第42話 「麗。」

 〇神 千里


「麗。」


 桐生院家に向かう道で、知花の妹、麗を見付けて声をかける。


「…あ、神さん。」


 麗は振り返って…少し笑顔になった。


 いつも無愛想なんだよなー。

 笑うと可愛いのに。



「久しぶりだな。」


 自転車を押しながら麗の隣に並ぶと。

 麗は手にしてた布のカバンを抱きしめるようにして持った。


「ピアノか?」


「はい。」


 14歳。

 誓と二人でいる時は、表情もくるくると変わって可愛い。

 時々急に無愛想になる所も…嫌いじゃない。

 …親父さんに、双子とは血の繋がりがないと聞いても…

 俺は、知花の妹弟として、二人を大事に想う。


 …麗を見ていると…

 自分を見ている気がする。

 上手く…気持ちを表に出せない所なんかは、特に。



「…いいカバンだな。」


 バイエルらしき物が入ってるその布のカバンは、知花のお手製。

 白地に、ワンポイント…猫の刺繍がしてある。

 バイエルが増えると今のカバンじゃ小さくなるから、と。

 知花が嬉しそうに刺繍をしている姿を…見てみぬフリして眺めた。


「可愛いでしょ。おばあちゃまが作ってくれたの。」


「……」


 その言葉に、俺は何ともいいようのない寂しさを覚えた。


 麗は嘘を言ってるわけじゃない。

 本当に…ばーさんからだと言ってもらったんだろう。

 …知花がそう言ったのか、ばーさんがそうしたのかは分からないが。



「そういえば、あの人…退学になったって。」


 あの人…な。

 いまだに麗が知花を『姉さん』と呼んでるのを聞いた事がない。


「らしいな。」


「どうして知ってるの?」


「ばーさんから電話があった。」


「…それで?話し合いか何か?」


「いや、ただ知花に会いに行くだけ。」


「……」


 俺の言葉に、麗は少し面白くなさそうな顔をした。


「おまえさ。なんで、知花のこと「あの人」って呼ぶ?」


「……」


 麗は少し間を開けて。


「…大嫌いだから。」


 自分の爪先を見ながら言った。


「……」


 そして…なかなか顔を上げない。


「正直な奴。」


 俺が小さく笑いながらそう言うと。


「神さんは?あの人のどんなとこがいいの?」


 少し安心したのか…少しだけ顔を上げた。


「料理がうまい。」


「それで?それだけなら、他にもたくさんいるでしょ?」


「普通にうまいだけじゃねえよ。」


「…何それ。分かんない。」


 麗の視線は、また足元に落ちて。


「…仲良くしろとか言わないでね…」


 小さくつぶやいた。


「ふっ。言わねーよ。そんなの。」


 俺が鼻で笑いながら言うと。


「どうして?普通は仲良くして欲しいんじゃないの?」


 麗は俺の足元に目をやって言った。


「誰にでも好き嫌いはあるからなー。」


「…神さん、本当にあの人の事好きなの?」


「なんで。」


「だって…好きだったら、もっと…大事にするんじゃ?」


「あいつを大事にするために、麗に無理を強いるのは違うだろ?」


「……」


「おまえが納得して知花を好きになんなきゃ、意味ねーよ。」


 それから、麗は少しの間無言だったが。


「…神さん、晩御飯も食べて帰る?」


 顔を上げた時は、少し笑顔だった。


「知花が作るなら、食って帰るかな。」


「そんなにあの人の料理美味しいかなあ?」


「…おまえ味覚音痴じゃねーの?」


「もー!!ひどい!!」


 麗が笑うとホッとする俺がいる。

 親父さんがもう少し…双子に愛を注いでくれないもんだろうか。



 桐生院家にたどり着いて、いつ見ても豪華な庭を歩いて玄関に。


「ただいま。」


 麗が元気良くそう言うと。


「おかえりー。」


 知花の声と…


「あ、神さんだー。」


 誓が出て来た。


「そこで会ったの。」


 嬉しそうに言ってくれた麗とは裏腹に…知花は、俺の顔を見た途端、その場から走り去った。


「知花!?どこへ…あ…千里さん、本当にすみません…あの子、もう…」


 ばーさんが申し訳なさそうに、俺の前に来て。


「本当に…何を考えてるんだか…」


 困った顔をした。

 そんなばーさんの隣で、麗は唇を尖らせて。


「…自分勝手なだけじゃない。」


 低い声で言った。

 そんな麗の頭をポンポンとして…俺は知花の後を追った。



「待てよ。」


 知花の後を追って、腕を取る。


「は…離して!!」


 知花は俺の顔を見ずに、うつむいたままで腕を振り払おうとしたが…

 離すわけねーじゃん。



「落ち着けよ。とりあえず、きちんと話そうぜ。」


「…何を話すのよ。」


「瞳とは、何でもない。」


「……」


 …ま、そう言った所で信用されるわけがないのは分かってる。

 全部話しちまえば解決するんだろうが…

 俺としては、瞳うんぬんじゃねーんだよな。

 それに、瞳に降りかかってた不幸な話を…知花にはしたくない。

 知花の事だ。

 変に瞳に同情して、自分から身を引いてしまう。


 もっと知花に自信を持たせたい。

 これは、俺とおまえの問題なんだぜ?



「じゃ、おまえはどうなんだ?」


「…あたし?」


「昨日だよ。どこか行ってたんだろ?」


 二階堂 陸の件を持ち出してみた。

 あいつ…本当に美形で黙ってればモテるだろうな。

 俺ごときのサインで、あのロビーで飛び跳ねるほど喜んで。


『次はギターにサインしてもらってもいいっすか!?』


 オシャレな大型犬が、尻尾を振っている姿に見えた。

 …思い出しただけでも笑いそうになる。



「別に…」


 知花は目を泳がせて小さく答えた。


「言えないようなところか?」


 おい。

 知ってんだぜ?

 正直に言え。


「…陸ちゃんの実家に…」


 俺のすごんだ様子に、知花が小さく答えた。


「何もなかっただろうな?」


「あ…あるわけないじゃない。」


 二階堂 陸は、抱きしめたっつったぜ?

 抱きしめた…

 …くそっ。

 腹が立つ。


 …だが、俺も瞳を抱きしめた。


 堪えろ。

 堪えろ、俺。



「ないわよ…何も。」


「本当だな?」


「本当よ。」


 知花は嘘のせいか…口元が震えている。

 当然、俺の目は一度も見ない。


「…それが嘘でも、俺はおまえを信じる。」


 俺がそう言うと、知花はハッと顔を上げた。


 二階堂 陸に抱きしめられても…

 知花とあいつの間には、何もなかった。

 俺と瞳だってそうだ。


 知花、二階堂 陸をおまえの親友として認める。

 だが、もう抱きしめられに行ったりすんなよ?

 俺も、瞳を抱きしめたりしねーから。


 …って、心の中で言ってみるが…

 口に出す気はない。



「…でも…」


「何だよ。」


「…瞳さんて…素敵だし…」


「赤毛も充分いけてるぜ?」


 知花の赤毛を手にする。

 確かに瞳は男から見て魅力的かもしれないが…俺にとってはライバルだった。

 そして…まさかの親友になった。

 恋愛感情なんて、湧くはずもない。

 …絶対。という言葉は信用できないから、絶対ないとは言えないのかもしれないが。


 俺は…意外と…知花に夢中だ。



「退学になったらしいじゃん。」


 一歩距離を縮めて言うと。


「…誰に聞いたの?」


 知花は眉間にしわを寄せた。


「ばーさんから、電話で。」


「…千里のせいよ。」


「なんで。」


「…あんなショッキングな場面見て、冷静でいられると思う?」


「それで、かつらつけ忘れたのかよ。」


「そ…そうじゃないけど…」


 腕を引いて知花を抱き寄せた。

 抵抗されるかなと思ったが…知花はおとなしく俺の胸に来た。



「…みんな見てるよ。」


 知花に言われて少しだけ家を見上げると、広縁にいる双子とばーさんが見えた。


「見させとけよ。」


「やだ。」


「いいもんやるから。」


「…いいもの?」


 そう言って俺は…ポケットから指輪を取り出して…知花の掌に置いた。


「…指輪?」


「薬指にな。」


 俺が同じ指輪をはめてる自分の薬指を見せながら言うと、知花は目を大きくして驚いた。


「……」


「これで、どっから見ても結婚してるって分かるな。」


 知花の手から指輪を取って。


「嫌ならしなくていいけど。」


 そう言うと。


「…もう…なんで、もっとロマンチックにしてくれないの…?」


 知花が唇を尖らせて…うつむいた。


 …ロマンチックに?

 俺がか?

 できるかよ。


 手をひっこめそうになってた知花の腕をグイと引っ張って、左手の薬指に…強引に指輪をはめた。


「も…もう!!なん…」


 暴れそうになった知花をギュッと抱きしめて。


「つべこべ言うな。」


 耳元で言った。


「……」


「惚れてる女を泣かせる俺は…最低だと思うが…」


「……」


「おまえも俺に惚れてんなら、もっと俺を信用しろ。」


「……」


「そして、もっと自分に自信を持て。」


「……」


 抱きしめてる腕を緩めて、知花の左手を取って。


「俺は、どーでもいい女に、ここまでしねーよ。」


 その薬指にキスをした。


「…どうして…サイズ分かったの…?」


「聖子に聞いた。」


「いつの間に…」


 知花は、その指輪を愛しそうに見つめる。


「…嬉しい…」


 知花は、俺がキスした指輪に…唇を落としてつぶやいた。


 …くそっ。

 おまえ、可愛いじゃねーかよ!!


「……」


 広縁を振り返ると、三人の姿はなかった。

 俺はすかさず知花の顎を持ち上げてキスをして。


「も…もうっ!!こんな所で…」


 真っ赤になって俺を突き飛ばそうとする知花に。


「すぐ帰って続きやろうぜ。」


 そう言った。





 …結局…

 続きをやるためにすぐ帰るどころか。

 晩飯の前に帰って来た親父さんに、大説教をくらった知花。

 それでも、知花は学校で秘密を暴露した理由を話さなかった。


 知花が歌を歌っている事を知らなかった家族は、知花がデビューする事に複雑そうな顔をしていたが…


「まあ…やるからには頑張りなさい。」


 親父さんのその言葉で、説教は終結。

 その傍らで…


「…本当に自分勝手…好き放題やっちゃって…腹が立つ。」


 麗はそう吐き捨てて、部屋に閉じこもった。



「ごめんなさいね…千里さん。変な所を見せて…」


 ばーさんが部屋に閉じこもった麗を気にして言ったが、俺はさほど気にならない。

 どちらかと言うと、それを気に留めてない風な親父さんの方が気になる。


「……」


 俺が無言で親父さんを見ていると、親父さんはうつむいて小さく笑って…立ち上がった。


「…え…お父さん、どうするのかな。麗の事、怒るのかな…」


 誓が気にして立ち上がろうとしたが。


「…あたし、行って来る。」


 それまで黙って座ってた知花が、親父さんの後を追って行った。


「……」


「……」


「……」


 残された俺と誓とばーさんは、無言で時間をやり過ごしたが…


 ぐー。


「……」


「……」


「…これ、誓。」


「僕じゃないよ。」


「俺でもないけどな。」


「まあ、私じゃないですよ。」


「誓。」


「だから、僕じゃないって~。」


「ばーさんの腹が、あんなに大きな音でなるわきゃねーだろ?」


 つい…ばーさんの前で普通に喋ってしまうと。


「千里さん…」


 ばーさんの眉間にしわが寄った。


「あ、すみません。言葉使い、酷いですね。はい。」


 姿勢を正して謝る。

 もう、親父さんにも言葉使いが悪いのはバレてるし、双子の前では普通に喋ってしまう。


「へへっ。神さんが反省してる。」


「いい子は真似すんなよ?」


「しねーよ。」


「これ、誓。千里さん…」


「…すみません。」


 そうこうしてると、面白くなさそうな顔をした麗と、親父さんと知花が戻って来た。


 みんなで手を合わせて、ばーさんと知花の作った晩飯をいただいた。


「美味い。」


 静けさの中、俺が一言そう言うと。


「…うん。美味しいね。」


 誓が嬉しそうな顔をして言った。


「ああ…本当に。」


 親父さんも優しい顔でそう言って。

 麗は…


「……」


 何も言わなかったが、皿にある物は残さず食った。



 晩飯を食い終わって、俺としては早く帰って知花と続きをやりたかったが…(こればっかだな)

 親父さんが。


「知花。」


「はい。」


「歌を…聴かせてくれないか。」


 そう言って…全員が、驚いた。

 俺も。


 …ハードロックだぜ?

 と一瞬思ったが。


「バラードの方、歌えばいーんじゃ?」


 俺がニヤけそうになるのを我慢して言うと、少し困ってた風の知花は。


「……じゃあ…」


 手を拭きながら。


「麗、ピアノ借りるね?」


 麗を振り返って言った。


「…別に、あたしのピアノじゃないし…」


 麗は拗ねたような唇。


「姉さん、ピアノ弾けるの?」


 誓が驚いた顔で問いかける。


 …確かに、ピアノは俺も初耳だ。


「寮にいた頃、お姉さん達に教えてもらったの。」


 知花はそう言ってピアノを開くと。


「…緊張しちゃう…」


 苦笑いをしながら、指に息を吹きかけた。

 そして、ゆっくりと鍵盤に指を落として。


「myselfって歌を…」


 そう言って、歌い始めた。




 暗闇の中ずっともがいていた


 あたしは何者なの?


 あたしには何があるの?


 不確かな毎日が気持ちを焦らせる


 進みたい道さえ閉ざされていくようで


 あたしはどこへ行けばいい?



 だけど気付いた


 望むならいつも道はそこにあるって



 夢を口にするのが怖かった


 あの幼い日のあたしを思い出すたびに


 だけど


 夢はいつか形となって自分を強くする


 目を閉じずにいよう


 不確かな毎日でも


 自分をもっと知るために


 あたしがあたしでいるために


 …夢は捨てない




 初めて聴く歌だった。

 俺に作ってくれた曲を期待してただけに、少しがっかり感はあるが…

 知花の声は、ピアノにも合う。

 みぞおちの奥をくすぐられるような、変な快感を覚えた。

 ああ…あまり人に聴かせたくねーなー…



「…お父さん?」


 誓が、親父さんの顔を覗き込む。

 親父さんは…知花が歌い終わっても、目を閉じたまま、しばらく動かなかった。

 …泣きそうになってるって事か。


「…なんて歌ってたの?神さん、分かった?」


 麗が小声で聞いて来た。


「…ざっくり言うと、知らん顔していたい自分をちゃんと知るために、面白くない毎日でも目を開けていようって歌かな。」


「……」


「あ、ついでに、そのためにも夢を持とう。みたいな。」


 麗の隣では、ばーさんも俺の解釈を聞いている。


「…知花、この歌はいつ作ったんだ?」


 目を閉じたままの親父さんがそう問いかけると。


「…14歳の時かな…」


 知花はピアノの鍵盤を拭きながら答えた。


「えー、僕と同じ歳の時に?すごいなあ…」


 誓がそう言ってるのを聞きながら、俺は知花が鍵盤を拭いてるのを見た。


 …拭かなくていーんじゃねーか?いちいち。

 だが、それは習慣のようにも思えた。

 知花は、麗の持ち物を自分が触るたびに、そうしてる気がする。


 麗、おまえそんなに知花を毛嫌いしてんのかよ。

 何となく麗に視線を向けると、麗は俺にそっぽを向いた。



「おやすみなさい。」


「気を付けて。」


 玄関先までみんなに見送られて、俺は知花と桐生院を出る。


「……」


 無言で手を取ると、知花は少し驚いて手をひっこめようとしたが…俺が離すわけがない。

 背後では、誓が冷やかしの声を上げて、ばーさんに叱られている。



「おまえ、明日からどーすんの。」


 俺がそう言うと。


「バイト…毎日入らせてもらえるかな…」


 知花はうなだれた様子で言った。

 俺としては辞めて欲しかったが…仕方ない。


「バイト行く時も、ちゃんとしてろよ?」


 指輪を触りながら言うと。


「……うん。」


 知花は…今日一番、優しい顔で笑った。

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