第17話 「さあ、さくらさん。足に力入れて。」
〇森崎さくら
「さあ、さくらさん。足に力入れて。」
…新しいサカエさんになって…
少し、様子が変わった…
なっちゃんは…気付いてるのかな…
この、サカエさんが…
実は…三人目だ…って。
とても不思議な事に…
あたしの記憶は…断片的に…戻りつつあって…
それは…
なっちゃんが、話してくれる『思い出』が…
作り上げた記憶なのかな…って…思わなくもないんだけど…
でも…
なっちゃんが、話してる時…
ううん、それは違うよ…あれは…なっちゃんが…って…思う事があるから…
たぶん…ちゃんと、あたしの記憶だ…
だけど…
どうしても。
思い出したくない…って思う事や…
思い出さなきゃ…って思う事が…
頭の中で、ケンカしてるみたいになってて…
あたしは、言葉が…上手く出せない…。
そもそも…
この『サカエさん』って…あたしとか…なっちゃんと…
どんな繋がりが…あるのかな?
ハッキリとは…思い出せないけど…
二番目のサカエさんは…
…お母さんみたいだったなあ…
…お母さん…
あたしには…両親がいない…
確か…そうだった…
だけど…
兄弟みたいに…育った…人間が…たくさんいた…ような気がする…
…どこで?
あたし…どこで、生まれ育った?
新しいサカエさんが来て。
あたしは…色々と考える事が出来始めた。
言葉は…出せないけど…考える時間が増えて…
なっちゃんの事…
考えてると…
嬉しかったり…切なかったり…する…。
早く帰って来て欲しいな…って思っても…
歌う人達を育ててるなっちゃんは…本当に、忙しくて…
だけど…夜中でも…帰って来たら、あたしの隣に入って…
頭にキスして…眠ってくれる…
「さくらさん、17歳の時は、何をしてたのかしら?」
サカエさんが…そう言って、あたしの頭を撫でる。
…17歳の時…?
「17歳の記録だけ、どうしても引き出せないの。」
…記録?
あたしはゆっくり、サカエさんを見た。
「何か、思い出した?」
「……」
ゆっくり、首を振る。
「そう…じゃあ、『タカシさん』って、誰か分かる?」
…タカシさん…?
タカシさんは…
「……」
今…何かが…脳裏をかすめた…
タカシさん…
ザン…と、頭の中で…桜の木が、風に揺れる音がした。
あたしが目を見開くと…
「…少し、思い出したかしら…?」
サカエさんは…そう言って…
「悪い事なんて、何もなかった。さくらさん…あなたは、ずっとみんなに愛されて…幸せに育って来たのよ。」
あたしの頭を撫でながら…
「悪い事なんて、何もなかった。さくらさん…あなたは…」
同じ事を…何度も、繰り返した…。
〇高原 瞳
「千里いる?」
あたしがTOYSのプライベートルームのドアを開けて言うと。
「あ、瞳ちゃん。」
東 圭司がすぐそこにいた。
「…千里、いる?」
一歩退きながら再度言うと。
「それが、もう帰っちゃったんだよね~。」
東 圭司…なぜだか分かんないけど。
あんたの笑顔、気に入らない。
「それより、普通ノックして入らない?」
「……」
急にそんな事を言われて、あたしは…ムッとした。
…いや、まあ…そうなんだけど…
そうなんだけど、こいつに言われると腹立つのは、なぜかしらね…
「…そうね。失礼したわ。」
「いつこっちに?」
「……」
…ちょっと。
東 圭司…。
「…お昼過ぎに着いて、さっきまでお父さんと打ち合わせしてた。」
「あ、今度からは気を付けるようにね。」
「…は?」
「ノック。」
「……」
「お昼過ぎに着いて、さっきまで打ち合わせって長いね~。俺なら飽きちゃうなあ。」
「……」
東 圭司!!
会話がおかしいでしょ!!
気付いてないの!?
「…明日は何時から?」
「一人なら、晩飯一緒に行かない?」
「…行かない。お腹いっぱいだからいい。」
「俺はスタジオ入るけど、神はオフだよ。」
「えっ…千里オフなの?」
「こんな時間にお腹いっぱいって、おかしいね。クスクス。」
「……もー!!」
ついにブチ切れたあたしは、東 圭司の胸元を掴んで。
「あんた!!わざと話をおかしくしてんの!?」
顔を近付けて、大声で言った。
「……」
東 圭司は至近距離でキョトンとした顔をして。
「…おかしかった?瞳ちゃん、笑ってないけど。」
笑わずに…言った…
「……」
あたしの力が抜けた。
駄目だ…この男…
話になんない…
「…もういい。じゃあね。」
あたしは、東 圭司の胸元から手を離すと、プライベートルームのドアを閉め…
「明日、スタジオの後だったら、俺空いてるよ。」
「……」
「電話番」
「さよなら~。」
パタン。
…千里。
なんで…
なんで、あんなのと友達なのーー!?
あたしはバタバタとロビーに降りて。
公衆電話から、千里の家に電話をした。
『はい、神でございます。』
…いつも出てくる、丁寧なおじさんの声。
あたしも、いつもみたいな感じじゃなくて…ゆっくり、丁寧に喋る。
「もしもし、瞳です。千里さん、いらっしゃいますか?」
高原って名乗るのが、どうしても苦手。
このおじさん、たぶんあたしの苗字、「ひとみ」だと思ってるわよね。
『いえ…今日は遅くなると伺っております。』
「えっ?もう…事務所は出てるのに?」
『ええ…色々とお忙しいので…』
「何?何が忙しいの?」
『それは、プライベートな事ですので…』
「……」
そうね。
しつこくして、このおじさんに嫌われても困るし。
ここは…引き下がろう。
「分かりました。じゃあ…瞳から電話があったと伝えて下さい。」
『かしこまりました。』
「できれば、折り返し電話が欲しいとお伝えください。」
『…伝えておきます。念のため、電話番号、よろしいですか?』
「もちろ!!…もちろんです。えっと…」
あたしは、お父さんのマンションの電話番号を伝えた。
千里はお父さんのマンションの番号も、あたしのアメリカのアパートの番号も知ってるはずだけど、千里からかけて来た事は一度もない。
…そうよ。
あたしは今も、片想いのままよ…!!
だけど、いつか振り向かせてみせる。
だって…
あたしを歌わせるのは…
千里なんだから。
〇神 千里
「ふふっ。嬉しい♡」
助手席で、瞳が満面の笑みを見せた。
「…言っとくけど、二時間だけだからな。」
「えー!!二時間じゃ何もできないじゃない!!」
「飯食うだけでいいっつったの、おまえだろ。」
俺は前もって釘をさす。
デートだ!!って勘違いなんてされちゃ困るからな…
「ぶー…」
さっきの笑顔はどこへやら…
瞳は唇を尖らせて、ブーイング。
「打ち合わせに帰って来たんだろ?もう今夜には発つっつったじゃねーか。」
「だって、昨日一緒に晩御飯食べれるって思ってたからー…」
「何も言わずに帰って来るおまえが悪い。」
「言ったら空けてくれてた?」
「……」
「ほらー!!」
昨日は一人でソファーを選びに行った。
うっかり買いそうになったが…今買ったらじーさんちに配達されるのを思い出して、踏みとどまった。
ああ…早く家具を買い揃えたい。
俺の城…
今日はオマケの知花を連れて、調理器具を見に行こうと思っている。
…まだあいつの家に挨拶にも行ってないのに、俺はすっかりあいつと夫婦気分だ。
ま、偽装だけどな。
そんな段取りを組みながら、帰った所に…
「坊ちゃま、『ひとみ』様とおっしゃる方から、折り返しの電話が欲しいと二度連絡がありました。こちらが電話番号です。」
篠田が難しい顔をしながら、番号を書いた紙を差し出した。
「国際電話なんかかけ…あ?あいつこっち帰ってんのか。」
その番号は、高原さんのマンションの物だった。
…かけれるかよ…そんなとこに…
「坊ちゃま、くれぐれも…」
「こいつは事務所のシンガーだよ。ただのライバルだ。」
「…さようでございま…あ、お電話ですね……はい、神でございます…はい………」
「……」
「…ひとみ様からです。」
そんなわけで…
俺が電話をかけない事を分かってる瞳からの、三度目の電話で。
『明日ランチしよ!!いっぱい話したい事があるのよー!!』
俺にイヤと言わせない勢いで、瞳が言った。
って事で。
オフの俺は、瞳のランチの相手をする羽目になった…と。
まあ…アメリカ事務所の話も聞きたいしな…
「で?ライヴのハコって、どんな感じなんだよ。」
コーヒーを飲みながら問いかけると。
「うーん…最初は50人ぐらいしか入らない小さな所だったけど、今は1000人ぐらいかな。」
意外な言葉が返って来た。
「…おまえ、そのハコでワンマンやってんのか?」
「そうよ?」
「チケット売れてんのか?」
「ありがたい事に、いつもソールドアウトよ。」
「……」
瞳はピザにタバスコをかけまくりながら、何て事ない。って顔で言った。
…俺達TOYSは…
なぜか、アルバムやシングルを出して、あんなにヒットしてるにも関わらず…
…ツアーがない。
ライヴは…数回あったが…
やたらテレビ出演だ。
一曲や二曲で、満足できない。
俺だって、長丁場のライヴをもっとしたい。
なのに高原さんは、まだまだ修行だ。なんて言って…
俺達デビューして、何年だと思ってんだよ。
「そんなに売れてんのに、まだデビューさせてもらえないのかよ。」
焦りに似た感情をかき消すため、ピザを一口食べるも…うえっ…何だコレ。
まずっ。
知花のおかげで偏食が改善されてると思ったが…やっぱチーズはハードル高いか…
「お父さん、意外と厳しいの。もっともっとチケットが売れるようにならなきゃ、デビューさせないって。」
アメリカで1000人収容のハコをソールドアウト…
羨ましい話にイライラした。
なのに、もっとチケット売れだと?
なんて父親だ!!
ライヴをさせてもらえない俺のヒガミが、脳内で爆発寸前。
…落ち着け…落ち着け…
「…意外と日本でデビューさせたがってるんじゃないのか?」
「え?あたしを?」
「あの人、おまえが向こう行ってから、ずっと寂しそうだしな。」
「……」
ピザを頼んだ事を後悔しながら、何とか食える方法を模索してると。
「…あたしね…千里。」
瞳が、今までになく…真面目な声で話し始めた。
「シンガーになる…って息巻いてたけど、別にー…ずっと目指してた夢なんかじゃなかったの。」
「…まあ、それは何となく思ってたけど。」
「そうなの?ふふっ。千里には何でもバレちゃうね。」
「……」
瞳はタバスコで赤くなったピザを、平気で食べ始めた。
…味覚は大丈夫なのか?
「…ナッツで千里の歌を聴いて…惹かれた。」
「……」
「あたしの父親は高原夏希で、母親は藤堂周子。サラブレッドのはずなのに…何であたし、歌ってないの?って思ってさ…って言うか…たぶんあたし、千里に」
「は?」
「え?」
「おまえの母親って、藤堂周子?」
「…言わなかったっけ?」
「聞いてねーよ。」
そりゃあ…
超サラブレッドじゃねーか!!
藤堂周子っつったら…元シンガーで、Deep Redの楽曲も手掛けてた、アメリカでは名の売れたソングライターじゃねーか!!
なんだこいつ…
才能有り余ってんじゃねーか!?
「出し惜しみすんなよ。」
マズイが、何とかチーズの少ない部分を見付けて食い進める。
「何が出し惜しみよ。」
俺の言葉に、瞳は少し唇を尖らせた。
「おまえ、絶対才能ある。」
「……」
「もっと自分信じて、出し切れ。」
「…うん。」
そう言えば、さっき何か言いかけてたな…とは思ったが。
俺の名前が出てたから、聞かない事にした。
もう瞳に告白はされたくない。
どうせ、応えられないし。
「送ってくれて、ありがと。」
瞳をマンションの前まで送った。
「ああ。またな。」
窓を閉めようとすると。
「あ、ちょっと待って。」
瞳が窓に手を掛けた。
「危ねーな…離…」
顔を上げた途端、キスされた。
「ふふっ。ごちそうさま。」
「……」
こいつ…
二度とすんなって言ったのに。
「…あたし、千里に近付きたくて歌い始めたの。」
瞳は長い髪の毛を後ろに追いやりながら、言った。
「千里に、瞳はすごいって言って欲しくて、歌ってる。」
「…もう十分すげーって思ってるけどな。」
「両親の血とかじゃなくて…あたしの…高原瞳の歌を、すごいって言わせたいって思ってる。」
「……」
こんな真顔の瞳は、初めてかもしれない。
今までの、笑いながらの告白とは違う。
少し…来るものがあった。
「…おまえの歌、すげーって思ってるよ。」
窓に肘をかけて言うと。
「聴いた事ないクセに。」
瞳は自分の足元を見た。
「千里は…人の歌なんか聴かないでしょ。」
「……」
まあ、基本そうだ。
Deep Redは聴くが…自分の歌さえ、あまり愛着がない。
…でも…
「…聴いたぜ。」
俺はダッシュボードを開けて、カセットテープを取り出した。
「…え?」
「おまえがアメリカ行って、最初に出したやつ。」
「な…なんで持ってるの?」
「アズが聴けって持って来た。」
「……」
それは…意外にも、耳当たりのいいポップナンバー。
喋る声はハスキーだが、歌うとかなり上のキーまで出る。
そこまで出すのかよ。ってキーを楽そうに出してるサビの部分は、正直笑いが出た。
すげーぜ。って。
「おまえには、才能がある。」
「……」
俺が真顔で言うと、瞳は少しキョトンとした後…ポロポロと涙をこぼした。
「…何で泣く?」
「あは…は……ヤバい…」
たけど笑顔で。
「あたし…グラミー賞獲ったみたいな気分…」
「何だそ…」
もう一度…
俺に、キスをした。
「…って、おまえ。二度とすんなって二度もしやがって。」
「…拒まなかったじゃない。」
「もうすんな。」
「…まだ彼女にしてくれないの?」
「しねーし。」
「……」
瞳は頬を膨らませて。
「千里のバカ。」
そう言ってマンションの中に入ったが。
「またね。」
振り返った時は…笑顔だった。
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