第50話 「あー、あー、あー……ちょっと、ちゃんとやってよ。」

 〇高原 瞳


「あー、あー、あー……ちょっと、ちゃんとやってよ。」


 最近あたしは、千里にボイトレをしてもらっている。

 って言っても…あたしから言い出したわけじゃない。


 あたしがジムで体力作りばかりしてるのを心配してくれたのか、千里が。


「おまえ、身体ばっか作ってないで、ボイトレもやれよ。」


 そう言って…


「トレーナー付けにくいなら、俺がやってやるから。」


 自ら、名乗り出てくれた…のはいいけど…


「えー?ちゃんとやってたよ。なあ、神。」


 なぜか…東 圭司も…いる。


 まあ…この人にも…一応世話にはなったから?一緒でもいいんだけど…


「瞳ちゃん、ラの音になると急にセクシーになるね。」


 ああ!!やだやだ!!

 千里と同じ歳のはずなのに、なぜかエロい親父を想像させる!!

 あたしは東 圭司に背中を向けながら、おえって顔をした…ら…


「…千里?」


 何だか、さっきからずっとうわの空。

 目の前のキーボードも、ほとんど弾いてない。

 東 圭司のギターに合わせるの、大変なのよ?


 あたしが不服そうな顔をすると。


「…おまえ、バンドで歌いたいって思った事ねーの。」


 千里はキーボードの椅子に座ったまま、壁にもたれかかってそう言った。


「は?」


「バンド。」


「……」


 初めて、そんな事を聞かれた。

 誰からも聞かれた事なんてない。



「それって、あたしの声がバンド向きだと思って聞いてるの?」


「いや、ただ単に…ソロで歌ってる奴って、バンド組みたいって思わねーのかなーと思って。」


「うーん…別にないかなあ。一人だと身軽だし。」


「…ふーん。」


「何?」


「いや…別に何でもな…何だよ、アズ。」


 千里が眉間にしわを寄せてる。

 あたしがその視線の先を見ると、東 圭司が…


「うっ、ううっ…」


 な…泣いてる…!?


「…何なの…?」


「ううっ…神…もしかして、ソロになれって…いよいよ言われたの…?」


「えっ。」


 東 圭司の言葉に、あたしは千里を振り返る。

 それって…それって、ソロでアメリカデビューって事!?


「…ならねーし、行かねーよ。」


「えっ!?」


 あたしと東 圭司、同時に叫んでた。


「ならないの!?」


「行かないの!?」


「………ああ。」


 千里はだるそうに返事をして、身体を壁から離すとキーボードを片付け始めた。


「え?もう終わり?」


「…飲みに行こうぜ。」


「……」


「……」


 あたしと東 圭司、つい…顔を見合わせた。


 だって…

 千里が、お酒に誘ってくれた!!


 前に、東 圭司が言ってた。


『神って絶対自分から飲みに誘ってくれないんだよねー』


 そうよ!!

 飲みにだけじゃない。

 ご飯も誘ってくれないもん!!


「行く行く!!」


「早く行こう!!気が変わらない内に!!」


 あたしと東 圭司、さっさと片付けて、準備万端。

 千里は面倒臭そうではあったけど…小さく溜息をついてスタジオを出た。


「あ、知花ちゃんに電話しなくていーの?」


 東 圭司がそう言うと。


「…あー…ま、いーや。」


「……」


「……」


 あたしと東 圭司、またまた…顔を見合わせた。

 あれだけいつも『帰るコール』してるのに…



 もしかして…

 奥さんと、ケンカ…?




「…おかしいな。酔っ払ってるはずなのに、今夜の神…喋らない…」


 東 圭司がコソコソとあたしに耳打ちした。


 二人の行き着けだというバー。

 あたしを挟んで、右に千里。

 左に東 圭司。

 だけど…さっきから喋ってるのは、あたしと東 圭司ばっかり。

 千里は酔うとベラベラ色んな事喋るって聞いてたから、すっっっごく楽しみにしてたのに!!


 …つまんなーい!!



「ねえ、パパに何か言われたの?」


 あたしがズバリ核心を突くと。


「…何かとは?」


 千里は頬杖をついてグラスの中の氷を鳴らしながら、低い声。

 …ちょっと、カッコいいじゃないの…

 そんな顔したら、あたし…千里の事、また好きになっちゃうじゃない…



「…アメリカ行きの事とか?」


「……」


「……」


 あ…あー…

 空気が重たくなった!!

 言うんじゃなかったなー…

 パパからコッソリ聞けば良かった…


「…あいつらを推した。」


 あたしが後悔してると、千里が小声で言った。


「…え?」


「あいつらって?」


 あたしの隣から、東 圭司が身体を乗り出して千里に問いかける。


「…知花んとこだよ。」


「えっ!!七生ちゃんとこ!?」


「……」


 東 圭司をジロリと睨んだけど、ほんっとこの人…空気読めない。


「七生ちゃん、アメリカ行っちゃうのかな~…あー…まだ全然デートの誘いに乗ってくれない。」


 この東 圭司、あたしのイトコである七生聖子に一目惚れしたらしい。

 ま、聖子は美人よね。

 あたしも初対面の時は、同じ人間がそこにいるとは思えなかったもの。

 黒くてきれいな髪の毛の170cmが颯爽と歩いてると、事務所でも目立つ。

 まあ…あたしも多少なりとも美人とは言われるけど…

 聖子の『美人』は、格が違う。

 でも、彼氏はいないみたいなのよね。



「いい加減諦めたら?聖子の好みって、絶対あなたとはかけ離れてると思う。」


 あたしは東 圭司に言い切った。

 うん。

 たぶん聖子は理想が高いのよ。



「えー、どんなのが好み?」


「…分かんないけど、あなたは違うと思う。」


「そうかなー?ちょっと聞いてみてよ。」


「何であたしが。」


「イトコなんでしょ?さらっと聞いてくれてもいーじゃん?」


「しつこいと嫌われるわよ?」


「別に俺、しつこくなんかしてないもん。」


「よく言うわ。事務所のロビーで待ち伏せしてたの見たわよ?」


「瞳ちゃんもしてたよね。神の事、待ち伏せ。」


「あー!!もう!!あんた嫌い!!」


「あれ?神がいない。」


「えっ。」


 振り向くと…あたしの右側にいたはずの千里がいない。

 あたしと東 圭司がバトルしてる間に、どこへ!?

 二人でキョロキョロしてると…千里が戻って来た。


「どこ行ってたの?」


「どこって…トイレだよ。」


「もー、心配したー。」


「ほんとかよ。二人で仲良く喋ってたから、コッソリ帰ろうかと思った。」


「仲良く見えた?良かったー。」


「もう!!やめてよ!!仲良くなんかないから!!」


「…どーでもいい。」



 結局…千里はずっとおとなしかった。

 あたしと東 圭司は、酔っ払って喋りっぱなしで…

 お店が閉まる三時まで飲んだ後。

 まだ帰りたくなさそうだった千里を東 圭司が『うちに泊まるー?』って誘って、帰って行った。


 …あたしが誘おうと思ってたのに…

 ちぇっ。



 …それにしても…

 千里…自分もアメリカ行きたかったはずなのに…

 奥さんのバンド、推したんだ…。

 確かに、あれだけ実力があったら…

 …悔しいけど、きっと売れる。



 あたしとしては…千里が残ってくれるのはラッキーだけど。

 …千里、寂しいんだろうな。



 〇神 千里


「…坊ちゃん。」


 篠田が呆れた口調で言った。


「知花様が心配されてましたよ?どうなさったんですか。」


 俺は…ここ数日、連絡もせずに夜中に帰ったり…

 いや、帰らない事の方が多いな…。



 知花の顔を見ると…色んな感情が湧く。

 それの大半が…嫉妬だ。


 大事なのに。

 知花を大事だと思うのに…

 今は、顔を合わせるのが辛い。


 事務所でも、知花が俺を探してた。と、タモツとマサシにまで言われたが…俺は、のらりくらりと知花をかわしている。

 できれば…もうしばらく会いたくない。

 …だが…これが正解じゃない事も分かっている。



 アズの家とじーさんち、そして事務所に寝泊まりした。

 もう…そろそろ帰らないとマズイよな。


「…今夜は帰る。」


 久しぶりのベッドから起き上がって、前髪をかきあげた。


「そうして下さい。」



 まずはシャワーを浴びて、朝飯を食った。

 …一人で。

 じーさんは親父の所へ行っているらしく、不在だった。


 …あれだけ知花に一人で飯を食わせるのが嫌だったはずなのに…

 今、俺は平気でそれをしている。

 つまらない嫉妬で。

 …はー…情けねーな…



「いってらっしゃいませ。」


 篠田に見送られて、仕事に向かった。

 今日は雑誌の取材と…上層部とのミーティング…

 …気が重い。



 自転車を飛ばして事務所へ。

 いくら嫌だと思っても、これは仕事だ。


 …俺、仕事を楽しいと思ってねーな…

 そりゃあ、元々不純な動機で持った夢だから…

 歌うのが楽しくて仕方ないっていうのとは違うが…

 振り向いたらアズがいて、タモツがいて、マサシがいて…

 俺は、そこにいるのが当たり前だと思ってた。

 …あいつらを捨ててまで…一人の夢を見たいとは思わない。


 知花に嫉妬してどうする。

 あいつらを推したのは…俺だぜ?



「あ、神。」


 プライベートルームに行かずに、そのまま取材の行われる八階に行くと…


「…この人だかりは?」


 外から見えるCスタの前に、人だかり。


「七生ちゃん達が面白い事やってんの。」


 アズがスタジオの中を指差しながら言った。


「……」


 俺は知花に見つからないよう…遠目にそれを見る。

 スタジオでは、全員が楽器を置いて…丸くなって手拍子をしているようだった。


「おー、なんや。みんな見学か?」


 エレベーターから降りてきた朝霧さんが、人だかりに向かって言った。


「あれ、何やってるんですか?」


 人だかりの中にいた誰かが、朝霧さんに問いかけると。


「ああ…あれはタイミングの感覚の特訓らしいで。」


「…タイミングの感覚の特訓?」


「普通の手拍子やないで。何小節かやったら、裏から入ったり、色々リズムパターン作ってやってる。」


「…へー…」


「で、耳のええ二人がズレを指摘する、と。」


 朝霧さんの言う、耳のいい二人は…知花と、ナオトさんの息子だった。

 確かに二人は手拍子の途中で誰かのズレを指摘して、そのたびに最初からやり直しになる。


「これ、何か役に立つんですか?」


 タモツが問いかけると。


「あいつらのユニゾンとかブレイク聴いたら、鳥肌立つで?」


 朝霧さんは、首をすくめた。


 …確かにな。

 普通なら、ハイハットでカウントを取って入りそうな所も…

 あいつらは、それをなくしても…ちゃんとピッタリのタイミングで入る。

 武器だ。



 それから、一時間ほど取材を受けた。

 その後で、上層部とのミーティング。

 そこで…SHE'S-HE'Sにアメリカデビューを打診した話をされた。

 みんなが一斉に俺を見たが…俺は無表情だった。


 そして…


「TOYSは、ずっとこの路線で行くのか?」


 高原さんから…厳しい言葉が出た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る