第33話 「マノン。」

 〇高原夏希


「マノン。」


 エレベーターに乗って八階のボタンを押す。


「あ?」


「光史達の音源、聴いた事あるか?」


「いや、聴かしてくれ言うても、言うてばっかで。」


「そうか…」


「なん?」


「…もし、ボーカルが物足りなかったら…」


「…千里を入れたい?」


「そう思うのは、酷い事か?」


「……」


 千里は…メンバーとの温度差に悩んでいる。

 それは分かっている。

 そして、それを埋めたいと思っているのも。


 だが、タモツとマサシは千里と圭司ほど…熱がない。

 …圭司は…熱はあっても、もう一つ…何かが足りない。


 千里には、こんな所で埋もれて欲しくない。

 何としても…



「…ビジネスとして考えたら、ナッキーが思う事は当然やねん。」


 マノンが、ポケットに手を入れたまま言った。


「……」


「せやけど…ビジネス抜きで考えたら…」


 エレベーターが八階についた。


「音楽って、そういうのやないやん?って思う。」


 マノンの言葉は…当然過ぎた。


 分かってる。

 …いや、分かってないな…俺は。

 千里に肩入れし過ぎているのかもしれない。

 俺が成し得なかった所まで、千里に行って欲しいと思っているのかもしれない。


 …千里は…もっと…Deep Redより、もっと上に行ける奴だと。

 俺は信じてやまない。



 エレベーターを出ると、八階のフロアに千里と圭司がいた。

 確か…聖子達のバンドはFスタ。


「もうやってるのか。」


 Fスタの前に立つと、かすかに中から音が漏れてくる。


「ええなあ。ちゃっちゃとセッティングして始めるイキの良さ。」


 確かに、最近の俺達は、セッティングの途中で誰かが話し始めると、やたらと時間がかかり始めた。

 特に、ナオトの音色の語りが長くて…


「…終わったな。よし、入ろう。」


 俺がそう言ってスタジオのドアを開けると、メンバーが一斉にこっちを向いた。


「よっ。」


 俺とマノンはともかく…どうもメンバー達は千里と圭司の存在が気になっているらしい。

 …まあ、仕方ない。

 現役バンドマンの方が、こいつらには近い存在だ。



「さ、もうリハーサルはできてるんだろ?」


 俺がパイプ椅子を出しながら言うと。


「…最後までいるの?」


 聖子が眉間にしわを寄せながら言った。


「さあ…けど、こっちも慎重になってるからな。」


 そう。

 このボーカル…桐生院知花が、このバンドに相応しいがどうか。

 このバンドが、千里に合うサウンドを展開出来るかどうか。


「じゃ、適当に何かしてくれ。」


 前もって聖子に提出させていたバンドのプロフィールや歌詞をパラパラとめくる。

 光史がカウントをとって…あいつが晋の息子か。

 …なるほど。

 いい音を出す。


 ギターのイントロの後…

 いきなり、ボーカルの桐生院知花が予想外のキーでシャウトした。


「……」


 つい…目を丸くしたかもしれない。


「すっげ。」


 圭司がそんな事を言いながら手を叩いている姿が視界に入る。


 …これは…


「……」


 隣にいるマノンの目も、久しぶりに見るような物だった。


 ギター二人、ベース、ドラム、キーボード…

 文句なしだ。

 文句なしだが…

 ボーカルが…



「ストーップ。」


 ギターソロが終わったところで、俺は立ち上がった。

 みんな、不安そうな顔で俺を見る。


「歌詞は誰が書いてんだ?」


「あたしと知花が。」


 聖子と知花…か。


「知花、ラブソングを書け。」


「…え?」


「聖子、おまえもだ。」


「ラブソング~?」


「ラブソング、一曲もないじゃないか。せっかくの知花のいい声がもったいない。」


「でも、ハードなのもいけるでしょ?」


「…課題は多いけどな。」


 ファイルを手に、俺はスタジオの入り口に立つと。


「次はホールで聴かせてくれ。じゃ、そういうことで。」


 手を上げた。


「えっ、もう終わりなの?」


「ああ、もうわかったから。」


 十分…分かった。



 エレベーターの前で溜息をつくと、少し遅れてスタジオから出て来たマノンが。


「…とんだダークホースやな。」


 首を回しながら言った。


「…ああ。」


「あれはー…もっと化けるで。」


「そうだな。」


 桐生院知花。

 生まれて初めて…出会った。


 俺に…



 嫉妬心を抱かせたボーカリスト。



 〇神 千里


「期待してる証拠やって。ナッキーが注文つける時は、絶対そうなんやから。」


 朝霧さんがそう言ってなぐさめてるのは…SHE'S-HE'Sのメンバー。


 俺とアズは、高原さんと朝霧さんと一緒にFスタに見学に来た…ものの。

 高原さんは、一曲…しかもギターソロが終わったところで『もういい』と言った。


 …だがあれは…

 もう、十分実力が分かったからだろう。


 …俺は、複雑な気持ちでそれを見ていた。



「そうそう。俺らん時もあったよな、神。」


 アズがそう言って俺を見たが。


「そうだっけ。」


 俺は気もそぞろに答えた。


「それよりさ、すごいねー。ベース歴何年?」


 アズがベースの女に話しかけてる。

 …アズの好みだな。

 そんな事を思いながら、俺は知花の歌を思い出していた。


 …インパクトのあるシャウト。

 あのキーを簡単に出したって事は…音域はかなり広い。

 喋る声や悲鳴からして4オクターブは出ると予想してたが、もっと出る気がする。


 そして…

 バンド自体も…すごいぜ…

 このテクニック…

 俺達TOYSなんか、足元にも及ばない。



「は…」


 溜息をつきながら、スタジオの隅にしゃがみ込んでいる知花の背中に。


「おい。」


 軽く、膝を入れた。


「今夜じいさんから飯に誘われてっから、七時までに帰れよ。」


「…ん。」


「んだよ、しけた顔してんな。」


「…別に。」


「詞のことか?」


「んー…」


「簡単じゃねえか。俺への気持ちを書けばいいんだから。」


 俺がニヤニヤしながらそう言うと。


「いやらしいとか、気が短いとか、意地悪とか…そんなのしか浮かんでこないなあ…」


 知花は真顔で言いやがった。


「おま…いい加減にしろよ。」


「いたっ。」


 頬をつねる。


「ひどーい…」


「当然の報いだ。」


 俺と知花がスタジオの隅でそんな事をしてると。


「何、仲いいじゃん。」


 アズが抱きついて来た。


「…暑い。離れろ。」


「神、最近つれないな。」


「誤解されるようなこと、言うな。」



 いつまでも邪魔するわけにもいかない。

 俺はアズの腕を離して。


「さ、もういいだろ?」


 スタジオを出ようとすると。


「えー…もう少し聴かせてもらおうよ。」


 アズが唇を尖らせて言った。

 …おまえ、さっきの見てへこまなかったのか?


「…じゃまだろ?」


 俺がアズに言い聞かせるように言うと。


「いえ、お時間さえよければ、見てってください。」


 髪の毛の短い方のギターがそう言って。

 それを聞いたアズは、嬉しそうに。


「だって。」


 と言った…が。



「……」


 一時間後。

 プライベートルームに帰るアズは、無言だった。

 そして…


「…高原さん…あの子達の事、言わなかったけど、高評価したよね…」


 そう言ったかと思うと…


「よし!!俺達も負けずに頑張ろうよ神!!」


 いきなり大声でそう言って。


「…何があった?」


 ルームから、タツモとマサシが顔を覗かせた。


「ああ…」


「あっ、ごめん。待った?さ、神、入ろうよ。」


 アズに腕を引かれてルームに入る。

 そこにはなぜか、向かい合って座るようにセッティングされた椅子。


「……」


「……」


「……」


「……」


 それに座ったものの。

 数分に渡って無言。

 俺はただ…言葉がまとまらなくて黙っていたが。

 それを、怒ってると勘違いするのが…タモツとマサシだ。

 二人はビクビクした様子で、俺の様子をうかがっている。



「…あのさ。」


 俺が低い声で言うと、なぜかアズまで…三人が肩を揺らした。


「あ…わりい…何…」


 マサシが遠慮がちに、俺の顔を覗き込む。


「…俺は…確かに、おまえらから見たら、何でも出来るやな奴だよ。」


「……」


「だけど、俺は自分で出来てるなんて思っちゃいない。」


「…それだけ、俺達とは目指す所が違うって事だよ。俺は、神みたいに高い所へは行けない。」


 タモツが吐き捨てるようにそう言うと、アズが眉毛を下げながら、タモツの肩に手を掛けた。


「じゃあ…」


「……」


 俺は…うつむいて、少し考えて。

 考えて…考えて…


「…じゃあ…何だよ…」


 痺れを切らしたタモツが苛立った声で言った。


「じゃあ、解散か?」


「……解散したいのか?」


 顔を上げてタモツを見る。


「…そりゃ…仕方ねーなとは…思うよ…」


「待ってよタモツ。神は解散なんて言ってないじゃん。」


「アズはそっち側だから、そんな事言えるんだよ。」


「そっち側って……」


「……」


 タモツとアズのやり取りを聞いてると…何か分からないが…おかしくなってきた。


「ふっ…」


 俺が小さく笑うと…


「なっ…何がおかしいんだよ!!」


 タモツが立ち上がって怒鳴った。


「あー…ああ、わりい。」


 俺は顔を上げて天井を見て。


「…俺ら、中1の時だったよな。バンド組んだの。」


 あの日を…思い出しながら言った。


『ねー、神。一緒にバンドやろうよー。』


 アズの、あの一言で。

 俺のバンド人生が始まった。


 ライヴをしたくても、金がかかるだの人前に出るのは早いだの…ケチで気の小さいこいつらと…

 それでも、俺らは楽しくやっていた。



「…マサシ…おまえ、キーボードに戻れよ。」


 今更のようにそう言うと。


「え…えっ?」


 マサシは不意を突かれたような声を出した。


「ベーシストはサポートメンバー探そうぜ。」


「…なんで…?」


 マサシは困ったような顔で俺を見る。


「…俺は、おまえらとやって行きたいんだよ。」


「……」


「俺が先に行きすぎるって言うなら、俺は…ここに止まって待っててやるから。」


「……」


「早く追い付けよ。」


 俺のその言葉に…


「神!!」


 抱きついて来たのは…アズだった。


「うおっ…おま…おまえは…!!あぶねーだろうが!!」


 危うく椅子ごと引っ繰り返る所だった。


「俺、頑張る!!追い付く!!」


「……」


 アズは…泣いていた。

 そんな奴を無理矢理引き剥がす気になれなくて、そのままにしてると。


「…待っててやるって、どこまで上からな奴なんだよ…」


 タモツが溜息をつきながら言った。


「…俺だって…」


 タモツはそれだけ言うと、言葉に詰まった。


「…タモツ。俺、おまえのクセのある叩き方、嫌いじゃない。」


「……」


「朝霧さんが何て言おうと…おまえはおまえの叩き方でいい。俺が、それに合うような曲を作るから。」


「神…」


「俺ら…もっとクセのあるバンドだったよな。綺麗にこじんまりするの、やめよーぜ。」


 俺がそう言うと、タモツは…


「今から個人練してくる!!」


 そう言ってスティックを持ったが…


「ばーか。全員揃ってんのに、なんで個人練だよ。」


 俺の言葉に立ち止まって。


「あの頃やってた、懐かしい曲。全部やろーぜ。」


 俺がそう言って笑うと。


「あはは…思い出せるか…な…」


 マサシは泣き笑いして。


「神、俺弾けるから見てて。」


 アズは…いつも通り鬱陶しい。



 …SHE'S-HE'Sを聴いて…目が覚めた。

 テクニックも必要だが、一番大事なのは…自分が楽しいかどうかだ。


 あいつら、キラキラしてた。

 今の…俺達にない物だ。



「でもさ…もし高原さんにクビって言われたら…?」


 スタジオに向かいながら、マサシが言った。


「その時は、またナッツで練習すればいーのさ。」


「そう言えば、デニーさん結婚したの知ってる?」


「えっ!?マジで!?」



 まだ…歌っていられる。

 そう、思えた。


 …サンキュ。



 SHE'S-HE'S

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