第9話 「久しぶりだな、兄さん。」

 〇高原夏希


「久しぶりだな、義兄さん。」


 ナオトがそう言うと、晋は困ったような顔をして。


「それ、やめてくれ言うたやないですか。」


 ナオトの肩を拳で叩いた。


 そして俺に向かって。


「ご無沙汰してます。日本帰っても全然連絡せんで、すんません。」


 頭を下げた。


「いいさ。それより、元気でいるのか?」


 あの事件の事は掘り返したくないが…晋の体調が気になって問いかけると。


「…たまに、悪夢で目が覚める以外は元気ですわ。」


 晋は苦笑いをした。



 事務所で少し話した後、晋は雑誌の取材があるとかで、また夜に落ち合う事にした。

 ナオトは以前一緒に教会などを回っていた鍵盤仲間と連絡を取り合っていたらしく、俺を残して出掛けて行った。



「……」


 晋との待ち合わせまでに、少し時間がある。

 俺は一人で出かける事にした。


 まずは、ケリーズの近くに行ってみた。


 店は…変わらずそこにあった。

 あの事故の後…一度挨拶に来たが、それ以降は何の連絡もしていない。

 さくらの状態が変わらないのに、ここを訪れるのは…気が引けた。

 心から、さくらを大事にしてくれた人達に…申し訳ないと思いながらも、俺は連絡を絶った。


 少し離れた場所から店を眺める。

 店長のデレクの姿はそこになく、三人娘たちが笑い合いながら商品を並べていた。


 …あの笑顔の中に…さくらもいた。


 少し切ない気持ちを抑えて、俺はケリーズを後にした。



 それから、バーク公園の東にあった…俺の住まい。

 トレーラーハウスの跡地に訪れた。

 そこにはもう、トレーラーハウスはなかった。

 住宅の建設が計画されているらしく、そこはすでに整地されていた。


「……」


 丘の上に立って、街を見下ろす。


 …あの事故さえなければ…

 今頃、俺とさくらは…


 今更、どうしようもない事を考えて溜息をついた。

 バカだな。

 今のままでも幸せだと、思って来たじゃないか。


 さくらを抱きしめて眠る。

 それ以上、どんな幸せが…?



「…さくら…」


 強がりでしかない。

 分かっている。

 俺はいつでも、さくらのあの声で『なっちゃん』と呼ばれたいと思っている。

 何年も虚ろな目をしたままだったさくらが、やっと俺の目を見てくれた。


 それだけで十分だったはずなのに、欲は次から次へと俺の中から溢れだした。


 …タカシ…


 誰なんだ。


 ずっとそばにいた俺よりも先に…

 さくらが口にした名前…。


 …嫉妬で狂いそうだ…。




「乾杯。」


 晋と待ち合わせて、事務所から少し離れた場所にあるバーに行った。


 カプリかLipsでも良かったが…今夜はさくらとの思い出の場所はやめておこうと思った。

 それなのに…俺は晋に、さくらの事を聞きだそうとしている。

 思い出を掘り起こしても、どうにもならない事かもしれないのに…



「頑張ったな。」


 顔を見て言うと。


「まだまだですわ。」


 晋は苦笑いをして下を向いた。


「今も銃声が苦手で…映画やドラマなんかも全然観れんまんまです。」


「仕方ないさ。」


「…なんも覚えてないクセに、おかしな話ですわ。」


 晋は苦笑いのまま、ビールを口にした。



「あの時の記憶は、全然ないのか?」


 カウンターに肘をついて問いかけると。

 晋は少し照明を見上げて。


「…なんて言うんやろ…思い出そうとしたら、こめかみ辺りが疼く言うか…」


「……」


「忘れろ、て声が聞こえる気がするんですわ。」


「声…」


 その照明を見つめる目は…少しさくらのそれと似ているように思えた。

 虚ろな…


「晋。」


 俺が晋の腕を掴むと、晋はハッとしたように顔を俺に向けて。


「あ…ああ、すんません。ちょっと、ボケッと…」


 前髪をかきあげた。


「…あの事件より前の記憶はどうなんだ?」


「事件より前の記憶?」


「廉と臼井と三人で暮らしてたよな?」


 確か、事務所でそういう話を聞いた気がする。


「ええ、三人で……あ、いや…臼井は途中から女と暮らす言うて出てったんで…廉と二人…」


「……」


「……廉と…二人……あれ…?」


「どうした?」


 晋は再び照明を見上げた。

 そして…


「…誰やろ…臼井やのうて…誰かもう一人…」


 照明を見るたびに、晋の瞬きが減って、目が虚ろになる気がする。


「晋、もういい。」


 俺が再び晋の腕を取ってそう言うと、晋は驚いたように俺の顔を見て。


「廉が日本から連れて来た女と、三人で暮らしたんですわ。」


 目を丸くして言った。


「…廉が日本から連れて来た女…?」


「ああ…そやった…何やろ、ずっと忘れてた…」


 晋は独り言のように、何かをぶつぶつと言い始めた。


「…年末のオフで、おふくろさんに会う言うて帰国して…で、年明けに女連れて戻って来て…」


「それは…さくらじゃないのか?」


 俺が思い切って問いかけると。


「…さくら?」


 晋はキョトンとした顔で俺を見た。


「さくらだよ。」


「…誰です?」


「…おまえ、プレシズに一緒に出ただろ?」


「……」


 晋は眉間にしわを寄せて、しばらく俺を見つめていたが…


「ちゃいます。名前は思い出せへんけど…あれは廉の女やったはずです。」


 また、照明に目を向けて言った。


「…なぜ言い切れる?」


「…事件のあったジュエリーショップ…」


 晋は、照明を見ていた視線を俺に戻して。


「あそこに、廉とその子がおったんですわ。」


 思い出した。と言わんばかりの強い目で、そう言った…。



 * * *


 事務所の件は、ビートランドが買収する形でスタッフもジェフ以外ほぼ全員が残る事に決まったし、移籍したアーティストを呼び戻すより、新人発掘に力を入れる事にした。


 晋に会ってからというもの、俺が何かを考え込んでいる様子を察したのか…

 ナオトは俺に『気分転換でもしろ』と言い残して、先に帰国した。



 晋に、さくらの記憶がない。

 廉と晋は、プレシズでさくらと一緒のステージに立った。

 ステージ上での笑顔の交わし合いは…初対面のものには思えなかった。

 今思えば…だが。


 あの事件で、晋は事件以外の記憶もなくしたという事になる。

 だが…そういうことはあるのか?

 そして…

 晋の言っていた、事件のあったジュエリーショップ。

 あそこに…廉と、廉が日本から連れて戻ったという女性がいた…と。


 晋は…廉の女だと言い張ったが…やはりそれは、さくらじゃないのか?

 晋に、その女の特徴や顔を聞いてみたが、それは覚えてないと言う。


 廉が銃弾で倒れた日。

 さくらもまた…事故に遭った。

 俺は、その事件について少し調べてみる事にした。


 しかし…当時もそうだったが。

 どの新聞を調べても、事件現場の周囲の人は。


『いつの間にか終わっていた』


『誰かが終わらせた』


 と…不可解な言葉を述べたにも関わらず…

 その事件は闇に葬り去られようとしてるかのように、深く追求されないままだった。


 俺は住所を調べて、ジュエリーショップのあった場所に出向いた。



「……」


 住所を書いたメモを手に、俺はその場に立ち尽くした。


 そこに建物はなく、店舗があったと思われる場所一面には手入れのされた芝生。

 その一角に、小さな慰霊碑のような物があった。


『私達は忘れない』


 そんな言葉と共に…廉の名前が刻まれている。


 …知らなかった…

 なぜ、こういった物が造られているいるのに、ニュースにならないのだろう。

 音楽雑誌になら、すぐにでも取り上げられそうなネタだ。

 しかも、大きく。

 それほど、今でも丹野廉がボーカリストに与える影響は強い。



 その慰霊碑の横に、小さな花がたむけられている。

 俺はその前にしゃがみこんで、慰霊碑に触れた。


「…廉。あの日…ここで何があったんだ?」


 どうして、晋は…さくらを覚えていないんだ?

 どうしてさくらは…あんな状態になったんだ…?


 返って来る答えがないのは分かっていても。

 俺は、その慰霊碑に向かって…

 廉が答えてくれたら…と、強く念じるしかなかった。



 * * *


 帰国してすぐ、瞳に会うために学校に行った。

 校内放送で呼び出してもらって、放課後の瞳を車に乗せると。


「どうしたの?週末でもないのに。」


 こっちに来た頃とは比べ物にならないぐらい…落ち着いた瞳。

 長い髪の毛を耳にかけながらの笑顔には、心底癒される。


「週末、いなかったからな。」


「それはそれで、あたしも友達と遊んでたから別にいいのに。」


「…千里か?」


 ハンドルを切りながら、視線を前に向けたままで問いかけると。


「友達って言ったじゃない。千里は彼氏。」


「……」


 まあ、いい。



 TOYSのボーカリスト、神 千里。

 瞳はあいつにぞっこんだ。


 確かに…千里は出来る男だ。

 スタジオで初めて会った時の印象はあまり良くなかったが、うちの事務所に入って半年。

 予想以上に力をつけている。


 今の所、一番期待出来るボーカリストだ。

 それに、意外と真面目で純粋な事に気付いた。

 約束の時間よりも必ず先に来ていたり…言われた事はきちんとこなすし、それ以上の事もしてきて驚かされる事もある。


 …なかなか、気持ちのいい男だ。



 千里との間に、瞳の話題はない。

 そこがまた…気持ちのいい男だと思わせられる所なのかもしれない。

 俺はまだどこかで、瞳に彼氏という存在がいて欲しくないと思っているのだろう。

 それを千里は知ってか知らずか…一言も口にしない。



「どうして黙ってた?」


 予約していたレストランについて、瞳に問いかける。


「え?何?」


「妹がいるそうだな。」


 俺の問いかけに瞳は目を丸くして。


「ママに聞いてたんじゃないの?」


 首をすくめた。


「いや、聞いてない。」


「…向こうで会ったの?」


「ジェフが事務所に連れて来てた。」


「…うんざりね。職場に連れて行くなんて。」


 瞳は面白くなさそうに唇を尖らせて、おしぼりで手を拭いた。


「妹が生まれたのが面白くなくて、反抗してたのか?」


「…まあ、正直それもあったわよ。ジェフ、あからさまにあたしよりあの子を可愛がってたし。」


 そう素直に言う瞳を、たまらなく愛しいと思うと同時に…そんな境遇にさせてしまった事を心から反省した。

 俺は…何も知らなかったとは言え…瞳に苦痛を与えてしまった。



「…俺を父親と呼べるのは、おまえだけだよ。」


 目を見てそう言うと。

 瞳は少し無言になって、俺を見つめ返した。


「14年会わない間も、忘れてたわけじゃない。」


「…それは、いいよ…もう。」


「これからも、ずっと…俺を『お父さん』と呼べるのは、おまえだけだ。」


「……パパじゃダメなのね。」


 瞳は少しだけ涙声になっているような気がした。

 うつむき加減で、自分の膝の上に置いている手を眺めながら。


「…あたし、こっち来て良かった。」


 小さくつぶやいた。


「…一緒に暮らせないのは、申し訳ない。」


「いいの。週末だけでも…それに、こうやって…律儀に誘ってくれたり…その一回一回に、あたし…お父さんの愛を感じてるもん…ちゃんと…」


 恥ずかしいのか、下を向いたままの瞳から…そんな言葉が出て来て。


「…俺は…おまえが可愛くて仕方ないよ。」


 久しぶりに…俺も心から優しい気持ちになれる事が出来た。



 〇森崎さくら


 …最近…

『なっちゃん』が、いない事が多い…


 どうしたのかな。


 そう思っていると…

『サカエさん』が、『旦那様は、今アメリカにお仕事に行かれているんですよ』って言った。


 …アメリカ…


 何だろう…

 何か、こう…引っ掛かる気がした…


 アメリカ…



 あたしの瞬きの回数が増えたからか、サカエさんはあたしの顔を覗き込んで。


「アメリカが気になりますか?」


 首を傾げた。


 …うん…気になる…


 ゆっくり、瞬きをすると。


「そうですか…何か…思い出された事があるんですか?」


 サカエさんも、ゆっくりした口調で言った。


 …ううん…何も…


 瞬きを、二回した。



 最近、あたしとサカエさんの間では、『うん』が瞬き一回、『ううん』が二回。って決まり事みたいになってる。


 なっちゃんとは…

 何だか、まだ…上手く…コミュニケーションが取れない…

 …いないし…



「寂しいですか?」


『うん…』


「思い出したい…って、思いますか?」


『うん…』


「…でも、思い出さない方がいい事って、あると思うんですよ…私は。」


『……』


 あたしは、視線をサカエさんに向けた。


 …どうして?

 思い出さない方がいい事って…何?

 そう…聞きたかったけど…

 あたしの声は、何も出なかった。



「タカシさんという方、ご存知ですか?」


 …タカシ…さん…?


『…ううん…』


 あたしが少し困った表情でもしたのか、サカエさんはあたしの頭を撫でて。


「ああ…何も思い出してらっしゃらないんですね…」


 なぜか…ひどく笑顔になった。



「さあ…さくらさん。少し歩かないと、筋力が落ちるから。歩きましょうか。」


 え?な…何?

 サカエさん…

 あたし…歩けない…よ…ね?

 ずっと、ぼんやりしたままだし…

 記憶だって…こんなまま…


 だけどサカエさんは、あたしの腕を引いて体を起こすと。


「さ、立って。」


 笑顔で…あたしをベッドから降ろした。


 …あたし…立ってる…


 ガラスに映った自分の姿に驚いた。


 あたし、立ってる。


 それに…


「…サカエ…さん…これは…」


 声も…出る…


「大丈夫。訓練が終わったら、またちゃんと眠れるようにしてあげますよ。」


「…訓練…?」


「あなたは、ずっとここで旦那様といてもらわなくちゃいけないんです。」


「…どういう…」


「そのためにも、何も思い出さない方がいいんですよ。」


「……」


「平気ですよ。『なっちゃん』と『サカエさん』だけは覚えているようにしますからね。」



 何が何だか分からなかった。

 だけど…かすかに…

 かすかに、だけど…


 もしかしたら。

 あたし…

 何かを思い出しかけては…記憶を消されてる…?


 そんな気がしてならなかった。

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