第40話 会長室で一人…椅子に座って写真を眺める。

 〇高原夏希


 会長室で一人…椅子に座って写真を眺める。

 その写真は、クリスマスイヴの昼間に撮られた物。


 今までは、さくらに風邪をひかせては…と過保護にし過ぎていたが。

 あの日…クリスマスイヴは、朝からあまり風のない穏やかな天気で。

 俺は完全防備のさくらを抱えて、庭に出た。


 俺の腕にすっぽりおさまっていたさくらも、久しぶりの屋外に時々目を開けて…眩しそうに空を見ていた。


 芝生の上に厚手のレジャーマットとクッション。

 まるでピクニックかと言われそうな状態。

 おそろいのアーガイル柄のミトンは、サカエさんの手編み。

 それを外して、レジャーマットのそばにうっすら積もっている雪を、さくらにも触れさせた。


 パシパシと瞬きをしたさくらに。


「あはは。冷たかったか。」


 俺が笑うと。


「……」


 雪をつけられた手を、さくらが俺の頬にヒタヒタと当てた。


「はっ…冷たいな。それは失礼した。」


 冷えたさくらの手を唇に当てて、息を吹きかける。


 サカエさんがそんな俺達の写真を撮ってくれていた。


「盗撮みたいですみません。」


 そう言いながら差し出された写真は…

 俺がさくらの手を握って、唇に当てている一枚。

 さくらは…優しい目で、俺を見上げている。


 …写真を撮るという頭がなかった。

 サカエさんには感謝だ。

 こんな優しい一枚…何度見ても飽きない。

 さくらの視線が…愛しくてたまらない。


 不意に、目の前の電話が鳴った。

 ここの直通の電話番号を知る者は少ない。


「もしもし。」


『神です。まだ事務所にいますか?』


「ああ…もうすぐ帰るが…何だ?」


『…瞳が一緒に居ます。今から行っていいですか?』


「…瞳が?」


 瞳はアメリカにいるはずだが…なぜ千里の所へ?


『10分で着きます。』


「分かった。」



 写真を引き出しにおさめて、俺は二人を待った。

 そして…

 千里の言う通り10分して、千里と…


「…瞳…どうした…その顔…」


 顔に痣を作った瞳が…やって来た。



「……」


「瞳。」


「高原さん、これは…」


「……」



 何も言わない瞳の代わりに、千里が話したのは…

 瞳と周子が…ジェフから暴力を受けているという事だった。

 あまりの怒りとショックに、俺はしばらく言葉が出て来なかった。



「…いつから…」


「……」


 俺の問いかけに、瞳はうつむいたまま無言。


「…千里はいつ知った?」


「…夏になる前ぐらいに…」


 …夏だと!?


「どういう事だ?そんなに何ヶ月も前から知ってたのに、どうして言わなかった!!」


 つい大声で言ってしまうと。


「あたしが言わないでって言ったからよ!!」


 初めて…瞳が顔を上げた。


「…なぜ…」


「父さんがあたしをアメリカに帰らせたんじゃない!!」


「……」


「帰ってすぐは…良かったのよ…だけど、あたしがアメリカのビートランドからデビューできるかもって話したら…ジェフは…面白くないって言い始めて…」


 …元々、あそこはジェフの働いていた事務所で。

 俺達Deep Redも…あそこから世界に飛び立った。


 ジェフにはプライドがあった。

 ビートランドに買われるぐらいなら、俺は辞める。と、一人だけ…あの事務所を去った。

 そして、違う事務所を立ち上げた。

 すでに移籍していたアーティスト達を呼び集めて、すぐに大きな事務所になった。



「ママの事…今もニッキーが好きなんだろって…毎日叩いたり蹴ったり…」


「それを…なぜ俺に言わない!?」


「言えるわけないでしょ!!」


 瞳は立ち上がって、両手を握りしめて。


「だって、父さんにとってママは昔の女じゃない!!」


 吐き捨てるように言った。


「……」


 昔の女…

 その言葉が、酷く胸に刺さった。


「そうだとしても、こんな状況になる前に言わなきゃいけなかったんだ。」


 低い声でそう言うと、千里が溜息をつきながら。


「…今は、言った言わないじゃなくて、この先どうするかを考えませんか。」


 一人…冷静な事を言った。

 …確かにそうだ。


「……」


 大きく溜息をついてソファーに沈み込む。

 瞳は立ったままだったが、千里が腕を掴むと…ゆっくりと座った。



 …俺じゃなく、千里を頼った瞳…

 なのに…瞳ではなく…知花と結婚していた千里…

 全てがもどかしかった。

 だが…それらを今思った所で…どうにもならない。



「…周子はどうしてる。」


「精神的にまいって入院中だそうです。」


 瞳の代わりに、千里が答えた。


「…近い内に、向こうに行く。」


 俺がそう答えると、瞳がゆっくりと顔を上げた。


「何とかジェフと別れてこっちに来れるよう…話し合ってみよう。」


 俺がそう言うと。


「…責任取れないのに、余計な事しないでって…ママに言われるわよ。」


 瞳は冷たい声。


「別に責任を取るつもりはない。だがほっておく事も出来ない。いくら別れた女だからと言っても、周子が俺にとって大切な存在である事は変わりないんだ。」


「……」


「瞳の母親だ。おまえを…俺の娘を産んでくれた、大事な女性だ。」


 瞳はくいしばってうつむくと、ポロポロと涙をこぼした。



「…千里。」


「はい。」


「悪いが…今夜は瞳についていてやってくれないか?」


「……」


 千里は…無表情だった。

 困った顔もしなかったが、快く引き受けそうな顔でもなかった。


 …知花には悪いと思う。

 だが…今の瞳を任せられるのは…千里しかいないと思った。



「ここに居ていい。俺は向こうに行くために、今から色々片付けておく。」


 渡米した所で、すぐに何もかも決着が着くとは思えない。

 そうすると…今抱えている事案をどうにかしておかなくては。


「…ちょっと、電話していいですか。」


「ああ。それを使え。」


 千里がデスクにある電話で…恐らく知花に電話をしたんだろうが…


「出ないのか。」


「話し中です。」


 千里は首をすくめてソファーに戻った。


 それから…

 俺はサカエさんに連絡して、帰れない事を伝え。

 マノンとナオトにも連絡して、明日からのスケジュールの変更を伝えた。

 俺が不在の間は、あの二人が事務所を動かす。


 朝方会長室に戻ると、瞳はソファーで眠っていて。

 千里は窓辺に立って朝焼けを見ていた。



「…悪いな…千里。」


 千里の背中に声をかけると。


「…いいっすよ。こいつは…俺にとって親友ですから。」


 千里は、眠ってる瞳を見下ろしながらそう言った。



 〇神 千里


 朝まで瞳と事務所にいると…ジェフから電話があった。


『瞳はそこにいるのか。すぐに帰って来るように言え』


 …日本に来ているようだった。


『帰って来るように言え』が、どこなのか。

 ジェフは高原さんのマンションも知っている。

 そして、もちろん…この事務所も。


 それで俺は、瞳をマンションに連れて帰る事にした。


 が…

 二人きりは、いただけない。

 そう思って、アズを呼び出した。


「アズ、ちょっとうちに来てくれ。」


 今日、俺とアズはオフ。


『え?神んち?今から?』


「今すぐだ。」



 夕べ…会長室から二度知花に電話をしたが、一度目は話し中で、二度目は留守電になった。

 メッセージを残せば良かったと思ったが…俺は何も残さなかった。

 そして、今朝電話した時も…知花は出なかった。


 あいつ、何してんだ?



「…いいの…?入って…」


 玄関で瞳が躊躇した。


「ここなら知られてないからな。」


 アズの家でも良かったが…あそこは高原さんのマンションに近い。


「…お邪魔します…」


 瞳はゆっくりと靴を脱いで俺に続いた。


「何か飲むか?」


 疲れ果てている瞳に声をかける。


「…要らない…」


「少しは何か口にしろよ。バテるぜ?」


「……」


 ジェフの電話に…相当追い詰められている気がした。

 瞳は立っているのもままならない状態だ。


「…座れ。」


 肩に手を掛けて言うと。


「…千里…」


 瞳が…泣きながら俺の胸にすがって来た。


「…ごめん…巻き込んで…ごめん…」


「…別に俺には害はない。」


 瞳の肩に手を掛ける。


「でも…余計な事ばかり…させてる…本当に…ごめん…」


 瞳の手の甲にも…痣。

 それを見ていると、たまらない気持ちになった。


 瞳はずっと…母親を助けたい気持ちで、必死で耐えていたはずだ。

 だが…どれだけ心細かっただろう…



「…俺がいけなかった。おまえがなんて言おうと、高原さんに言っておくべきだった。そうしたら、こんな事にならなかったのにな…」


 瞳を抱きしめた。

 誰かに守って欲しかったであろう瞳は…一瞬体を震わせたが…俺の背中に手を回した。


「千里…」


「大丈夫だ。高原さんが…絶対、解決してくれる。」


「……」


「あの人は、おまえの事が大事でたまらないんだ。分かってるだろ?」


「……うん。」


 しばらくそうして頭を撫でてると、瞳は少し落ち着いたのか…


「…眠い…」


 そう言って、俺から離れてソファーに横になった。

 その瞬間…


 ピンポーン


 チャイムが鳴って、俺がインターホンを見ると。


『あ、俺ー』


 アズが来た。



 それから、アズには…瞳の状況を説明した。

 いつもは大げさに驚いたりするアズだが…瞳が暴力を受けていた話には、無表情で。

 だが…


「…許せないよね。弱い者に対して、そういうのって。」


 珍しく…低い声で言った。

 …怒りに満ちた目だった。


 それから数時間後…高原さんから電話がかかった。

 ジェフは…高原さんのマンションの留守電に、『殺してやる!!』と何度もメッセージを入れていた事。

 事務所に押し掛けて、ロビーで暴れた事と…銃を所持していた事で、逮捕された。


 高原さんが警察に行って、ジェフの妻と娘に対する暴力について話して。

 日本とアメリカの両方の警察で動いてくれる事になった。



「…ありがと。助かった…」


 瞳は、俺とアズにそう言って。

 高原さんと…事情聴取のため警察に向かった。



「…瞳ちゃん…辛かっただろうね…」


 アズが瞳の背中を見送りながら言った。


「……」


 俺はそんなアズの肩に手を掛けて。


「…来てくれてサンキュ。」


 らしくない…優しい声で言った。

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