第31話 「ただいま、さくら。」

 〇高原夏希


「ただいま、さくら。」


 空港に着いてすぐ家に帰りたかったが、色々目を通さなくちゃいけない物があるため、事務所に寄った。

 そこで必要書類諸々を持って、すぐに帰宅。

 久しぶりに会うさくらは…


「…顔色、いいな。」


 それに、少し太ったか?

 元気そうに見える。



「…なっ…ち…」


「さくら…」


 さくらが、手を伸ばしてくれた。

 俺はさくらの上にゆっくり重なると。


「会いたかった…」


 そう言って、唇にキスをした。


「…あた…も…」


 途切れ途切れだが…さくらも、言葉を発してくれる。


 この一ヶ月…サカエさんとの電話は欠かさなかったが、さくらの声を聞くには至らなかった。

 ただ、調子はいい。と聞いていた。



「朝じゃないけど、一緒に風呂入ってくれるか?」


 俺がそう言うと、さくらは一度瞬きをした。

 その視線は…以前よりずっと、力のある物だ。



「それで、ナオトがとんでもなく大きいカニを手に入れてさ。」


 久しぶりに、さくらを抱えてバスタブに浸かる。

 さくらは、俺の話を聞きながら、目を細めて笑うような顔をしたり、指で俺の頬をなぞったりした。



「…歌ってる時は…ずっとさくらの事を想ってた。」


「……」


「いや、もちろん…それ以外の時も。毎日毎日…さくらの事想って…頑張れた。」


 俺の言葉を、さくらは目を細めて…少しだけ口元をやわらげて聞いている。



「さくら、愛してるよ…」


 あたしもよ。

 そう聞こえた気がして、さくらの顔を見る。


「…同じ気持ちで…いてくれるか?」


 さくらの目を見て言うと。

 さくらは、ゆっくりと瞬きをした。



 サカエさんは気を利かしてくれたのか…少し外に出てくると言った。

 俺はさくらを抱えてバスタブを出ると、ゆっくりとベッドに降ろして…


「…いいか?」


 さくらの目を見て言った。

 少しだけ…さくらの頬が赤くなった気がした。

 そして…ゆっくりと、さくらの手が…俺の腕に触れた。


 目を閉じたさくらの唇に、キスをする。

 ゆっくりと…優しく重ねたそれを、少しずつ深くしていくと…


「…あ…」


 さくらの、なんとも言えない吐息が…


 さくら…

 おまえは、本当に…ずっと、俺の…

 俺の全ての源だよ。

 おまえが居てくれるから、俺は毎日生きて居られるんだ。



「さくら…」


 指を絡めあって、何度もさくらの名前を呼んだ。

 少しだけ…いつもよりさくらに力が戻っている気がした。



「あ…っ…な…ちゃ…」


 さくらは、俺の耳元で声にならない声をあげて。

 それでも…最後には…


「…あ…いし…て…る…」


 俺が…

 一番聞きたいと思ってた言葉を…

 一言ずつ、かみしめるように…言ってくれた。


 * * *


 一ヶ月ぶりに、日本での日常が始まった。

 今朝は…バスタブでさくらを抱きしめて…歌った。

 それだけで、いい一日の始まりな気がした。



「おかえり、伯父貴。」


 今日は、バイトを始める姪っ子の聖子が来るとかで、最上階で待っていた。

 久しぶりに会う聖子は…また身長伸びたか?

 大きくなってる気がする。



「ただいま…彼女は?」


 聖子とマノンの後ろに、似合わないメガネをかけた…女の子。


「桐生院知花。うちのバンドでボーカルしてるの。」


「は…はじめまして…」


 ははっ…カチコチだな。


「高原夏希です。よろしく。」


 俺は、その子の前まで行くと、笑顔で手を差し出した。


「こちらこそ…よろしくお願いします…」


「……」


 …何だ?

 何とも…言いようのない感覚に襲われた。

 …声、か?



「…なんか、似てるね。」


「誰が。」


「ああ、ナッキーに似てたんや。雰囲気とか、目元とか。」


 聖子とマノンにそう言われて、俺は目の前の『桐生院知花』をマジマジと見る。


 …俺、こんなにふわっとした感じか?

 とは言っても…

 似合わないメガネの奥。

 黒ではない、目。


「なるほど。目の色、少しブルー入ってる?」


「あ、いえ…これは…」


 彼女が狼狽えた瞬間。


「まあまあ、いつまで手ぇ握ってんのよ。」


 聖子に茶化された。


 あ、つい。

 ずっと手握ってたか。


「で、バンドはどうなんだ?」 


 ソファーに座って問いかけると。


「うちの光史に、音楽屋でバイトしてる陸。それに尚斗んちのまこにー…晋の息子も参加してるんやて。」


 マノンが、途中までは俺も知ってる情報を言った。


「へえ…晋の息子って、家元になったんじゃなかったっけ。」


 光史とまこの実力は…疑いようがない。

 あの二人、千里と組ませたかったな。



「伯父貴、センのこと知ってんの?」


「セン?」


「早乙女千寿。」


「ああ、父親は俺らの後輩になるからな。」


「あ、そっか…有名なギタリストってきいた。」


「浅井 晋っていって、アメリカのTRUEってバンドで現役でやってるよ。」


 晋の息子か…

 聴いてみたいな。


 音楽屋でバイトしてる陸というのは…マノンから話を聞いた事がある。

 マノンのギタークリニック、参加者の中でダントツに上手いのがいた、と。

 …そいつも…千里と組ませたかったな。



「そういえば、瞳さん帰ってるんだってね。」


「ああ。」


 まったく…あいつ、マンションにいるのかと思ったけど、どこにいるんだ?

 千里と会ってるのか?

 どこにもいやしない。



「瞳さん、アメリカでデビューするって本当?」


「まーだまだ。あんな歌じゃムリムリ。」


 とは言いながら…

 今回、他の事務所で働いてるジェフに口添えされたとかで、バラードばかりのアルバムを作った。

 それが、割と好評だ。

 出来れば…向こうの事務所からそろそろデビューさせたい。

 そう思ってるのに、周子が瞳を日本からデビューさせてくれと言って来た。



「ところで、スタジオどこ使ってんだ?」


「えーとね、音楽屋とか、ナッツ。」


 ナッツ…TOYSもあそこだったな。

 まだまだ尖ってばかりいた千里を思い出して、少し笑いそうになった。


「ここの八階にもあるから、使っていいぜ。メンバー分のフリーパスやるから。その代わり、初めてのスタジオ入りの時、見学に行かせてくれ。」


 俺の言葉に、聖子はあからさまに嫌そうな顔をした。


「えー…なんで、あたしらみたいなヒヨっ子バンドをー?」


「俺らの目にかなったあかつきには、マノンのプロデュースでデビューさせてやるよ。」


「デビュー!?」


「目にかなったらっつったろ?しっかり練習しろよ。」


 聖子はずっと興奮しっぱなしだが…

 知花…桐生院知花は、ずっとおどおどした様子だ。



 見させてもらおう。

 桐生院知花。

 そうそうたるメンバーを従えてボーカルをとる君が…どれほどの力を持っているのか。


 もし、俺の意にそぐわない場合は…


 メンバーごとごっそり、千里に与えさせてもらう。



 〇神 千里


 先週、留守電に入ってた瞳のメッセージを無視するつもりはなかったが…

 結果、無視してしまった。


 あれ以降、瞳に連絡を取るも…瞳は不在。

 事務所でも見かけない。

 …ま、用があればまた連絡があるか。



 あの夜は、知花と…ちゃんとベッドでセックスして、そのまま眠った。

 こう言っちゃ何だが…

 気持ちのこもったそれは、めちゃくちゃ気持ちのいいもんだと知った。

 だいたい俺は…愛情を持ってセックスをした事がない。

 今までの相手は、何となく付き合った女ばかりだし…

 スポーツ感覚とか、欲求のはけ口。

 そういう言い方が正しいと言わんばかりの行為だったと思う。


 だが…あの夜は…違った。

 最初は無理矢理に思えたが、知花もそこそこに…感じてたし。

 …あいつ、俺が初めてだよな。

 なのに、あんな風によがられると…

 …俺、上手いんだろーな。

 なんて、ちょっといい気にもなった。


 翌朝は、前の朝みたいに邪険にはされなかった。

 ちゃんと朝飯作ってくれたし、一緒にも食った。

 …会話は少なかったが…

 ま、俺との沈黙に耐えれるなら、そうしておいてくれた方がいい。



 だが。

 あれから、知花のガードが固い気がする。

 何なら毎晩やってもいいのに。

 俺が帰るまでにはシャワーをして、俺が風呂から上がる頃にはとっとと部屋に入ってやがる。


 …ま、焦る事はない。

 俺達は夫婦だ。



「……」


 事務所の八階を歩いてると、前方から…知花。

 背の高い女と並んで歩いてる。


 …あれが、瞳のイトコか。



 二人は何やら手にした紙を読みながら歩いている。

 知らん顔をして通り過ぎる…瞬間、知花が俺に気付いて。


「あ。」


 小さく声を出した。


 何が、あ。だ。

 知らん顔しろっつっただろ。



 そのままエレベーターホールに行って、二階に降りた。

 今日は…TOYSはレコーティングの最終調整。

 ミキサールームで朝霧さんと高原さんを交えて話し合いがある。


 アズは…中立の立場に居てくれる。

 いつもわけのわからない事を言うクセに、こういう時は頼りになる奴だ。

 タモツとマサシを呼び出して話し合いたい。と言った時も、今は少しそっとしておいてやったら?と言われた。


 …俺だって、ショックだったんだけどな。

 タモツに、あんな風に思われてたことが。


 もし、話せるなら…

 俺は、タモツとマサシと、そしてアズとで。

 ずっとTOYSをやって行きたい。と言うつもりだ。

 それが、あいつらにとって苦しい道なら…

 俺は…プロをやめてもいい。


 * * *


 タモツとマサシがスタジオに現れなかった。

 それによって、レコーディングの最終調整が先延ばしになった。

 あきらかに…高原さんはガッカリしている。

 …俺だって…同じだ。

 だが、あの二人を追い詰めたのも…俺かもしれない。



 暗い気分で家に帰ると…

 知花が俺の部屋で何かしている。


 …お互いの部屋に入らない事。は、公約に入れていないが、入られたら嫌なもんだ。

 ま…俺は知花の部屋に、しょっちゅう入ってるが…。



「…何してんだよ。」


 背後から声をかけると。


「何って…CD探してんの。」


「誰の。」


「TOYS。」


 …なんだこいつ。


「持ってない。」


 そう言って服を脱いで、俺はさっさとベッドに潜り込んだ。

 …今日はもう…何も考えずに眠りたい。


「どっ、どうして持ってないの?」


 …眠りたいっつーの…


「別に持ってなくてもいいだろ。」


「自分たちの作品でしょ?」


「だから?」


「だ…」


 別に…自分の作品だからと言って…俺はCDに愛着を感じない。

 …こういう所が、駄目なんだろうか…



「電話鳴ってるぜ、おまえんだろ。」


 着信音が聞こえて、知花にそう言うと。

 知花は難しい顔のまま部屋に向かった。



 あー…

 明日休めって言われたけど…アズは行くだろうな。

 俺も、休みたいわけじゃない。

 むしろ…事務所に行って何かしてた方が気が楽だ。



「千里…」


 ベッドに仰向けになったままでいると、知花が戻って来た。


「…何だよ。」


「ちょっと…いい?」


「何。」


「父さんが…今度食事に行こうって。」


 知花は元気のない声でそう言って、ベッドに腰を下ろした。

 …おまえ、そこに座ると、俺は『抱いてくれ』の意味だと思うぞ。

 そんな気分じゃないが…知花を抱いて癒されたい気分もなくもない。


「…あたしたち、家族をだましてるよね…」


「家族だけじゃないだろ。」


「……」


「ホームシックにでもかかってんのか。」


「そうじゃないけど…」


 早く眠りたい。

 そう思ってたが…


「…出かけるか。」


 出掛ける気分になった。


「…え?」


「出かけるっつってんだよ。支度しろ。」


「あ…はい…」



 クローゼットから適当に服を出して着て、知花の支度を玄関で待った。

 …靴箱の上に、青い花。

 俺が見るとも限らないのに、知花は毎日…ここに花を飾り、毎日飾り方を変える。

 枯れる寸前まで、大事に形を変えながら。



「…お待たせ。」


「行くぞ。」


 久しぶりに車を出した。

 運転忘れてねーかな…なんて思ったが、何とかなりそうだ。



「カセット聴いていい?」


「ああ。」


 知花がダッシュボードを開けて、探り始める。

 CDの方が便利なのは分かってるが、どうも俺はいつまで経ってもカセット派だ。

 だが、タイトルやアーティスト名を書かないから…どのテープに誰が入ってるかが分からない。


 どうやらTOYSが聴きたかったらしい知花は、次から次へとカセットテープを入れ替えた。

 今の知花にかかっちゃ、Deep RedもTRUEもワンフレーズで取り出される運命。

 …こんな大御所の後に聴かれると、お粗末なのがバレる……まあ、いいか。



「これは…」


 次に入れたカセットは、瞳の新作…バラード集だった。


「…瞳さん?」


 おい。

 なんで知ってんだ、おまえ。

 そう思ったが…


「…次入れろ。」


 今は、瞳の歌を聴く気分じゃなかった。

 エレベーターが閉まる寸前に言われた『大嫌い…になれたらいいのに』に。

 俺は…少なからずとも罪悪感を持っている。

 …思わせぶりにしてたつもりはないが、瞳にとってはそうだったのかもしれない。



 次に知花が入れたのは、アズが編集してきた洋楽のヒット曲集だった。


「お、これ聴こうぜ。」


「え…TOYSは?」


「そんなの、いつか聴けるだろ。」


「今がいいの。」


「黙ってろ。俺の車だ。」


「……」


 あきらかに拗ねた知花は、それ以降…静かになった。

 信号で停まって知花を見ると…


「…何寝てんだよ。」


 無防備な…寝顔だった。

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