第35話 あんな言い方じゃ、高原さんに伝わらない事は分かってるが…

 〇神 千里


 あんな言い方じゃ、高原さんに伝わらない事は分かってるが…今の瞳の状況を思うと…あれ以上の事は言えない。

 高原さんが、もっと瞳の事を…シンガーの瞳じゃなく、自分の娘としてしっかり見てくれたら…


 会長室を出て八階に降りた俺は、フロアのスタジオ表を見てSHE'S-HE'Sをの名前を探した。


 …Cスタか。

 この階には8スタジオあるが、広さは様々。

 あいつらみたいに6人で、しかもキーボードが結構な幅取ってセットしなきゃなんねーようなバンドは、少し広めの部屋じゃねーと辛いだろーな。


 AからCまでのスタジオは腰高のFix窓で中が見える。

 俺はCスタまで行って、窓から中を見た。


 …知花が髪の短い方のギタリストに、頭を触られてる。


 少しムッとした。

 気安く触らせんなよ。


 まだ練習は始まってない様子だったから、俺はスタジオのドアを開けて中に入ると。


「知花。」


 入り口に背中を向けている状態の知花に声をかけた。


「………はい。」


 緊張した声で、ゆっくり振り返る知花。

 メンバー達は…キョトンとして、俺と知花を見比べるようにして見ている。


「言ったか?」


「……」


 俺の問いかけに、知花は少しうつむき加減に首を横に振った。


 …ったく。

 おまえのバンド、四人も男がいるんだぜ?

 さっさと言って、間違いが始まらないようにしろよな。

 そんな事を思いながら。


「知花が学生だし、いろいろあって公表できなかったんだけど、俺と知花、結婚してっから。」


 ドアにもたれかかったまま、誰にともなくそう言う。


「ただ今後のこともあるし、しばらく秘密にしたいから。ま、そういうことで。」


 後はおまえが言え。

 そう言わんばかりに、俺はスタジオを出た。


 知花がバイトを始めた頃、ギターを持った髪の長い奴が知花と事務所の前に居るのを見て、空気感が同じに思えた。

 ああ、あいつはバンドメンバーか。なんて、何の危機感もなく、そう思えた。


 この間スタジオで初めて見た、ナオトさんの息子は…腕はいいが見た目はガキっぽくて、知花が『親友』と言ったとしても許せる気がする…って、…そんな事、知花は言ってはいないが。


 さっき知花の頭を触ってたギタリストは、誰が見ても男前と認めるような整った顔立ちで…

 整った顔立ちだが…なぜか危機感は感じなかった。

 …ま、気安く触んなとは思ったが。


 だが…

 朝霧さんの息子…恐ろしく正確なリズムキープの出来る、あの男は…独特な雰囲気があると思った。

 そして、それを少し嫌だと思った。


 ……まあ、結婚してる事を公表したし、間違いはないか。

 あっちゃ困る。



「おー、神。遅かったじゃん。」


 プライベートルームに入ると、アズがギターを弾きながら振り返った。

 タモツもマサシも来ている。

 今日は…思い切って朝霧さんに俺達がどう在りたいか話すつもりだ。

 …その前に…



「あのさ。」


 俺が三人を前に座ると。


「何?」


 アズはギターを弾く手を止めて、笑顔で俺の顔を覗き込んだ。

 タモツとマサシも、それぞれ用意していた練習音源の編集作業を中断して、俺を見た。


「…俺、結婚した。」


「……」


「……」


「……いつ?」


 アズが変な顔をした。


「…去年のクリスマスイヴ。」


「……」


「……」


「……」


「さっき、高原さんと朝霧さんにも報告した。だけど、相手がまだ学生だから、公けにはしない。おまえらもオフレコで頼む。」


 三人は無言のまま、パチパチパチパチと何度も瞬きを繰り返して。


「…今…神、去年結婚した…って言った?」


 マサシが、タモツに聞いた。


「…俺には…そう聞こえた…しかも、相手が…学生…学生って…大学生か?」


 タモツは眉間にしわを寄せている。


「……………高校生。」


 俺がそう答えると。


「ロリコーン!!」


 アズがギターを置いて立ち上がって、俺を指差しながら言った。


「間違いねー!!高校生と結婚なんて、神、ロリコンだー!!」


 アズに続いて、タモツまで…


「なっ…誰がロリコンだ!!4つしか違わねーんだぞ!?」


 俺も立ち上がってそう言うと。


「4つ!?て事は……17歳!?17歳を嫁にって!!やっぱロ…ふがっ…」


 同じ事を言いそうになったマサシの口を塞いで。


「ロリコンじゃねーっつーの!!」


 マサシとアズ、そしてタモツの頭を順に殴った。


「あたっ!!」


「いてっ!!」


「うあっ!!」


 俺に殴られて、頭を抱えてうずくまる三人。

 だけど…その中からアズがゆっくりと立ち上がって。


「…そっか…可愛い可愛い知花ちゃんと…ゴールインしてたんだね…」


 俺の肩に手を掛けて、耳元でささやいた。


「……」


 無言でアズを見る。

 タモツとマサシは大げさに頭を撫でながら、編集作業に戻って。

 それを見たアズは。


「なんで知ってるかって?」


 いつもよりもずっと、飄々とした顔で。


「すっげー好みの女と出会ったーって、前に飲みに行った時に言ってたよ。」


 ニンマリと笑って言った。


「……覚えてない。」


「そりゃそーだよ。神、酔っ払うとベラベラ喋っちゃうクセに、いつもぜーんぜん覚えてないもんね。」


「……」


「知花ちゃんの実家に挨拶に行ったーって、酔っ払って俺んち来た時、言ってたよ。あれから飲みの誘いも受けてくれなかったから、どうなったのかなーって思ってたんだよね。」


 アズは『何でも知ってる』と言わんばかりの笑顔で…そう言った。



 もうおまえとは飲まねー‼︎




「あの…っ。」


 帰ろうとしてロビーを歩いてると、アズのお気に入りが走って来た。


 …何つー名前だっけな。

 高原さんの姪っ子。


 立ち止まってそんな事を考えてると。


「ちょっと…いいですか。」


 …少し、鬼気迫った声で言われた。


「何だ。」


 ポケットに手を入れたまま、目を見ると。


「…知花の事…どう思ってるんですか?」


 姪っ子も…俺の目をじっと見て言った。


「…どうとは?」


「……」


 もしかして、こいつ…知花から何か聞いてたのか?

 結婚した事か…

 それとも結婚した事か…



 俺が無言のまま視線を外さずにいると。


「…あたし…知花から、結婚してる事は…聞いてました。」


 予想してた片方の言葉が出て来た。


「へー。で?」


「…で…って…その、結婚…したのって……偽装…だったんでしょ?」


 …なるほど。

 そっちで話してたか。


「だったら?」


「だっ…だったらって!!」


 姪っ子の大声が響いて、周りの連中が注目した。

 俺は小さく溜息をついて。


「要点をまとめて喋れ。」


 低い声で言った。


「……知花の事、泣かせたりしないで。」


「……」


「神さん…瞳さんと付き合ってるんでしょ?」


「別れたよ。」


 いや、付き合ってないが。

 こいつは瞳の従姉妹でもある。

 …嘘は、つき通した方がいいだろうな…


「え…そ…そうなの…?」


 姪っ子は目を丸くして俺を見る。


「もういーか。」


「あ…でも、さっきのは答えて…下さい。」


「何。」


「…知花の事、どう思ってるか。」


「……」


 俺は、姪っ子から視線を外さなかった。

 だいたいの奴が…俺がそうすると、視線を外す。

 だが…外れない視線。

 こいつ…知花の事、本気で心配してんだな。


 だが…

 知花の事を、どう思ってるか?

 それを一言で…とは言われてないが、要点を絞って喋れと言った手前、簡潔に言いたい。



「…俺にとって、一番大事な女。」


 真顔で答えた。


 ありきたりな言葉にしかならなかったが…本気でそう思う。

 時々とぼけた事を言うあいつに、眉間にしわが寄ったあと…我慢できなくて笑う事がある。

 そんな時の、あいつの戸惑った顔…

 それを思い出すだけで、煮詰まっている時の俺が優しい気分になれるなんて…

 自分でも奇跡としか言いようがない。


「………」


 姪っ子は、少し涙ぐんで…唇を食いしばった。

 そして…


「…ありがとうございました。」


 深々と俺に頭を下げて。


「スッキリ。うん…本当…スッキリしました。ありがとうございました。」


 そう言って、ツカツカと歩いて事務所を出て行った。


「…何がありがとうだ?」


 俺は小さくつぶやきながら。

 高原さんに、瞳の事をどう話すかを考えていた。



 〇高原夏希


 千里が引っ越したのは…何となく耳にしていた。

 ナオトとマノンが話してたからだ。


『あいつ、マンション買ったらしいぜ』


『へー。結婚の準備でもする気なやいんか?』


 漠然と…

 瞳との結婚を視野に、そうしてくれているのかと…思わない事もなかった。



 別に何がどうと言うわけではないが。

 たまたま、その千里が買ったマンションのそばに用があって。

 俺は…その建物を見上げた。


 …俺には息子がいない分、千里に対する想いは大きかった。

 だが…


 見上げたついでに溜息をつくと…


「こちらの物件、まだ空きがございますが、ご覧になられますか?」


 いきなり、背後から声を掛けられた。

 振り返ると…スーツ姿の男。


「あっ…キャ…キャンユースピーク…」


 なるほど。

 後ろ姿だけじゃ、派手な日本人と思われたのかもしれない。


「大丈夫。日本語も喋れる。」


 日本語がメインだが、外人と思われたなら、そのままでいようと思った。


「に…日本語お上手ですね!!」


「…どうも。」


「こちらのマンション、大変人気でございます。」


「…若い夫婦が多いのか?」


「そうですね~…ご家族で入られる方もいらっしゃいますが、新婚さんが多いです。」


「一人暮らしは?」


「あ…こちら、一人暮らしはダメなんです。」


「…ダメ?なんで。」


「オーナーの意向で、既婚者しか入れないんですよ。」


「…兄弟とか…」


「既婚者というのが前提です。」


「……」


 なぜか…引っ掛かった。

 既婚者しか入れないマンション。


「…じゃあ、ここに住みたいからって偽装結婚する奴もいるかもな。」


 冗談を言いながら笑うと。


「ここを手に入れるために偽装結婚ですか?」


 男は、目を丸くして。


「でも…そこまでしても買いたい部屋ではあります。」


 自信満々に答えた。


「……実際、そういう夫婦がいると思うか?」


「あっ、いえいえ!!例えですよ~!!そこまでの価値があると言う事です!!」


「…この前、ここから出てくるひどく若いカップルを見たが…あれも夫婦か?」


 腕組みをしながら言うと。


「……雑誌記者の方ですか?」


 若い男は眉間にしわを寄せた。


「違うよ。単なる金持ちだ。」


 俺はポケットから財布を出すと。


「…ここに、神 千里っていう奴が住んでるだろ?」


 一万円札を…数枚、パラパラと数えて目の前に出した。


「……」


「俺と君、二人だけの秘密にしていい。正直な所…君はどう思う?あいつは…ここを契約した時、すでに結婚していたか?」


 ゴクリ。

 生唾を飲み込む音が聞こえた。


「大丈夫。外部には漏らさない。」


 男は俺の手から金を受け取ると、急いでそれをポケットにしまった。


「…あの二人は…同じ日に、たまたま…ここに来て。」


「……」


「奥様の方は…あの…ただ単に…時間潰しのような感じで…入られまして…」


「それが、いつの話だ?」


「昨年の四月です。」


「……」


「それが、引き渡しの時には、お二人並んで…正直…ここに入りたいから、結婚したんじゃないか…って噂が、社内でもありましたが…既婚者には違いありませんでしたし…」


「……」


「あっ!!でっでも、あのっ…ここで出会われて、恋に落ちた…と、そういう見方もあります…」


「…きっとそうだな。」


「そうですよ!!」



 …なるほどな。

 千里…知花…

 お前たちは、契約で結婚したわけだな。

 どんな理由があったかは知らないが…

 お互い、ここに住みたかった。


 そんな結婚で…

 瞳を苦しめるなんて…


 許さない。

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