第36話 マンションを見て、俺の中に生まれた疑念が確信に変わった。

 〇高原夏希


 マンションを見て、俺の中に生まれた疑念が確信に変わった。

 千里と話がしたいと思ったが…桜花の正門の近くで、車を停めて知花を待ち伏せた。


「知花。」


 その姿を見付けて声を掛けると、知花は驚きの後に戸惑いを見せながら、助手席に乗り込んだ。



「率直に聞くけど。」


 車を発進させて、口を開く。

 

「千里と知り合った時、瞳のことは?」


「…知りませんでした。」


「結婚するまで、ずっと?」


「はい。」


「いつ知った?」


「結婚して四ヶ月位…経ってからです。」


 その言葉に、心底ガッカリした。

 千里は…瞳との事を隠したまま、知花と結婚したというのか?



「その時、千里はなんて?」


「しばらくは何も言いませんでしたけど…ふられたって…」


「瞳に?」


「はい。」


 …あり得ない。

 瞳は一途に千里を想い続けていた。

 その瞳から千里をふるなんて…


「瞳は、千里との結婚を考えてたんだ。」


 俺がそう言うと、それまで視界の隅で俯き加減だった顔が、こちらに向いたのが分かった。


「俺には息子がいないからね。いずれは瞳の結婚相手に継がせるつもりだ。千里はその点については合格点をやれる奴だし、俺もそう願ってた。」


 口にしてみて思った。

 俺は、瞳以上に千里に惚れこんでいるのかもしれない。

 ボーカリストとしてもだが、俺の後継者として。



「それに以前…瞳から千里と結婚したいって言ってきたんだ。だが、その時は二人とも若過ぎると思って許さなかった。」


「…あたしと彼が結婚してるのが、そんなに気に入りませんか?」


「……」


 ふいに放たれた知花の低い声に、饒舌になりかけていた俺の言葉が止まる。


「確かに、瞳さんのこと知った時ショックでした。でも、彼はあたしを選んでくれたんです。あたしは今幸せです。瞳さんには…悪いと思います。でも、あたしの幸せを高原さんにどうこう言われる筋合いは…」


「ない…よな、確かに。でも、誰だって自分の娘がかわいい。たとえ親バカだと言われても。俺は誰よりも瞳の幸せを願ってる。」


「…そのためには、あたしはどうなっても?」


「……」


 正直に打ち明けた胸の内。

 だが、それは…まだ高校生の知花を傷付けるには度が過ぎるほどの物だと、ハッとした。


「…悪かったね。」


「…停めてください。」


「……」


 小さく溜息を吐きながら、車を路肩に寄せる。

 シートベルトを外す知花に視線を向けると、あきらかに沈んでいる。

 それが目に見えて分かるというのに、俺は…


「気を悪くしたなら謝る。嫌な奴だと思われても仕方がない。でも…」


「……」


「…偽装結婚じゃないかと思ったんだ。」


 核心を突いた。


「あの二人はもう四年近く付き合ってたんだ。俺が千里に期待しても おかしくはないだろう?」


「……」


「確かに、俺は瞳が千里と結婚したいって言った時に反対した。でも、それは交際を反対したわけじゃない。」


「あたしは…」


「今住んでるマンション、既婚者じゃないと入れないらしいな。」


「……」


 見る見る動揺していく知花に、俺は…畳み掛けるように言った。


「知花は、どうして家を出たかった?」


「あ…あたしは…千里が好きなんです。だから…」


「普通じゃないと思わないか?高校生で、しかも名家の生まれだ。誰だって、疑うさ。」


 知花の肩を掴んで振り向かせる。

 揺れる瞳を射抜くように、強い視線を送りながら低い声で。


「まだ事が大きくならないうちに、どうにかしろ。」


 知花は少し怯えたように唇を震わせ、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめる。

 これは…もう、それでしかない。

 偽装結婚を見破られて、困り果てているだけ、だ。


 非を認めさせて、別れさせよう。

 それがいい。

 それが二人のためだ。


「おまえは絶対ビッグになる。千里もだ。偽装結婚なんてばれ」


「あたしは千里が好きなんです!!」


 突然の大声に、今度は俺が黙る番だった。


「……」


「あたしは、彼が好きです。確かに、家を出たいという思いは強かったです。でもそれ以上に、彼が好きなんです。」


 知花はそう言ったかと思うと…


「…えっ…?」


 ふいに、頭を抱えて…


「…知花…そ…」


 何があった?

 今、知花は…自分の髪の毛を…

 ウィッグだった…のか?


 知花の取ったそれからこぼれ落ちたのは…赤毛だった。



「あたしは、あの家の人間じゃないんです。だから…」


「……」


「だから、もし千里に愛情がなかったとしても、彼が居場所のないあたしを迎えにきてくれたようで、すごく嬉しかったんです。」


「……」


「それでも、別れろって言いますか?」


 泣きながらそういう知花に…俺は何も答えられなかった。



 瞳が可愛い。

 瞳を不幸にする奴は許さない。

 それが例え…俺が目をかけた金の卵でも。


 だが…

 知花の想いが…嘘には思えなかった。

 最初は偽装だったとしても、今は違う。

 そう言わんばかりの目と熱で…俺に言った。



「高原さんが何ておっしゃっても、あたしは彼と別れるつもりはありません。あたし…瞳さんには負けませんから。失礼します。」


「……」


 知花が車を降りて、ドアが閉まった途端…俺は胸に深い痛みを感じていた。


 千里が言った…あれも、本当なのだろう。


『一目惚れして口説いて結婚して…色んな面を知りました。その中で、あいつの前だと…息をしてる…自分でも知らない自分に気が付いたんです』


 自分でも知らない自分に気付いた…か。


 俺だって、さくらと出会って…さくらと愛し合って、そうだったじゃないか。

 誰かが誰かを想う気持ちを…こんなに否定するなんて。

 俺はどうかしてる。



「……」


 ハンドルに寄りかかって、溜息をついた。


 …知花。

 最初見た時は、ふわっとしたイメージだと思っていた。

 バイトも、聖子を含めて五人雇ったが…聖子と知花以外は、一週間で辞めた。

 それほど、うちでのバイトは複雑でキツイ。


 だが、あの二人は延々と繰り返す地味な作業も、重い物を運ぶ作業も…文句も言わずに、むしろ…楽しんでやっている。と、広報の奴から聞いた。


「広報室が一気に華やかになりましたよ。」


 とも。



「…ごめんな…」


 誰にともなく、謝罪する。


 ずっと瞳に後ろめたさがあった。

 父親を名乗るクセに、何もしてやれていない。

 そんな身勝手さから、俺は…誰かを不幸にしてしまう所だった。


 何が…非を認めさせて別れさせよう…だ。

 俺にそんな権利があるか?


 …何やってんだ…


 目が覚めた気がした。

 千里と…知花の、相手を想う気持ちに…。




 事務所に戻ると、会長室の前に千里がいた。


「…何だ。何かあったか。」


 何となく…バツが悪くて視線を合わせずに言う。

 ドアを開けて、千里と部屋に入り、ソファーに座った。



「…瞳の事なんですが。」


 千里の言葉に、ゆっくりと顔を上げる。


「あいつを、ここからデビューさせるわけにはいかないんですか?」


 意外な事を言われた気がした。

 俺はてっきり…知花との結婚で、言い足りない事でも話しに来たのかと思った。

 …それか、知花がさっき俺に会った事を、すでに千里に話したか…と。


「…あいつの歌が日本で受け入れられると思うか?」


「思います。」


「……」


 千里の即答に、俺は黙った。

 何だって千里は…そこまで瞳の歌を買ってくれている?


「今のバラードも悪くないけど、瞳には、みんなを元気にする明るい曲の方が似合います。」


「……」


「瞳の事が可愛くて仕方ないと思うなら、ここでデビューさせてやって下さい。」


 千里はそう言って、俺に頭を下げた。


「…なんでおまえがそここまでする。」


 少し冷たい口調で言ってしまった。

 俺は…瞳の結婚相手として…以上に、千里自身を欲しているのだと思う。

 だから、千里が思い通りにならないと腹が立つのかもしれない。


 …ガキっぽいな。



「…知花が…」


 俺が知花の名前を口にすると、千里は少し目を細めた。


「知花が、おまえの事を好きでたまらないってさ。」


「…え?」


「おまえが…知花に対して愛情がないとしても、知花はおまえの事を迎えに来てくれた王子様ぐらいに思ってるらしいぜ。」


「……」


 テーブルにある灰皿を見たまま、俺は続けた。


「瞳にも、負けないって言った。」


 そう言って千里の顔を見ると…


「……」


 千里が、真っ赤になって…口元を押さえている。


「…おまえ…」


「あ…あいつ、俺があいつに愛情がないって?」


「…おまえらって、偽装結婚なんだろーって、かまかけたら…そう言ったぜ?」


「ぎ…」


「疑って悪かった。」


 俺は笑いながら立ち上がる。


 …何だ。

 千里、おまえ…こんな話ぐらいで真っ赤になるほど…

 知花に惚れてんのか…



「…赤毛を見せてもらったよ。」


 窓際に立って、外を眺める。


 知花はずっと、あの赤毛を世間から隠し通して来たのかと思うと…不憫だった。

 日本に来てしばらくは、好奇の目で見られていた俺には…知花のしている事の意味が、分かるようで分からない…

 ただ、本当に…不憫だと思えた。



「バイトには、赤毛で来ていいと言っておいてくれ。」


 窓の外を見たまま言うと。


「…あんま、素のあいつを他の奴に見せたくないんすよねー…」


 千里は浮かない声。


「どうして。」


「可愛いから。」


 その即答に、ゆっくり振り返ると…千里は真顔。


「…………ふっ…」


「…おかしいですか。」


「いや、分かる。」


 思い出した。

 俺も…さくらの歌う姿を…一人占めしたいと思っていた。


 千里は…ちゃんと恋をしてるんだな。

 瞳との時には見せなかった顔を、今は俺の前でも出せる。



「今なら恋の歌も書けるんじゃないのか?」


 嫌味もこめて言ってみると、千里は目を細めて。


「勘弁して下さいよ…」


 めったにない、弱気な顔を見せた。



「…瞳のデビューの事は、本人とも話してみる。」


「そうして下さい。」


「…今回の件…色々悪かったな。」


「…いえ、報告が遅れた事と、俺の言葉足らずで…俺もすみませんでした。」


 千里はそう言うと、立ち上がって部屋を出て行った。



 …さくら。

 俺は…色んな事に必死になり過ぎて…大事な事を忘れてしまっているようだ。

 世界は、俺の思い通りになんて動かない。

 そんな当たり前の事が…分からなくなってるなんて。


 今日は…もう帰って、さくらと一緒に横になろう。

 そして…

 さくらの髪の毛を撫でながら…


 千里が恋をした話でも…してみよう。


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