第27話 「久しぶりだね。」

 〇神 千里


「久しぶりだね。」


「ご無沙汰してます。」


 結婚して四ヶ月。

 何度か知花と飯を食いに訪れた桐生院邸。

 今日は…なぜか俺だけが呼び出された。



「留守ですか?」


 ばーさんの姿が見えないと思って問いかけると。


「ああ。生徒さん達と温泉にね。」


「いいですね。」


 二人で広縁に座って、親父さんが入れてくれたコーヒーを飲みながら、庭を見る。


 …いつ来ても、爽快な景色だ。



「…千里君。」


「はい。」


「まだこんな話は早いとは思うんだが…」


「何でしょう。」


「子供を作る気は、あるのかな?」


「……」


 コーヒーを口に入れてなくて良かった。と思った。

 今、親父さんは…俺に、子作りする気があるか。と聞いたか?



「えー…と…」


 考えてもみなかった質問に、俺とした事が…答えに悩んでしまった。


「ああ…悪いね。」


 親父さんは苦笑いをすると。


「…知花の母親は…知花を17の時に産んだんだ。」


「……」


「それで、つい…知花も…そういう歳になったんだなと思って…」


 親父さんは、庭に広がる桜の木を遠い目で見ている。

 満開まで、もう数日だろうか。



「…聞いていいですか?」


 前から…違和感だった事がある。

 別に、そんな事…気になっても引きずらなきゃいいだけだが…子作りの話題ついでに、聞いてみる事にした。


「何だい?」


「…俺が勝手に思ってるんですが…」


 最初は『僕』で頑張っていたが…もはや、俺の口の悪さはバレてるらしいし。

 とりあえず、敬語は頑張るが『僕』は辞めた。

 似合わないし、むず痒い。



「知花の事は、すごく愛してらっしゃるなと思えるんですが。」


「ああ。」


「…双子に対して、同じようには思えないんです。」


「……」


「すみません。」


「…ハッキリ言うね。」


「性格なんで。」


「ふっ…気持ちいいよ。」


 親父さんはコーヒーを一口飲んで。


「…誓と麗の母親…容子は…昔決められた許嫁でね。」


 小さな声で、話し始めた。


「だけど、知花の母親と出会って結婚して…私は、そこで容子との許嫁の話は終わらせたつもりだった。」


 …すげーな。

 こういう家柄での許嫁を、他の女と出会ったからって…簡単に終わらせられる気がしねーけど。


「だが、知花の母親を追い出して…丸め込まれるように容子と結婚したよ。」


 そう言って、親父さんは笑った。


「…容子さんを愛してなかったから、双子にそっけないんですか?」


「…そっけないように見えるかい?」


「はい。」


「……」


 親父さんは小さく溜息をつくと。


「…可愛くないわけじゃない。そっけなくしているつもりもない。だが…無意識に、そうなってしまっているのかもしれないな。」


 伏し目がちに、そう言った。



「…あの子達は…」


「……」


「私の子供じゃないんだよ。」


「え?」


「私は、子供が出来ない体質なんだ。」


「…え?」


「だが、なぜか子供が出来た。」


「………え…?」


「浮気されてたんだよ。私は。」



 ……え!?



「………」


 しばらく、俺は口を開けたまま親父さんを見てしまった。

 今…親父さん…

 とんでもない事、話さなかったか?


「知花の母親と結婚した理由として、容子との結婚から逃れたかったというのもある。家同士の結婚っていうものには、納得いかなかったからね。」


「……」


「だが…一目惚れをした彼女と…ただ純粋に結婚したかった。」


「……」


「奇跡的に私の願いが叶って…結婚した。そこで彼女が身ごもってると知って…普通はショックなのかもしれないが、子供が出来ない私には願ったり叶ったりだった。それが、他の男の子供だったとしても…」


「……」


「私は、彼女を愛してたからね…」



 な…

 何なんだ。

 何なんだよ…桐生院貴司…



「…この事…知花は?」


「知るわけがない。」


「…ばーさんも知ってるんですか?」


「ああ。恐らく。」


 俺が言った『ばーさん』がおかしかったのか、親父さんはクスクスと笑った。



 こんな秘密…俺に話すなよ。

 内心俺は、強くそう思っていた。

 秘密を知らされるたびに、何かこう…親父さんが、俺を上手く取り込もうとしているように思えた。

 …何に取り込まれるかは分からないが。


 何となく。

 この、桐生院貴司という男…

 何か…とてつもない何かを抱えていそうな気がする。


 …他の男の子供を妊娠していると知っていて、結婚。

 許嫁には浮気されたと知りながら…夫婦で居続けた。

 …それだけでも十分、不可解な男だ。



「…なんで、俺に…」


 俺がらしくない声でそう言うと。


「…私の…大事な知花を任せてる男だからね。」


 親父さんは…

 今まで聞いた事のないような、低く…真面目な声で。


「知花を、泣かせたりしないように。」


 俺に、そう言った。



 〇島沢真斗


『今夜7時にダリアでミーティングだって』


 五時限目の授業中、聖子からノートの切れ端に書いたメッセージが回って来た。

 それで…授業が終わって家に帰った僕は、陸ちゃんのポケベルを鳴らした。

 間もなく電話がかかって…


「あ、陸ちゃん?今夜さ…ミーティングより少し早めに会える?」


 そう提案した。


『じゃ、六時に音楽屋に来いよ。光史も来るから。』


「分かった。じゃ、また後でね。」



 約束の時間、音楽屋に行くと。


「まこ。」


「あ、もう来てたんだ?」


 そこには、光史君がいた。


 三人でミーティングルームに入ると、時々見かけるバンドの人達が数人いて。


「お?今日は女の子達は休みか。」


 陸ちゃんに、声をかけて来た。


「ははっ。そっちこそ、一人足りないんじゃないっすか?」


「ギターが抜けたんだよ。おまえ、入ってくんねー?」


「こいつは渡しません。」


 陸ちゃんを欲しがった人に、光史君が陸ちゃんを抱きしめて笑う。


「あははは。おまえら本当仲いいな。」


 僕はそんな様子を、ほんわかした気持ちで眺めてた。

 本当…陸ちゃんと光史君って、仲がいい。


 残念ながら、僕には男の親友がいない。

 今は、聖子と知花が親友かなあ。

 男女間の友情は成り立たないとか言われるけど…聖子と知花には、男とか女とかじゃなくて…人間として。って感じの付き合いに思えるんだよね。



「で?何だ?」


 陸ちゃんが、僕に言った。


「知花と聖子に内緒の話か?」


 それに対して僕は…


「内緒って言うか…まず、陸ちゃんに先に言っておいた方がいいのかなって思って。」


 言うか言うまいか…ちょっと悩んだ。

 だけど、陸ちゃんは…バンド結成時からギターを弾いてるわけだから…


「何を?」


「あの…知花がスカウトした人の事…聞いた?」


 僕が背筋を伸ばして言うと。


「ああ…早乙女な。」


 陸ちゃんは、少し鼻で笑う感じで答えた。


「…え?知り合い?」


「同級だよ。」


「えっ…!?」


 光史君を見ると、うんうん…って頷いてる。


「桜花の人だったの?」


「ああ。」


「…じゃあ、ギター弾いてたのは…知ってたの?」


「いや。それは知らなかった。」


「……」


「で?あいつがどうしたんだよ。」


 陸ちゃんは立ち上がって部屋の隅に行くと、無料のお茶を紙コップに入れて戻って来た。


「ほい。」


「あ…ありがと…」


「サンキュー。」


 ずずずっと音を立てて、光史君がお茶を飲んだのを見て…



「…あの人、僕のイトコなんだ。」


 言ってみた。


「……」


「……はっ?」


 陸ちゃんは無言で僕を見て、光史君は変な声を出した。


「僕の伯父さん…知ってるよね?」


 二人を見ながら言うと。


「…TRUEの浅井 晋?」


 陸ちゃんが、壁にたくさん貼ってあるポスターや切り抜きの中から、伯父さんを指差して言った。


「うん…」


「早乙女が、浅井 晋の息子?」


 光史君も…ビックリな顔。

 いつもポーカーフェイスだから…ちょっと得した気分になった。


「…伯父さんと、早乙女千寿さんのお母さん…高校生の時から付き合ってたんだけど…」


 二人は、もう声も出ない。


「家柄とか…しがらみとか…そういうので別れるしかなかったんだって。」



 知花から…早乙女千寿さんをスカウトしたと聞いて。

 母さんに話した。

 そして…二人で色々話した。



「涼さんの息子さん…ギター弾いてたなんて…」


 母さんは、少し嬉しそうだった。


「当時…兄と涼さんの気持ちを想うと…誰も何も言えなかった。」


 涼さん…早乙女 涼さんは、伯父さんについてアメリカに行くはずだったけど…

 待ち合わせた空港に現れなかった。

 だけど、数年後…友人から、涼さんが出産した事を知らされた伯父さんは…


『絶対反対された思う。それでも産んだ。たぶんあいつは…一生そこで子供と生きてくって覚悟をしたんや。俺には、その覚悟を……いや…俺には…あいつの事を語る権利もない』


 …僕はまだ子供だから…

 愛って物が、よく分からない。

 だけど…

 愛し合う者が結ばれない矛盾は、ただただ…もどかしいと思う。



「その事、早乙女は知ってんのか?」


 光史君は、お茶をゴクンと飲んで言った。


「うん…知ってるみたい。伯父さん、手紙のやりとりしてるって言ってたから。」


 僕は…伯父さんとは、電話でしか喋った事がない。

 それも、挨拶とか…クリスマスプレゼントのお礼ぐらいの事。

 だけど、以前…母さんが父さんに話してるのを聞いた。


『お兄ちゃんがね、息子から手紙が来たって喜んでた』



「…あいつが浅井 晋の息子ねえ…」


 光史君は、お茶のおかわりに立ち上がった。


「……」


 陸ちゃんは…無言。

 いつも明るい陸ちゃんが無言なんて…らしくない。

 早乙女千寿さんの父親が浅井 晋…っていうのが、そんなに堪えたのかな?



「おい。暗いぜ。」


 光史君が、陸ちゃんの後頭部をパコンと叩くと。


「いってぇな…」


 陸ちゃんは眉間にしわを寄せて、光史君を振り返った。


「早乙女は、浅井 晋の息子。なるほど。音楽センスは陸より高そうだ。」


 光史君が座りながらそう言うと。


「…おまえ、早乙女の加入に賛成なのか?」


 陸ちゃんは、少しだけ…光史君を睨むようにして言った。


「知花が見付けたんだぜ?間違いねーんだろ?」


 睨まれてるのに…光史君は飄々とそう言って。


「まこだって、全然知らない奴より心強いよな?」


 僕を見た。


「う…うん…」


 それは…正直言って、ある。

 僕は人見知りだし…あまり人を信用できない所があるのか、Deep Redの身内って事で…小さな頃から知ってる光史君と、あの尊敬する高原さんの姪である聖子はいいとして…陸ちゃんと知花に慣れるのにも、少し時間がかかった。

 今はすっかり、大好きな二人。


 だから…全く知らないギタリストが入るより。

 僕と同じ『浅井』の血が流れてる人が…っていうのは、大きな安心材料なんだよね…。


「…ったく…何親父と二代続けて同じような事やらかしてんだよ…」


 陸ちゃんが、小声で何かをボソッとつぶやいて。


「え?」


 僕が聞き返すと。


「自分より早乙女の方が上手そうだからって、会う前から妬くなよ。」


 光史君が陸ちゃんの肩を抱き寄せて。


「俺は早乙女のが上手かったとしても、陸の方が上手いって言ってやるから。」


 ちょっと…僕が照れちゃうような、カッコいい感じで言って。


「…バカにすんな。」


 陸ちゃんに、思い切り頭突きされて…


「~……」


「……~」


 二人とも、痛さのあまり声も出さずに頭を抱えた。



 〇朝霧光史


「時間だな。」


 俺がミーティングルームの時計を指差して言うと。


「ばっ…おまえ、もう少し早く気付けよ。」


 陸が立ち上がりながら言った。


「気付かなかった奴に説教されたくない。」


 笑いながら、俺も立ち上がる。

 まこは首をすくめながら俺の隣に来て。


「…光史君、ありがと。」


 小さく言った。



 たぶんまこは…浅井 晋の息子。って言うだけで、早乙女の実力を見た気になっている。

 まあ…オマケに知花が目を付けたぐらいだ。

 たぶん、それは間違いないだろう。

 で、そうなると…陸が反対するんじゃないか、と。

 そう思ったんだろうな。


 陸は自信家だ。

 負けず嫌いだ。

 ギターがもう一人欲しい。と言ったのも、陸的には『サイドギターが欲しい』だったんだと思う。


 それが、あからさまに自分より上手そうな奴が来たら…

 ふっ。

 どうなるだろう。



 それにしても…

 家柄で結ばれなかった。

 その息子が…早乙女。


 …同じだよな。

 自分も、同じ事を…

 バカだな、早乙女。



「でも、今日のミーティング、早乙女が来るとは限らないんだよな?」


 ダリアに向けて歩きながら、誰にともなく言うと。


「知花が練習音源渡してんだぜ?あれ聴いて来なかったら、ぶっ飛ばしてやる。」


「……」


 陸の言葉に、まこと顔を見合わせて笑った。

 おまえ、早乙女とやりたいのか、やりたくないのか。

 どっちだよ。




 ダリアに到着して、入り口からテーブルを見ると…三人いる。


 …うん。

 早乙女、相変わらずな感じだな。



「わっりぃ、遅れたな。」


 陸が手を上げてそう言うと。


「おっそーい。」


 聖子が立ち上がって腰に手を当てた。

 その手前で、早乙女が驚いたような顔をして立ち上がる。


「よ、意外な再会だな早乙女。」


 俺がそう言うと。

 知花と聖子が、俺と早乙女を交互に見た。


「あれ?言ってなかったっけ。中学高校一緒だったんだ。」


「聞いてない、聞いてない。」


「ギターいじってるのは知ってたけどさ、なんせ次期家元だろ?まさかこういう展開になるとは思ってなかったな。音楽屋に来てたって?全然気が付かなかったぜ?」


 おい。

 陸。

 ギターいじってるのなんて、知らなかったよな?

 ともあれ、陸がにこやかで…まこがホッとした顔をした。


 しかし…本心か?

 陸が早乙女に手を差し出して…それを少しためらって、早乙女が握り返した。

 …陸、宣戦布告か何かか?



「なあんだ。じゃ、初対面はあたしだけ?」


 聖子が、口唇をとがらせて言った。


「僕も初めてだよ。こんばんは、島沢真斗です…って、わかんないかな。母さんの旧姓は浅井なんだけど。」


 まこが嬉しそうに言うと。


「えっ、浅井って…もしかして親父の?」


 …親父、か。



 それから…

 思いがけず、和やかな雰囲気で食ったり飲んだり。

 早乙女が家を勘当されたと聞いて、心配したのも束の間。

 音楽一筋になれると言った早乙女を、頼もしいと思った。


 陸は、早乙女に織の話も…生まれた子供の話もした。

 そこには、陸と早乙女にしか分からないような空気が流れて。

 さすがに、分からない話ではあっても…誰もそれを深く聞こうとはしなかった。


 早乙女にバンド名を聞かれて、初めて…それがない事に気付いた。

 今までスタジオ予約も陸の名前で取ってたし…

 そう言えば、デニーさんは俺達のバンド名を『ニカイドー』とホワイトボードに書いてたっけな。


 バンド名を考えながら…早乙女の音を聴かせてもらってもないのに、すでに加入を許した事に一人笑った。


 …平和だな。

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