第28話 「……」
〇早乙女千寿
「……」
僕は約束の『ダリア』の前で、腕時計を見た。
七時まで…あと15分。
桐生院さんが来てなかったら、他のメンバーの顔が分からないし…
かと言って、ここからお店の中をジロジロと覗くのも…
ここはやっぱり、七時ピッタリにお店に入る事にしよう…。
それより。
ここは、僕にとって聖地とも言える場所。
あのDeep Red…そして、親父…浅井 晋が加入していたFaceも、ここでライヴをしていた。
今では、ここは昼間はカフェ、夜はアルコールを楽しむお店に変わり、ライヴハウスは場所を二軒隣に移してしまったが…
この場所に、親父も来ていたのかと思うと…感慨深い物がある。
まだ一度も会った事のない親父。
だけど、まるで遠距離恋愛のように交わしている手紙で…僕は、会った事のない親父を、すごく近く感じている。
「……」
店内からは見えない位置にズレて、店の壁に手を当てる。
…ここから、Deep Redも…親父も、世界にはばたいた。
親父のバンドは…悲しい事件のせいで、志半ばで解散したけど…それでも、親父は今も、アメリカで頑張ってる。
ここが…始まりの場所だったんだ。
僕…今夜、ここで…バンド加入するんだよ。
……桐生院さん、他のメンバーになんて言ったのかな。
反対される可能性って…あるのかな…
色々考え始めて少し重たくなってると、七時まであと二分。
僕は長い髪の毛を後ろで束ねると。
「…よし。」
背筋を伸ばして店の前に立った。
…ゴクリ
七時になった。
ドアを開ける。
「いらっしゃいませ。」
店内を見ると…少し奥まった場所のテーブルに、桐生院さんと、もう一人…女の子がいた。
「こんばんは。」
そう言って二人の顔を見たけど…反応が…ない。
困った僕は、メガネを拭きながら…桐生院さんの前に座った。
な…何でかな。
僕、ミーティングに誘われたけど…本当に来やがった。みたいな空気…?
少し手の平が汗ばんできた所で…
「あのー…」
桐生院さんじゃない方の子が。
「ここに、来たってことはー…」
僕の顔をのぞきこんだ。
「…テープ、聴いた。」
「……」
「すごいね。なんかー…なんて言ったらいいのかな。とにかく、参加させてほしいと思って。」
まだ全員が揃ってないのに、気が逸って…つい言ってしまった。
「家…大丈夫なんですか?」
桐生院さんが、心配そうに言う。
…だよね。
そこで僕は、勘当された事を話した。
これから本気で音楽をやっていく上で、それは僕にとってプラスになると信じたい。
…不安は大きいけど…
僕はもう、前を向くしかないんだ。
…織との約束を…果たすために。
三人で軽く自己紹介をした後。
「おっそーい。」
僕の背後に向けられた七…聖子(ちゃん)の声に振り向くと…
そこには…信じられない顔がいた。
「よ、意外な再会だな早乙女。」
そう言ったのは…朝霧光史。
確か…中等部の一年の時…隣のクラスにいた。
特に目立つわけじゃないんだけど…独特な雰囲気で、存在感があった。
元々人見知りの僕は、同じクラスでも喋った事のある顔を数えた方が早いぐらい、クラスメイトとも会話をした覚えがない。
そんな僕が彼と会話を交わすなんて事はなかったが…
朝霧光史は…父親が、Deep Redの朝霧真音ということで…少し意識していたかもしれない。
それに、ギタリストの息子なのに、ドラムを叩いてるって噂を聞いた事もある。
それより…
「ギターいじってるのは知ってたけどさ、なんせ次期家元だろ?まさかこういう展開になるとは思ってなかったな。音楽屋に来てたって?全然気が付かなかったぜ?」
そう言って…笑顔で俺に手を差し出したのは…
…二階堂 陸。
中等部の途中で編入して来た、桜花始まって以来の天才。
でも、僕がその存在を知ったのは、高等部になってから。
隣のクラスになってからだった。
織の…双子の弟…
二階堂 織は、僕が…僕が初めて好きになった…女の子だ。
初めて、自分の生い立ちを話せた人物。
…あんなに、その存在を想うだけで苦しくなるような気持ちは…初めてだった。
織の事が好きで好きで…
二人で一緒にいる間は…まだ良かった。
だけど、織と別れて家に帰ると…現実に戻された。
…僕には、早乙女の長男として、決められた道がある。
それに応えるには…織とは…結ばれない。
頭では分かっていても…止められなかった。
織が欲しい。
抱きしめたい。
自分の物にしたい。
…後悔はしてない。
いや…した。
何度も…何度も。
その結果…織は妊娠。
僕は…目の前のこいつに…殴られた。
そして…織とも…終わりを迎えた…
なんで…こいつらがここに?
あの音源の…僕をゾクゾクさせたギターの音は…二階堂 陸が弾いてたって言うのか?
確かに、織から聞いていた。
二階堂 陸がギターを弾いている事は。
あの練習音源は…すごく…魅力的だった。
だけど…まさか、二階堂 陸とバンドなんて…!!
無理だ。
僕は…織との約束を果たしたいと心に決めてはいるが…その分、織の事を感じたくないとも思っている。
今も…織を想うと辛くてたまらない…
「僕も初めてだよ。こんばんは、島沢真斗です…って、わかんないかな。母さんの旧姓は浅井なんだけど。」
少しダークな気分で、タイミングを見計らって帰ろうか…などと思ってる時に、ふいに声をかけられた。
「…浅井?」
島沢って…
もしかして、Deep Redの島沢尚斗の息子?
て事は…
僕のイトコ?
彼の印象は、とても柔らかくて…安心できた。
その笑顔も、癒し系で…助かった。
「一緒にやれるなんて、嬉しいです。」
そう言って…少し赤くなった笑顔…
…一緒に…か。
今まで、ずっと一人でギターを弾いていた。
それが…この人達の音源を聴いて…一緒にやりたいと思った。
「とりあえず飲もうぜ。」
…二階堂 陸。
「あっ、まこちゃん、お皿取って。」
「はい。あ、光史君これ。」
「おう、サンキュ。」
…誰がイヤとか…言ってる場合じゃないよな…
約束を…果たすために。
僕は、ただそれだけのために…
ギターを弾くだけだ。
〇神 知花
「…あのね?」
もしかしたら、まだ半分寝てるよね?って言いたくなるような、朝の千里。
サラダのきゅうりを箸で持ったまま、ボンヤリしてる千里に声をかける…も…
「……」
「…ねえ。」
「……」
「千里。」
「……あ?」
やっと、反応した。
「あたし…アルバイト始めていい?」
プライベートには関与しないと決めたものの…一応…言っておかなきゃいけない気がしてそう言うと。
千里はテーブルを見てたのか、その上に並んだ料理を見てたのか分からない視線を…
ゆっくり……あたしに向けた。
「…ああ。」
…あれ?
それだけ?
この前、家を出たからって自由にし過ぎるなって言われて…ムッとしたけど…図星だなって反省もした。
だけど、千里に謝る気にはなれなくて…つい、少し冷たくしてた気がする。
でも千里は、その上を行ってた。
以前みたいに…優しくない。
…まあ…結婚にこぎつけるために…の優しさだったのかもしれないから…そんなの望んだって仕方ないんだけど…
そもそも、夫婦って事自体ニセモノなんだから…
それならいっその事、食事も一緒に取らなきゃいいのに…なんて思っちゃう。
最近、千里は忙しい。
レコーディングがなかなか上手く進まなくて、事務所に入り浸りの事が増えて…
食事の要る要らないはちゃんと教えてくれるけど…
…なんて言うか…
あたし、最近ちょっと…モヤモヤしてる気がする。
確かに、あたしは…偽装結婚なんて…とんでもない事をして家を出て。
千里と…時々腹が立つ事はあるものの…割と、快適に…生活してる。
家の事をするのも好きだし…
しかも、ここは桐生院とは違って、本当に自分の好きなように家事が出来るわけだし…
自分のお城が出来たみたいで、満足だったりする。
バンドの練習もミーティングも…一時間だけとは言え、毎回出れるようになった。
すごく大きい。
あ、次の練習…早乙女さん…『セン』が初参加。
楽しみだな…
「あー…そう言えば、今夜帰れねーから晩飯要らねー…」
相変わらず眠そうな千里がそう言った。
「あ…そう。明日のいつ頃帰るの?」
「……」
あたしの問いかけに千里は天井を見た。
何か書いてあるの?と思って、あたしも見上げる。
「…何も書いてねーよ。」
「あ…そうですか…」
「…分かんねーから電話する。」
「…分かった。」
こう言っては悪いけど…
千里が帰れない時にバンド練習があればなあ…って思っちゃう。
そうしたら、二時間フルで出来るのに。
…いやいや、もう練習のサイクルは決まってるんだから。
それに、あたしが結婚した事…誰も知らないし。
急に何かを変えちゃマズイよね。
て言うか…
いい加減…千里にも言わなきゃだよ…
バンドしてる事。
そうすれば…堂々と練習もミーティングも行けるわけだし…
だけど、音楽やってる女は苦手って…言ってたし…
もしバンドしてる事言ったら…追い出されたりしちゃうのかな…
「戸締り忘れんなよ。」
「…うん。」
「……」
「…何?」
急にあたしに視線を固定した千里に問いかけると。
「…寂しくて仕方ないなら、飯だけ食いに帰るぜ?」
ニヤニヤもせず…真顔で…
「さ…」
寂しくて仕方ない…!?
そんなわけ、ないじゃなーい!!
「お…お気遣いありがとう。でも、平気。あたしの事は気にせず、存分に仕事して?」
あたしがゆっくり噛みしめるようにそう言うと。
「…素直じゃねーな。」
千里は鼻で笑った。
…何がよーーー!!
〇神 千里
帰れない。
そう連絡したものの…
最近、知花に一人で飯を食わせてる事が気になった俺は。
「シャワーしたいから帰る。」
隣で眠そうな顔をしてるアズに言った。
「え?ここのシャワー室使えばいーじゃん。」
「……」
確かに…みんな事務所のシャワー室を使うし、夕べは俺もそうした。
だが…
「着替えたいんだよ。」
「別に誰が見てるわけでもないのにー?」
アズは…自分も帰りたいからか、しつこい。
俺を帰らせまいとする。
だいたい、俺の録りはもう終わってんだぜ?
なんで俺がここまでしてると思ってんだ。
おまえらがダメ出しされるのを、見てらんねーからだろうが。
目を細めてアズを見て。
「…とにかく帰る。明日また来る。」
そう言って、ミキサールームを出た。
Deep Redの面々は久しぶりのレコーディングで渡米していたが、朝霧さんとゼブラさんだけが帰国して。
今、二人はTOYSにかかりっきりになっている。
思ったより、タモツとマサシの出来が良くない。
良くないどころか…悪い。
おまえら、何だよそれ。って言いたくなるぐらい。
俺がやった方がマシだ。って言いたくなるぐらい。
こんなの、高原さんが帰ってきたら…
『TOYS解散』って言われそうだ。
そんな事を考えながら、自転車でマンションに帰りついた。
知花には…帰らないと言ったままだが、まあいいだろう。
一度、不意打ちをしてみたかったし。
あいつ、リビングで素っ裸で寝たりしてねーかな。
そしたら襲うのに。
よく考えたら、朝から何も食ってねーや…
なのに勢いで自転車飛ばして…力入んねー…
俺はヨロヨロしながら部屋にたどり着き。
カギを開けて、中へ…
「……」
中に入ると…リビングで知花が…ギターを弾いていた。
…何なんだ?
少し弾いては、前屈みになって何か書いている。
…譜面か?
これは…思い切り『曲作り』だよな…?
モヤモヤした。
ついでにムカムカした。
こいつ…思い切り『音楽やってる女』だよな。
「…知花、何か食うもんないか。」
リビングの入り口に立ってそう言うと。
「いっいつ帰ってきたの!?」
知花は、慌てた様子で俺からは死角になっている場所に何かを隠した。
…譜面だな。
…おもしろくない。
そう思いながら、ソファーにふんぞり返る。
こいつ、嘘ついてやがったな?
何が楽器が好きで…だ。
だいたい、そんな理由でアコギ持ってる方がおかしいっつーの。
…ま、俺は騙されてやってたが。
知花が用意してくれたモーニングセットみたいなメニューを食いながら、キッチンで眉間にしわを寄せたり溜息をついている知花を見る。
…何か言いたそうな顔だな。
急に帰ってくんな。とか、俺に対する文句か?
ああ…
ムカムカする‼︎
「ね。」
「んあ?」
「Deep RedのCD持ってる?」
「全部そろってるぜ。」
「借りていい?」
「んだよ、ロックに目覚めたか?」
「洋楽ロックは詳しいのよ?」
「本当かよ。」
こいつ、バカだな。
Deep Redは洋楽だぜ?
そう思いながらも、教えなかった。
いつか自分で知って恥をかけ。
「ああ、そっか。アメ学みたいなとこ行ってたんだっけな。」
「…そう。そうなの。」
「コーヒーおかわり。」
「はい。」
「で?」
「え?」
「何か言いたそうな顔してるじゃねぇか、さっきから。」
流れでそう言ってみると。
「あの…」
知花はしおらしい声を出して。
「実は…バンド組んでるの…」
音楽やってるの。じゃなく…?
「何?」
「バンド…組んでるの。」
「おまえが、バンド組んでんのか?」
「そう…です。」
「……」
予想以上にショックだった。
何となく…音楽やってるよなとは思っても。
それがバンドとなると…同じ土俵って事になる。
いくらこいつがプロデビューしてなくても。
俺にとっては、同じ事だ。
「知花。」
「…はい。」
「ここに座れ。」
俺は持ってたフォークを置いて、知花を目の前に座らせた。
「おかしいとは思ってたんだ。アコギ持ってるし。楽器が好きだからとか言ってたよな、確か。」
「…言いました。」
「どうして嘘ついた。」
「だって…」
「何。」
「…音楽してる女とは、結婚したくないって言ったじゃない。」
「……」
今…知花は…
音楽してる女とは、結婚したくないって言ったじゃない…って言ったな?
それって…
「つまり…俺と結婚したいから、嘘ついたってことだな?」
だよな。
そうだよな。
「なー…何言ってんの!?あたしは、ここに住みたいから…」
「そっか、そういうことか。」
なるほど。
知花は…俺と結婚したかったんだな?
もう偽装どうこうじゃねーよな。
「風呂入るぞ。」
食い終わってそう言うと。
「うん。」
知花は…隠し事を打ち明けてせいせいしたのか、その俺の好きな声は…いつもに増して澄んでいるように思える。
最近…ずっとモヤモヤしてた。
それは、自分の城が出来たのに…何かもう一つ足りないと自分で気が付いていたからだ。
…知花が欲しい。
そう思い始めたのは、いつからだろう。
強要はしたくない。
当然だ。
そんな事したら、親父さんに殺されかねない。
だが…気付いてないだけで…
知花も、俺を好きなんじゃないか?
「D…ここからB♭っていうのも普通すぎるかな…」
シャワーから出ると、リビングでは知花が大きな独り言を言いながら、譜面にペンを走らせていた。
それを背後から見守る。
…俺に秘密を打ち明けた途端、これかよ。
…つまんねーコード進行だな…
俺は知花が留めていたクリップを外す。
すると、赤毛がバサッと零れ落ちた。
「はっ…!!び…びっくりした…何よ。」
驚いた顔の知花が、俺を見上げる。
「ギター置けよ。」
「…どうして。」
「いいから。」
知花がおとなしくアコギを置いたところで…俺は知花を床に押し倒した。
「え…」
わけが分からず、知花は丸い目。
「なっ何すんの!?」
「夫婦なら、こういうことも有り得るわけだろ?」
「ばっばばばっかじゃないの!?放してよ!!」
「ヘマしやしねぇよ。」
そう。
ヘマなんかできねー。
…マジで、親父さんに殺される。
「やめ…」
「……」
「……」
「……」
「…あっ…あ…」
……やべー。
こいつ…
やっぱ…
いい声出しやがる……。
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