第32話 「おまえさ、なんでシンガーになりたいんだ?」

 〇神 千里


「おまえさ、なんでシンガーになりたいんだ?」


 久しぶりの三日月湖。

 見付けたボートに勝手に乗って、月を見ていた知花に問いかける。


「俺は、不純な動機だった。」


「不純?」


「兄貴たちは、それぞれ自分の頭の良さや器用さを生かしてる。それなら、俺も音楽で有名になってやる。みたいな感じだったんだ。」


「別に、不純じゃないじゃない。」


「そっか?純粋に歌が好きで好きでたまんねぇってのとは違うんだぜ?」


「でも、今は好きでしょ?」


「…さあ…わかんね。でも、歌うことを辞めちゃいけないとは思ってる。」


 辞めちゃいけないとは思ってるが…続けていけるのか?って不安は…ある。

 情けねーな…。



「あたしは…物心ついた時には、なんとなくだけど…シンガーにならなきゃって感じがあって…」


 知花が、小さな声で話し始めた。


「でも、本当は…」


「……」


「本当の両親を探そうと思って。」


「おま…」


 オールを持ってた手が、少しだけ…大きくずれた。


 知花は今…『本当の両親を探す』って言ったか?

 親父さんは…知花は何も知らないって言ってたのに…


「だけど、だけどね。今は違うの。歌うことが楽しくて…親を探そうなんて二の次になってる。」


「…おまえ、どこまで知ってんだ?」


「…全部知ってるよ。」


「全部って。」


「…父さんも知らないようなこと…」


「……」


「父さんは、あたしの母親はハーフだって言ってたけど…知ってるの。日本人だって。」


 誰から…聞いたんだ?と聞こうとして、やめた。

 自分の生い立ちを知りたいと思うのは、不自然な事じゃない。


「それと…シンガーだったってことも。」


 それは初耳だ。

 それで…か?

 知花の心地いい声は…遺伝か?



「どうして知ってるんだ?」


「千里はどこまで父さんから聞いた?」


「おまえ、かまかけてんのかよ。」


「違うよ。あたし…信じられないかもしれないけど…覚えてるの。」


「……」


「母親の、お腹の中にいた時のこと…」



 にわかには信じ難い話だった。

 知花は、母親の腹の中にいた時、母親が歌ってくれていた歌を覚えていると言った。

 最初は夢だと思っていたそれを…色んな角度で話を聞いている内に、真実だと気付いたと言う。


 …そういう記憶は生まれてくる時に無くなると言うが…

 知花が嘘をついてるとは思えなかった。



「知花。」


「え?」


 知花の顎を持ち上げて、キスをした。

 水の音がかすかに聞こえて、少し…いい気分になった。


 誰もが色んな事を抱えていて…だが、それをどうにかできるのは自分だけだ。

 分かってはいるが…

 知花の雲を掴むような話を、全力で応援してやりたいと思えた。

 …歌ってる女は苦手だと思ってた。

 それでも、知花の声を…知花の歌う声を聴いてみたいとも思った。



「…何だよ、その顔は。」


 口唇が離れて知花の顔を見ると、知花は丸い目で俺を見てる。


「…優しいキスもできるんだなと思って…」


「失礼な奴だな。」


「だって…」


 少し赤くなった知花を、愛しいと思った。

 俺にこんな感情があるとは…



「…聞いてもいい?」


 ボートを動かし始めると、知花が遠慮がちに言った。


「何。」


「瞳さんて、高原さんの娘さんなんだってね。」


「ああ。」


「…どうなったの?」


「何だよ、気になんのかよ。」


 ふっ。

 こいつ、もっと彼女の事考えてやれとか言ってなかったか?


「…気になる。」


 鼻で笑いそうになったのに…知花があまりにも真顔でそう言ったもんだから…


「…心配すんな。別れたから。」


 俺も、真顔で答えた。



 三日月の夜、三日月湖でボートに乗って。

 俺と知花は…少し距離が縮まったように思えた。


 俺達は…入り方は間違ってたが…夫婦だ。

 知花を守ってやりたい。

 そう思えるようになった自分が…少し成長したように思えた。



 …タモツ達と、話をしよう。



 * * *


「ふぁ~…」


 あくびをしながらリビングに行くと、知花は朝飯の支度をしてた。


「…早いな。」


「あ…おはよ。」


 三日月湖から帰ったのは、確か四時半ぐらいだった。


 帰りの車でTOYSの練習音源を聴かせると、知花は無言になって聴き入って…

 それが少々…俺の気分を良くしたもんだから…

 帰ってもなかなか寝付けなかった。

 何なら知花の部屋に忍び込みたいぐらいだったが、まあ…おとなしく寝させてやろう。と、我慢した。



「何、今日休みじゃねーの。」


 休みの日は、もっとのんびり朝飯の支度をしてるのに…今日は平日と同じペース。


「千里こそ。」


「俺はメンバーと色々。」


 まだ確定はしてないが…連絡を取ろうと思った。

 アズは何も言わなくても来るだろうが…タモツとマサシには、ちゃんと俺から連絡を取って集まって話したい。



「今日、初めて事務所のスタジオに入るの。」


 テーブルに置いてある新聞を手にして、知花の言葉を頭の中で繰り返す。


 事務所のスタジオ…


 そんな事なら、もっと早く帰ったのに。

 そう思いながら。


「へー…何時から。」


 問いかけると。


「13時。」


 俺はチラリと掛け時計を見る。

 そんな時間からなら…もっと寝ててもいいものを。


「バイトもあんのか?」


「ううん。今日はスタジオだけ。」


「なら少し寝て行け。」


「え?」


 目の前に出されたコーヒーを手にして。


「寝不足じゃ、出るキーも出ないぜ。」


 そう言うと。


「…でも…何だか緊張しちゃって…」


 知花は、首をすくめた。


「緊張?なんで。」


「初めてのスタジオ入りの時、見に行くって言われたの。」


「誰に。」


「高原さんと朝霧さん。」


「……」


 ここで…気が付いた。

 もしかして、あのサラブレッド集団か?


「…知花。」


 俺は立ち上がると、キッチンにいる知花の腕を取る。


「えっ…な…何?」


 そのままソファーに連れて行って。


「横になれ。」


「…え?」


「いいから。」


「……」


 ソファーに横になった知花に。


「30分でいいから、寝ろ。」


 そう言って、クッションを頭元や腰回りに置いた。


「って…でも、朝ごはん…」


「いいから寝ろ。」


「……」


「母親探したいんだろ。高原さんと朝霧さんに聴かれるなら、それだけの物を聴かせろよ。」


「……ありがと。」


 知花は小さくそう言うと、クッションに顔を埋めて。


「じゃあ…少しだけ寝るね。おやすみなさい…」


 今まで…俺に見せた事のないような、柔らかい笑顔で言った。


 …ちくしょ…


 おまえ…

 可愛いじゃねーかよ…!!




 結局俺も知花の斜向かいで少し眠って、それから遅い朝飯を食った。

 知花は緊張していたのか、少し無口だった。

 まあ、俺も朝からベラベラ喋る気にはならないから助かった。


 それから、知花が出かけて。

 俺はタモツとマサシに電話をして、何とか事務所に来てくれと言った。

 二人とも快い返事ではなかったが…渋々OKしてくれた。


 出掛ける支度をしていると、篠田から電話があって。

 じーさんが、今夜知花と一緒に食事に来い、と。

 話がある、と。


 …そういえば、しばらく行ってないな。



 いつものように、自転車で事務所に行って、一人でプライベートルームで待ってると…アズが来た。


「おう。」


「タモツから電話あったよ。神に呼び出されたって。」


「ああ…」


「そんなの、いちいち俺に言わなくても来ればいーのにね。」


「…あいつらにとっちゃ、おまえが味方なんだよ。」


「でも、神は敵じゃないのにね。」


「……」


 アズの存在は…本当に大きい。

 TOYSは俺がリーダーのように思われているが…まとめているのは、アズだと思う。


「マサシが家の都合があるから、来るのは三時頃になるって言ってたよ。」


「は?」


 俺にはそんな事言わなかった。

 …まあ…来てくれるだけで良しとしよう…

 しかし…三時か…


「ちょっと降りてくる。」


 俺はアズにそう言い残して、プライベートルームを出た。



 ここでは、スタジオ使用一覧が一階のロビーと八階のフロアにしかない。

 インフォメーションに電話して聞く手もあるが、気分転換に歩きたかった。


 一階でスタジオ使用のボードを見てると…

 …バンド名を聞いてない事に気付いた。

 13時から…うーん…いっぱいいるな。

 だが…このバンドは知ってるし…

 ここは個人練だし…


 Fスタの『SHE'S-HE'S』ってバンド名…初めてだ。

 …適当なバンド名だな…

 ここか?


 それを確認してルームに戻ろうとすると。


「千里。」


 呼ばれて振り向くと、瞳がいた。


「ああ…こないだは悪かったな。連絡できなくて。」


「ううん。彼女といちゃいちゃしてたんでしょ。」


「正解。」


「うわ…腹立つ。」


「おまえが言ったんだろーが。」


 瞳は髪の毛を耳にかけながら。


「…何だろ。あまり悔しくなくなった。」


 小さく笑った。


「何が。」


「千里に彼女が出来た事。もっと悔しいかなって思ったけど…案外そうでもなかった。」


「…コメントに困る。」


「ふふっ。そうね。一緒に暮らしてるの?」


「……」


 何となく、瞳には言いたくなった。

 こいつは…俺の親友ってポジションに立ってもおかしくない。


「実は…結婚したんだ。」


「……」


「……」


「……えっ?」


 瞳の反応は、すごく鈍かった。

 鈍かったが…酷く驚いた顔をした。

 その顔は…

 今まで思った事はなかったが、高原さんに似て思えた。



「けっ…結婚!?」


 高原さんに似て思える驚いた顔の瞳は、目を丸くしたまま俺を見た。


「…ああ。」


「なっな…なんで!?いつ!?」


「去年のクリスマスイヴ。」


「……」


 瞳は口を開けて俺を見てたが。


「…おめでと。なんか…笑えるわ。」


 クスクスと笑いながら、そう言った。

 …笑ってくれると、少しホッとした。

 これで俺達は…『恋人同士』じゃなくなる。



「サンキュ。」


「…あたしね…」


 ふいに、瞳が何かを話そうとした瞬間…


「…瞳?」


 突然、瞳がしゃがみこんだ。


「おい。どうした。」


「…何でもない…ちょっと眩暈…」


「……」


 俺は瞳の腕を持って立たせると、エレベーターの脇に位置をずらした。


「医務室に行…」


「あ…っ…」


 俺が腕を持ったせいで、少しめくれ上がった瞳のTシャツの袖口から…


「…おまえ、それどうしたんだよ。」


 大きな痣…


「…転んだの。」


 瞳は、慌ててそれを隠してた。


「どこで。」


「……」


「昨日や一昨日の傷じゃねーだろ。」


「……」


「…何があった?」


 俺の問いかけに、瞳は今まで見た事もないような…弱った顔になって。


「…父さんには…言わないで…?」


 小さな声で言った。


「…分かった。」


「……」


 瞳は俺の腕を引いて、エレベーターホールからは死角になる位置に移動した。

 そこで…


「…おまえ…」


 瞳の右腕と…めくったTシャツの脇腹に…無数の痣があった。


「…誰が…」


「…ママの…結婚相手…」


「…は…?」


「あたし…もう、向こうに居たくない…」


「……」


「助けて…千里…」


 そう言って瞳は俺の胸にしがみついた。

 助けてと言われても…正直、俺には何もできない…

 だが…


「高原さんに言った方がいい。」


 瞳の耳元でそう言うと。


「嫌よ…あたしの事、アメリカでデビューさせたがったのは父さんだもん…責任感じちゃうよ…」


 瞳は…いつになく、か弱い声。


「こんな時に何言ってんだ…」


 瞳のいじらしさに…たまらない気持ちになった。


「おふくろさんは?知ってんのか?」


「……ママも、こうされてるの…」


「……」


「だけど…どうにもできないの…」


 もどかしかった。

 瞳がこんなに傷ついてるのに…

 何もできない俺も…

 そして、それを必死で高原さんに隠そうとする瞳も…

 そして…

 何も気付かず、仕事の事だけに集中してる高原さんに…。

 腹が立った。



 とりあえず、瞳には医務室に行くように促した。

 高原さんには言うなと言われたが…どうしても言わずに済む話じゃない気がして。

 俺は、最上階に向かった。


「高原さん、神です。」


 ドアの前でそう言うと。


「ああ、ちょうどえかった。」


 ドアを開けるのと同時に…朝霧さんが顔を出して。


「今からスタジオ見に行くんやけど、一緒にどや?」


 俺にそう言った。


「……」


 会長室にある時計が見えて、それが13時に近付いてる事に気付いた。

 何か理由をつけて覗きに行きたいとは思ってたが…これは堂々と見れるチャンスだ。

 だが…その前に…


「高原さん。」


 俺は、まだ会長室の中で何かを読みながら座っている高原さんに声をかける。


「あ?」


「ちょっと…話があるんですけど。」


「ああ…後でもいいか?先にスタジオを見たい。」


「…分かりました。」


「あと、圭司も呼んで来い。来てるんだろ?」


「…はい。」


 高原さんにそう言われて、俺はルームに戻る。

 が…そこにアズはいなくて。

 どこに行ったんだ…と思いながら二階まで降りると、ロビーでサインをねだられているタモツとマサシが見えた。



「……」


 俺が無言でそれを見ていると。


「いい刺激になんないかな。」


 ふいに、アズが俺の肩に手を掛けて言った。


「…何が。」


「あいつら、あんまサインとか頼まれないじゃん?」


「……」


 確かに…

 いつもサインを頼まれるのは、俺とアズだ。


「しかも、事務所のロビーで頼まれるなんてさ、ちょっと嬉しいよね。俺はここでサインなんて書いた事ないし。」


「……」


 サインに応えているタモツとマサシは嬉しそうだ。

 今まで、俺はTOYSのためになるなら…と、一人の取材にも応えていたが、それが自然とあいつらとの溝になっていたのかもしれない。


「…アズ。」


「ん?」


「高原さんが、新人のスタジオ見学に行こうってさ。」


「あー、いいね。行こう行こう。」


「あいつらどうする?」


 俺がロビーを指差して言うと。


「新人見てへこんじゃいけないから、今のいい気分のままいさせてやろうよ。」


 アズは満面の笑みで、俺よりナイフのような事を言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る