第22話 「さくら、俺達、アルバムを作るんだ。」

 〇森崎さくら


「さくら、俺達、アルバムを作るんだ。」


 クリスマスイヴの朝…

 なっちゃんが、お風呂でそう言った。


 …アルバム…?


 あ…えっと…

 って事は…


 なっちゃん…また、歌うの?



「もう、みんなノリノリでさ。ま…久しぶりだからな。」


 聴きたい…

 あたし、なっちゃんの歌…聴きたい…


 それを伝えたくて、あたしは…必死でなっちゃんの顔を見ようとした。

 首を左に動かそうとすると…



「…だから、帰れない日が増えるかもしれない。」


 なっちゃんはそう言って…あたしの頭の上に…顎を乗せた。


 …何だか…今…

 わざと…?



 …あのキスから…なっちゃんは…少し変わった…

 あまり…目を合わさないし…キスなんて…全然…

 今まで…してくれてた、額や頬にも…しなくなったし…

 …お風呂だって…

 一緒に入る回数が…減った。


 …どうして?

 あたし…なっちゃんを…傷付けた?

 どうして…?

 …あたしが…傷付くよ…


 なっちゃん…

 もう、あたしの事なんて…



「…さくら?」


 あたしは…全身の力を…振り絞って…

 なっちゃんから…離れようとした。


「おい…さくら…」


 もう…触らないで…

 こんなあたしなんて…

 なっちゃん…もう…



 必死なのに…

 あたしの身体は…なっちゃんの膝の上から…動かない…

 ただ、上半身が少しだけ…なっちゃんの胸から…離れた。

 そして…腕も、少しだけ…なっちゃんから、離れた。


「さくら…どうした?」


 無意識なの…?

 無意識に…あたしを…避けてるの?

 それなら…本当に…もう、あたしなんて…



「さく…」


 なっちゃんの声が、止まった。

 自分でも…気付かなかったけど…

 あたしの目から…ポロポロ…涙が…


「……」


 なっちゃんは、体の位置をずらして…あたしと向き合うと…

 優しく…両手で頬を包んだ…


「…さくら…」


 優しく呼ばれたけど…あたしは…視線をなっちゃんには…向けなかった。


「さくら。」


 なっちゃんは…視線を合わせようとして…あたしの顔を、覗き込む…


 …やだ。

 顔…見たくない…


「…ごめんな…分かるよな…」


 なっちゃんは…溜息交じりにそう言うと…ゆっくりと…あたしを正面から抱きしめた。



「…おまえが…事故に遭って寝たきりになって…俺、おまえをもっともっと大事にするって決めたんだ。」


「……」


「なのに……自制心が……悪かった。」



 …何…言ってるの?

 自制心って…何?


 あたしは、必死で…腕を上げて。

 なっちゃんの…首にしがみついた。



「…さくら…俺は…」


 抱いて…なっちゃん。


 しがみついたなっちゃんの首筋に…唇を当てた。


 だけど、なっちゃんは…あたしの肩に手を掛けて…

 簡単に、あたしを…引き離した。


 …どうして?


 恥ずかしくて…悔しくて…また…泣きそうになった。

 あたしの…今の全力をぶつけても…

 なっちゃんには…届かない…



「さくら、ダメだ。こんな状態のおまえを…」



 …そっか。

 こんな状態のあたし…魅力も何も…ないって…事だよね…


 それなら…

 いっその事…


 捨ててくれたら…いいのに…



 〇高原夏希


「…ただいま。」


「おかえりなさいませ。」


「……」


 いつもの言葉が…なぜか出て来なかった。


『何か変わった事は?』


 毎日…帰って来ると、問いかけるのに。



「…聞かれないんですか?」


 無言の俺に、サカエさんは淡々とした表情で言った。


「…何かあったのか?」


「それは、私のセリフです。」


「え?」


「今日は、一口も食事をなさいません。」


「……」


「朝、旦那様が仕事に行かれてから一度も、水さえ口にされません。」


「……」


「まるで、自ら枯れようとされてるようです。」


 俺は小さく溜息をつくと。


「…サカエさん。俺は…どうしたらいいんだろうね。」


 いつもなら…すぐにさくらの顔を見に行くのに。

 まず…ソファーに座った。



「俺は…さくらがあんな状態になって、自分を…男を捨てる気でさくらのそばにいた。」


「……」


「だが…最近のさくらは…目に力が戻って来て…見つめられると…それだけで俺は…」


「……」


「…最低だ。」


「…旦那様。」


「…何だ。」



 サカエさんは、俺の前にしゃがみこむと。


「さくらさんは、寝たきりとは言っても…お体はお元気です。」


 静かな声で言った。


 …確かに、毎月受ける血液検査に異常はない。

 筋力反応検査も…


「そして、感情もお元気になられたのだと思いますよ?」


「…感情…」


「前は、視線で何かを訴えるような事もできなかったのに、今はそうやって視線でお気持ちをお伝えになるのでしょう?」


「……」


 なぜか…

 今まで自分一人が重く考え過ぎていたのだろうか…と、思え始めた。

 いや…重く考えて当たり前だ。

 さくらの状況は…



「さくらさんは、女性ですよ?」


 サカエさんの言葉に、うなだれていた顔を上げる。


「そばに最愛の男性がいらしたら…意思表示をなさるのは当然です。」


「……」


「それに…さくらさんにそういう情熱が戻られたというのは、とても嬉しい事じゃないですか。」


 サカエさんは、呆れた顔で俺を見てる。


「私はてっきり…毎朝のお風呂や、毎晩のベッドで…その…てっきり……と思ってましたが。」


「まさか。身体が動かないさくらに、そんな事…」


「でも、お気持ちは旦那様と同じでいらっしゃると思います。」


「……」


 気持ち…

 もしかして俺は、どこかで臆病になって。

 さくらに拒絶される事を恐れて、自らそうするのがいい…と、男を捨てる気になっていたのだろうか。



「旦那様、ずっと我慢なさってたんですか?お体に悪うございますよ。」


 最初は照れくさそうに話していたサカエさんも、すっかり俺を茶化す勢いの笑顔。



「病人としてではなく、旦那様の愛するさくらさんと思って接してあげて下さい。」



 サカエさんの言葉は…俺の目を覚ましてくれた気がした。

 俺は小さく笑って立ち上がると。


「…片想いを母に話したような気分だ。」


 前髪をかきあげながら言った。


 サカエさんは…恐らく母と同じ歳。

 母には…恋の話もできなかった。



「いつでもご相談ください。」


 サカエさんは柔らかい笑顔でそう言った。



 * * *


「……」


「……」


「…何だ?」


 一曲終わった所で、メンバー達が不思議そうな顔をしてる事に気が付いた。


「…いや、なんか…ナッキー、昨日と全然ちゃうな思うて。」


「あ?」


「うん。声の伸びが全然違う。」


 マノンとナオトにそう言われて…俺はつい、鼻で笑ってしまった。


「なんや今の。」


 マノンがギターを担いだまま、背中で俺にぶつかって来た。


「いてっ。やめろよ。」


「なんかええ事が?」


「ま、そんな感じ。」



 夕べ…サカエさんと話して、少し気が楽になった俺は…


「…さくら。」


 水さえも口にしてなかったさくらの頭を撫でて。


「今朝はごめん…」


 そう言って、さくらの目が開くのを待った。


「……」


 さくらは、目を開けない。

 …だけど…寝たふりをしている気がした。


「俺にガッカリしたか?」


「……」


「…ガッカリするよな…何年も一緒にいるのに…」


「……」


「俺ももうオッサンだからな…さくらを満足させる自信がなくてさ…」


「……」


「さくらに下手くそって言われるのが怖いんだよなー…」


 さくらのまぶたが、ピクリと動いた。


 …ふっ。

 サカエさんの言う通りだ…。

 さくらは…元気なんだ。


 ただ、色んな意識が上手く繋がらなくて…

 身体を自由に動かしたり、言葉が上手く出せないだけで…



「…サカエさんに聞いたけど、今日は何も食ってないんだって?」


「……」


「こういっちゃなんだが…さくら、もう少し胸あったよな…」


 そう言って、さくらの胸に触れる。

 すると、さくらの眉間に…少しだけしわが寄った。


「…今のおまえは…強く抱きしめると折れそうで怖い。」


「……」


「早く…力いっぱい抱きしめたい。」


「……」


「…しっかり食って、もう少し…」


「……」


「…胸を大きくしてくれ。」


「………カ…」


「…起きてたのか?」


 さくらが、ゆっくり目を開ける。


「……」


「え?何だって?」


 さくらの口元に、耳を寄せる。


「…バ……カ。」


「ははっ…バカと来たか。」


 さくらの隣に入り込んで、ゆっくりと抱きしめる。


「そんなバカに惚れたバカは誰だ?」


「……」


「さくら…愛してるよ。」


 渇いた唇をついばむようにキスを繰り返した。



 俺は…さくらの気持ちや感情までをも、病人扱いしてしまってた…

 ダメだな。

 俺がこんなんじゃ、さくらは良くならない。


 さくら。


 これから俺は何も我慢しない。

 昔のように…

 全力でおまえを愛して、全力で…おまえを大事にするよ。



 〇七生聖子


「嬉しいなー。知花がミーティングに出れるなんて。」


 夜の音楽屋。

 お店の奥まった所にあるスタジオの前に、ちょっとしたミーティングルームがあって。

 あたし達はその部屋の一番奥のテーブル席に、自販機で買ったジュース片手に集まってる。



「家、平気なのか?」


 向かい側に座ってる陸ちゃんが、心配そうに聞いた。


 バンドのミーティング。

 いつもは知花抜きの4人でやるんだけど…

 今日は、初めて…知花が来た!!



「うん。一時間ぐらいなら。」


 知花も嬉しそう。

 そりゃそうだよね~。


 あたしと知花は、七歳の時、春のお茶会で知り合った。


 どこかの庭園で毎年開催されるそれに、あたしはなんで連れて行かれたのか分かんないんだけど…

 そこに、めちゃくちゃ可愛い女の子がいた。

 甘いお菓子みたいなイメージって言うのかな…

 声をかけたら、同じ歳だった。


 ビックリ!!

 友達になりたい!!


 そう思ったあたしは、知花に猛アタック。

 だけど…インターナショナルスクールの寮生だって聞いて…またビックリ!!

 あたしと同じ歳だよね!?

 小学校一年だよね!?

 それで寮生って…あたしなら泣いちゃうよー!!


 何とか連絡先をゲットしたあたしは、まるでラブレターを書くかのように…知花に手紙を書いた。

 まあ…今思い出すと、くだらない内容よ。

 担任の名前とか、使ってる消しゴムの匂いとか…

 ほんっと、くだらない…


 だけど知花は律儀に返事をくれた。

 おまけに、あたしの事を褒めまくってくれてた。


『聖子ちゃんは背が高くていいなあ』


『聖子ちゃんの髪の毛、黒くて真っ直ぐで、羨ましい』


 ますます知花を好きになった。

 夏休みや春休みが待ち遠しかったけど…

 なぜか知花はあまり実家に帰って来なかった。


 今思うと…あれだ。

 知花の双子の弟妹の母親…

 知花の、継母。

 あの人と、折り合いが悪かったのかもしれない。

 だって、あの人が亡くなった後は…知花、少し実家に帰るようになってたもんね。



 知花が…『将来シンガーになりたいんだ』って…手紙に書いて来たのは…9歳の時だったかな。

 あれにもビックリした。

 シンガー?シンガーって何?って感じだった。


『歌手!?もしかして知花ちゃん、アイドルになりたいの!?なれるよー!!可愛いもん!!』


 あたしがそう返事に書くと。


『アイドルとかじゃないの。できれば、バンドって言って…何人かで楽器やりながら音楽を楽しみたいの』


 衝撃だった。

 あたし、何か楽器始めなきゃ!!って思った。



 幸い、お向かいに世界のギタリストが住んでる。

 あたしは早速朝霧邸に通って、ギターを習った。


 幼馴染の光史はドラムを始めてたけど、あたしが習う時は一緒にギターを弾いた。



 そこそこ弾けるようになった頃…

 何だかギターって普通だよなあ…なんて思っちゃって。

 10歳の時、ベーシストに転向した。


 意外とそれが性に合ったのか…ハマった。


 おかげで、光史と二人でリズムセッションを楽しんだり…

 知花のおかげで、すごく楽しい物を覚えた!!って…毎日興奮してた。



 だけど…中学に入ると、クラブ活動の勧誘が激しくて。

 一応陸上部に入ってみたものの…顧問からも執拗な勧誘が続いて、バレーとバスケもかけもちした。

 そうすると…必然的に知花との文通も、ベースを弾く時間も減るわけで…


 中1中2は、本当に部活に明け暮れてしまって。

 知花とも音楽とも疎遠になってた。

 あたしの暗黒時代。



 それでもベースは気晴らしに弾いたりもしてたけど…

 知花とは…ちょっと…勝手に気まずくなって手紙も書かなくなった。

 本当に…勝手に…なんだけどね。



 だけど、中3になる春休み。

 知花からの手紙に、こう書いてあった。


『あたし、聖子と同じ学校に行きたい。だから、桜花を受けようと思う』


 あたし…泣いちゃったよ。

 だってさ…あたし、勝手に知花を突き放したみたいになってたのに…

 それに、エスカレーター式の桜花を、高等部から受験するって、すごく大変なのにさ…


 知花からの手紙で持ったインターナショナルスクールのイメージは、すごく奔放で。

 そこから桜花になんて…絶対無謀だって思った。

 桜花、結構厳しいし。


 あたしは、体調不良を理由に部活を休んだ。

 全然体調不良なんかじゃなかったけど、部活してる気分じゃなかった。


 学校が終わったらすぐ家に帰って、ベースを弾いた。

 願掛けみたいな感じ。


 知花が桜花に受かったら、絶対一緒にバンド組む。

 そう決めて…毎日猛練習した。



 知花は猛勉強をして、桜花の高等部に合格した。

 嬉しかった。

 しかも、同じクラスになれた。


 あれから、あたしのバラ色の日々が始まった。


 勢い付いたあたしは、幼馴染の朝霧光史に『バンド組もう』って持ちかけた。

 光史、最初は渋ってた。

 プロ志向だから。って。

 そんなの、あたしだってそうだよ。


 時を同じくして、知花が音楽屋でギタリストをスカウトしてきた。

 桜花の大学一年。

 二階堂陸。


 人見知りの激しい知花が、初対面の男に声をかけるなんて…って驚いたけど。

 それだけ真剣って事なんだよね。



 ふたを開けてみれば、その二階堂陸は光史と友達だった。

 なら話は早い!!って事で…スタジオに入った。


 …全員が…鳥肌立てた。


 あたしは、光史とのリズムセッションと、知花がアコースティックギターを弾きながら歌って、それにベース弾きながらコーラスするパターンしか経験がなかった。

 だけど…ボーカルとギターとベースとドラム。

 バンドって…楽しい!!カッコいい!!って、本気で思った。


 それから…曲の幅を広げるために、って。

 光史がキーボーディストを連れて来た。

 桜花の男子クラスにいる…あたしと知花とは同級生の島沢真斗。


 …全然、存在さえ知らなかった。

 けど、『まこちゃん』は、あたしを知ってた。


『中等部の時、部活で目立ってたよね。どうして途中で辞めたの?』


 ああ…そうだった…

 あたしは何かと目立ってたんだった…



 ともあれ、五人揃った。

 曲を増やしたり目標であるライヴをするためのミーティングを…って。

 いつも集まるのは知花抜きの四人だったけど…今日は全員集合!!



「一時間か。しっかり詰めようぜ。」


 光史がそう言って、手帳を開いた。


「おう。」


 陸ちゃんも、譜面の裏にペンを走らせる。


 自然とお誕生日席に座らされてるまこちゃんは、ニコニコしてみんなを見てる。


「あれ?まこちゃん書かないの?」


 あたしが問いかけると。


「うっかり手ぶらで来ちゃってさ。明日学校でコピー取らせて。」


 憎めない笑顔だよ…ちくしょ…



 幸い、他に誰もいないから…練習のテープを聴きながら、一曲ずつ意見を出し合ってく。



「このイントロ、まこに被せて俺が弾いたら、ちょっと低音が寂しいよな。」


「あたし、音数増やそうか?」


「いや、そう言うんじゃなくて…バッキングが欲しい。」


「あたしがそこだけギター弾くとか?」


「知花は歌に集中した方がいい。」



 そんな意見が飛び交ってると…



「…いっその事、もう一人増やさねーか?」


 陸ちゃんが言った。


「ギターがもう一人。出来れば最高に上手い奴が欲しい。」


「最高に上手い奴なら、もうバンド組んでるはずだよね。」


 あたしが首をすくめると。


「ま、目を光らせてみよう。」


「ギター二人になるとしたら、『if』のエンディングの所でさ…」


 まだ見つかったわけでもないのに…陸ちゃんの夢は膨らむばかりで。


「ねえ、それって見付かってからにしようよ。」


「ははっ。もう無理だな。陸の気の済むまで語らせてやれよ。」


「じゃあ、僕もピアノでかぶせよっと。」


「あっ、まこちゃんまで!!」


「ふふふ。」


「知花~!!あんた時間ないんだから、文句言ってやんなさいよ!!」


「楽しいからいいよ。」



 こうして…

 あたしにとっては、文句のないバンド活動が…始まった。



 はずだった。

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