第14話 『よし。いいぞ。』
〇高原夏希
『よし。いいぞ。』
俺がヘッドフォンを外しながら言うと。
スタジオの千里は少し口元を緩めた。
ここ数ヶ月…千里の調子が期待以上にいい。
次のシングルの曲の仕上がりも、文句なしだ。
『圭司は居残りやな。』
マノンが隣でそう言うと。
『えーっ!!俺完璧だったのにー!?』
…あいつは本当に…
俺は苦笑いしながら。
『千里以外は残れ。千里、こっちに。』
そう言って、千里だけを俺達のブースに呼んだ。
今の所、うちの事務所の一番の稼ぎ頭がTOYSだ。
多少気になる事はあるものの…TOYSは…特に10代20代に支持されている。
「失礼します。」
千里がブースに入って来て。
俺は、座ったままの椅子をくるりと回すと。
「千里、ラブソングを書け。」
唐突に言った。
「……は?」
「おまえのラブソングが聞いてみたい。」
「……」
俺の言葉に、千里はキョトンとしたまま無言になった。
「…恋した事がないわけじゃないだろ?」
椅子を回転させて、千里に背中を向けながら言うと。
「…いつまでにですか?」
いつもより少し元気のない千里の声が聞こえた。
「いつまでにとは言わないが、なるべく早めに、だ。」
「…分かりました。」
背後でドアの閉まる音。
…瞳への想いを書けばいいだけだ。
そう言おうとして…やめた。
あいつら…どうなってんだ?
瞳はアメリカで頑張ってはいるものの…もう一つ…何かが足りない。
千里は…上手いが、バックがついていかない。
今更、他のメンバーとやれ。なんて言うのも酷だしな…
何とか三人に頑張ってもらうしかない。
…プロとして、俺は失格かもしれないな。
お情けで、TOYSを全員合格させるなんて。
俺が欲しかったのは、千里一人だ。
まあ…オマケで居ても良かったのは圭司ぐらいか…
「千里、苦手なんやろなー。ラブソング。めっちゃ嫌な顔してたで。」
マノンが笑いながら、俺の肩を叩いた。
「ま、得意じゃなさそうなのは一目瞭然だな。」
千里の書いた曲は、孤独感や荒んだ気持ちを歌っている物が多い。
それが支持されるんだ…
今の10代20代はよほど渇いているのだろう。
俺は、千里のラブソングに期待していた。
あの、周りは全部敵。みたいな目の奥に、どんな情熱があるのか。
それを聴きたいと思ったからだ。
だが、千里は…
「すみません。どうしても書けません。」
二週間後。
そう言って、俺をガッカリさせた。
〇神 千里
「千里。」
事務所のロビーで名前を呼ばれて、振り向くと…朝霧さん。
「おはようございます。」
朝霧さんは小さくあくびをしながら俺の隣に並ぶと。
「ああ、すまん。夕べナオトと飲んで…気が付いたら朝やって。」
自分の頬をパシパシと叩いた。
「徹夜ですか?」
朝霧さん、確か…43とか44とか…
俺はあまり徹夜が得意じゃない。
すぐノドにくる。
ギタリストはあまり気にならないのか?
でも、朝霧さんはコーラスもバリバリしてるよな…
「ほぼ、やなー。帰って嫁さんの顔見て、そのまま出て来た。」
「…奥さんの機嫌が気になって?」
「ま、それもあるけど…朝、嫁の顔見んと元気出ぇへんねん。」
「……」
世界のDeep Redの朝霧真音…
見た目は…遊び人。
正直、Deep Redの面々は入れ食い状態だろうなと思ってた。
その中でも、その人懐っこさで朝霧さんは…すごいんじゃないかと。
まあ、見た目では似たような事言われる俺が思う事じゃないかもしれないが。
「…結婚って、いいものですか?」
朝霧さんの顔を見ずに問いかける。
「ああ、ええなあ。」
朝霧さんは即答。
「…どんなところが?」
「なんやろ…とにかく…『そこにおってくれる』のんが、安心言うか…」
「……」
「守りたい思える存在が、実は俺を守ってくれてるんやなあって、日々痛感してるで。」
守りたい…そう思える存在…
俺が少し考え込んでると。
「結婚、考えてるんか?」
顔を覗き込まれてしまった。
「あ、いえ…そういうんじゃなくて…」
「そーいえば、千里がラブソング書いてこーへんかったって、ナッキー残念がってたで?」
「…力量不足で。」
「大事やなー思うのって、恋人だけやなかったりするやん?自分の家族やったり、仲間やったり、夢やったり。」
「……」
「そういうのに対しての気持ちを歌うのも、俺はラブソングや思うけど。」
朝霧さんの言葉に、俺は少しプレッシャーから解放された気がした。
高原さんから『ラブソングを書け』と言われて…
悩んだ。
恋した事がないわけじゃない。
だが、俺の恋はうすっぺらで…
誰かに訴えかけるような熱いものが書けなかった。
…それに…
今俺がそれを書いたとして。
絶対…瞳への気持ちだと思われるのは…困る。
俺は瞳に、気持ちがない事を伝えた。
だが、あいつがそれを高原さんには伝えてるとは思えない。
…いや、むしろ…終わった恋の歌を作る手もあったが…
そもそも何も始まってなかったのに、嘘は書けない。
俺は…真実しか書けない。
…ソングライターとしては、致命的だ。
「なんか思い悩む事があるんなら、いつでも待ってるで?飲みに行こ。」
そう言って、朝霧さんは前髪をかきあげると。
「俺らにバリアは要らんで?」
俺の肩に手を掛けて、エレベーターに乗り込んだ。
あー…
…緊張した…。
〇高原夏希
「今、下で千里と一緒んなった。」
会長室に入って来たマノンが、眠そうな顔でソファーにふんぞり返って言った。
「…なんだ。徹夜か?」
「夕べナオトと飲んでてん。気が付いたら朝やったー。あー、アホやー。」
…ったく。
いつまでも20代のような気でいる二人。
いや、四人だな。
ゼブラとミツグも、何かと言うと朝まで飲んでいる。
「いい加減、自分の年齢を認めろよ?」
アメリカ事務所のアーティスト一覧を眺めながらそう言うと。
「ナッキーに言われたないなあ。」
マノンは靴を脱いでソファーに横になった。
「…おい、そこで寝るなよ?」
「ええやん。ちょっとだけ。」
「ナオトみたいに素直に休めばいいのに。」
「えっ、ナオト休みなん?」
「あいつ、今日何もないからな。」
「俺もなんもないのに~。ちくしょ~…帰ってるーに添い寝してもらおかな…」
ふっ。
添い寝って。
マノンは昔と変わらず、るーちゃんを愛して止まない。
だが…音楽の事となると、突っ走り過ぎる所がある。
実際、それで今までもるーちゃんに寂しい想いをさせてきた事は多い。
「そうしろ。ま、るーちゃんが添い寝してくれるとは限らないけどな。」
小さく笑いながら言うと。
「そう言えば、さっき下で会うた千里がな?結婚てええもんですか?て聞いてきたで。」
マノンが…思いがけない事を言った。
「…結婚?」
「ああ。なーんか、思い悩んだ風やったなー。せやから、いつでも相談せえ言うたんやけど。」
「……」
瞳はあれから、千里と結婚したいとは言わない。
だが…いつか、と思う。
いつか、二人が結婚して…俺がここを引退する事になった時には。
千里に任せたい。
「あ、それとな。」
帰ってるーちゃんに添い寝してもらうと言いながら、まだ横になったままのマノン。
「ん?」
「
「へえ…」
光史はマノンの長男。
俺達がアメリカにいた頃に生まれて、昔はずっと一緒にいたが…
中学生になった頃からは、あまり会う事もなくなっていた。
今…大学生か。
「何で世界の名ギタリストが親父なのに、ドラマーになったかな。」
光史は、小学生の頃にはミツグのドラムクリニックを受け始めた。
「リビングセッションで箱叩かせてたの、誰やねん。」
「あ、俺か。」
…懐かしい。
アメリカでの、思い出。
小さな光史が、俺達のリビングセッションに参加して、身体を揺らせたり歌ったりする姿が可愛くて。
『これ叩いてみな』と渡した小さな箱を、光史は器用に叩いた。
将来ドラマーだな。なんて冗談で言ったが…まさか本当にドラムを始めるとは思わなかったな。
「何なら、千里と組ませたいなあ思うてただけに…ちょっと残念な気もする。」
「なるほどな…その前に、俺が決断しなきゃいけなかったんだけどな。」
千里以外のメンバーを切る決断。
だが…その時、千里はここに残ると言うだろうか。
実際、俺だって…
俺だけを欲しいと言われたら、そんな事務所クソ食らえと思うだろう。
だが…ビジネスだ。
俺には、メンバーとの間にそれだけの絆があったが…
TOYSの中には、それを感じる事が出来ない。
今のところ…千里以外のメンバーも、何とか頑張ってついて来てはいるが。
これ以下になる事があったら…
…戦力外通告をするしかない。
〇神 千里
「あー、神がタバコ吸ってるー。」
プライベートルームでタバコを吸ってると、入って来たアズが大袈裟にそう言った。
「…別に禁止されてるわけじゃない。」
「そうだけど、ボーカリストとして身体に良くない事はしないんじゃなかったっけー?」
アズは俺の隣…しかも密着して座ると。
「ノドに悪いから没収。続きは俺が吸っとくから安心しなよ。」
そう言って、俺の手からタバコを取った。
「……」
こういう時のアズは、しつこい。
だからおとなしく渡した方が身のためだ。
イライラさせられなくて済む。
ボーカリストとして、身体に良くない事はしない。
…そんな事言ったか?
二十歳までは、世にバレないように上手くやってただけで…
俺は、タバコも酒も飲む。
「…神、最近どう?」
必要以上にくっついてくるアズが、そう言ってタバコの煙を吐き出した。
「どうって、何がだよ。」
俺がどんなに嫌そうな顔をしても…こいつは全然気にしない。
ある意味特殊だ。
「ん?色々。調子とかさ。」
「…何で。」
「ラブソング書いて来なかったから、どうなのかなって思って。」
「……」
何なんだ。
この、探りを入れてくる感じは。
「言っとくけど、瞳とは何もないからな。」
「それはもう何回も聞いたから、さすがに分かってるよ。」
「ほんとかよ…」
何度言っても、同じ事を聞いてくるクセに。
「新しい恋は、どうなのかなと思ってさ。」
「……」
灰皿を引き寄せて、タバコの火を消すアズ。
…こいつ…何か知ってる?
「…くっつくな。」
グイグイと肩を押し付けるアズは、やたらと笑顔。
「俺、応援してるんだよー?神には、幸せになって欲しいからさー。」
「……」
そう言えば…いつだったか…
飲みに行った。
俺は、酷く酔うと…饒舌になる。
そして…それを覚えていない。
「アズ、俺が何を言ったか知らないが…」
アズの目を見て言うと。
「え?別に何も言ってないよ?」
アズは、笑顔。
…その笑顔が怪しいんだ!!
「……」
俺が無言でアズを見てると。
「俺、神の事大好きだからさ。いくら世間の人間が、神の事をナイフのような奴だって言っても、俺だけは神の味方でいるから。」
アズはそう言って俺に抱きついて。
「…何やってんの、おまえら…」
入って来たタモツに…
「前々から…ちょっと怪しいとは思ってたけど…」
「…バカか。何もあるわけねーだろ。」
「つれないなあ、神。こんなに好きなのに。」
「やめろ、バカ。」
「やっぱり…」
「違う!!」
軽く誤解された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます