第38話 年が明けた。

 〇神 千里


 年が明けた。


 結局、瞳のアメリカデビューは立ち消えになったが、日本でのデビューも決まりそうにないまま。

 ジェフから暴力を受けていた事を、どうしても高原さんには言いたくないらしい瞳は。

 どう話したのかは分からないが…アメリカでの生活を近い内に解消すると言った。


 だが、瞳は今もアメリカで…

 それが俺をモヤモヤさせたが、おふくろさんと二人で家を出たと聞いて少し安心した。



 ジェフは、自分の娘である瞳の妹(瞳はあくまでも妹とは認めないが)は溺愛していて、その娘だけを連れて実家に戻っているらしい。

 おふくろさんと一緒に日本に戻るよう言ったが、その辺は…色々と大人の事情でもあるのか、おふくろさんが納得しないらしい。

 …まあ、もう一人の娘の事も、気にならないわけはないだろうしな…。



『あけましておめでとう。』


 元日も、ビートランドは全員集合。


『今年も楽しく働こう。以上。』


 高原さんの簡単過ぎる挨拶の後、やっぱり…宴会が始まる。


 が、俺は…


「あれ?神、帰んの?」


 アズに呼び止められた。


「ああ。じーさんちと嫁さんの実家をはしごしなきゃなんねーから。」


「まさか、神がこんなに早く結婚するなんてな…」


 マサシが、今も信じられないって顔で言った。


「ほんとほんと。一人の女に落ち着くような奴じゃねーって思ってたのに。」


 どうもタモツは俺を遊び人と誤解したままだな…。

 ま、どーでもいいが。



「じゃーな。」


「おー。明日。」



 今日は、まず…じーさんちに行って、昼飯食って…

 それから少しのんびりしてから、桐生院へ。

 本来なら、どちらにもゆっくり出向くべきなんだろうが…

 俺は明日から取材やミュージックビデオの撮影が入ってて、今日しか空いてない。



 自転車でマンションに帰って、エレベーターに乗る。


 俺と知花は…

 ちゃんと、夫婦として生活出来ている。

 ここ一週間は、俺の部屋で一緒に寝てるし…

 俺としては毎晩抱きたいぐらいだが、冬休みはバイトもハードらしく、知花は、ベッドに入ると即寝の毎日。


 …可愛いんだよな…また…寝顔が…

 だから余計…


「…悶々とすんだよな…」


 つい口に出して言ってしまったが、幸いエレベーターの中は俺一人。


 どうせ飲まされるから、車には乗ってけないよな…タクシー呼ぶか、篠田に頼むか…なんて考えながらカギを開けて玄関に入る。

 靴箱の上には、正月らしい花が活けてある。

 …コマメな奴だ。


 マフラーを外しながらリビングのドアを開けて。


「ただい…」


「あ、おかえりなさい。」


「ま…」


 俺は口を開けて見入ってしまった。

 知花が…



「…なんで着物。」


「おばあちゃまが誕生日に帯をくれたでしょ?」


 そうだ。

 誕生日、桐生院のばーさんは知花に帯を贈ったんだ。


「あたし、着物全部実家に置いてるし…と思ってたら、父さんが持って来てくれたの。」


「…へー…」


「早速着てみちゃった。」


「……」


 俺は関心ない顔をして…知花の背後に回る。

 じーさんちでの結納…じゃない、会食の時も着物だったが…

 今日の着物は、黒で裾の部分が深紅。

 金色の水の流れらしきラインと、やっぱりここにも…桜の花。


 あの時はふわっとした知花にピッタリな感じの、淡いイメージだったが…

 今日は…歌う時の知花みたいだ。

 知花の赤毛と、着物の黒が…ピリッとして…


「似合う?」


 不意に振り向いて聞かれて。


「……」


 俺は無言で知花を上から下まで眺めた。


 に…似合うどころの話じゃねーよ…

 これで外に出んのかよ…

 冗談じゃない。

 男は全員、おまえに惚れちまうだろーが。


「…まあまあだな。」


 そっけなくそう言うと。


「まあまあか…頑張ったのにな…」


 知花は、自分を見下ろして言った。


「…まあまあ…より、もう少しいいかな。」


 俺が言い直すと。


「…そんな、無理して言わなくていいよ。」


 知花は少し困った顔をした。


「いや、別に。無理なんてしてねーし。」


「…ありがと。まあまあより、もう少しいいって事で…」


「……」


 くそっ。


「…似合う。」


「……」


「……」


「……」


「すごく似合う。」


 俺がそう言うと、知花は満面の笑みで。


「嬉しい。」


 俺の腕を取った。


「もう出かけるよね?」


「…それで行くのか?」


「え?駄目なの?」


「…着物、動きにくいだろ。着替えろよ。」


「……」


 知花が唇を尖らせる。

 頼むから、そんな顔しないでくれ。

 俺は…おまえのその顔も好きなんだ。


 …いつから俺は…こんなにも知花の事を好きになったんだ?

 夫婦になれたと思ってからというもの…

 知花への気持ちが止まらない。

 知花から甘えられたりすると…どうしようもなく幸せな気分になる。



「…そうよね。動きにくいよね…」


 知花はそうつぶやくと、帯に手を掛けながら部屋に向かって歩き始めた。


「…脱ぐのか?」


「千里が着替えろって言ったんじゃない。」


「…手伝う。」


 知花の後を追うと。


「一人で大丈夫。」


「いいから。」


「良くない。」


「…脱がせたい。」


 俺の言葉に知花は真っ赤になって。


「やだよもう!!バカ!!」


 思い切り部屋のドアを閉めた。


「……」


 …何が、やだよもう…だよ。

 裸なんて、もう何回も見たじゃねーかよ!!





「明けましておめでとうございます。」


 そう言ってお辞儀をする知花に、篠田と佐々木が溜息をつきながら見惚れている。


「おめでとう。これはこれは…正月早々美しいものを見れて、今年もいい年になりそうだ。」


 じーさんも…そう言って目を細めた。


 …せっかく、ばーさんが贈ってくれた帯をして行かないのも…と思って。


「知花、そのままでいい。」


 部屋の外から言うと。


『…だって…千里、嫌そうな顔してた。』


 知花は拗ねたような口調。


「…別に嫌なわけじゃない。」


『それに、食事の支度したりするから…着物じゃない方がいいから。』


「飯の支度もしなくていい。」


『……』


「俺の隣に座ってればいいから。」


 そう言うと、知花はゆっくりとドアを開けて部屋から出て来て。


「…良かった…これ着て千里と歩きたかったから…」


 俺とは目を合わさずに…そうつぶやいた。


 …ちくしょー……

 マジでこいつ…

 可愛いじゃねーかよ…!!



「知花さん、千里の働いている事務所でアルバイトをしているそうですな。」


 昼飯を食いながら、じーさんが言った。


「はい。」


「主に、どんな事を?」


「毎回やる事は違うんですが…そうですね…主にやっているのは、チラシを封筒に入れるっていう地味な作業です。」


 へー…

 そんな事してんだ。


「ダイレクトメールか。」


 俺が隣でそう聞くと。


「うん。」


「へー。一日に何通ぐらい作ってんだ?」


「二千通とか。」


「……」


「……」


「……」


 じーさんと篠田と俺は、無言で知花を見た。


「…え?な…何…ですか?」


「一日二千通…指は大丈夫ですか?」


 篠田が知花の手を覗き込む。

 …見るなっ。


「あ…大丈夫です。地味な作業ですが…そのダイレクトメールを待ってる人も多くいらっしゃると思うと、楽しんで出来てます。」


 …そう言えば、高原さんが言ってたな…

 一週間もつのが何人いるかな…って。

 結局、あの時雇った五人のバイトの内、残ってるのは知花と聖子だけだ。



「…他には、どんな事を?」


 じーさんが、箸を置いて聞いた。


「他ですか?そうですね…印刷所から届いた印刷物を仕分けしたり、お世話になっているレコードショップさんにリサーチの電話をかけたり…」


「電話?電話までしてんのかよ。大丈夫なのか?」


「え?うん…マニュアルがあるから、何とかなってるよ?」


「いや…」


 そうじゃなくて。


 電話の知花の声に惚れる奴が絶対いるはずだ!!

 口説かれたりしてねーだろーな!!



 それから、じーさんがどーしても…って言って。

 三人で写真を撮った。

 まあ…正月だっつーのに、誰一人帰ってこねー神家で。

 着物姿の知花は…かなり癒しになったのかもしれない。



「えっ…こ…困ります…」


 桐生院家に行く時間になって。

 玄関に横付けされてるタクシーの横で俺が待ってると、知花が困った様子で何か言っている。


「いいから。」


「でも、おじい様、これは…」


「年寄りの気持ちだから。」


「……」


 知花は困った顔をしていたが、軽く頭を下げて。


「…ありがとうございます。」


 そう言って…


「…お体に、気を付けて下さいね。」


 ゆっくりと、じーさんと篠田に…ハグした。


「…おい。」


 俺がタクシーの横から声をかけると。


「ほほっ。千里が妬いておるぞ。」


 じーさんが面白がって言った。


「エロじじいめ…知花、早く来い。」


「あ…じゃあ、おじい様、篠田さん、また…」


「お気をつけて。」



 …ったく。

 何なんだ。


 知花とタクシーに乗って、じーさんと篠田を見る。

 二人とも、嬉しそうな…笑顔。


「…何に困ってた?」


 じーさん達に手を振りながら、知花に問いかけると。


「…これ…もらっちゃったの…」


 知花はそう言って…

 ピンク色のポチ袋を二つ、俺に見せた。


「……お年玉かよ。」


「もらっちゃっていいのかな…」


「…年寄りの楽しみだ。もらっとけ。」


 しかし、篠田まで…。


 笑いそうになったが…外の景色を見るフリをして、我慢した。

 …ったく…どいつもこいつも…


 知花に骨抜きとは…な。



 * * *


「あははは!!神さんのそれって!!」


「るせーな。この芸術が分からねーなんて、誓にはセンスの欠片もねーな。」


「えー…それって芸術…」


「…麗には分かると思ったんだが。」


「あ、あたし分かる。」


「よしよし。麗にはお年玉をやる。」


「やったー。」


「えーっ!!僕には!?」



 桐生院家に来て。

 いきなり…双子に『雪だるまを作ろう』と誘われた。

 雪だるまを作るほど積もっちゃいないが、なるほど…

 350の缶ビールサイズ。

 広縁の前で双子と三人でミニ雪だるまを並べる。

 知花は、ばーさんと親父さんと…何してるんだろーな。



「あー、疲れた。」


 俺が広縁に腰掛けて言うと。


「えー、もう?」


 誓が隣に座って足をブラブラさせた。

 …こいつ、チビだな。


「誰かコーヒー入れて来てくれ。」


「だって。麗。」


「えー…そろそろあの人が呼びに来るんじゃないの。」


 …あの人?


「あ、そっかな。神さん、明日から仕事だって、姉さん言ってたもんね。」


 少しだけ屋根に積もった雪が落ちて来て。


「わー!!」


「きゃー!!」


 双子が同時に足を上げて叫んだ。


 …ふっ。

 ……うるさい。



「どうしたの?」


 叫び声を聞いた知花がやって来て。


「今、屋根から雪が落ちて来て、ビックリした。」


 誓が、落ちて来た雪を指差して言った。

 俺は、チラリと麗を見るが…麗は興味なさそうに庭を眺めてる。


「あ、姉さん、神さんがコーヒー欲しいって。」


「ビールじゃなくていいの?」


 知花が俺の後に座って言った。


「飲んだら寝ちまうぜ?」


 顔だけ振り返って言うと。


「じゃあコーヒー入れてくる。誓と麗は?何か飲む?」


 知花が立ち上がりながら言った。


「僕、ジュース。」


 手を上げてにこやかに言う誓と裏腹に…


「…何も要らない。」


 麗は、そっけない。


 …あの人…は、知花の事か。

 そう言えば、いつも誓は知花にベタベタするが…

 麗のそういう所は見た事ないな。

 何か原因はあるんだろうが…

 ま、そんなん知ったこっちゃねー。



 桐生院家で晩飯を食って、親父さんに付き合って、少しだけビールを飲んだ。

 いつもならもっと飲むんだが…

 年末の立て込んだスケジュールのせいで、疲れが取れていないらしい。


「寝ちゃったみたい。」


 いや…寝てはいないんだが…

 起きてるとトランプしようだの、かるたしようだの…

 双子に言われそうだと思って…の、タヌキ寝入り。


「知花、これを。」


「あ、ありがとう…おばあちゃま。」


 そう言って、知花が…横になってる俺に、何かをかけた。


 カチャカチャと、食器の音。

 それから、水の音。

 双子がテレビを見ながら、何かを喋って…

 親父さんが、知花にビールのお代わりを頼む声。


 …なんて言うか…

 心地いいな。


 騒がしいのは嫌いだ。

 だけど、こういう…生活の音。

 俺の、憧れの生活の音…。



 それから本当に一時間ぐらい寝た。

 タクシーを呼んだからと起こされて、桐生院家のみんなに手を振って帰った。


「…大丈夫?」


 部屋に戻って、知花が俺の顔を覗き込んだ。


「あ?何が。」


「だって…あまり飲んでなかったのに…」


「あー…年末の疲れが一気に来た感じだな。」


 首をコキコキと鳴らして言うと。


「…疲れてるのに、誓と麗と遊んでくれて…ありがと…」


 知花が、小さな声で言った。


「……着物、窮屈だったろ。脱げよ。」


 俺が帯に手を掛けると。


「じ…自分でやるから。」


「いいから。」


「……」


 ふっ。

 知花は困った顔をしながらも。

 俺にされるがまま。



「…もう、このまま寝よーぜ…」


 着物を脱がせて、知花を抱きしめた。


「え…でも…」


 脱ぎ散らかした着物とか…シャワーとか…色々気になるんだろうが。

 俺はそんなの、どーでもいい。

 心地いい余韻のまま、眠りたい。


「このまま…」


 俺が繰り返し言うと。


「…うん。」


 知花の手が…背中に回って来た。

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