第23話 「……」

 〇神 千里


「……」


 俺は今、知花の部屋に勝手に入っている。

 色々決め事を作ったが…お互いの部屋に勝手に入らない事。とは…言ってない気がする。


 結婚して…すぐに引っ越した。

 とりあえず、この二ヶ月は、毎朝毎晩一緒に飯を食ってる。

 …俺の理想の家族像とは、雰囲気も人数も掛け離れてるが…

 知花は家の事もよくしてくれているし、まあ…居心地はいい。


 あいつは、マジ…いい女だ。


 寝起きの声。

 これがまた…いい。

 別々の部屋で寝てるのが惜しいと思うほど。


 俺がこんなにあいつの声に惚れてるなんて知ったら…

 …いや、知られないようにするけど。



「……」


 部屋の隅にある、アコースティックギターに目をやる。


 …音楽をする女は苦手だ。

 だから、知花が引っ越しの時にアコギを持って来たのを見た時は…眉間にしわが入りまくった。

 だが知花は『楽器が好きで…』と言った。


 …楽器が好きで?

 いや、おまえ…

 アコギなら、弾き語り系だよな。


 ぶっちゃけ……


 嫌だ。と思う俺と…

 いや…あの声で弾き語りとか…

 もしかしたら俺、萌え死にしてしまうんじゃねーか…?

 と思う俺と…


 …複雑だ。



 ちょっとハサミを借りたかったが、どこにあるか見当もつかない。

 俺は、適当に引き出しを開けてみた。


 ここは…Tシャツ。

 ここは…おっ、下着だ。


 …まあ、胸があまり大きくない事は見た目でも分かるが…

 せめて…もう1サイズ…


「……」


 ポリポリと頭を掻いて、ゆっくりと引き出しを閉める。



 て言うか、ここにはないよな。

 分かってて引き出しを開ける俺も…ふっ…

 最初から、机の引き出し開けりゃいーものを。


 そんなわけで、シンプルな机の引き出しを…

 おっ、ここっぽいな。

 文房具系…の下に…



「……何だこりゃ。」


 A4用紙に、英語がビッシリ。

 一枚を手にしてみると…



「……」


 俺は、こう見えても…英語とイタリア語は話せる。

 これが…書きかけの歌詞なのも分かった。

 …ますます、知花の弾き語り系疑惑が濃くなってくる。



「……」


 その歌詞を読んで…少し嫌な気分になった。

 もしこれが…知花が書いた物だとすると…

 正直、こいつには才能がある。


 一瞬にして、心地のいい声が頭に浮かぶも…だんだんと嫉妬心が湧き始めた。

 俺に秘密にして、歌を歌ってる…かもしれない。

 音楽やってる女は苦手だと釘を刺したから、言わなかったにしても…

 今までずっと、あの知花の声に惚れまくってた俺には…

 何となく、その秘密が裏切りに思えた。


 …いや、俺が先に釘を刺したからだとしても、だ。



 知花は家を出たかった。

 自分でいられない、自分を出せない苦痛。

 それは俺にも分かる。

 だから…同情もした。



 先週、晩飯の後に。


「ちょっと、遠くのコンビニに行って来るね。」


 そう言って出かけた事があった。

 コンビニ?しかも遠く?

 コンビニなんて、公園の向こうにあるぜ。


 気にはなったものの。


「おう。」


 としか答えなかった。


 知花は…どこまで遠くのコンビニへ行ったのか。

 一時間半過ぎて帰って来た。



 …お互いのプライバシーに関与しない。

 そう言ったのは俺だ。

 だから…何も言えない。


 何も言えないが…

 気になった。


 遠くのコンビニ。

 …音楽か…?


 それとも…



 …男…か?



 〇神 知花


「……」


「……」


 ど…

 どうしたんだろう。


 いつもご飯を食べ始めたら…

『これ、何が入ってんだ?』って…

 一言…何か聞いてくるのに。


 今夜は…千里が何も言わない。

 それどころか…機嫌も悪そう。



 あたし、桐生院…

 神、知花は…16歳の高校一年生。

 だけど、どうしても早く家を出たくて…の、偽装結婚。

 相手は、目の前で大嫌いなセロリがたくさん入ってるミネストローネスープを飲んでる…神千里。


 結婚して二ヶ月。

 お互いのプライバシーに関与しない…割と快適な生活。


 ただ…本当に…都合が良過ぎて…

 錯覚しそうな時がある。


 あたしと、千里は夫婦だ。って。



 お互いのプライバシーに関与しないって決めてるんだから、あたしが夕食後にどこに行こうが構わないはずなのに。

 千里は意外にもこまめに『事務所に戻る』『アズんち行って来る』なんて報告するから…

 つい、あたしも…

 嘘をつかなきゃいけなくなる。


 バンドのミーティング。


 遠くのコンビニに行くだなんて…苦し紛れ過ぎる。

 でも、ちゃんとコンビニで買い物もした。

 だから…全部が嘘ってわけでも…ないんだよね…?



「…ごちそうさま。」


 また伸ばし始めた髪の毛をかきあげて、千里が言った。


「…うん…」


「……」


「……」


「…不味かった。」


 …え。


 あたしは、瞬きをたくさんして、千里を見た。

 だけど千里は…ポーカーフェイスでソファーにふんぞりかえると、テレビのスイッチを入れた。



 …今、不味かった…って言った?

 そ…そりゃあ…嫌いな物がたくさん入ってるんだから…不味いって思われても…仕方ないけど…

 何だか、グサグサ来た。



「……」


 だけど、空になったお皿を見て…落ち込むのは免れた。

 不味いって思いながらも、全部食べてくれたんだもんね…

 …あんなに、好き嫌い激しいのに。



 ゆっくりと食器を片付けて、部屋に戻ろうとすると。


「風呂入る。」


 千里があたしを追い抜いてリビングを出た。


 …こんな感じで、千里は本当にいちいち報告する。

 まあ…こういうのって、助かるとは思うけど…


 部屋に入って、小さく溜息。

 …何かあったのかな…

 何だか、いつもと違うと…気になっちゃう。

 それとも、あれが本当の千里で…

 今までが、父さんに猫かぶってたように…あたしにも…とか?


 …気にしても仕方ない。

 あたし達は、偽装結婚。

 お互いのペースって、絶対あるもん。

 毎日がいい日だなんて限らない。



 あたしは思い直してキッチンに行くと、リンゴを切ってソファーに座った。

 今までテレビってあまり見なかったけど、何か見てみようかなって気になった。

 寮に居た頃は、深夜にやってるアメリカのヒットチャート番組やMTVを見てたけど…

 ここでは、あたしは早くに自室に入るし。


「……」


 …千里って、音楽番組に出てるんだよね…?

 ふと、気になった。

 誓と麗があんなに詳しいって事は、これぐらいの時間にやってる番組もあるのかな?


 千里が取ってる新聞を開いて、テレビ欄を見る。


 …たまに、おじい様の事が載ったりしてるみたいだからなのかな…

 千里が新聞を読むなんて、ちょっと意外だった。



「あー、あちー。」


 ドサリ。

 隣に、千里が座った。


「……えっ…」


 千里は…全裸。

 首にタオルを…かけてるだけ。

 あたしは慌てて立ち上がろうとして…


「おい。」


 腕を取られた。


「な…ななな何…」


 千里の方を見ずに答えると。


「コーヒー入れてくれ。」


「……」


 ちょ…ちょっと。

 全裸のままで、コーヒー飲むつもり!?

 あたしは息を飲んで…コーヒーを…


 対面キッチンだから、どうしても視界の隅っこに千里が入る。

 幸い…ここからだと、背中になるけど…


 何で?

 機嫌悪いと何も着たくないとか?



「…はい…」


 背後からコーヒーを差し出すと。


「置いてくれよ。」


 千里がテーブルを指差した。


「……」


 見ないように、見ないように…

 ゆっくりと、テーブルにコーヒーを置く。

 急いで部屋に戻ろうとすると。


「なっ…何…」


 また、腕を取られた。


「座れよ。」


「…い…いい。部屋に…」


「まあ、座れって。」


「えっ…」


 腕を引かれて、あたしは千里の膝の上に座る羽目になった。

 至近距離に、千里の顔。


「……」


「…ふっ。おまえ、いい加減俺の裸ぐらい見慣れろよ。」


 そう言った千里の手が…あたしの脇腹辺りを…ギュッと…


「ぎゃああああああ!!」


 あたしは大声を張り上げて、千里の膝から立ち上がると。


「もっ…もう!何すんのよ!!バカっ!!」


 クッションで千里の頭をポカスカと殴って、部屋に駆け込んだ。


「……」


 な…何なのよ…



 お尻に当たってた何かの感触を思い出して。


 あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!


 急いでスカートを脱いで、パジャマに履き替えた。



 最低!!

 千里のバカ!!

 悪魔ーーーーーーーー!!



 〇七生聖子


「ねえ、Deep Redって、いつ帰って来るか知らない?」


 あたしがそう言うと。


「さあ?連絡ないからなあ。」


 まこちゃんはお弁当のサンドイッチを頬張りながら、あたしを見た。


 お昼休みの理科室。

 高等部の二年になって、選択科目の授業が一緒になったあたしとまこちゃんは、一足早くここでお昼を食べている。



「知花とビートランドでバイトしたいねって言ってたんだけど、伯父貴がいつ帰るか分かんないんだよね。」


 今日のお弁当も美味しい。

 母さん、ありがとう。


「バイトかあ…知花、大丈夫なのかな?」


 まこちゃんがキョトンとした顔で言った。


「え?何で?」


「最近、ミーティングもだけど、夜の練習も…一時間だけど来るようになったじゃん?家、平気なのかな。」


「…確かにね…」


 バンドを組んでも、最初は土日の昼間の練習しか参加できなかった知花。

 平日の夜の練習って、9時から11時までなんだけど…最近は、9時半からの一時間、すごく集中して歌い上げて帰って行く。



「ま、でもダメなら出て来ないか。」


「そうだよね。」


 あたしとまこちゃんがそんな会話をしてると。


「もう食べちゃった?」


 知花がお弁当を持って入って来た。


「まだ少しだけ。」


「いらっしゃーい。」


 まこちゃんが椅子を引っ張って、知花があたしの前になった。

 …まこちゃん…あんた、いい男だよ。


 あたしと知花は、クラスも離れてしまったというのに、選択科目もことごとく分かれてしまった。

 そんなわけで、このお昼休みは超貴重だ。



「陸ちゃんの作った曲聴いた?あれって早速ツインギター想定だよね。」


 まこちゃんが、ウインナーを美味しそうに食べる…

 …ちょっと、それあたしも食べたいな。

 自分のお弁当箱の中から、悩んでイチゴをまこちゃんに差し出すと。

 どうぞ。と言わんばかりの笑顔のまこちゃんは、ウインナーと一緒にイチゴを返してくれた。


 ああ…あんた、天使だよ。


「僕も思った。でも確かに、ギター二人いると壮大な感じになっていいかな。」


 あたしとまこちゃんの会話を、知花はお弁当を広げながら聞いて、いつもの…柔らかい笑顔。


「あ、知花、その肉巻美味しそう。」


 まこちゃんが、知花のお弁当箱を覗き込んで言った。


「一つあげる。」


「やったー。ありがとう。じゃ、聖子に返したイチゴをあげる。」


「ふふっ。だって。聖子、もらうね?」


「……」


 なんて言うか…

 スタジオに入ってると、この二人って…凄まじいんだけど。

 こうして、お弁当食べてると…

 のほほんとし過ぎてて、力が抜ける。



「あ、そう言えばね。」


 弁当を食べ終わって、購買で買ったイチゴオレを三人で飲んでると、知花が言った。


「あたし…音楽屋でいい人見つけちゃった。」


「…いい人?」


「ギタリスト。」


「えっ。」


 あたしとまこちゃん、同時に声を上げてた。

 だって、みんなが色んな所で目を光らせてるのに…あたし達が望むようなギタリスト、全然見つかんない。



「どんな人?」


「指運びがすごく丁寧で、弾き方もきれいだった。」


 …知花にそう言われるなら、間違いない気がした。

 知花って、見る目があるもん。

 陸ちゃんだって、一発で決めてたし。



「だけど、きれいって…うちのサウンドに合うかな?」


 あたし達は…ハードロックバンドだ。

 知花は、ふんわりして癒し系だけど…歌うと豹変する。


「うん。絶対合うと思う。」


「連絡先とか聞いた?」


「弟同士が同級生だから分かるし、音源だけ渡し」


『今から図書委員会を始めます。各クラスの図書委員は…』


「あ…あたし、図書委員なんだ。行かなきゃ。」


 突然の放送に、知花は立ち上がると。


「続きはまたね。あ、その人の名前…早乙女さおとめ千寿せんじゅさんって言うの。」


 そう言って、慌ただしく理科室を出て行った。


「…サオトメセンジュって言った?」


 知花の残像を見ながら、まこちゃんが言った。


「うん。何だか、いい所のお坊ちゃんみたいな名前ね。」


 あたしがイチゴオレを完全に飲みきって言うと。


「…たぶん、いい所のお坊ちゃんだよ。」


 なぜか、まこちゃんは複雑そうな顔でそう言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る