第48話 夕べ、バイトの後で陸がうちに来た。
〇早乙女千寿
夕べ、バイトの後で陸がうちに来た。
最近…陸はよくうちに来る。
あんなに光史とベッタリだったのに、いいのかな…?と思わない事もないんだけど…
光史は俺と陸が仲良くしてるのを、何ていうか…父親みたいな目で見てくれている気がする。
…同じ歳なのに。
ま…光史は色々知ってるんだろうからな…
高等部の時に…俺が織を妊娠させた事…
陸が俺をボコボコに殴った事…
陸と話してると…自然と織や…子供の話題も出てくる。
…海くん。
織と…俺の子供。
夕べは新曲のギターソロを二人で練った。
陸といると、時間が経つのが早い。
それだけ刺激を受けているのだと思う。
結局外が明るくなって来たのを見て。
「やっべ。俺一限目入ってるんだった。」
陸は慌てて帰って行った。
今日はバイトも休みで…スタジオは夕方から。
陸には申し訳ないが、昼過ぎまでどっぷり眠らせてもらった。
午後に起きて、少しボンヤリして。
シャワーして、飯食って…お茶を点てた。
充実した毎日に、感謝しながら。
夕べ陸と考えたギターソロを、もう一度自分なりにアレンジして…
「…少し早いけど、行くか…」
時計を見て、独り言。
ギターを担いで部屋を出た。
メールボックスを見ると…親父から手紙。
アメリカに住んでいる親父とは、もう…10年以上文通している。
久しぶりに公園の近くを通った。
…昔、織とここで待ち合わせて…語り合った。
陸に荒治療されても…変わらない想い。
織には…もう、想い人がいる。
陸から聞いた。
俺なんか足元にも及ばない、立派な人だ。
懐かしいベンチに座って、親父からの手紙を開いた。
いつかアメリカに行ったら…会いたい。
ずっとそう思い続けて…
もしかすると、その夢は遠くないかもしれない。
そう思っている自分がいる。
その夢は、織との約束でもある。
ギタリストとして成功する事。
親父に…会う事。
…どちらも叶えたい…
「あの…すみません。」
ベンチで桜を見上げていると、声を掛けられた。
「…はい。」
振り向くと、男の子を抱えた…ちょっと…男の俺でさえドキッとするような…男前。
「ほんの少しの間、見ててもらえますか?」
「え?」
「そこで電話かけてくるんで。」
そう言って男前は、抱えてた男の子を降ろして、俺の隣に座らせた。
「え…え?」
お…おい。
見ず知らずの俺に、いきなりそんな事を?
嘘だろ?
置いてそのままどこかへ行くとか…ないよな?
俺が狼狽えると。
「ちゅくって。」
男の子が…俺に折り紙を差し出した。
「……」
男前はと言うと…ゆっくりと電話ボックスに歩いて行って、本当に電話をかけ始めた。
俺は仕方なく…差し出された折り紙を手にする。
「…何を作ればいいかな?」
「ちゅる‼︎」
ちゅる…鶴か。
「できゅ?」
俺が折り紙を手に悩んでる風に見えたのか。
男の子は、俺の顔を覗き込んで、首を傾げた。
ははっ…可愛いな。
「出来ると思うよ。少し待ってくれるかな?」
「うん。まちゅ。」
男の子は、俺の手元をじっと見つめる。
…緊張するな…そんなに見られると…
確か、ここを折って…
あれ?こっちに折ると、首が太くなるのか?
えーと…
…折鶴なんて、いつぶりだろう。
「…できゅ?」
「お…おう。」
期待に満ちた目で見られると…失敗は許されない気がする。
ここを…半分にして…
「…よし。出来た。」
「あぃがとっ!!」
男の子は俺の作った、少し…いびつな折鶴を手に、ベンチから降りると。
「あっ。」
何かを見付けたのか、急に駆け出した。
「って、おい…」
公衆電話を振り返ると…男の人がいない…!?
お…おいおい!!
って、それより男の子…
「かあしゃんっ。」
…母さん?
「お花きれいだねー、海。」
俺は聞き覚えのある、その声に…立ちすくんだ。
そこには…
「…織…」
「…セン…」
目の前に立っているのは…織だった。
あの頃と…何も変わらない…
茶色い髪の毛。
白い肌。
大きな目…
触れたくなる…唇。
「あのお兄ちゃんに、こぇ、ちゅくってもやった。」
男の子がそう言って、織に折り鶴を見せた。
「…そう。良かったね。」
織の声…
「…久しぶり。」
心臓がバクバクする…。
「…元気そうね。」
「ああ。」
最後に会ったのは…やはりここで、だった。
初めて肌を重ねたあの日から、数日後。
なぜか俺たちはギクシャクしていて…
手を繋いだまま、静かに座っているだけだった。
あれからお互いの都合が付かず、会えない日が続いて…
そして、別れの手紙が届いた。
会って話がしたかった。
そう思っていた時…陸に真相を明かされた。
織は…あの頃と全然変わらない。
陸から毎日のように名前を聞くせいか、俺もまた…気持ちはあの頃のまま止まっていた気がする。
「陸から聞いたわ。バンドしてるって。」
「ん…」
「髪の毛、伸びた…ね。」
…え?
なんで…知ってる?
「…どうして?」
「だって、あの時…」
織は自分の爪先を見ながら。
「…あたし、隣の部屋で見てた。」
「……」
「センがあたしへの想いは偽りじゃないって…髪の毛を…」
「…あれから、伸ばしてるよずっと。」
織への想いが偽りでないなら…指を切れ。
そう言われた。
だが、俺の気持ちは偽りでないからこそ…指は切れなかった。
織との約束。
夢を叶えるために、俺には…指が必要だった。
手にした短刀で、俺は…指ではなく髪の毛を切った。
そんな事をしても、どうしようもないのは分かっていたが…
そうする事しかできなかった。
「あれからしばらくは、俺もふぬけで立ち直れなくて。でも、いつでも織のくれた手紙を読みなおして…とか言ってもさ、結局は自分で動き出すことなんかできなかったんだけどな。」
「……」
「音楽屋でスカウトされて、賭けてみたんだ。それが、今に至ってるわけなんだけど。」
「家、勘当されたって…」
「ああ、でも何かふっきれたし…お茶も、それなりにたてたりしてるから。」
優しい風が吹いて、織とここで出会った日を思い出す。
あの日も…親父からの手紙を読んでいた。
「今日は?」
「今からスタジオ。親父から来た手紙読んでたんだ。」
「…この子…」
織が、男の子の頭を撫でる。
「さっき、男の人と一緒に来て、電話かけてくるから少しの間見ててくれって頼まれたんだけど…」
…そうか。
あの人が、陸さえも叶わないと言わせる…男前か。
「あたし、その人と来月結婚するの。」
「……」
「実は、先月その人の子供産んじゃったんだけど…」
「…おめでとう。」
「…ありがと。」
前情報はあった。
だけど…まだどこかで俺は…
俺と織は、まだ繋がっている。
そう思っていたかったのかもしれない。
…織が幸せなら…いいじゃないか…なんて、必死で思い込ませて。
「海くん…だっけ。」
「うん。」
こうして見ると、織にそっくりだ。
…俺に似た所なんて…ないな。
「…一度だけ、抱いていいかな。」
「……」
自分で言って…ドキドキした。
俺の…
俺と織の…子供…
「海、お兄ちゃんに抱っこしてもらいなさい。」
織がそう言うと、男の子は俺の折った鶴を持ったまま。
「だっこ。」
俺に…両手を差し出してくれた。
「……」
胸が。
胸が、ギュッと…締め付けられた。
俺の…血を分けた子供…
海…くん。
脇を持って抱えて…
ああ…こういうのに慣れてない俺なんかに抱っこされて、居心地悪くないかな…
なんて、少し…変な気分になった。
「おにぃちゃん、おんなのこ?」
ふいに、海くんが俺の目を見て真顔で言った。
「…お兄ちゃんは、男。海くんと一緒。」
俺が…少しだけ額を近付けて言うと。
「うみといっしょ?ながいね、こぇ。かあしゃんといっしょみたい。」
海くんは、俺の髪の毛をゆっくり触った。
「…そっか。髪が長いと、女の子みたいか。」
「みたいー。」
…可愛い。
俺と海くんのやりとりを、織は少し遠くを見ながら聞いている。
俺は少し織に歩み寄って…言った。
「本当はさ…できることなら、一生織にも、この子にも会いたくないって思ってた。」
「……」
「でも、それは単なる強がりで…いつだって、二人の事考えてたんだ。」
「セン…」
織が、俺の目を見た。
「幸せなんだな…良かった。」
「あたし…」
「いいんだ。陸にも言われたよ。おまえが立ち止まったままなのは、現実を見てないからなんだって。」
「陸が?」
「俺って、ひどい奴。俺と一緒にならなかったからー…織はちょっとばかり不幸になってるかも、なんて考えたりもしたし。」
「……」
「でも、良かった。これは本心だよ。」
…いや、まだ…強がりでしかない。
俺は、会えない織と子供に夢を馳せて。
いつか…と。
まだどこかで夢を見てた。
だが、織は幸せを見付けて。
その人と結婚する。
「あ…寝ちゃった。」
織が俺の腕の中にいる海くんを見て言った。
「…ほんとだ。」
もう…こんな事はないかもしれない。
海くんの重みを忘れないよう、俺は…大事に、大事に…海くんを抱きしめた。
織と別れて公園を出て…
しばらくは歩いた。
歩いて…
だけど、走りたくなって。
走った。
走って、走って…
息が出来なくなりそうになって…
「はっ…は…は…っ…」
止まって、息を…
「…う…っ…」
息をするはずが…涙が出た。
メガネを外して、涙を拭う。
何だよ。
全然…吹っ切れてないじゃないか。
バカだな俺。
カッコつけて…
海くんを抱きしめていると、男前が戻って来た。
礼を言って、海くんを手渡す時…少し嫉妬した。
実際、この数年間…織を守ってきたのはきっと彼で。
俺は…織に何もしてやれなかった。
約束を守るために…必死で…
でも、その約束さえ…
もう、関係ないんじゃないか…?
織は…俺じゃない、あの人と…生きていくんだ…。
長い髪の毛で顔を隠すようにして、事務所に入った。
急いで八階に上がって、スタジオに入って床にしゃがみ込んだ。
幸いな事に、俺たちの前は誰も入っていなくて。
俺は…声を殺して泣いた。
「………」
…思い知らされた。
もう、終わっている事を。
パッ
突然灯りがついて、驚いて顔を上げると…
「…セン?」
「…光史…」
シンバルを持った光史が入って来た。
「…悪い。」
俺が立ち上がろうとすると。
パッ
光史が、照明を消した。
「いいから座ってろよ。」
そう言って…光史はシンバルを置いてスタジオを出て行って…
俺がまた座り込んでメソメソとしてると…
「ほら。」
数分後、戻って来た光史は…ビールを持っていた。
「…練習前に?」
「俺は飲んで叩く事あるぜ?」
暗がりの中、二人でビールを開ける。
「俺さ…」
しばらく無言でビールを飲んでたが、不意に光史が口を開いた。
「本当はギタリストになりたかったんだ。」
別に…どうでもいい話のようにも感じた。
今は…本当は一人で居たかったし、本当は泣いてる所なんて見られたくもなかったし、本当は…
「親父が凄すぎて、超えられる気がしなかった。だから10歳にしてドラマーになる道を選んだ。」
「……」
頭の中で、光史の言葉を繰り返した。
親父が凄すぎて…
「だから、俺はおまえを尊敬するね。あの浅井 晋に憧れてギタリストになる事を選んだ。」
「…俺は…別に親父を超えようとは…」
「おまえがそう思ってなくても、周りは比べるだろ?」
「……」
確かに…ホールオーディションの時…
『浅井 晋の息子がいるらしい』と、ざわつかれた。
プレッシャーがなかったわけじゃない。
俺はライヴ経験ないし…いや、みんなもないって言ってたけど…
…俺は、元々人見知りの上がり症だ。
すると、その時…陸が。
「ははっ。浅井 晋の息子はどっちだ?って噂になってるぜ?俺、猛アピールしてやろ。」
そう言って笑ったんだ。
親父の名前だけで目立ってしまう俺…
陸は面白くなかっただろうに…
「だから、まこもすげーなって思う。俺は相当なヘタレだよな。10歳にしてプレッシャーに負けたんだから。」
「……」
「俺がガキの頃、Deep Redはまだ現役でやってて…まだ音楽の事なんて何も知らないような頃から、彼らの音に触れて育った。」
「…羨ましいな。」
「だろ?そこは自慢なんだ。」
光史はビールをゴクッと飲んで。
「アメリカにいた頃…誰かの家に集まっては、リビングセッションが始まってさ。親父は俺にギターを教えてくれるんだけど…高原さんが、『光史はリズム感がいいからドラマー向きだ』って、いつも俺の前に何か叩く物を置いてさ。」
思い出したように、小さく笑った。
「…ギターも弾ける?」
「コードぐらいは弾けると思うけど、もう何年も手にしてないからなー。」
それは少し違和感な気もした。
常にギターはあるような家だろうし…
「…10歳の時に、何かあって決めた?」
そうとしか思えなかった。
ギタリストじゃなくドラマーになる。なんて、決定付けなくても良さそうなものを…
俺の問いかけに、光史はビールを持ったまま少し黙ったけど。
「…そうだな…親父と同じ事はしたくない。って思うような事が…あるにはあったな。」
そう…意味深な事を言った。
「…俺は、ただ…親父と同じ事がしたいって思っただけなんだ。」
俺が指で缶の縁をなぞりながら言うと。
「センは純粋だな。あのまこでさえ、親父さん超える気満々でやってんのに。」
「えっ、本当?」
「ああ。俺から見たら…あいつこそ男だな。」
「……」
気が付いたら…涙は引っ込んでいた。
ギターに対する熱の方が上向いて…
今日は、スタジオに入る気分になんてなれないかもしれないって思ってたけど…
「…光史。」
「あ?」
「…サンキュ。」
「何。俺がヘタレだって話が、そんなに良かったのか?」
「うん。良かったみたいだ。」
「くそっ。」
「あはは。」
親父を…超えたいって気持ちはなかったけど…憧れに近付きたいって気持ちは強い。
まこが、あの島沢尚斗さんを超える気持ちでキーボードを弾いてると知れたのは、俺にとって大きいかもしれない。
そして…
光史が、朝霧さんを超えられないと思ってドラマーになった…そんな道の選び方がある事も。
…俺は、光史は誰よりも素晴らしいドラマーだと思う。
光史とプレイできる事が、幸せだとも思う。
「…親父を超えるとか考えた事はないけどさ…」
「ああ。」
「俺は一生、ギターを好きで、弾いていたいなって思う。」
俺がそう言うと、光史はおもむろに立ち上がって。
パッ
照明を付けた。
俺がゆっくり立ち上がってビールを飲み干すと…
「…えっ…」
いきなり、光史に抱きしめられた。
「えっ?なっ…なっ…?こ…」
「俺ら、一生音楽を好きでいような。」
「……」
「一生…最高の仲間とやっていこうぜ。」
「…ああ。」
俺も光史の背中をポンポンとして。
「ほんと…感謝する…」
そうつぶやくと…
「えっ…な…何やってんの…」
ドアが開いて入って来たまこが。
「お…お邪魔しました!!」
大声でそう言って出て行って。
「……」
「……」
「ふっ。見られたか。」
「…誤解された感じ?」
「間違いない。この際だから、俺とセンはデキてる事にしよう。」
「そ…それはちょっと…」
光史がシンバルをセットし始めた頃、まこが遠慮がちに帰って来て。
「まこ。」
光史が…まこの事も抱きしめた。
「なっ…なんの儀式~!?」
「俺らが永遠に仲間でいられますように。の儀式。」
光史が笑いながらそう言うと。
「…そういう事なら、好きなだけやって。」
まこは…めちゃくちゃ笑顔でそう言った。
織との約束が全てだと思ってた。
だから…親父を超えるなんて意識もなかったのだと思う。
その約束が…もうどうでもよく思えて、俺は居場所を失くしたような気になったのかもしれない。
だけど…俺には、居場所もあるし…
夢も続く。
織とは終わっても…約束は果たす。
俺は、俺の夢として…
これからも、ギターを弾くだけだ。
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