第44話 日本で逮捕されたジェフは、アメリカでも色々な事件を起こしていた。

 〇高原夏希


 日本で逮捕されたジェフは、アメリカでも色々な事件を起こしていた。

 周子と瞳に対する暴力だけじゃない。

 自分が立ちあげた事務所でも不正を働いていたり、スタッフへも暴力を振るって入院させていたり…

 恐らく数ヶ月後にはアメリカに強制送還され、その後再び逮捕される運びになるらしい。



 入院中の周子を見舞うため、瞳と渡米した。

 それだけが目的ではなかった。

 ジェフと周子の娘…グレイスの事も気になったし。

 だが、入院中の周子に会って…俺は愕然とした。


「…ママ、あたしよ?分かる?」


 瞳が周子の手を握って話しかけるが…周子はうつろな目をしたまま、何も答えなかった。

 顔は痩せこけて…腕にはいくつも痣が見えた。


「…周子。」


 瞳の隣に座って、周子の顔を覗き込んだ。

 すると…


「……あ……」


 周子の目が、俺を捕えた。

 その瞬間…


「ギャー!!」


 周子が大声を出して…瞳の手を振り払い、ベッドの上で丸くなった。


「マ…ママ!?」


「イヤ!!イヤよ!!」


「周子!?」


「誰か!!誰か助けて!!殺される!!」


「…ママ!?」


「……」


 俺は…言葉を失くした。

 周子は…俺を見て殺される…と言った?


「どうしたんですか!?」


 ナースが三人病室に来て、周子の様子を見て。


「…すみません、出て下さい。待合室の方で…待っていて下さい。」


 俺と瞳に言った。


「ママ…」


「瞳、いいから行こう。」


「でも…」


「いいから。」


「……」


 瞳の背中を押して、病室を出る。


 待合室では…随分待たされた。

 瞳は落ち着きのない様子で、時々廊下から病室の方を眺めたりもしていたが…誰も周子の様子を話しに来る者はいなかった。



 二時間以上待って、ようやく…主治医らしき人物が現れた。


「お待たせしてすみません。こちらへ。」


 主治医について行くと、そこはナースステーションの片隅で。

 てっきり周子の部屋へ行けると思っていた俺と瞳は顔を見合わせた。



「最近少し落ち着いていたので、面会も大丈夫と思ったのですが…」


「彼女は今、どうなってるんですか?」


 ナースステーションの片隅に並んだ小さなモニターには、病室で歩き回っている周子が映っていた。


「ご主人に暴力を振るわれていたのは、ご存知ですね?」


 主治医は俺に言った。


「はい。」


「その時、ご主人は…まるで洗脳するかのように、高原夏希さん…あなたの写真を見せたり、あなたの事を話しながら、暴力を振るっていたようです。」


「…え?」


「この暴力は、あなたのせいだ、と。」


「……」


 それで周子は…

 俺を見て殺される…と。


「…瞳、おまえもそう言われてたのか?」


 隣にいる瞳に問いかけると。


「…言われたけど…あたしは…一緒にいた期間が短かったから…」


 瞳は、うつむいたまま…小さく言った。



 会長室で…瞳は俺に言った。


『父さんにとって、ママは昔の女じゃない』


 事実であっても…違和感だった。

 瞳が、そういう認識でいる事が。



「思ったより、心的外傷が大きいようです。しばらくは…面会も無理かと。」


 主治医の言葉に。


「…あたしもですか…?」


 瞳が遠慮がちに聞いた。

 そんな瞳に、主治医は。


「君は…自分の治療にも通うようにね。」


 諭すように言った。


 …自分の治療?


 気にはなったが、瞳から何も聞いていない俺は…その場では何も聞かなかった。




 その夜は、瞳とホテルに泊まった。

 夕食を一緒に取って、マンションでも別の部屋に寝るのに…初めて、同じ部屋で眠る事になった。



「…何も聞かないの?」


 瞳がそう言ったのは、お互いベッドに横になって…サイドボードの明かりだけになった時だった。


「おまえが話したくないのに、無理に聞くのはどうかと思って悩んでる。」


「…意外と意気地なしね。」


「嫌われたくないからな。」


「……」


 頭の下で手を組んで、天井を見つめる。

 俺を見て『殺される』と言った周子の怯えた目…

 …堪えたな…

 どんなに酷い目に遭わされていたのか…想像しただけで苦しい。


 なぜ…もっと早く…色んな事に気付けなかったんだ。



「…ママ…言ってた。パパには…ママと別れた後に好きな人が出来て…だけど、ママがその人に酷い事を言って、二人はダメになったんだ…って。」


 瞳の声は…どこか周子に似て聞こえた。

 歌うと俺に似てると言われた…周子の声に。


「ママ、ずっと…後悔してたし…懺悔もしてた。でも…やっぱり…パパの事、一日も忘れた事はなかったんだと思う…」


「……」


「ジェフと…辛い事があっても…パパの事想ってたから…耐えられてたんだと思う…」


「…でも、結局は俺の事でジェフに傷め付けられた…」


 溜息をついて起き上がる。

 無性に…外を走りたくなった。

 …瞳を置いて、そんな事はしないが。

 ただ…横になっている事が出来なかった。

 胸に重くのしかかる何かを、払拭したい。

 …もう一度シャワーでも浴びようか…などと考えていると。


「あたし…ジェフに…」


 瞳が、そう言ったきり…黙り込んだ。


「……」


「……」


「…まさか…おまえ…」


 瞳はそれ以上言わなかったが…それが答えだった。

 瞳は…ジェフに…


「くそっ…殺してやりたい…」


 シーツを握りしめて、そう言うしか出来ないなんて…


「あたし…」


 瞳は、涙を堪えた声で。


「あたし…ママを守りたかった…だけど…守れなかった…」



 さっきから…瞳はずっと、俺を『パパ』と言っている。

 もしかしたら、もっと俺に甘えたかったのかもしれない。

 なのに俺は…

 小さな瞳と一緒に居てやれなかった。

 そして、成長した瞳とも。


 さくらと一緒に居たい。

 さくらを元通りにしてやりたい。

 そんな気持ちが優先して…自分の娘なのに、瞳をないがしろにしてしまった。



「…瞳、嫌じゃなかったら、こっちにおいで。」


 シーツをはぐってそう言うと。


「……泣いちゃうかも…」


 瞳は小さくそう言った。


「泣いていい。」


 瞳はしばらく悩んでいるようだったが…やがて、ベッドを降りて俺の隣に入った。


「…すまなかった。」


 瞳の頭を抱き寄せてそう言うと。


「……」


 瞳は声を殺して泣き始めた。


「…大声出して泣いていいんだぞ。これからは…もっと俺に甘えろ。今まで何もしてやれなかった分も…俺は瞳も周子も守るから。」


「…ママの事も…?」


「ああ。病状が落ち着いたら、日本に連れて帰ろう。」


「パパ…あ…ごめん…」


「パパでいい。瞳の呼びたいように呼べ。」


「……」


「いいんだ。」


「…パパ…」


 瞳はそう言って俺にしがみつくと。


「…ありがとう…」


 そう言って…すぐに寝息を立て始めた。



 …ずっと…緊張の糸が張り詰めていたのかもしれない。

 主治医の言っていた『治療』の件は、きっと…瞳にも深い心的外傷があるはずだ。

 それも含めて、少しずつ話し合っていこう…



 俺はこの頃から…

 少しずつ、自分の気持ちを隠していく事を決めた。



 〇森崎さくら


「……」


 最近…

 なっちゃん…が、いない…事が多い…


 帰って来ても…

 あたしを…黙って見つめて…


「…さくら…愛してるよ…」


 変わらず、そう言ってくれるけど…

 どこか…違う。


 何だか…とても…寂しそうで…

 あたしは、身体に…力をこめて…

 隣で、眠る…なっちゃんの頬に…触れる。


 …だけど…

 そっと…触れたいのに…

 頬に届くよう…必死で腕を上げて…


 ビタン


 あたしの手は…

 なっちゃんの頬を…打ってしまう形になる…



「…どうした?何か気に入らないのか?」


 ああ…起こしちゃった…

 なっちゃんは…あたしの手を取って…手の平にキスをして…


「…気に入らない事だらけだよな…」


 小さく…そう言った。


 …どうして?

 あたし…なっちゃんのそばに居れて…

 なっちゃんと、こうして…一緒に眠れて…

 幸せなのに…


 …そりゃあ…

 欲を言えば…キリがない。

 歩いて…走って…

 なっちゃんに…とびついて…


 大好き。

 愛してる。


 って…何回も…言いたい。


 疲れてるなっちゃんの身体を…

 ギュッと、抱きしめてあげたい…


 だけど…今のあたしには、それが出来ないから…

 こうして…

 なっちゃんが、あたしのそばで眠るのを…

 なっちゃん…あなたが大好き…あなたがとても大切…って…

 そう、心の中で言い続けながら…

 なっちゃんのまつ毛が、時々動くのを…見つめたり…

 何か…話し出しそうな口元を…見つめたり…


 できる事は…少ししかないけど…

 それでも、あたしは…

 ここにいるだけで…幸せなんだよ…?



 …何か、あったの…?


 聞きたくても、聞けない。

 なっちゃんは、あたしに心配をかけまいとして、何も言わない。

 だから…

 あたしは…

 全力で、祈るしかない…


 悲しいけど…

 それしか出来ない…



 でも、ね…

 祈る事が出来るなら…

 十分だよね…

 だって、あたし…

 それも出来なかったんだもん…


 うん…

 今は、今…できる事を…頑張ればいいんだ…



 なっちゃん…

 あたし、祈ってるよ…

 なっちゃんが…毎日、笑っていられるように…


 そして…

 いつか…

 あたしが、なっちゃんを守る日が…来るように…


 あたし…

 負けないから…



「…眠れないのか?」


 なっちゃんが、あたしの目を見る。

 あたしは、瞬きを二度して…

 目を閉じた。


 なっちゃんは、クスッと小さく笑って…キスして…


「…ありがとう、さくら…」


 そう言って…あたしを優しく抱きしめた…。

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