第18話 「よーお。」
〇神 千里
「よーお。」
「……」
いつもの公園で知花を拾うと。
いつもは「こんにちは」っつって助手席に乗って来る知花が、目を丸くしたままドアの外にいる。
「…なんで乗らない。」
「あ…う…ううん…ちょっと、ビックリしたから…」
知花はスカートを押さえながら、小さく『お邪魔します』って助手席に座った。
「何がビックリだ?」
「…よーお…って、何かゴキゲンなのかな?って…」
「……」
ゴキゲン?
ゴキゲンなのか?俺。
それは…
瞳とのランチが、意外と楽しかった事で…か?
それとも、瞳に二度キスをされた事で…か?
…知花と、買い物に行くのが楽しみで…か?
いや、正解はない。
だいたい、俺は別にゴキゲンなんかじゃねーし。
「よーおって言っただけで、ゴキゲンって言われるとはな…」
俺が声のトーンを落として言うと。
「…だって、いつもよりキー二つぐらい高かったから…」
いつもより、キー二つぐらい高かったから…?
「…は?おまえ、キー二つとか分かんのかよ。」
俺が知花の顔を見ると。
「ふっ普通と違ったら、それぐらいって…思うのかなー…なんて…」
知花は、少し慌てた風にだが…ゆっくりと言った。
俺は、音楽やってる女は苦手だ。と、知花には伝えた。
瞳は、俺の歌に対してあれこれ言わないが…15の時、ストリートミュージシャンをしてるという女子大生と付き合った時…
…付き合ったっつっても…あれだ。
デザイナー志望の幸介の知り合いで、幸介を好きだったが叶わなくて。
千秋に鞍替えしようとしたが、頭のいい千秋はストリートミュージシャンの女子大生には興味の欠片も持たず。
仕方なく…みたいな感じで、俺に来た。
ま、バンドの傍ら美味しい想いが出来ればいいと思ったぐらいで、デートなんてのも覚えがない。
覚えてるのは、やたらアレやコレが上手かった事や…俺の歌に対して言った事だ。
いちいち俺の歌い方や曲の作り方に、いちゃもんをつけて来て。
「千里くん、それじゃプロになんてなれないよ。」
最後は鼻で笑いやがった。
そのクセ、自分の歌は聴かせない女だったな。
ま、そんなに興味もなかったが。
あれ以来、恋人という存在を何度か作ったものの…どれも長続きはしなかった。
特に、歌を歌ってる女は。
俺が相手に興味を持てないからだ。
だが……瞳とは…
もしかしたら、タイミングが違ってたら…
「…千里?」
知花の声に、ハッとする。
俺は車を停めたまま、黙り込んでしまってた。
「ああ…悪い。」
「…あの…」
「何。」
「…結婚…本当にするの?」
「…あ?」
今更のように、知花が言った。
おい。
決心鈍ったのかよ。
「俺ら、結婚するって言ったよな。」
「言ったけど…」
「怖気付いたのか?」
「上手くいくのかな…って…」
「何が。」
「あたし、まだ高校生なのに…家族が許してくれるのかな…って…」
「だから、そこは俺が説得するっつってんじゃん。」
「……出来るの?」
知花が、上目使いで俺を見た。
俺はそれを無言で見つめ返して…
「え…」
手を伸ばして、知花を抱き寄せた。
「なっ…ななな何っ!?」
ったく…
少しは慣れろっつーの。
「もっと俺を信じろ。」
俺がそう言うと、少し暴れてた知花はおとなしくなった。
「俺達には、同じ目標がある。」
「…うん…」
「同志だ。」
「…うん…」
「絶対、成功させてみせる。」
「……分かった…」
その言葉に俺が腕の力を緩めると、知花は少しだけホッとした顔で。
「…結婚…って口にすると、何だか実感湧かないけど…同志って言われると、安心する。」
相変わらず、いい声でそう言った。
「そろそろ、おまえの親父さんに会おうかと。」
冷蔵庫を選んでる最中にそう言うと。
「…どうして?」
知花は、キョトンとした顔。
「どうしてって…いきなり家に嫁にくれって行く方がいいのか?」
まあ、俺はそれでもいいんだけどな。
だが、うちの兄貴達の結婚までの道程を思い出すと…プロポーズまでに、面識があった方がいい気がする。
「……」
俺の問いかけに無言になった知花を見ると…
…なぜか、赤くなっている。
なんだコイツ。
結構…俺に惚れてんじゃねーの?
「どうする。」
顔を覗き込んで言うと。
「う…うん…お父さんの…会社の近くに、色々お店あるから…」
知花は目を泳がせて答えた。
「俺でも食えそうな店か?」
「………たぶん。」
「何だ、その間は。じゃ、最初は茶ぐらいにしよーぜ。」
「うん…それが無難かも……でも…」
「何。」
「…緊張…する。」
「……」
知花が真顔でそんな事を言って。
俺も急に…事の重大さに気付く。
偽装とは言え…結婚だ。
コイツを、嫁にもらうんだ。
『知花さんを、僕にください』
『知花さんと、結婚させてください』
…い…
言えるのか?俺。
「…とりあえず…」
俺は意を決して、知花に言う。
「土曜日、親父さんと茶をするように段取りしてくれ。」
平日の夜に会うより、週末の方が気が楽なはずだ。
もっとも俺の休みは不定期だから、こっちが合わせるしかないが。
知花が休みだから…こいつの心の準備諸々を思うと、土曜だな。
「…土曜日って、今週の?」
「ああ。」
知花は口をパクパクさせて、狼狽えた風だったが。
やがて…
「……分かった。」
覚悟を決めたような顔で言った。
が。
「…やっぱり、食事でもいい?」
珍しく…意見して来た。
「は?なんで。」
「だって、土曜日だから…お父さんに話したら、きっと食事しようって言われるよ。」
「……」
「どうかな…」
瞳とのランチは、ピザとパスタだった。
ピザの大半を瞳に食ってもらって、俺はパスタを食った。
親父さん、和食を選ぶかなー…選んだらマズイなー…
なんて考えてると。
「もしそうなったら、お店はあたしが選ぶから。」
知花が、自信満々な目で言った。
「は?」
「千里が食べられそうなメニューのお店、調べておくから。」
「……」
正直…
今まで、自分が偏食家なのを人に話した事はなかった。
コイツにも俺が言ったわけじゃない。
篠田が話したんだ。
だが…
これは頼もしい。
実際、俺は少しずつ食えるものが増えて来てる。
「分かった。段取りしてくれ。」
「うん。」
話が落ち着いて、再び冷蔵庫を眺める。
「どういうのがいいんだ?」
「冷凍庫が少し広めなのが嬉しいかな。」
「結婚したら、冷凍食品ばっかか…」
「違うわよっ。作り置きして少し物足りない時に出したり、下ごしらえした物を冷凍しておけば、忙しい時に助かるから。」
「へー…」
今まで付き合った女が、家庭的だと思った事はない。
まあ…そこまで深い付き合いをした女がいねーからな…
だが知花はめちゃくちゃ家庭的。な気がする。
16歳でここまで出来るなら、十分だよな。
「わっ、これ見て。すごい機能。」
「…その機能の良さが、俺には分かんねーな。」
偽装だ。
偽装なんだが。
「ここ一列は、全部ビールな。」
「駄目です。」
「じゃ、下のここに…」
「そこは野菜庫。」
「野菜要らねーから、ビールばっか入れとこうぜ。」
「だーめ。」
…楽しい…って。
楽しいって、思ってるよな…?
俺。
* * *
「坊ちゃま、朝食が出来ておりますが。」
篠田がカーテンを開けながら言った。
「……休みだから…昼まで寝るって言わなかったか…?」
「伺っておりません。それに、夕べは早くにおやすみになったじゃないですか。」
「……」
昨日は…金曜日。
だが、久しぶりにテレビ収録があったから知花とは会っていない。
その分…って言うわけじゃないが、今日の午後から会って、夜の打ち合わせをする事になっている。
夕べは…ふて寝と言うか…考えるのが嫌になって、早く寝た。
寝た…つもりだが…
寝れたのか?って言うぐらい、頭の中がヒンヤリしてる。
昨日のテレビ収録の後。
「千里、ソロでやる気はないか?」
高原さんに呼ばれて、最上階に行くと…いきなりそんな事を言われた。
「…はっ?」
「ソロだよ。」
「……」
俺は久しぶりに、頭の中が真っ白になった。
この人…何言ってんだ?
「俺は、今のままバンドがいいです。」
きっぱりとそう言うと。
「…今のメンバーで…か?」
「はい。」
「……」
何となく…想像はしてた。
高原さんは、うちのメンバーの力量に満足していない。
だから…あんなにプログラムを組んで練習させてるのに…あいつらは、一向に伸びない。
…だからか?
だから、ツアーとかやらせてくれないのか?
「高原さん。」
俺は、意を決して問いかける。
「何だ。」
「…俺ら、全然ツアーを組んでもらえませんけど、それってメンバーの力量不足が原因ですか?」
高原夏希に物言いなんて…
心臓が縄跳びしてるんじゃないかと思うほどの、バクバク感だった。
こんな緊張…ライヴでもしねーぜ。
高原さんは、俺の目をじっと見て。
「そうだな。まずはそれが一番の原因だな。」
キッパリ。
「…そう言われると…どーすりゃいいんだ…って言葉しか浮かびませんが…」
「千里。あいつらと続けていく意味って何だ?」
「…え?」
「おまえとあいつらの間に、強い絆みたいな物はあるのか?」
「……」
それはー…
ない。
…とは言わないが…
ある…とも言い難い。
俺は、昔からどこか人に対して冷めてる。
人に興味が持てない。
そんな俺が、あいつらと絆を…
「俺は、おまえをソロで世界に向かわせたい。」
「……」
今…高原さん…
「どうだ?」
ど…どうだ…って言われても…
「…世界…って…」
「おまえは、世界に通用する。」
「……」
「ソロの話、考えておいてくれ。」
世界…
その話を考えると、浮かれてもいいはずの俺は…
なぜか、気持ちが落ち込んだ。
あの高原夏希に認められたも同然なのに…
俺は…
「はあ…」
つい溜息をつくと。
「ケンカでもされたのですか?」
まだいた篠田が、俺の顔を覗き込んだ。
「…しねーよ。」
「それなら…あ、お電話ですね。はいはい…はい、神でございます。あ、おはようございます。はい、お待ちください。」
サイドボードの電話を取った篠田が、すました顔で俺に受話器を渡した。
「………はい。」
篠田に渡された受話器をだるそうに受け取る。
『あ、ごめん…寝てた?』
電話の向こうから、知花の声。
「…なんだ、おまえか。」
なんて言いつつ…少しホッとした。
こいつの声、癒し効果抜群だな。
『あの、今日のことなんだけど…』
「ああ、ちゃんと言ったか?」
タバコに、火をつける。
まだいる篠田が、『ベッドでタバコなんて、危ないからやめて下さい』と、小さな声で言った。
『それがー…うちに来てもらえって…』
「……」
…何?
家に来い?
て事は…
家で…飯か。
家で飯って事は…家族全員集合だろうな。
あいつの家族って…確か、ばーさんと親父さんと、双子の弟と妹…だっけな。
…まあ、家で飯なら…
あいつが作ってくれるんだろうし。
たぶん、食える物作ってくれるよな。
それなら印象も悪くないか。
初対面で家に呼ばれるっつー事は…たぶん試されるんだろうな。
色々。
テーブルマナーは悪くねーんだけど、食えねーのが玉にキズだった俺。
…よし。
「何時。」
煙を吐き出しながら言うと。
『え?』
「何時に行けばいいんだ。」
『じゃ…7時くらい…』
「わかった。じゃ、今日は外で会うのはやめよう。家にいろよ。」
『…いいの?』
「何が。」
『うちに…来ること。』
「予定が早まっただけだ。別にいいさ。じゃ、俺はもう一眠りするから。」
『あ、おやすみなさい…』
電話を切ってから、知花の『おやすみなさい』がおかしくて小さく笑う。
「坊ちゃま、もう一眠りなどせずに、準備なさって下さい。」
話を聞いてたのか、篠田は珍しく早口で言った。
「…準備?何の。」
「まさかとは…思うのですが…」
「何だよ。」
「…知花様とはご婚約中と聞いておりますが…ご両親への挨拶はお済みに…?」
返事の代わりに目を細めてみると。
「まずは、ちゃんと髪の毛を切って、一番のスーツでご訪問して下さい。」
横になった俺の体を揺すった。
「…あー?何で髪切るんだよ…」
「わたくし、自分の娘に長髪の男性が挨拶に来たら…」
「……」
「卒倒してしまいます。」
「卒倒って。」
ちなみに、篠田に娘はいない。
離れの平屋で一緒に暮らしているのは30過ぎの一人息子で、そいつはうちのじーさんの付き人をしている。
篠田は若い頃に嫁と死別したらしいが…なんで再婚しなかったんだろうな。
モテただろうに。
「第一印象は大事ですよ。」
篠田は真剣な声。
「……」
「結婚の申し込みをされるなら、なおさらです。」
「…今日はまだしねーよ。」
たぶん。
とは言っても…
篠田の言う事も一理ある。
第一印象…な。
俺は起き上って髪の毛をガシガシとかきあげる。
…ふむ。
確かに、好青年とは言えねーな。
今まで、あまり大きく髪型なんて変えた事ねーけど…
「とりあえず、風呂入るわ。」
俺がそう言うと。
「かしこまりました。」
なぜか篠田は張り切ったように。
「お紅茶をお持ちいたします。」
ウキウキしながら部屋を出て行った。
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