第39話 「……」

 〇神 千里


「……」


「…おい。」


「……」


「知花。」


「……」


「おいって。」


 ペシッ。


「あたっ…な…何?」


 額を叩かれてようやく、知花は自分が呼ばれている事に気が付いた。


「今更焦ったって仕方ねーだろ。今出せる自分を出せばいーって。」


 俺が味噌汁を飲みながら言うと。


「…だけど…焦る…大丈夫なのかな…」


 知花は、全く手を付けてない朝飯を前に、ズーンと重い顔をした。



 …今日は、SHE'S-HE'Sのホールオーディションの日だ。

 ま、他にも二つ…受けるバンドはいるが、上層部の本命はSHE'S-HE'Sだ。


 課題のラブソングは出来たのか?


 …聞こうとして、やめた。

 ずっと気にはなっているが…プレッシャーを与えるのも…な。


 それに…

 俺は高原さんにラブソングを書けと言われたのに、書けなかったし。

 書けなかった俺が、エラそうに言うのも…


 知花と夫婦になって、俺もラブソングが書けるかもしれないと思ったが…

 相変わらずペン先は進まなかった。

 だいたい、愛だの恋だの…口に出して言えるかっつーの。



 それから知花はろくに飯も食わずに事務所に向かった。

 俺は知花に見に行くとは言わなかったが…高原さんと朝霧さんには誘われてるから、行くつもりだ。

 ま、誘われなくても行くが。



「わー、思い出すなー。」


 マサシとタモツ、そしてアズが客席に座りながら言った。


 おい。

 おまえら。

 何でついて来た?


 俺が目を細めて三人を見てると。


「あれー?神のお嫁さんを応援に来たのに、不満そうな顔してるー。」


 アズが俺の肩に手を掛けて言った。


「えっ!?今日のオーディションバンドの中に、神の嫁さんがいんのか!?」


 詳細を知らなかった二人は、アズの肩を揺さぶって言った。


「そーだよ。言わなかったっけ?」


 アズは、一人だけ知ってた優越感からか、満面の笑み。


「知らねーよ!!どの子か教えろよ!!」


「えーとね。」


 そう言って、アズがステージの上でセッティングしてるSHE'S-HE'Sの中から、知花を見付けて。


「あの子。」


 指差した。


「…広報の赤毛ちゃんだ…」


 知花を見てそう言ったのは、タモツだった。


「は?」


「俺のお気に入り~!!広報でバイトしてる赤毛ちゃん!!なんだよー!!神の嫁かよー!!」


 タモツはジタバタと暴れて。


「おまえ、結婚指輪とかさせろよな!!こっちは勝手に夢見ちゃったじゃねーかよー!!」


 後ろの席から俺の首を絞めた。


「うるさい!!うちの事情に口挟むな!!」


 そう言って、タモツの額を張り倒す。


 …しかし…そうか。

 結婚指輪をさせてた方が、悪い虫はつかないな…。

 よし。

 千幸の所に見に行ってみよう。


 そうこうしてると会場の照明が落ちて。


『…SHE'S-HE'Sです。よろしくお願いします。一曲目…『Spicy』…』


 ステージ上で、知花が言った。


 おい。

 顔色悪いぞ?

 大丈夫か?


 参観日のような気分になってしまった俺は、自分のステージよりも心臓が変に騒ぎだしている事に気付いた。


「…赤毛ちゃん…バンドしてたなんて…」


 タモツのつぶやきが聞こえた。

 …知花、バイト辞めてくんねーかな…


『one,two,』


 朝霧さんの息子がカウントを取って…


「……」


 それまで俺の後で『赤毛ちゃん…』と繰り返しつぶやいていたタモツが、黙った。

 隣ではアズが首をすくめた後…前のめりになった。

 マサシに関しては…口が開きっぱなしだ。


 イントロから圧巻だった。

 寸分の狂いもない…タイミングの良さ。

 スタジオで聞いた時は、リードギターとサイドギターという位置付けだったと思うが…今日はツインリード。

 ギターの二人は全くタイプが違うが…それが返って斬新でいい。


 ベースの聖子も…女とは思えない力強さと…この正確さは武器だ。

 そして、意外と要だったりするキーボード。

 ナオトさんの息子…上手いな。


 少し長めのイントロの後、知花が歌い始めた。


「えっ…」


 後ろでタモツが驚きの声を上げた。


 …そうだろーよ。

 知花のギャップ、たまんねーよな。

 あんなふわっとしてんのに、なんだこいつ…

 歌い始めると…別人だ。


 スタジオの時よりも、もっともっと…伸びる声で、知花は歌った。

 広い音域。

 大サビでキーが上がって、まだ出るの!?ってアズが手を叩いた。

 …全くだ…


『…ありがとうございます…』


 一曲目が終わって、知花が小さく喋った。

 そこは、Thank You!!とか叫べばカッコいいのに。

 歌った曲と、全く合わない。

 そのミスマッチに、Deep Redの面々も笑っていた。


『それじゃ…二曲目…『From The Heart』…』


 知花が、目を閉じて…すぅ…と息を吸い込んだ。

 俺はそんな知花に…見惚れた。



「うわー…めっちゃラブソングだ~。神、良かったね。知花ちゃんが神の事大好きで。いいなーいいなー、ヒューヒュー。」


 知花が歌い終わったと同時に、隣のアズがそう言って。


「るさいっ。」


 俺に張り倒された。


 客席の前の方では、高原さんが腰に手を当てて立ち上がって…これは、合格を言い渡してるんだろうな。

 案の定、ステージ上から『デビュー!?』って声が上がってる。


「…神の嫁さん、すげーな。」


 マサシがつぶやいた。


「嫁があんな歌上手いと、プレッシャーじゃねーか?」


 タモツがそう言ったが…


「……」


 俺は、つい…パチパチと瞬きをした。

 …確かに…

 今までだったら、相当嫌だったと思う。

 音楽やってる女自体苦手だったし。

 だが…知花の歌に関しては、ライバル心も嫉妬もない。

 ただ…あるのは…自慢と誇りだ。


 その時の俺は、まだ能天気に。

 知花がデビューするなら、バイトは辞めさせていいよな。

 なんて…一人で笑ってた。


 これから、こんな余裕の微塵すら、なくなるというのに。




「あれ、俺に書いた曲?」


 昨日のオーディションで聴いて以来、ずっと確認したかった。

 しかし、どう聞けば?と思い…ためらっていたが。

 晩飯が終盤になった頃、顔を上げてストレートに聞いてみた。


 知花はキョトンとした後…赤くなって…困った顔をした。


「なあ、どうなんだよ。」


 真顔で聞いてるつもりだが、絶対俺はニヤニヤしてる。


「…分かったなら、聞かなくていいじゃない。」


 知花は珍しく早口でそう言うと、テーブルの上の食器を片付け始めた。


 …分かったなら、聞かなくていいじゃない…?

 て事は…そうか。

 俺に作ったのか。



 昨日…知花が歌ったラブソング…『From The Heart』…

 SHE'S-HE'Sは全曲英語の歌詞で、聖子が作詞した物は知花が英訳しているらしい。


 …瞳が英語で歌って日本デビューは無理だと言われたが…

 高原さん、知花達はどうするつもりなんだろうか。

 …ま、ソロとバンドっていう違いもあるし…な。



「~…♪」


 気分の良かった俺は、知花が歌った曲を鼻歌してしまった。

 するとキッチンにいた知花が。


「…覚えたの?」


 目を丸くして言った。


「…覚えやすかったからな。」



 心の底から欲しいと思うものを見付けた

 それは合わせる手の平で伝わった形のないもの


 あのフレーズを聴いて…少しグッと来た。

 俺達は特に気持ちを口にする事はないが。

 ちゃんと…通じ合ってる…って事だよな?



 昨日デビューが決まったSHE'S-HE'S…


「…みんなでお祝いして来ていい?」


 知花が初めてTOYSのプライベートルームに来てくれたのは嬉しいが…そのおねだりだった。

 本当は、男が四人いて、あまりいい気はしないが。

 器の小さい男だと思われたくなかった。


 ま…みんな知花が俺の嫁と知ってるから…間違いはないだろうが。



「…あんま遅くなんなよ?」


 低い声でそう言うと。


「ダリアで二時間ぐらいだから、21時までには帰るね。」


「……」


 デビュー祝いなのに、二時間かよ。

 て言うか、それは…メンバー達が俺を気遣ってそうしてくれてるって事か?


「二時間でいいのか?盛り上がるようなら、もう少し遅くなってもいい。」


「え?いいの…?」


「…特別な事だからな…」


 俺はそう言ってポケットから金を出して。


「その代わり、タクシーで帰れ。」


 知花に渡した。


「……ありがと。」


 …知花の喜びをかみしめたような笑顔が……


 あー!!後ろに誰もいなきゃ抱きしめてるのに!!

 後ろには、アズもタモツもマサシもいて、俺と知花を見てヒソヒソと何か喋っている。


「じゃあね。」


「ああ。」


 ドアを閉めると…


「神、カッコいい…」


「でも、旦那っていうより、娘の帰宅時間を心配する父親って感じに思えたなあ。」


「ま、そこはヤキモチも入ってるよな。メンバー、男が多かったし。」


 それぞれ好き勝手に言いやがって…


「うるさい。スタジオ入るぞ。」


 そのまま、俺はすぐにまたドアを開けて、スタジオに向かった。



 ピンポーン


 いい具合に昨日の回想をしていると…チャイムが鳴った。


「…おまえ誰か呼んだ?」


 キッチンにいる知花に問いかける。


「ううん。」


 ここの場所は、アズと聖子と…事務所の上の人ぐらいしか知らない。


 インターホンに向かって、ボタンを押すと、モニター画面…


「……」


 そこに、瞳がいた。



「…知花、ちょっと出て来る。」


 知花を振り返って言う。


「今から?」


「ああ…」


 財布と家のカギだけを持って下に降りると、エントランスに瞳がいた。


「千里…」


「何だよおまえ。誰にここ聞いた?」


「…父さんの部屋で、住所録見て…」


「……」


「ごめん…」


「どうした。何かあったのか?」


 瞳はあきらかに…憔悴しきった顔だ。

 それに…


「おまえ…」


 髪の毛で隠れてた顔の左側に…痣が見えた。


「おまえ、またジェフに?」


「もう…どうしていいか分からないの。警察に相談したけど…ジェフってすごく信用されてる奴で…」


「何だよそれ…そんな傷があるのに、警察はおまえを信用してくれないのか?」


「直接ジェフが殴ったわけじゃないの…階段から突き落とされたり…」


「下手したら死んじまうじゃねーか。おふくろさんは?」


「…入院してる…」


「……入院?」


「ちょっと…精神的にまいって…」


 瞳を見ると…いつも小洒落た格好をしてるのに…

 コートの下は、引っ張られでもしたのか…首元の伸びたTシャツ。

 メイクもしてない。



「…おふくろさんは、向こうの病院なのか?」


 瞳は無言で頷くと。


「あたし…パスポートと財布だけ持って…逃げて来た…」


 絞り出すような声で言った。


「……」


「ママの事…向こうに…置いて来ちゃった…」


 俺を頼って…って事か?

 何も出来ないのに…


「もう、こうなったら隠しておけねーだろ?高原さんに話しに行こう。」


「でも…」


「でもじゃねーよ。もうこんな状態になってるのに、これ以上の事になって知ったら、高原さんは悔やむ事しか出来ないんだぜ?」


「……」


「な?高原さんの所へ行こう。」


 俺と瞳がそんな会話をしてると…



「…あ。」


 開いたエレベーターから…


「知花…」


 知花が降りてきた。


「…出かけんのか?」


 知花の手には、財布。


「あ、あー…コーヒー切れてるの。」


「言えば買ってくるのに。」


 …らしくない事を言った。

 今まで知花に買い物を頼まれても、俺は全然買って帰った事なんてない。


「本当?じゃ、あたしのココアも。」


「それは知らねぇよ。」


「意地悪。」


 俺と知花が話してると。


「…驚いた。本当に結婚してるんだ…」


 瞳が小さくつぶやいた。


 ………しまった。

 知花は俺と瞳が付き合ってたと思ってる。

 今更、あれは嘘だと言った所で…こんな状況じゃ何の説得力もない。

 …瞳は涙目だし。



 知花に近付いて。


「遅くなるから先に寝てろ。」


 とりあえず…知花の頭をクシャクシャとした。


「……」


 普段しないような事をしたせいか、知花は余計…不安そうな目。


「…ちょっと御主人おかりするわ。」


 たぶん、嫌味でも何でもない瞳の言葉に、知花はどう思ったのか。


「…いってらっしゃい…」


 小さな声の知花は…俺と瞳の姿を、いつまでもエントランスで見送っていた。

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