第26話 「……」
〇神 知花
「……」
授業中だと言うのに…あたしはムカムカしてた。
このムカムカは…昨日からずっと。
五時限目の日本史は、午後の陽気と共に眠気も連れて来てる。
だけど…それよりも。
ムカムカが勝った。
最近…ずっと不思議に思ってたんだけど。
どうも…あたしの部屋の中の物…位置が、少し…ズレてたりする。
だけど…昨日のアレは…
ズレてるどころの話じゃなかった。
それで、千里に言い寄ったら…
「は?別にいーだろ。仮にも俺は、おまえの亭主だぜ?」
あ…唖然とした。
何言ってんの!?
偽装結婚持ち出したの、千里じゃない!!
って、頭に来たものの…
アレがバレてないか…ヒヤヒヤしてた。
アレ。
あたしが…バンド組んでる事…。
千里に『音楽やってる女は苦手』って言われて…
ますます言いにくくなってた。
だけど…言わなきゃ…だよね。
頭ではそう思うのに…やっぱり言いにくい。
でも、ああやって勝手に部屋に入られると…
見付かっちゃうよね…
手帳は持ち歩いてるから、ミーティングの事やメンバーの連絡先は見つからないとしても…
歌詞と譜面…
…譜面…
さーっと…血の気が引いていく気がした。
あ…あたし…
譜面…出しっぱなしのような気がする…
アコギと一緒に…
…リビングに…!!
夕べ、千里は夕方からレコーディングに行った。
それで、何となく安心して…リビングでギター弾いたりして…
朝も一人だったから、早起きして同じ事して…
ギターも譜面も…ソファーだ!!
え…えっと…千里…いつ帰るって言ってたっけ…
いつかは言わなきゃならない事だけど…
バレるって形は避けたい…!!
「せ…先生…」
あたしは、ゆっくりと手を上げる。
「はい?桐生院さん、どうしたの?」
「た…体調が優れません…」
「まあ…真っ青ね。大丈夫?」
あたしの顔面蒼白は、ホンモノだ。
「じゃ、保健委員に付き添ってもらって…」
先生、ごめんなさい。
保健室はダメです。
帰りたいんです。
「…すいません…このまま…帰らせて下さい…」
あたしの凄まじい弱り具合が通じたのか。
「じゃあ…早退届は明日でもいいから、気を付けておかえりなさい。帰ったら、職員室に連絡するように。」
先生は、心配そうではあったけど…そう言ってくれた。
「わ…分かりました…」
先生!!ごめんなさい!!
あたしは校門を出た所から、ダッシュした。
間に合って!!
千里、まだ帰らないで!!
今までこんな事なかったのに…
あたし、絶対あのマンションに越してズボラになったよ…駄目だ…
表通りを走って走って走って…
「あっ!!」
音楽屋の前で、早乙女さん発見!!
あたしがスカウトした、ギタリスト!!
「早乙女さん!!」
あたしが声をかけると、早乙女さんはすごくビックリしてた。
あ…あたし、声大きかったね…
要件を一気に言って、あたしは早乙女さんと別れた。
走って走って、マンションにたどり着いて…
「…はー…はー…」
息を飲む間もなく、エレベーターに乗り込んで。
「はー…ふー…はー…」
玄関のカギを開けて、ゆっくりとドアを開けると…
「………はあああああ…」
千里の靴は、ない。
急いでリビングに入ると、本当…ギターも譜面もソファーに置いたまま…!!
危ない!!
あたしはそれらを部屋に持って入って、特に譜面は…
下着の引き出しの、一番下に隠した。
一気に脱力。
そのままベッドで横になってると…わずか数分後。
「…知花、帰ってんのか?」
開けっ放しのドアから、千里が顔を覗かせた。
「はっ…」
あたしが飛び起きると。
「…学校、まだ終わってねーんじゃ?」
千里は、少し不機嫌そうに言った。
「…ちょ…ちょっと調子が悪くて…」
「……」
無言でジロジロ見られて…何だか、ちょっと嫌な気分。
「何よ…」
低い声で問いかけると。
「家を出れたからって、自由にし過ぎんなよ。」
千里は、冷たくそう言ってドアを閉めた。
「……」
な…何なのよー!!
〇早乙女千寿
『あ、早乙女さんですか?桐生院です。えっと…急で申し訳ないんですけど…ミーティング、ダリアっていうお店で今夜7時からになりました。』
僕は…その留守番電話を聞いて、少し緊張した。
お茶の生徒さん達が来るまでの間、暇をみては訪れていた音楽屋で。
コソコソと、ギターの試し弾きをしていた時。
「あの…」
声を掛けられた。
顔を上げると、桜花の制服。
あまり似合わないメガネが、余計印象に残る女の子。
「あの、突然…すいません。」
「…はい…何でしょう?」
「えっと…」
人見知りなのか…その子は、とても緊張した面持ちで。
「こんな事、初対面なのに、あの…」
眉間にしわを寄せたり、両手をグッと握りしめたりして。
「早乙女さん…ですよね?」
名前を言われて、少し驚いた。
何より…家族にも内緒で弾いてるギターの事が…バレてしまうんじゃないかと…
「あたし…桐生院知花と言います。」
「…桐生院て…もしかして、華道の?」
「はい。あの…早乙女さんのお母様には、うちの妹がお世話になってます。」
ペコリ。
「あ…いえ、どうも…」
ペコリ。
…しまったな…
ギター弾いてるの…見られたよな…
「バンド、されてるんですか?」
いきなり、痛い所を突かれた気がした。
「…え?」
「いえ、あの…時々ここで弾いてるのを見て…すごく指運びがスムーズできれいだなあって…」
「……」
僕は…目を丸くして、桐生院さんを見た。
今…僕の事、褒めてくれた?
バレてる!?って思うのより…嬉しさが勝った。
「あの…バンド…」
遠慮がちに、そう言われて。
「あ、いや…組んでない…」
僕は、しどろもどろに答えた。
すると…
「じゃあ!!あの…あたしがやってるバンドに入りませんか!?」
すごく、目をキラキラさせて…言われてしまった。
「………僕が?」
「はい!!」
「えっと…でも、僕の実力って…」
「さっき弾いてたフレーズで、十分分かりました!!」
「……」
さっき弾いてたフレーズって…
Deep Redの曲…
「でも…君の入ってるバンドって…?」
「あ、すみません。えっと…ハードロックバンドです。」
「ハードロック…」
見た目、フォークかな…なんて思ってしまってた。
だから、ハードロックと言われると…ちょっと驚きだった。
「君のパートは?」
「あたしはボーカルです。」
…やっぱり、フォークのイメージだけど…
「良かったら、これ…練習の音源なんですけど…」
そう言って、桐生院さんはカバンからカセットテープを取り出した。
「……」
そのカセットを手に、僕は…少し悩んだ。
ギタリストには…なりたい。
ならなきゃいけない。
だけど…それを叶えるために、何をどうすればいいのか…実際悩んでた。
このままだと、敷かれたレールを走るだけだ。
…織との約束が…果たせなくなる。
「あたし達、プロ志向なんです。」
「えっ。」
その言葉に、顔を上げた。
プロ志向…
「桐生院さん、家の人は…なんて?」
「…まだ…誰にも言ってません…」
「……」
「だけど、ずっと夢だったんです。」
「……」
桐生院さんの言葉に…僕はカセットをもう一度見つめて。
「…聴かせてもらうよ。」
そう言った。
そして…帰って早速そのカセットテープを聴いて…
鳥肌が立った。
まずは…カウントからのイントロ。
この、タイミングの良さ。
そして…リズム隊の的確なリズムキープ。
さらには…ギター。
なんて…カッコいい音なんだ。
テクニックも…すごい。
そして、いきなりのハイトーンのシャウト。
「…え?」
さっきのあの子が…これを歌ってる?
僕は唖然として聴き入った。
そして…体中が疼いた。
…弾きたい。
屋根裏からギターを取りだして、曲に合わせて弾いた。
なんてカッコいい曲なんだ…
オリジナルだよな。
…プロ志向。
その夜には…気持ちが固まってしまった。
気持ちが固まった僕は…まず、許嫁の件を断る事にした。
タイミングのいい事に、その許嫁の話を作った叔父が来る事になって…
みんなの前で、ギタリストになる事を公言した。
…当然、呆れられもしたし…怒られもした。
ばあ様に、勘当を言い渡されて…
僕は、家を出る事にした。
親不孝だな…
そう思う反面…
ずっと目指して来たものが、そこにあるんだと思うと…胸が弾んだ。
僕の実の父親は…浅井 晋というギタリスト。
それを知ったあの日から…僕の憧れは、ギタリストである浅井 晋。
いつか僕も…彼のようなギタリストになる。と、心に決めた。
勘当された翌日には、すぐに入れるアパートを探した。
意外と簡単にそれは見つかって…引っ越しも、ギターと衣類と…後は、お茶の道具一式。
何だかんだ言っても、僕は茶道から完全に離れる事はできない。
実際、浅井 晋が父親だと知らなかったら…
僕は、茶の道まっしぐらだったはずだ。
母さんに、連絡だけはつくようにしてくれと言われて、電話をつけた。
そして、その電話番号を…母から桐生院さんの妹さんに渡してもらう手もあったが、勘当されたのに母を使うのも…と思ってやめた。
郵送…
うーん…
と悩んでる時。
また、音楽屋で桐生院さんに会った。
と言うか、なぜかすごく急いでいた彼女は、通りすがりに。
「あのっ…もし、その気があれば…ミーティングに来ませんか!?」
そう、慌ただしく言った。
「え…え?いつ?」
ミーティング!!
行きたい!!
「あっ、えっと…まだ日にちは決まってないけど…えっと…あ、早乙女さん、連絡先って…」
そう言われて、僕はポケットから電話番号を書いた紙を差し出した。
「あ…ありがとうございます。ちなみに、夜でも大丈夫ですか?」
「うん。ほぼ家に居るから。」
「分かりました。連絡します!!」
そう言って…桐生院さんは走って行こうとして。
「あっ、えっと…うちのバンド、男三人、女二人です。じゃあまた!!」
引き返して、それだけ言って走って行った。
「……」
前回会った時と…印象違うなあ。
ちょっと、笑えた。
しかも…やっぱり、あの声とは結びつかない。
それから…数日後。の、今日。
いつまでもフラフラしてるわけにもいかないし、何かバイトしなきゃなあ…って捜し歩いて家に帰ると…
留守電が入ってた。
それは、今夜七時からミーティングがあるというメッセージだった。
…今夜七時。
時計を見ると、あと二時間。
「…ふう…」
もう一度、音源を聴いた。
ここではギターを屋根裏に隠さなくて済む。
僕はヘッドフォンをして、その音源を大音量で聴きながら…ギターを弾いた。
…何度聴いても、すごい。
男三人…女二人。
ボーカルの桐生院さんと…キーボードが女の子なのかな。
ギタリスト…どんな人だろう。
このライトハンド…今まで色んなギタリストのソロを聴いたけど…プロにも引けを取らない。
桐生院さん、高校生だけど…まさか、メンバーって全員高校生だったりしたら…
僕一人、おじさんって言われたりするのかな。
「……」
妙に緊張してしまった僕は…
「…お茶でも点てよ…」
落ち着くために、お茶を点てる事にした。
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