第49話 「千里、TOYSはどうだ。」

 〇神 千里


「千里、TOYSはどうだ。」


 久しぶりに…高原さんに聞かれたような気がする。


 会長室から見える外の景色…今日は晴天。

 たまには外で飯でも食いてーなー…なんて、ちょっと現実逃避した。

 俺は…高原さんにこれを聞かれるのが…

 好きじゃない。


 ポリポリと頭をかいて…


「楽しくやらせてもらってます。」


 正直に、そう言うしかない。


 実際今はマサシのキーボード、俺がベースを弾き語る形でテレビにも出ている。

 だが、上層部がそれをあまり良く思ってないのも…知っている。

 ただ、俺達は売れてしまっている。

 だから大目に見てもらえるだけだ。



「千里。」


「はい。」


 高原さんは俺の前に座ると。


「以前も言ったが、ソロシンガーになるつもりはないか?」


「……」


 ソロシンガー…


 憧れがないわけじゃないが、俺の歌はバンド向きだと思う。

 ソロになったとして、この歌い方を変えるのは嫌だ。


「興味ありません。」


 ハッキリそう言うと。


「…じゃあ、TOYSのメンバー交代はどうだ?」


 高原さんは低い声で…前のめりになって言った。

 俺は眉間にしわを寄せて高原さんを見た。


「そんな事をするぐらいなら…」


「俺は、おまえをアメリカに行かせたい。」


 俺は、プロを辞めてもいい。

 そう言いかけた所で…遮られた。



「…え?」


「アメリカから世界へ、千里…俺は、おまえを世界に出したいんだ。」


「……」


 何も…言葉が出なかった。

 頭の中が真っ白になって、ただ…瞬きを繰り返すだけだった。

 高原さんは以前も…俺をソロで世界に向かわせたいと言ってくれたけど…

 何となく今回のこれは…


「…アメリカって、向こうの事務所から発信するプロジェクトの事ですか?」


 掲示板に貼ってあった。

 アメリカ事務所を拡大するにあたって、アーティストを募集している。と。

 それにはいくつかのバンドとソロシンガーが名乗りを上げたらしいが、高原さんとナオトさんが面接とオーディションをして…先送りになったと聞いた。



「ああ。誰でもいいわけじゃない。」


「……」


「俺は、TOYSじゃなく…千里、おまえのソロか、もしくはもっとレベルの高い違うメンバーとのバンドでか…」


「……」


「SHE'S-HE'Sを向こうに行かせたいと思ってる。」


「…え…」


 SHE'S-HE'S…

 知花のバンド…


「どうだ。」


 高原さんにそう聞かれて…俺は…


「…少し考えさせて下さい…」


 そう、言ってしまった…。



 …高原さんは、俺を認めてくれている。

 それはすごく光栄だし、誇らしい事だ。

 世界のDeep Redのフロントマンに、あそこまで言われたんだ…

 そりゃあ…自分の意思を曲げて、ソロシンガーになりたいという気持ちが湧かない事もない。


 …だが。

 やっぱり俺はバンドの人間だ。



「何かあったの?」


 ふいに、知花が俺の顔を覗き込んだ。


「…え?あ、何が。」


「元気ないみたいだけど…」


「んなこたねえさ。おかわり。」


「…はい。」


 渡した茶碗を持って立ち上がった知花の後姿を見つめる。


 …アメリカ事務所とは、二年契約。

 知花は…打診されたら、どうするつもりだろう。



「…おまえさ。」


「え?」


「シンガーになるの、夢だっつってたよな。」


「…そうだけど…はい。」


 茶碗を渡される。


「サンキュ。」


「それが、何?」


「いや…デビュー決まったからさ。どんな感じかなと思って。」


 らしくない事を聞いてるのは分かる。

 だが…聞かずにはいられなかった。


「うん…嬉しい…って言うか、まだ実感湧かないけどね。メンバーはかなり盛り上がってるけど。」


「…そっか。」


「それが何?」


「別に。良かったなと思っただけだ。」


 ホールオーディション以降…

 知花達は楽曲を作る事に専念して、ほぼ毎日スタジオに入る。

 それをDeep Redの面々が見に行ったり、金の卵の噂を聞きつけて、事務所の多くのアーティストが見学に行った。

 …そして、自信を失くした。


 それほどに、知花は誰もを唸らせるボーカリストだ。

 …目の前にいる知花は…ただの一人の女だが…な。



 考えれば考えるほど…俺の中の何かが…苛立った。

 TOYSは選択肢に入っていない。

 だが…知花は…バンドとして選ばれた。



「…知花。」


 ベッドで知花に覆い被さる。


「ん…」


 どうして…TOYSじゃダメなんだ?

 確かに、タモツとマサシは完璧じゃないかもしれない。

 でも、完璧って何なんだよ。


「ち…千里…まっ…」


 何か言いたそうな知花の唇を塞ぐ。

 おまえは…いいよな…

 選ばれて当然のバンドで…


「ま…待って…ちょっ…と…やだっ…!!」


 胸を押されて、身体が離れた。


「…何だよ。」


「…こんな…乱暴にするなんて…いやだ…」


「……」


「何かあったの…?」


 俺は知花を見下ろして…小さく溜息をついた。


「…何でもない。悪かったな。」


 …バカだ。

 俺は…知花に嫉妬している。

 …バカだ。



 〇神 知花


「…知花。」


 ベッドに入ってすぐ…千里があたしの上に乗った。


 …なんて言うか…

 最近、すごく疲れてしまって、ベッドに入るとすぐに寝ちゃってたから…

 こうされるのは…久しぶりで。

 …すごく、照れる…。


 だけど…


「ち…千里…まっ…」


 千里が…すごく、荒々しくキスをして。

 少し暴れてしまうと…手を押さえ付けられた。


 …どうして?

 何?

 これじゃ…


「ま…待って…ちょっ…と…やだっ…!!」


 あたしは思い切り千里の胸を押して、身体を引き離した。


「…何だよ。」


「…こんな…乱暴にするなんて…いやだ…」


「……」


 最近…TOYSに関するいい噂を聞かない。

 もしかしたら、それで疲れてるのかもしれないけど…

 千里はあたしに何も言わない。

 言わなきゃ…分からないよ…


 夕食の時も答えてはくれなかったけど…

 かすかな期待を込めて、聞いてみる。


「何かあったの…?」


 だけど千里は…あたしを見下ろして、小さく溜息をついた。

 それが…すごく…悲しかった。


「…何でもない。悪かったな。」


 千里はそう言ってあたしの隣に横になると…

 あたしに背中を向けた。



「…ねえ…」


「……」


「千里…」


「……」


 すごく…

 すごく悲しくなってしまった。


 あたしって、どういう存在?

 ご飯作って、家の事して…って、それだけ?

 いくら千里の妻だって言っても…

 あたしは、千里が何を考えてるのか…何も分からないよ…


 悲しい気持ちのまま、眠った。

 眠れなかったけど…眠ったつもりになった。



 翌朝起きると、千里はもういなくて…

 それがあたしをますます不安にした。


 …どうして?

 拒んだから…?



 一人で朝食を取って、事務所に向かった。

 行く途中、音楽屋の中にセンの姿が見えた。

 あたしとセンだけは、学生じゃないから…バイトをして、それから夕方からスタジオに入る。


 たくさん作った新曲は、陸ちゃんもセンも光史もまこちゃんも…作曲に関わってて。

 すごくカッコいい。

 今まであたしが書いて来たどの曲より、力強くて励まされる。

 あたしは、この曲を歌うんだ。って。



「……」


 事務所に着いて…広報室に向かおうとすると。

 あたしの視線の先に、千里がいた。

 その千里の隣には…瞳さんがいた。


 悪い事なんてしてないのに、隠れてしまった。

 隠れて…二人がどこに行くのか…こっそり見てしまった。



「何それ。往生際悪い。」


「知らねーよ。俺に言うな。」


「それで機嫌悪いの?」


「…まあ、それもある。」


「ちっさい男。」


「黙れ。」



 ……何なの…?

 瞳さんには…機嫌悪い理由なんて話すんだ…

 あたしには…何も言ってくれないのに…



「……」


 しゃがみこむと、涙が出た。

 ああ…あたし…



 千里の事…


 嫌になるほど、好きなんだ…。




 バイトして、夕方からスタジオに入った。

 千里と瞳さんのツーショットを忘れたくて…がむしゃらに歌った。

 だけど…そんなの、すぐに…バレちゃうあたしは…


「何があった?ん?」


 事務所を出ると同時に…聖子に聞かれた。


「……」


 あたしが無言でうつむいてると。


「聖子ー、高原さんが呼んでるぜー。」


 背後から、陸ちゃんの声。


「あ、はーい。ごめん、知花。また明日ね。」


「うん。ありがと。」


 聖子と手を振って別れて。

 あたしは小さく溜息をつきながら歩き始めた。



「知花、そこまで一緒にいい?」


 歩き始めてすぐ、隣に並んだのはまこちゃん。


「…うん。」


「今日元気なかったね。」


「…うん…」


「まあ、そんな日もあるよね。」


「……」


「…陸ちゃんの新曲のサビなんだけどさ、僕の出してる音が知花の音程と重ならない方がいいと思う?」


「…え?」


 まこちゃんの顔を見ると…まこちゃんは、いつものニコニコ顔。


「どれも最高の曲にしたいからさ。意見聞きたいと思って。」


「…そうだね。」


 そうだよ…

 デビューが決まって…あたし達、もっと頑張らなきゃなのに。

 思い切り私情を挟んでどうするの?


「サビの所、ユニゾンは厚みが増していいかなって思う。」


「あっ、なるほどねー。さすが知花。じゃ、明日はユニゾンと、ハモる感じのやつでやってみる。」


「うん。楽しみ。」


 それから、まこちゃんと曲作りの話をしながら歩いて。

 気が付いたら…マンションの前だった。


「あ…まこちゃん、遠回り…」


 あたしが目を丸くして言うと。


「あっ、本当だ。楽しくて気付かなかった。」


 まこちゃんも、丸い目をして…笑った。


「ふふっ。」


「あはは。じゃ、また明日ー。」


「うん。ありがとう。」



 まこちゃんのおかげで、少し元気になれた。

 うん…明日は集中して頑張ろう。



 その夜も…千里は心ここに非ずな感じで夕食を取った。

 不満…うん…不満だけど…そんな日もあるんだ。

 そう言い聞かせて、あたしも黙ってた。


 だけど…ベッドに入って…


「…千里。」


 あたしに背中を向けてる千里に我慢できなくて、声をかけた。


「…んだよ。」


「どうして…そっち向いてるの?」


「…こっち向きが楽な事もあんだよ。」


「……」


 一緒に寝始めて…こんな事、一度もなかった。


 きっと…

 やっぱり瞳さんの方がいいって…思い始めたんだ…

 今朝の二人の様子を思い出すと、泣きそうになった。

 あたしは布団をかぶると、千里とは反対側を向いた。


「……っ…」


 我慢したのに…少しだけ声が漏れた。


「……何泣いてんだ。」


「……」


「おい。」


 千里が、あたしの腕を取って上を向かせた。


「…何で泣く?」


「……」


 あたしが千里と視線を合わさないようにして泣いてると。

 千里は…大きく溜息をついた。

 それが…許せなくて…


「…離して。」


 あたしの腕を掴んでる千里の手を、離そうとした。


「知花。」


 だけど…千里は、手を離してくれない。


「面倒なんでしょ…こんな…泣く女…」


 涙を我慢して、唇が尖る。


「…ああ、面倒だな。」


「もう…いや…嫌い…」


 涙がポロポロとこぼれてしまって。

 あたしは…ジタバタと抵抗してみるものの…


「…冷たい言い方をして悪かった。」


 簡単に、押さえつけられて…

 千里はあたしの涙を…親指で拭って…首筋に唇を落とした。


「…やだ…」


「乱暴にはしねーから。」


「……」


「悪かった。」



 その夜の千里は…今までと違った。


「…知花…」


 何度も…あたしの名前を呼んで…


「あ…もう……」


 もう、無理…って思っても。

 何度も…何度も、繰り返した。

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