第24話 「母さん。」
〇島沢真斗
「母さん。」
家に帰って、リビングで新聞の切り抜きをしてる母さんに声をかける。
「ああ、まこ。おかえり。」
「ただいま。」
母さんはソファーから腰を上げると。
「サンドイッチ、どうだった?」
はい。と、両手を出した。
僕はカバンの中から、お弁当箱を取り出す。
「マスタードが辛かった…けど、美味しかったよ。ありがとう。」
「ふふっ。」
テーブルに切り抜かれた新聞の記事を手にする。
そこには…三つ年下の弟、
「へえ…カナ、また新聞載ったんだ。」
そこには、ダボダボなTシャツにジーンズ、派手なバンダナを頭に巻いて踊ってる奏斗の姿。
将来ダンサーになる。
そう言い始めたのは、初等部三年生の時。
僕なんて、漠然とピアノを弾いてただけなのに。
僕が漠然とピアノを弾き続けてる間に、奏斗は英語の勉強も始めた。
桜花には、アメリカとイギリスに姉妹校がある。
奏斗は、中等部からそのイギリス校に行かせてくれと両親に懇願した。
三つ年下の弟は大きな夢を持って、それに向かって着々と歩いていた。
僕が…ただ両親が喜ぶからって理由で、漠然とピアノを弾いてる間に。
初等部の頃からダンスコンクールに出ては入賞してた奏斗。
向こうでも、色んな大会で賞を獲っては、小さいけど…新聞に載るようになった。
僕は、それを…兄として…
嬉しいような、悔しいような…
…でも、やっぱり嬉しいのかな。
僕には出来ない事だし。
そんな、漠然とピアノを弾いてた僕に…ちょっとした転機が訪れた。
父親同士がDeep Redという同じバンド。
僕より三つ年上の、朝霧光史くんが。
「まこ、バンド組まないか?」
さらりと…そう言った。
ピアノは弾いてるけど…バンドを組む頭なんてなかった僕は。
しばらく光史くんの顔をキョトンと眺めていた気がする。
そりゃあ…確かに…うちの父さんはキーボーディストだよ。
だけど…僕はピアノしか…しかもクラッシックだよ。
バンドなんて、出来るのかな?
光史くんがドラムを叩いてるのは知ってたけど…まさか、ロックバンドを組むほどの情熱があったとは。
そして、光史くんは言った。
「あ、確かおまえと同級だよな。」
「え?誰が?」
「七生聖子と桐生院知花。」
桜花は、選択科目以外ではクラスは男女別。
それでもどちらも…知った名前だ。
七生さんは、中等部の時に色んなスポーツで表彰されるような目立つ人だった。
桐生院さんは…高等部から入学した人で、控え目な雰囲気で…実は、選択科目が一緒。
僕は、桐生院さんの声に聴き惚れた事がある。
なんて言うか…すごく、気持ちのいい声で…
なぜか、彼女の声を聞いてると眠くなっちゃうんだよなあ…。
「うん…同級生だよ。」
その二人が何か?と思ってると。
「ベースが聖子で、ボーカルが知花。どうだ?キーボードやらないか?」
そう言って、光史くんはカセットテープをセットした。
「これ、こないだの練習音源。」
カチッ
再生ボタンが押されて。
流れて来た曲は…あの二人…いや、七生さんは出来るとしても…
桐生院さんからは想像出来ない…予想以上にハードな曲だった。
イントロが終わって、ボーカルが入っ………
「…え?」
「すげーだろ。」
「……」
桐生院さんがボーカルと聞いて…
僕、それならライヴの間中寝ちゃうんじゃないかな?なんて自分で笑いそうだったけど…
これ…
「…桐生院さんの声?」
「ああ。俺も最初は度胆抜かれた。今は自慢だな。」
「……」
とにかく…カッコ良かった。
…すごい。
ボーカルもだけど…全体的に…すごい。
「…やる。」
気が付いたら、そう答えてた。
「よし。」
光史くんは少し笑顔になって。
「親父さんに、色々習っとけよ。」
僕と拳を合わせた。
「母さん、父さんいつ頃帰って来るかな。」
キッチンにいる母さんに問いかけると。
「さあ…まだあと二週間ぐらいかかるんじゃないかしら。」
まだあと二週間か…
「長いね。」
「久しぶりのレコーディングだもの。気合い入ってるのよ。」
「それもそっか。」
Deep Redは、解散したわけじゃないけど…ライヴや音楽活動は何年も休止してる。
今は若手ミュージシャンを育てる事に力を入れてるけど、まだまだ体力もテクニックもあるんだから、もったいないな…って思ってしまう。
そんな父さん達が、久しぶりにアルバムを出すんだから、そりゃあ…気合い入るよね。
ボーカルの高原さんは、聖子の伯父さんで。
僕も…小さな頃から知ってるし、すごく可愛がってもらってるけど…聖子と親戚だったなんて、光史くんに聞くまで知らなかった。
その高原さんは…何ていうか…すごく、雲の上の存在だって思う。
気さくで飾らなくて、父さんとはバンドメンバーって言うだけじゃなくて、絆みたい物も感じるし…親友なんだと思う。
Deep Redって、本当に憧れのバンドだ。
僕らも…あんな風になれたらいいな…
「行く前には毎日連絡するって言ってたのに、して来たのは最初の二日だけだったわね。」
母さんが、そう言って笑った。
昔から…父さんは音楽の事になると、そちらが優先。
まあ、でも…家に居る時は、鬱陶しいぐらい家族に全力を注ぐ人でもある。
だけど、レコーディングなんて事になると…それこそ光史くんのお父さん共々、周りが見えなくなるんだよね。
だからってわけじゃないけど…僕は母さんと二人きりになる事が多かった。
奏斗はあんな調子だから、小さな頃から自立してたって言うか…
一人が好きな奴だったし。
母さんを一人にするのが嫌で、気が付いたら僕がベッタリになってた気がする。
変な使命感と言うか…
母さんを守ってあげなきゃ。って。
周りから見たら、マザコンって思われると思う。
ま…いいんだけどさ。
奏斗が載ってた新聞を開いて、テレビ欄を見ると。
「あ、今夜テレビでやるんだね。」
夜9時からのロードショー。
『ティファニーで朝食を』
「そうなの。久しぶりに観ましょ?」
「だね。」
母さんも僕も、オードリー・ヘプバーンの大ファン。
ビデオは全部揃えてるけど、こうしてテレビでやるとなると、応援の意味も込めてって言うか…
つい、観ちゃうんだよね。
父さんは『夢だよ』って笑うんだけど。
昔、母さんは、オードリー・ヘプバーンに助けられた事がある。
それは…僕も何となくだけど…記憶の片隅に残ってる物がある。
救急車とか…
誰かの膝に座って聴いた、心地いいDeep Redの歌。
「…母さん。」
「なあに?」
母さんは切ったリンゴを乗せたお皿を持って、僕の隣に座った。
「バンドにさ、もう一人ギタリストが入るかもしんないんだ。」
僕は母さんに何でも話す。
母さんも、僕に色々話してくれる。
だから…あの人の事も知ってた。
…早乙女千寿さん。
「ふうん。どんな人?」
「…早乙女千寿さん。」
「……え?」
「…伯父さんの…息子さんだよね?」
早乙女千寿さん。
母さんの実兄、浅井 晋さんの…血の繋がった息子。
知花の目と耳は、確かだと思った。
だって、早乙女千寿さんの父親、浅井晋さんは…
アメリカで活躍してる『TRUE』ってバンドの、ギタリストなんだから…。
〇二階堂 陸
「おう。知花。」
バイト中、店で知花を見かけて声をかけると。
「あ、陸ちゃん。」
制服姿の知花は、カバンを持って俺を見上げた。
「帰りか?早いな。」
「うん。今日は三時間だったの。」
「聖子は?」
「光史とスタジオ入るって。」
「ああ…そう言えば、そんな事言ってたな。で?何か買いに来たのか?」
キョロキョロと店内を見渡す知花に問いかけると。
「ううん…実はね…この前、ここでギター弾いてた人をスカウトしたの。」
「え。」
思いがけない言葉。
…とは言え、俺も光史も、ついでにまこも。
人を見る目がないのかどうか…
ギタリストがもう一人欲しい。と言ったものの、そんなに本気で探してはいなかった。
こいつだ‼︎ってピンと来る奴なんて、そうそういないんだよな…(言い訳)
「今までも、何度か見かけて気になってたの。」
「へえ、どんな奴だよ。」
さすがだな。なんて思いながら、腕組みをして知花を見る。
俺をスカウトした張本人だ。
間違いないかもしれない。(自惚れ)
「髪の毛が長くて、丸い眼鏡かけた人。」
「女?」
「ううん。男の人。」
「……」
まさか。と思った。
その風貌を聞いただけで、それが…あいつじゃないのか?って…
「…名前とか…」
「早乙女千寿さん。」
「……」
その名前を聞いて、俺は…頭の中が真っ白になった。
早乙女千寿…
俺の…双子の姉、織を…妊娠させた男…
いくら同意の上とは言え、俺は…許せなかった。
織が早乙女の子供を出産して、今…幸せだとしても…だ。
「…陸ちゃん?」
知花が、不思議そうな顔で俺を覗き込んだ。
「あ…ああ。でも、俺は全然見かけた事ないぜ?」
「そっか…返事が聞きたいなと思ったんだけど…」
「返事?」
「練習音源、渡したの。」
「……」
どうしてかな…
こういう時って、なぜか繋がっちまうんだよな…
「あ、そう言えば、陸ちゃんと同じ歳」
「知花。」
俺は、知花の言葉を遮る。
「…何?」
その俺の様子に、知花は少し不安そうな顔をした。
「…メンバーの名前、言ったか?」
「え?…ううん、まだ。」
「…男三人女二人でやってるってぐらいにしな。それで、本当にやる気があるなら、ミーティングに来てみろって。」
「……」
「入るかどうか分からない奴に、名前を明かす事もないだろ。」
知花から目を逸らしてそう言うと。
「…うん…分かった。」
知花は、何でそんな事?と言わんばかりの声。
…悪いな、知花。
思い切り、個人的な理由だ。
あいつとは…やりたくない。
だが…
「…なんで、そいつをスカウト?」
知花を見て、少しだけ笑いながら言うと。
「指運びが丁寧で…」
知花は伏し目がちにそう言った後。
「よく分かんないけど、陸ちゃんを見付けた時の衝撃と似てたの。」
顔を上げて、俺を見て言った。
「…衝撃?」
俺が首を傾げると。
「うん。この人と、バンドしたい。って。この人のギターで歌いたいって…そういう衝撃。」
「……」
そう言われると…すっげ嬉しい気はした。
俺、知花に認められてるって事だよな。
あの、初めてのスタジオで受けたインパクト…
見た目とのギャップもさることながら…
知花は、相当な実力者だ。
耳もいいし、飲みこみも早い。
俺は…いや、たぶん光史も。
あのスタジオで感じたはずだ。
俺達は、知花以外のボーカリストとは、やらない。って。
「じゃ、またね。」
「ああ。気を付けて帰れよー。」
「ありがと。」
知花に手を振って、時計を見る。
今日は大学は午後からのカリキュラムで、バイトも午前中のシフト。
…まず…
一度家に帰ろう。
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