第20話 「……」

 〇神 千里


「……」


「よー、神。起きたー?」


 目を開けると…そこは…


「…なんで俺、おまえんちに?」


 アズの家だった。


「えー、夕べ来て、朝まで飲もーって盛り上がったクセに。」


「…俺が?」


「うん。いい事があったからってさ。」


「…何か喋ったか?俺。」


「何かって?」


「……」


 俺は目を細めてアズを見た。


 こいつ…


「あっ、そー言えば、篠田さんが心配しちゃいけないと思って、家にも電話しておいたから。」


「…サンキュ。」


「何か食う?」


 そう言ったアズが手にしてるのは、たっぷりと…生クリームらしき物が乗ったトースト。


「…要らない。」


「じゃ、コーヒー入れる。」


「…サンキュ。」



 アズは…この二階建ての一軒家に一人暮らし。

 高校一年の…夏ぐらいからかな。


 こいつこそ、生粋の一人っ子で。

 俺と知り合った頃には、両親と三人暮らしだったらしいが…父親は、俺らが小学校中学年ぐらいの時、事故で亡くなったらしい。

 それから女手一つでアズを育ててた母親は…アズが中学に入ってすぐ、再婚した。


 最初は、ここで三人で暮らしてたが…父親の仏壇が気に入らなかった再婚相手が、母親を連れて出て行った。

 …アズ一人を、ここに残して。


 思えば、アズの独り言や変な言動が増え始めたのは、母親の再婚の頃からかもしれない。

 もしかしたら、継父と上手くいってなかったのかもしれないが、アズはそんな事を俺には喋らなかった。

 ただ…


「あ~帰りたくないな~。もっとスタジオで練習してたいや~。」


 と、いつものふざけたような口調でそう言っていた。



「…アズ。」


 俺が髪の毛をかきあげようとして…前髪が短くなった事を自分で思いだして笑うと。

 アズは、俺を指差して笑った。



「おまえ、もっともっとギター上手くなれよ。」


 いつもより、少し優しい口調だったと思う。

 夕べ、桐生院家で…家族の優しさに触れた。

 知花を21時まで家に帰らせない家庭とは…思えなかった。

 そこには何か理由があるんだろうが…それでも、愛がないとは思わなかった。


 …誰かに優しくしたい。

 なぜか、そう思った。



「…朝霧さんにも言われた。」


「なんて。」


「もっと頑張らな、千里と離れる事んなるでぇ~。って。」


 アズのモノマネは、ちっとも似てなかった。

 似てなくて笑えなかったが…小さく笑った。



「…おまえ、マジで頑張れよ。」


「……」


「俺は、おまえとやって行きたいんだよ…」


 ガラにもなく…少し泣きそうだった。



 俺は…バンドを家族に見立てていたのかもしれれない。

 だけど、理想と現実は違う。

 桐生院家のような、笑顔の集まる家庭じゃなかった俺に。

 いくらバンドに憧れを求めても…無理だった。


 もっと…興味を持たないと無理だよな。

 頭では分かるのに。


 少し落ち込んだ気持ちになってると…


「…んだよ、これ。」


 アズが、俺の前に来て…俺を抱きしめた。


「んー…神、なんか泣きそうだったから。」


「…泣くかよ。」


「泣いていーのに。」


「泣かねーって。」


「素直じゃないなあ。」


「気持ち悪い。離れろ。」


「つれないな~。」



 無理矢理、アズの身体を押し除ける。

 アズはニヤニヤ笑いながら。


「夕べは来てくれて嬉しかった。」


 まるで…女みたいな事を言って、俺に鳥肌を立たせた。




「おかえりなさいませ~!!」


 じーさんの屋敷に帰ると…篠田と佐々木から、盛大な出迎えを受けた。


「……何だよ、その笑顔は…」


 二人の、これ以上ない。的な笑顔を前に、俺は眉間にしわ。


「夕べ、知花様からお電話いただきました。」


「あ。」


 しまった。

 結局どうなったのか、聞かなきゃいけねー…

 …俺が覚えてないほど飲むなんて…やっぱ、緊張してたんだろうな…


「とても、お幸せそうでしたよ。良かったですね。」


「…は?」


「は?って。ご家族の皆さんとの会食、大成功だったそうじゃないですか。」


「……」


 え…えーと…

 …そうだ。

 何となく…おぼろげだが…

 親父さんとは…マジでかなり盛り上がって…

 双子にも、メンバー全員のサインをやる。なんて言いながら、まずは俺がTシャツにサイン書いて喜ばれて…

 …写真も撮ったか?

 それから…?


 …それから…

 ああ…知花を…芝生で…抱きしめたような気が…



「……」


 ふいに蘇る…あの言葉。


『知花さんと、結婚させて下さい。』


『離れて居たくないんです。』


『できれば、知花さんの誕生日が来たらすぐにでも結婚したいんです。』


 …俺が言ったのか?

 ああ…そうだな…

 俺が言ったな…!!


「あ゛~!!」


 突然の俺の奇声に、篠田と佐々木は肩を震わせた。


「ぼ…坊ちゃま!?」


「…何でもない……少し…むず痒いだけだ…」


 しかめっ面のまま、上を見上げて言う。


 いくら酔っ払ってたとはいえ…なんてザマだ…

 次に知花に会う時…どんな顔をすれば…



「ぼっ坊ちゃま!お電話でございます!」


 目頭に手を当てて不覚を悔いてると、篠田が慌てて言った。


「…あ?」


「桐生院様です…」


「…知花?」


「…お父様かと…」


「……」


 まずい。

 まずいぞ。

 覚えてないなんて…言えねーし…



「…もしもし、お電話代わりました。千里です。」


 ええい。

 こうなりゃ、勝負に出るしかない。


「夕べはありがとうございました。こちらからお礼の連絡を…………は?」


 俺のそばには、篠田がピッタリとくっついている。


「あ…いえ、はい。は…分かりました。」


 話が終わって電話を切る。

 するとすぐさま、篠田が。


「何ですか?結婚の日取りを決めたり…ですか?」


 のぼせた調子で言って来た。


「…ちげーよ。今からうちに来るってさ。」


「えっ!?」


「知花に内緒で。」


「……」


 篠田は無言だったが…それもつかの間。


「坊ちゃま!!すぐにシャワーを!!」


 俺の腕を掴んで、バスルームに走った。



 篠田に急かされながらシャワーを済ませ、身支度が済んだ頃。

 玄関のチャイムが鳴って。


「突然、申し訳ないね。」


 そう言って、知花の親父さんは…俺の前に座った。


「いえ。」



 高そうなスーツだなー。

 社長だから、当たり前か。


 親父さん…43っつってたっけ。

 俺の思う四十代よりは、若いよなー。

 高原さんや朝霧さんにしてもそうだけど…俺もこういう歳の取り方してーなー…


 それにしても、知花も双子も…親父さんにも、ばーさんにも似てねー。

 どっちも、死んだおふくろさん似か?



「…君は、知花から『誰にも言ってない秘密』を聞いたと言ったが…知花はどんな秘密を?」


 篠田が入れてくれたコーヒーを飲みながら、親父さんが…低い声で言った。


「…秘密なんだから、喋っちゃまずいですよね。」


 俺は苦笑いしながら言ったが…


「…身体的な事かい?」


 親父さんは…引かなかった。


「……髪の毛を見せてもらいました。」


「…そうか。」


「聞いていいですか?」


 じゃあ、俺も聞いてみよう。と思った。


「何だい?」


「どうして…週に三日、21時まで家に帰っちゃいけないんですか?」


「……」


「どうして去年まで、インターナショナルスクールの寮に?」


「……」


 親父さんは、俺の質問に少しだけ視線を落として…


「…知花は…私の子供ではないんだよ。」


 静かな声で、ゆっくりと言った。


「知花の母親と結婚した時…彼女はすでに妊娠していてね。」


「…知ってて…結婚したんですか?」


「まあ…そうかな。」



 それから…親父さんは。

 最初は茶色かった知花の髪の毛が、三歳ぐらいから赤毛になった事。

 そのせいで、知花は好奇の目にさらされ…後ろ指をさされるようになった事。

 それを不憫に思ったばーさんが、インターナショナルスクールに知花を入れた事を話した。


 週に三日、早く帰らせないのも…華道の生徒が来るから、バッティングを恐れての事らしい。


 …意外と…過保護にされてる…って事なのか?

 守られてる…んだよな?

 だが、知花にそれは伝わっていない気がする…。


 でも、俺から言わせたら…知花を守るつもりのそれらは、反対に知花を傷付けただけな気がするけどな。



「…どんな方だったんですか?」


 親父さんの目を見て問いかける。


「知花の母親かい?」


「はい。」


「…そうだな…」


 親父さんは窓の外に目を向けて。


「…ピンク色のチューリップ…」


 そう、つぶやいた。


「え?」


「なんて言うのかな…ビックリ箱のような女性だったよ。」


「ビックリ箱…?」


「驚くほど何でも出来て、だけど決して才女というわけでもなく…ただ、ひたすら可愛らしい女性だった。」


「……」


 よっぽど…好きだったんだな。

 そう思わされた。



「病気で亡くなったんですか?」


 さらについでにと思って、聞きにくい事をズバリ聞いてみると…


「…いや…」


 親父さんは苦笑いをしながら少しうつむいて。


「…私が、追い出してしまったんだ。」


 俺が目を丸くして無言になるしかないような事を、言った。



「……どうして…俺…僕に、ここまで?」


 結構な話だよな。

 何なら桐生院家のトップシークレット的な。

 そう思って問いかけると。


「君なら、知花を任せられるかなと思って。」


「……」


「知花を、幸せにしてやって欲しい。」


 親父さんは…真顔。



 わりーな。

 親父さん。

 この結婚は…俺の望みを叶える為だけだ。


 知花の幸せなんて…



「…はい。」


 俺は、静かな笑顔で親父さんを見た。

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