圭司の腕を掴んだ。
そうしなきゃ、圭司は…お母さんを殴るって思ったから。
「…大声出さないで…そこに…娘がいるの。」
お母さんがそう言うと、圭司は一瞬息を飲んで。
「…子供…産んだの?あれから?あいつの子供?」
信じられないって顔で言った。
「俺の事、ボコボコに殴ってた男の子供、産んだの!?」
「圭司…やめてちょうだい…あれは…」
圭司は怒りに震えてた。
だけど…
「…圭司?」
圭司はズカズカとリビングに行くと、それから何かを持って玄関に戻って。
「これ、俺の全財産。これやるから出てけよ。」
通帳を三つ…お母さんに差し出した。
「二度と俺の前に現れるな。おまえなんか母親じゃねーよ。」
こんな圭司は初めてで…
あたしは…唇を噛んでうつむいた。
…圭司…
あんたも…暴力振るわれてたの?
お母さんに助けてもらえなくて…
それどころか…
捨てられて…
こんな時にだけ…頼って来るなんて…
お母さんは圭司の差し出した通帳と印鑑を手にして…
「…ありがとう。」
…えっ。
それ、持ってっちゃうの!?
「ちょっ…ちょっと!!」
あたしが後を追おうとすると。
「瞳ちゃん、いいから。」
圭司が…あたしの腕を取った。
「…でも…こんなのって…」
開きっ放しになってる玄関のドアの向こう。
お母さんと…小さな女の子の後ろ姿が見えた。
「もう…いいんだ。これで関係なくなった。」
「……」
だけど…
それから数日後。
「……」
「……」
「……」
夜、事務所から帰ったあたし達三人は。
『売却済み』って貼られた玄関の前で…呆然と立ち尽くした。
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