第16話 「こんにちは。」
〇神 千里
「こんにちは。」
「よお。」
知花と会うのも…これで何度目だ?
最初は金曜日だけだったが、実は週三日21時まで帰れないと知った俺は…きっちり、それに付き合っている。
ま、スケジュール次第だが。
「今日、飯作ってくれよ。」
「え?おじい様のおうちで?」
「ああ。たきさんもじーさんもいないから。」
俺のその言葉に、なぜか知花は少し間を開けて。
「……誰もいないの?」
警戒した口ぶりで言った。
「篠田と佐々木は居る。」
「…良かった。」
「なんだよそれ。」
「…千里の嫌いな物、作ってもいいの?」
「…分からないように作ってくれるなら、食ってやってもいい。」
「何それ。」
知花がクスクスと笑う。
この…知花の笑い声が…いい。
耳の裏をくすぐられる感覚と言うか…
とにかく、いい。
「前に作ってくれた焼きプリンも食いたい。」
「嫌いな物ばっかりなのに?」
「入ってる物を想像せずに食う。」
俺の言葉に、知花は首をすくめた。
けど実際…前に作ってくれた飯は、どれも美味かった。
後で嫌いな物ばかりだったと聞いて驚いたが、見た目がそうじゃなきゃ食える事に気付いた。
こいつ、マジですげーよな。
俺の偏食は何を持っても直らなかったのに。
…ま、真剣に直す気もなかったけど。
屋敷に到着して、玄関に自分の生けた花がまだあるのを見て。
知花は少し赤くなりながら、傷んだ花びらや葉を取り除いて。
「すごい…きれいに飾ってもらえてて嬉しい。」
…相変わらず、俺のどこかをくすぐるような声で、そう言った。
「そう言えば、これのテーマ『家族』って、なんだよ。」
聞くの忘れてた。と思って問いかけると。
「ふ…深い意味はないんだけど…」
知花は少し恐縮したような顔で。
「あの…これがおじい様で…」
一番背の高い花を指差した。
「それから、ご両親と…お兄様達と…」
「……」
そこには、色違いの同じ花や。
俺の知ってる花、個性的な花もあった。
そして、オマケに篠田や佐々木の花も。
「…勝手に、ごめん…なさい。」
「……」
「料理…するね?」
「…ああ。俺、風呂入るから、出来たら呼んでくれ。」
「え…っと、うん…はい…。」
知花が厨房に行くのを見届けて、もう一度花を見る。
離れ離れの俺達が、ここに詰め込まれてるって…
なんつーか、げっ。て思う反面…どこか、嬉しい気もした。
何なら、家族だって事を忘れそうになるほど。
俺達家族は、連絡を取らない。
…まさか、だったな。
花に例えられるとは。
俺か千秋か分からねーけど、紫の花を指で弾いて。
俺は二階のバスルームに向かった。
「……はー…。」
広いバスタブの縁に頭を乗せて、開けた窓の外に見える夜空を眺めた。
今日は…ハードだった。
高原さんの、バンドメンバーに対する注文が多くなった気がする。
あいつら…弱音吐かずにやれんのかな…
…俺ら…このままで、やっていけんのか…?
ラブソングを書けと言われて、書けなかった俺。
力量を試されている楽器隊。
…あー…
不安だ。
『…千里?いる?』
何分経った頃か…ドアの外で、知花の声がした。
「…あー…わりい。寝てた。飯出来たか?」
『うん…』
「おまえも入れよ。」
バスタブから出て、タオルを手にする。
『はっ入るわけないでしょ!!』
ふっ。
こんな声も出すのか。
「そんな、怒鳴らなくても。」
ガチャ
タオルで髪の毛をガシガシと拭きながら、片方の手でドアを開けると…
「っ……」
知花が、目を真ん丸にした。
「あっはははは!!何だおまえ!!その顔!!」
「やっ…だっだって!!何で出てくるのよー!!」
両手で顔を覆って、俺に背中を向ける知花。
…ふっ。
おもしれぇ。
ちょっと遊んでやるか。
「…俺ら、夫婦になるんだぜ?見慣れといた方がいーんじゃねーか?」
後ろから、知花の耳元でそう言うと。
「みっみみ見慣れなくていいいーーー!!」
知花はブンブンと首を横に振って。
「ごっご飯の…準備…」
出て行こうとしたが。
「おい。」
俺は、知花の腕を取る。
「やっ…何っ!?」
「取れよ。」
「え…?」
「頭。」
「……」
ゆっくりと、知花が振り返る。
「今日はじーさんいねーし。外では仕方なくても、こうしてうちで会う時ぐらい、自分を解放しろ。」
「……」
知花は何とも言えない表情になって…それから、ゆっくりカツラを取った。
中から零れ落ちる…赤毛。
「それでいい。」
「…うん…」
手を伸ばして、知花を抱き寄せる。
「あ…」
「いい色だ。」
「……」
「ほんとに…」
あー…ちょっと…その気になって来た。
最近ヤッてねーしなー…
っつっても、こいつ無理だよなー…
「ち…千里…もう…離れていい…かな…」
知花が腕の中でバタバタと暴れる。
…なるほど。
半起ちしてるアレが当たってるか。
ふっ。
こいつ…処女だろーな。
「…美味そ。」
知花の髪の毛にキスしながら言うと。
「ぎゃーーーー!!」
知花は聞いた事もないような大声を出して。
「てっ!!」
俺を突き飛ばして逃げ出した。
…ってぇな。
と思いながらも、笑えて仕方ない。
…見てろよ。
おい。
「……」
テーブルに並んだ料理は、俺の分だけだった。
「…あいつは?」
執事の篠田に聞くと。
「それが…先ほど帰ると言われまして…」
「…バカだな。」
椅子に座って、料理を眺める。
…うん。
美味そうだ。
「…追いかけなくて、よろしいのですか?」
椅子に座ってスプーンを手にした所で、篠田に言われた。
…篠田がこんな事を言うなんて…珍しいな。
「なんで。」
「いえ…」
「何だよ。」
「…今まで、旦那様に内緒で連れて来られていたお嬢様方とは、随分違う方だと思いましたので…」
「……」
まあ、そうだ。
今まで連れ込んでたのは、ただの寝る相手だ。
知花は…秘密を共有する、同志だ。
「お、うまっ。」
スープを飲んでそう言うと。
「…わたくしと、佐々木の食事も作って下さいました。」
篠田がそう言って歩いて行った。
「……」
はー…何だよ。
帰りたいから帰ったんだろ?
それって、追いかけなきゃいけねーのかよ…
「…ったく…」
俺はガレージから車…じゃなく、自転車を出して。
ゆっくりと門を出た。
自転車で走る事…三分。
公園を歩く知花発見。
…カツラは、装着済み。
「知花。」
自転車から降りて、後ろから声をかけると。
「……」
知花は、嫌そうな顔で振り返った。
「…何だよ、その顔。」
「…ケダモノ…」
「誰がケダモノだよ。まだ何もしてねーじゃん。」
「……」
「心配すんな。俺の好みはスタイルのいい女だ。」
俺がニヤニヤしながら言うと、知花はなぜかあからさまにムッとした。
…おい。
おまえ、ムッとしたら…俺を好きって事になるぜ?
「戻って一緒に飯食おうぜ。」
知花の手からカバンを取って、自転車の前カゴに入れた。
「…あたしはいい。帰って食べるし…」
「んな事言うな。一人よか二人のが、飯が美味い。」
「……」
「な。」
そう言って、知花に手を差し出す。
「…うん…」
意外と…素直に手を出されて。
俺は反対に…少し戸惑いながら…それをギュッと掴んだ。
…なんだ。
おまえ、可愛いじゃんかよ…。
「篠田と佐々木にも作ってくれたんだってな。」
歩きながら言うと。
「…うん…」
知花は緊張した声。
ほんっと……男慣れしてねーんだな。
「…サンキュ。」
「…うん…」
そして…俺達は屋敷に戻って。
「げっ、マジ?これゴボウかよ…食っちまったじゃねーか…」
「ふふっ。」
知花の作った、俺の嫌いな物だらけの晩飯を…
二人で。
いただいた。
…美味かった。
* * *
「坊ちゃま。」
数日後。
仕事から帰ると、篠田が門の前に立っていた。
「…大声でその呼び方をするな。」
「あ…失礼いたしました。」
「…で?何でこんな所に?」
「……」
篠田は、俺を庭の楓の木の陰に連れ込むと。
「…カンナ様がお見えです。」
誰が見てるわけでもないのに、小声で言った。
カンナは…四つ年下の、俺の幼馴染的存在だ。
親父同士が仕事仲間でもあるからか、昔から俺とカンナ…ついでみたいに一つ年上の兄貴の千秋は三人セットみたいにされていた。
ただ、千秋は頭がいいせいか…俺達の相手がつまらなかったらしく。
「千里、この問題どう思う?」
と、絶対俺に解りそうにもない問題を見せて、わざと俺がカンナの方に逃げるように仕向けてやがった。
ま、末っ子の俺は、年下のカンナが言う事を聞くのが面白かったし…
懐いてくれるのも嬉しかったから、何かと仲良くはしていたが。
親父達がイタリアに行ってからは、会う機会も以前よりは少なくなっていた。
でも、ちょくちょく勝手にやって来ては、じーさんと飯食ったりしてる。
…なのに、この篠田の剣幕は?
「それがどうした。」
「いいんですか?」
「何が。」
「…ご婚約者の…」
…篠田も佐々木も…例の晩飯の一件で、すっかり『知花ファン』になったらしい。
俺が知花と会う日は車を出すのを察したのか、篠田はあれからいつも車をピカピカにする。
「カンナは幼馴染だぜ?」
「ですが、坊ちゃんと結婚すると息巻いてらっしゃいましたよね。」
「昔の話だろ?」
「…そうでしょうか…」
俺は髪の毛をかきあげると。
「そんな事で待ってたのかよ…くだらねー。」
屋敷に向かって歩き始めた。
「ちーちゃーん!!」
篠田が玄関の扉を開けてすぐ。
それは、俺にぶつかって来た。
それ。
カンナ。
「うおっ…おま…なんだよ…」
突然のタックルに、俺は後ろに転びそうになった。
「だって!!ずっと待ってたのよ!?」
「知るかよ。」
…知花と同じ歳とは思えないな…こいつ。
このはしゃぎ方…小学生かっ。
「おまえ、高校どこ行ってんだっけ。」
どこぞのシェフが作った晩飯を食いながら、カンナに問いかけると。
「え?行ってないけど。」
カンナは肉にがっつきながら、そう言った。
「あ?何してんだ?」
「モデルの修行。」
「ああ…本気だったのか。」
カンナは…昔からモデルになると豪語してた。
女にしては長身だし、スタイルも…確かに、いい。
…知花と同じ歳とは…
「おじいちゃん、今日は帰って来ないの?」
カンナが篠田に聞くと。
「いえ、遅くにお帰りになられます。」
篠田はカンナのグラスに水を注ぎながら答えた。
ん?確か今夜…じーさんは帰らないはず…
「あ、ありがと。そっかー…じゃ、あたし泊まってっちゃおかな。」
「……」
俺は別に構わないが…篠田が目を見開いて俺を見て、口を一文字にする。
今までも泊まってたじゃねーか。
坊ちゃんには、彼女がいらっしゃるでしょう?
カンナとは別にそういうんじゃねーから平気だよ。
駄目です。
俺と篠田がアイコンタクトで(たぶん)そう言い合ってると。
「じゃ、あたしシャワー借りるねー。ごちそうさまっ。」
カンナは元気良く席を立った。
「…坊ちゃん。」
「何だよ。」
「言っておきますが、くれぐれも…」
「だから、カンナはただの幼馴染だっつってんじゃねーか。」
ガキの頃から知ってんのに、そんな気になるかっつーの。
…と、思ってたのに。
『…ちーちゃん…』
真夜中。
カンナが部屋に来た。
「なんだよおまえ…眠れねーなら、下に行って酒でも飲んで寝ろ。」
ドアを開けて冷たく言うと…
「…抱いて…」
突然、抱きつかれた。
「……は?」
今、こいつ…抱いて…って言ったか?
カンナは胸元の開いたTシャツで、わざとなのか…それが見えるように俺を見上げて。
「お願い…あたし、モデルとして色気がないって言われて…」
困った顔で言った。
「…ま、そりゃ仕方ねーな。」
カンナの事はガキの頃から知ってる。
大口を開けて物を食うし、言葉遣いも悪い。
屈託無くて素直な所は可愛いが、女として見る気にはなれない。
「だから、あたしを助けると思って…」
「俺と寝たら色気が出るとは限らねーだろ。」
「でも、誰でもいいってわけにはいかないもん。」
「……」
正直、面倒臭い。
知り合いと寝ると、どこからか話が漏れる。
「おまえ、男いたじゃん。」
「いつの話よ。」
「……」
「一回だけでいいの。」
「……」
「お願い…ちーちゃん…」
「……」
「二人だけの秘密にするから…」
「……」
仕方なく…俺はカンナを部屋に入れる。
「…何もないのね。」
「物持たねーからな。」
カーテンを開けて外を見る。
…さて…どうするかな。
据え膳食わぬは男の恥とは言うが…
「ちーちゃん…」
カーテンを持ったまま外を見てると、背後から抱きつかれた。
「……」
「あたし…今日、覚悟を決めて来たの…お願い…」
「……」
俺は無言で体の向きを変えると。
「…カンナ。」
カンナの体をトン…と押して、ベッドに倒した。
「…ちーちゃん…」
ベッドに仰向けになったカンナは、熱っぽい目で俺を見る。
……ダメだ。
「…俺の憧れてる高原夏希は…」
「………は?」
「15歳で日本に来て、それからわずか5年でアメリカ進出を果たした。」
俺は、立ってカンナを見下ろしたまま、語り始めた。
「な…何言ってるの?」
「黙って聞け。」
「……」
呆然としてるカンナを前に…
俺は、朝までDeep Redを語った。
途中でカンナが眠りそうになるたび…
「寝るな。起きろ。」
「…もう無理…やめて…」
「ダメだ。」
カンナの頬を叩いて起こして。
「そして日本に事務所を設立し…」
「お願い…ちーちゃん…もう…ダメ…」
「聞け。」
延々と。
語りまくって。
「…バージン喪失の予定だったのに…こんな経験させられるなんて…最悪…」
無駄に目の下にクマを作ったカンナは。
「ちーちゃんのバカ…」
ふらふらしながら、朝飯の前に帰って行った。
……今日はオフだ。
…寝る。
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