第52話 「あ…」

 〇桐生院知花


「あ…」


「…あ。」


 エレベーターに乗ると…瞳さんと一緒になった。

 瞳さんは、今…この事務所に所属するシンガー。

 だから…あたしは瞳さんのデビューライヴのフライヤーを仕分けもしたし…

 CDも、広報室で毎日流れるから…

 歌えるほど、覚えた。


 …千里と一緒にいる所を見かけたりした事はあっても…

 あたしは、なぜか…バッタリ会う事もなかった。

 ましてや、こうしてエレベーターに二人きりなんて…



「ね。」


 突然、声をかけられた。


「…はい…」


 千里の事とか…別れた事を言われるのは…嫌だな…

 そう思いながら、少しだけ、顔を瞳さんに向ける。


「あなたの歌、聴いた。」


「……」


「すごいわ。」


 思いがけない言葉に、あたしは…瞳さんの顔を見つめた。


「…ありがとうございます…」


「絶対、世界中にファンが出来る。」


「……」


 初めてかもしれない…

 瞳さんの顔を、しっかり見たの…


 聖子とはイトコで…だからなのか、凛としてる姿は…少し聖子に似てる気もした。

 だけど…

 瞳さんだ。

 あたしが…ずっとかなわないと思って来た人…



「正直、初めて聞いた時は足が震えちゃった。」


 瞳さんは首をすくめながら、そう言った。


「…え?」


「ほんとよ。あなたの歌…上手過ぎて怖いって思った。」


「……」


「あたしなんかとは次元が違う。だから、向こうに行っても絶対成功すると思う。みんな大絶賛だもん。」


 あたしは…丸い目をしてしまったかもしれない。

 勝手に作り上げてた瞳さんのイメージと…全然違う。


 二階について、そこからエスカレーターも…一緒だった。

 なぜか隣を歩きながら…瞳さんは続けた。


「パパったら、会長室でもね、いつも聴いてるのよ?」


「…そうなんですか…」


「期待してるのは分かるけど、たまには、あたしの歌も聴けって感じよね。」


「……」


 あたしが答えに悩んでると。


「…知花ちゃん。」


 突然、名前で呼ばれた。


「…はい…」


「あたしは…パパにアメリカでデビューしろって言われたのに、叶えられなかった。」


「……」


「あたしは無理だったけど、きっと…あなた達なら大丈夫。」


 瞳さんはあたしの腕に軽く触れて。


「あたしのパパを…ビートランドの高原夏希を、喜ばせてやってくれる?」


 少し…寂しそうな笑顔で言った。


「…出来る限り、頑張ります。」


 あたしがそう言った所で…


「瞳。」


 後ろから声がして。

 二人で振り返ると…高原さんがいた。


「パパ。」


 瞳さんが駆け寄る。



 …お父さん…元気かな…

 家族を裏切ったクセに…

 高原さんと瞳さんを見てると、無性に…家族に会いたくなった。


 …どこまでも…勝手なあたし…



 〇神 千里


 それから間もなくして…

 SHE'S-HE'Sの壮行会が開催された。


 出たくはなかったが…こういう宴は強制参加だ。

 とにかく、ビートランドはお祭り騒ぎが好きだ。

 特に上層部は張り切る。

 あまり気乗りしないまま、俺は壁に花を添える事にした。



「なんでこんな所にいるの?」


「あ?」


 隣を見ると、いつの間にか瞳がいた。

 瞳だけは…腫れ物に触らない。


「…ここでいい。」


「せっかく美味しい物があるのに。」


「食わねーし。」


「つまんないの。」


 瞳はそう言うと、会場の前の方に行った。


 最近、何を食っても美味くない。

 元々偏食家だしな。

 …知花は、奇跡の腕を持ってた事になる。


 ふっ…

 あいつの飯じゃないと食えねーわけじゃなかったのに…

 どうした?俺。



 乾杯の後、色んなバンドの奴が話しかけて来て。

 それでも無愛想な俺に呆れて、結局は一人で地味に飲んでいた。

 すると…



『じゃあ、ここで。俺からSHE'S-HE'Sに一曲プレゼント。』


 乾杯から一時間が過ぎた頃。

 高原さんがアコギを持った。


 …珍しいな。

 盛り上がって歌う事はあっても、誰かに捧げるなんて事はしない人なのに。



『未発表曲なんで、心して聴くように。』


 そう言われると…いくら落ちてる俺だって、背筋が伸びる。

 あのDeep Redの高原夏希が、未発表曲を歌ってくれるなんて。

 …SHE'S-HE'Sが羨ましくなった。



『えーと、コードは…』


「コードも覚えてないような曲プレゼントするのー?」


 瞳のヤジに、会場は笑いに包まれた。


『ああ、思い出した。じゃ、If it's love』


 それは…心地いいアルペジオから始まった。

 そして…

 高原さんが今まで歌って来たどの曲よりも…愛がこもっていると思った。


 それまで飲んで騒いでいた輩も…

 誰もが、高原さんに注目している。

 Deep Redのバラードでも、こんなに…熱いラブソングはなかった。



 もしおまえに苦しみが訪れたら、俺がおまえを殺してやる


 おまえを苦しませない


 俺に罰が与えられるとしても



 …ラブソングだよな…?

 …これは、もしかして…『さくらさん』に作った歌か?

 そう思いながら…会場を見渡してると…


「……」


 なぜか…

 サビの部分を口ずさんでる知花の姿が見えた。


 …『未発表曲』…だよな。



 〇高原 瞳


「…何なの、この惨状…」


 あたしはその散らかり具合に、身体を震わせた。

 そりゃあ、あたしも綺麗好きとまでは言わないけど…


「圭司!!掃除機は!?」


「あー…あっちの…いや、こっちかな~…」


 ここは、東 圭司の家。

 なぜか二階建ての一軒家に一人暮らし。

 いや…千里が居候してるから、二人暮らし。


 少し前までは、あたしも時々泊まりに来て。

 三人で音楽について語り合ったりもしたけど…

 あ、違う。

 千里は聞いてるだけの事が多かったから、二人で語り合って一人が聞いてるって感じ。


 最近あたしはママのいる施設に泊まったりもしてたから…

 ここに来るのは久しぶりなんだけど。

 もう…


「汚いっ!!これ何よ!!」


 足の踏み場もなければ…


「…臭い…何でこうなってるの…」


「何でだろうねえ。」


「……」



 SHE'S-HE'Sが渡米してから…千里の様子があきらかにおかしくなった。

 て言うか…

 離婚したから?


 あたしから言わせると、何でこんな事で離婚?なんだけど…

 千里は何も言わないし。

 だけど、あの落ち込み具合からして…彼女の方から、離婚を申し出た。って事よね。

 千里は捨てられた。って事よね。


 …て事は。

 あたし、チャンス。

 そう思ってるんだけど…



「…ねえ、もうあれから二ヶ月よ?あなた、少しは千里を奮い立たせなさいよ。」


 何だかよく分からないチラシを丸めたゴミを拾いながら、圭司にそう言うと。


「んー…そうしたいのは山々なんだけど…」


 圭司もどこからかゴミ袋を出して来て、片付け始めた。


「何で出来ないのよ。」


「…こういう時って、誰が何言っても無駄じゃない?」


「……」


「それに、俺らにとっては『もう二ヶ月』でも、神にとっては『まだ二ヶ月』かもじゃん?」


 あたしは目を細めて圭司を見る。


 …意外と冷たいのね。

 そして、圭司と千里もデリケート過ぎ。

 そう、メッセージを込めて。



「で?今日千里は?」


「二階にいるよ。」


「……」


 あたしは少し悩んで…冷蔵庫から勝手にビールを取り出すと、二階に上がった。


「千里ー、入るわよー。」


 一応ドアの前で声をかけた。


 …けど、無言。

 ま、いっか。

 お伺いは立てたし。


 ガチャ


 ドアを開けると…千里はベッドに座って、開いた窓から外を眺めてた。

 …この部屋は、綺麗。

 千里が使ってるから?



「…ちゃんと食べてるの?」


 隣に座ってビールを渡すと。


「…何食っても不味くて。」


 千里はビールを手にして…開けた。



 …昨日、事務所に寄ってパパと話したけど…TOYSは…解散の危機を迎えてる。

 頑張ろうって言い張る千里に…ドラムとキーボードが…リタイア宣言をした。

 そんなわけで…今、TOYSは活動休止中。


 正直、こんな千里…見たくない気もするけど…



「ね。気晴らしに出かけない?」


「…一人で行けよ。」


「もー。せっかく誘ってんのに、冷たいなあ。」


「…別に誘って欲しいわけじゃない。一人にしてくれ。」


 ムッ。

 あたしは千里の手からビールを奪って床に置くと、両手で千里の顔を挟んだ。


「ちょっと。」


「……んだよ…」


「何やってんのよ…千里。」


「……」


「寂しいなら…あたしがいるから。」


「……」


「あたし…あたしなら、千里の事…一人にしない…」


 そう言って…

 あたしは、千里の唇にキスをした。


 千里は…拒まなかった。

 あたしはキスを深めて…千里の頭を抱きしめて…

 そのまま、ベッドに押し倒した。

 すると…


「あっ…」


 千里が、あたしの腕を取って…体勢を変えた。


「……」


「……」


 じっ…と、見つめ合った。

 千里の目は…以前みたいに強くて鋭い感じじゃなくて…

 ただ、寂しくて…だけどそれを悟られまいとしてるって言うか…


 …だいたい、こんなにダメダメになるなら、別れなきゃ良かったのに。

 色んな事があって、そうだったんだろうけど…

 好きなら、離さなきゃいいのに。


 …でも、二人は別れた。

 あたしにはチャンスでしかない。


「…千里…」


 あたしが名前を呼ぶと、千里は…あたしの首筋に唇を落として…


「…瞳…」


 荒々しく…唇を重ねてきた。


 …あー…

 どうしよう…

 千里…

 キス上手い!!


 下に圭司がいるのは気になるけど…

 顔の向きを変えながら、激しくキスをした。

 あー…ほんと…これ、ヤバいわ。

 あたし…他の人とキスできなくなっちゃう!!


 千里の頭をぐしゃぐしゃにしながら、あたしはそのキスを堪能した。



「…っ…あ…」


 声が…出ちゃうー…

 千里の手があたしの服をまくりあげて…


「……」


 胸に、触れたか触れないか…って所で。

 止まった。


「……」


「……」


「……千里?」


 千里の身体から、力が抜けて。


「…どうしたの?」


 千里は溜息と共に…あたしの上に突っ伏して動かなくなった。


 ま…まさか…

 やめちゃうの!?

 せっかくいい感じだったのに!!



「ね…ねえ…」


 耳元で声をかけると。


「…悪い。」


 千里は、情けないほど…弱々しい声。


「…何が。」


「おまえには、手出したくなかったのに。」


「…こんなの、手出した内に入んないわよ。」


「…ふっ…」


「しないの?」


 あたしの言葉に千里はゆっくり起き上がると。


「…俺、おまえの事…マジ大事だから。」


 あたしの服を直しながらそう言った。


「…意気地なし。」


「勝手に思ってろ。」


「追いかければ?」


「……」


 あたしの、その言葉に…千里は一瞬鋭い目であたしを見たけど。

 すぐに視線を外して、あたしの上から降りた。



「チキン。」


「うるさい。」


「こんな千里、全然カッコ良くない。」


 あたしはベッドから立ち上がって、勢いよく部屋を出た。


 …何よ。

 あんなキスしておいて…やっぱりあの子なんだ。


 ドスドスと足音を立てて階段を下りると。


「困るな~、壊れちゃうじゃん。」


 圭司が眉間にしわを寄せて言った。


「……」


「…ん?」


「キスして。」


「…え?」


「早く。」


「…は?」


 とぼけた顔をしてる圭司の後ろ頭をグイ、と引っ張って。


「んっ…んんっ!?」


 あたしは、無理矢理圭司にキスをした。


 …あんな千里とのキスなんて…

 消し去ってやる!!



「な…なんだよ…瞳ちゃん、俺の事…」


 唇を離すと、圭司が照れながらそう言ったけど。


「毒を持って毒を制したかっただけよ。」


 あたしがそう言うと。


「よくわかんないけど、俺はいつでもウェルカムだから。」


 圭司は満面の笑みでそう言った。



 …バカっ!!

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