第34話 「お待ちしておりました~!!」

 〇神 千里


「お待ちしておりました~!!」



 思いがけずスタジオに入ってしまって。

 高原さんに瞳の事を話したかったが…最上階に行くと、高原さんはすでに出かけていた。

 …しまったな…



 約束通りじーさんの家に行くと、やたらとテンションの高い篠田に出迎えられた。


「…元気そうだな。」


「坊ちゃんこそ!!あっ、先日は美味しい物をありがとうございました。」


 そう言って、篠田が俺に深々と頭を下げる。


「…先日?」


 俺が知花を振り返ると。


「おじい様、お誕生日だったでしょ?桃がお好きだと聞いてたから、贈っておくねって言ったけど…」


「……」


 お…覚えてねーな…

 覚えてねーけど…

 …できた嫁だ。


 …嫁…



「…何?」


「いや…何でもない。」


 内心、一人で照れてるなんてバレたくない。

 俺は平静を装って、屋敷に入った。



「結婚してることを、公表しなさい。」


 晩飯が始まってすぐ、じーさんがそう言った。


「…公表って、知花は学生だぜ?」


「わかっておる。」


「じゃあ、そんな事言われてもな。」


「最近、偽装結婚というのが流行っておると聞いてな。」


「ぶっ。」


 つい、ワインを噴き出した。


「…なんだよ…俺は職業柄、知花は学生。それでしばらく公表は控えるっつったんだぜ?」


「学校には言わんでもよろしいが…千里、事務所の上司にぐらいは報告するべきじゃないか?」


「……」


 隣にいる知花を見ると、少し…おどおどした顔でうつむいてる。



「…わかったよ。」


 観念してそう答えると隣で知花が顔を上げた。



 それからもじーさんは…俺と知花に関しての色々を質問して来た。

 …疑ってるのか?

 何で急に?

 だいたい、偽装結婚なのは…誰にも打ち明けてないのに。

 …てか、もう偽装じゃねーけど。


 曾孫を楽しみにしてるだの、親戚への顔見せの食事会だの…

 じーさんが、次から次へと偽装を払拭させるかの如く提案する事案に。

 知花は苦笑いを堪えたような顔。



「…知花、ついてるぜ。」


 いつもきれいに物を食う知花だが…

 じーさんの疑いの眼差しにビビりまくってるせいか、口の端にデザートのケーキの生クリームがついている。


「え?何?」


「生クリーム。」


 俺はそう言うと同時に…


 ペロリ


 知花の唇を舐めた。


「!!!!!!!!」


 知花は肩を強張らせて、飛び出しそうな目をした。


 ふっ。

 何だよ。

 俺ら、もっとすげー事してるだろ?


「これだけの量でも、あめぇな。」


 俺が舌先を味わいながら言うと。


「もうっ!!バカっ!!こんな所で…!!」


 じーさんの前だと言うのに、知花が俺の背中をバーンと叩いた。


「いってぇな。」


「だっだだって!!」


「なんだ。物足りなかったか?」


「ちがーう!!」


 そんな俺達のやりとりを…じーさんは、目を細めて笑いながら眺めて。

 篠田は…

 なぜか、涙ぐんで見ていた。


 * * *


 翌日、事務所で知花と落ち合って、最上階の会長室へ行く事にした。

 知花は朝から浮かない顔だったが、別に本当の事を言うだけだから。と俺は能天気に答えた。


 …が。

 その前に、話しておきたい事が…と思って、瞳を探した。



「瞳。」


 三階にあるジムで瞳を見付けて声をかけると。


「ああ…千里。あたしも話があったの。」


 瞳はタオルを手に俺に近付いて。


「…あの事、絶対父さんに言わないで。」


 声を潜めて言った。


「何言ってる。あの人は父親だぞ?」


「父親って言っても…一緒に暮らした事もないのよ?関係ないも同然よ。」


「……」


 そう言われると…

 俺も両親とは縁が薄いと思っているだけに、何も言えなかった。



「…ジェフが…ママの結婚相手が…来てるの。」


「え?」


 瞳は足元に視線を落として。


「あたしの事…ここのアメリカ事務所じゃなくて、ジェフの事務所からデビューさせたいって…父さんに話しに来てるの。」


 低い声で言った。


「…どうして、されるがままに?」


 腑に落ちないと思って問いかけると。


「…ジェフは…あっちの事務所が大好きだったみたいで…」


 瞳はタオルを口元に置いたまま、話し始めた。


「それを…父さんに奪われたって思ってるの…」


「経営不振に陥ってたのは、高原さんのせいじゃないだろ?それに、ビートランドのおかげで持ち直したのも確かだぜ?」


「そうだけど…ジェフは、ただ単に…それが父さんの会社だって言うのが気に入らないのよ。」


「…それでなんでおまえとおふろくさんが、こんな酷い目に遭わなきゃなんねーんだよ。」


 俺が瞳の手首を持って言うと。


「…ママは…まだ父さんの事、好きなの…」


 瞳は消え入りそうなほど、小さな声で言った。


「ずっと…ジェフも、知ってて知らん顔してたんだと思う。だけど…ある日、ママが父さんと楽しそうに電話で話してた…って…すごい剣幕でキレて…」


「……」


「あたし達の前で…自分のこめかみに…銃を突きつけたの…」


 それは…

 想像しただけでも苦しくなるような話だった。


「やめてって…二人で止めたら…殴られた。」


 瞳は涙を我慢して続けた。


「あれから…ジェフは、ビートランドに関係する話題を耳にするたびに…あたしと母さんに…」


「もういい。」


 瞳の腕を引いて、肩を抱き寄せる。


 …人に見られたら誤解されるかもしれない。

 だが、何も力になってやれない俺は…

 それぐらいしか…

 思いつかなかった。




「…大丈夫?」


 二階のエレベーターの前で、知花が俺の顔を覗き込んだ。


「…何が。」


「…あまり気乗りしない顔してる…気がする。」


「……」


 俺は…無言で知花を見下ろす。


 気乗りしてない顔…

 知花を目の前にして、俺は瞳の事を考えていた。

 このまま、高原さんに言わないでいるのがいいとは思えない。


 だが…

 その『ジェフ』が来ているとなると…事を荒立てる原因にもなる。


 …だが、どうしたら?



「…今日は、やめておく?」


 俺がじっと見ていたからか、知花は俺から目を逸らして、小さな声で言った。


 …それとこれは、別問題だ。

 俺は小さく笑って髪の毛をかきあげると。


「先延ばしにしたら、じーさんがうるさいから。さっさと高原さんに言って、おまえもメンバーに言えよ。」


 知花の頭をポンポンとしながら言った。


「…ん…」


 知花は顔を上げなかったが、目の前で開いたエレベーターに二人で乗り込んで。


「何てことない。」


 そう言って、最上階に向かった。



 知花は緊張しているのか…唇を噛みしめたり、やたら大きな深呼吸をしたり。

 それが…少し俺を和ませた。



「神です。」


 最上階について、会長室のドアをノックすると。


「おー、話がしたい思うてたんや。」


 朝霧さんが、ドアを開けた。

 …ほんとにこの人達…仲がいいよな。


「……」


 知花が俺を見上げる。

 朝霧さんがいるけど、いいの?ってか?

 いいさ。



「高原さん、朝霧さん。」


 俺が会長室に入って、二人を前にそう言うと。


「ん?あ…知花も一緒か。なんだ?」


 高原さんは、俺の後に知花を見付けて、少し嬉しそうな顔をした。

 …金の卵だからな…。


「実は…」


 俺と知花は、ソファーの後に並んで立ったまま。


「俺と、こいつ…桐生院知花は、結婚してます。」


 ハッキリ、そう言った。



「報告が遅れまして。」


 俺がそう言うと。


「……」


「……」


 しばらく、沈黙が流れた後…


「い…やー、驚いたな。」


 朝霧さんが苦笑いした。


「でも知花が学生なんで。」


「ああ、ああ、俺らとメンバーだけの秘密にしろよ。活動しにくいだろ?」


 高原さんは…想像以上に。


「で、いつ、どうしてこうなったわけだ?」


 不機嫌になった。


「ナッキー、そないぶっきらぼうに聞いたら千里も答えにくいやん。なあ?」


 朝霧さんはそう言ってくれたが…高原さんの態度は当然だ。

 俺は高原さんの前に座ると。


「去年知り合って、結婚したいと感じて、知花の誕生日がきてすぐ入籍しました。」


 言い切った。


「…知花の前で言いたかないが…おまえ、瞳とつきあってなかったか?」


「………つきあってました。」


 つきあってないし、その事について説明したい所だが。

 …今の瞳の状況を思うと、俺がどう思われようが関係ないと思った。


「瞳は知ってんのか?」


「……」


 知ってる。

 知ってるが…

 俺がそれについて答えずにいると、高原さんは大きなため息をついて立ち上がって。


「おまえらのこと、とやかく言うつもりはないが…千里、瞳とのことはきちんとしてくれ。」


 そう言った。


 …あんたこそ…気付けよ。

 あんたの娘は…

 のど元まで出かかった言葉を、何とか飲み込んで。


「…行くぞ。」


 立ち上がって知花の腕を取った。


「でも…」


「いいから。」


 会長室を出ようとした所で、高原さんの低い声。


「千里。」


「…何ですか。」


 高原さんは、ズカズカと俺達の前まで来て。


「たいていのことには目をつむる。でも、瞳を不幸にする奴だけは許さない。」


 そう言った。


「……」


 俺は…無言で高原さんを見て。


「…先に下りてメンバーに言っとけ。」


 知花の背中を押した。



 〇高原夏希


 知花が部屋を出て行って。

 ここには…不機嫌そうな顔をした千里と、困った顔のマノンと…

 最悪に気分の悪い俺の三人がいる。



 千里が…知花と結婚をしている。

 何もなければ、祝福したかもしれない。

 何もなければ、な。


 だが、千里は瞳と付き合っていた。

 いや…瞳はまだ付き合っていると思っているかもしれない。

 千里の事を信じていただけに…何とも言えない感情が…



「瞳は、俺にとってライバルです。」


 千里が、俺の目を見て言った。


「……女として見てないって事か?」


「はい。」


 その即答に、俺は殴りかかりそうになった。


「おっおいおいナッキー…」


 マノンに腕を取られて、かろうじて…怒りを抑える。


「あなたも、そんな感情を抱いた事はありませんか。」


「あ?」


「藤堂周子さんに。」


 千里が真顔でそう言って…

 俺は…


「……」


 周子を…ライバルと思った事は…ない。


 だが…

 同志だ…とは…思っていた。

 その時、俺は…周子を女として…見ていたか?



「…瞳の歌は…俺を刺激します。」


「……」


「だけど、癒してはくれない。」


「……」


 俺は深く溜息をついて。


「…知花の歌に癒されたのか?あのシャウトにか?」


 ソファーに深く座って、投げやりに言った。


「…あいつがバンドしてるなんて、ついこの間まで知りませんでしたよ。」


 千里は苦笑いしながら。


「一目惚れして口説いて結婚して…色んな面を知りました。その中で、あいつの前だと…息をしてる…自分でも知らない自分に気が付いたんです。」


 伏し目がちに言った。


 …千里がこんな顔をするのは…初めて見た。

 だが…


「…瞳と付き合っていながら、他の女に一目惚れとはね…」


 俺の怒りはおさまらない。


「高原さんだって、周子さんと別れてすぐ違う女性と暮らしたって言ってたじゃないですか。それと変わりません。」


「バカ言うな。俺とおまえは違う。」


「ええ。一緒にされちゃ困ります。」


「…おまえ…」


 俺が立ち上がろうとすると、千里は俺のそばまで来て、俺を見下ろして。


「周りで何が起きてるか、もっと気付いて下さい。」


 意味深な事を言った。


「…どういう意味だ。」


「もっと瞳を…瞳自身を見てやって下さい。」


「……」


 頭に来た。

 頭に来たが…もう何も言い返さなかった。


 千里はそのまま部屋を出て行って、ずっと無言で俺と千里のやり取りを見ていたマノンが。


「…ナッキー、父親なんやなあ…」


 首をすくめて言った。


「…誰だって、娘は可愛い。」


「ま、そらそやけど…」


「何だよ。」


「千里が言うた、もっと瞳ちゃん自身を見てやれ…言うの、なんか分かるで。」


 無言でマノンを見ると、マノンは前髪をかきあげて。


「瞳ちゃん、日本でデビューしたい言うてたやん。あっちのが合う、てあっち行かせたり…ジェフの言いなりんなってバラードばっか歌わせたり…」


 そう言ったと思うと。


「…なんか、俺も今反省した。」


 急に、下を向いて笑って。


「TOYS…あいつら自身を見てやらな…あいつらの事、潰してまうな…」


 俺の前に座って。


「…ナッキー、俺ら…もうちと初心に戻ろ。」


 切なそうな目で…言った。

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