第8話 『よーし。じゃ、リストにある三曲、聞かせてもらおうかな。』

 〇神 千里


『よーし。じゃ、リストにある三曲、聞かせてもらおうかな。』


 今日は憧れのビートランドにある、ホールでのライヴオーディション。


 ああ…緊張する。

 なんで緊張するか…っつーと…結局マサシがベースをする事になって。

 まだ…完璧!!とは言えない状態だからだ。



 あれからも俺達は、俺がベースを弾きながら歌って、マサシが鍵盤を弾いて練習をした。

 だけどアズが。


「神の声って、キーボード邪魔だと思わない?」


 笑顔で悪魔のような事を言った。

 おまえ要らね。と言われたも同然のマサシは、泣きそうな顔で。


「…ベース頑張る…」


 小声で言った。


 …こうなったら、マサシを信じるしかない。

 そして、後は俺も…自分の力を出し切れるよう、頑張るしかない…!!



 タモツがカウントを取って…一曲目が始まった。

 客席には、高原夏希をはじめ…Deep Redのメンバーが勢揃い。

 他にも…昔FACEってバンドでベースしてた臼井さんとか…とにかく、有名人だらけだ!!


 …見るんじゃなかった。


 だけど…こんな立派なホールで歌えるなんて、サイコーだ。

 勝手な事したアズには腹が立つが、これはこれで…気持ちいい。

 俺の声って、こういう風に伸びるのか…なんて、客観的に聴いて、少しだけスタジオでの歌い方と変えてみたりもした。


 プロ志向ではあるけど、まさかDeep Redに聴いてもらえるなんて…夢みたいだぜ。


 三曲終われど、客席からは何のリアクションもなくて。

 それが俺達を不安にした。

 しばらく無言で立ち尽くしてると、高原夏希が立ち上がってマイクを手にして。


『…粗削りだが、まあいいだろう。』


 まあいいだろう?


『神くん。』


『…はい。』


 今回は、ちゃんと敬語を使う事にした。

 瞳の件で印象を悪くした分は、態度で改めようと思ったからだ。


『頑張ったな。高音がちゃんと出てる。』


『………あ…ありがとうございます。』


 嬉しさのあまり、つい言葉が遅れた。

 敬語を使う俺が珍しいのか、アズはずっとニヤニヤしている。

 おまえ…この状況で…危機感持てよ!!



『他のメンバーについてはプログラムを渡すから、それに沿ってトレーニングする事。』


 それを聞いたアズとマサシとタモツは「はい!!」と元気良く返事をして、ハイタッチなんぞをして浮かれている。


 …プログラム


『あの、俺には?』


 高原夏希に問いかけると。


『君はー…自分でできるだろ。』


『……』


『任せるよ。じゃ、今日はこれで終了。後日ミーティングをするから、受付で個々の連絡先を書いて帰るように。』


 ……俺…もしかして…


「すげーな、神。任せるって、おまえ出来る奴って事じゃん。」


「そうだよ。さすがだな。」


「……」


 マサシとタモツはそう言ったが…俺は…


「ははっ。神、高原さんに嫌われてんじゃない?」


 アズが笑顔で言った一言に。


「うっせーな!!」


「あたっ!!」


 アズを張り倒した。



 〇高原夏希


「なんで神くんだけプログラム渡さないんだ?」


 ナオトが笑いながら言った。


「え?別に文句なく出来てたろ?」


 俺がそう答えると。


「あ~確かに猛練習したんやろな。スタジオん時より格段にえかったわ。」


 マノンは腕組みをして頷いた。



 そう。

 スタジオで聴いた時より、格別に良くなってた。


 あいつは、化ける。

 もっともっと良くなる。


 だが、きっと…決められたものをこなすより、模索しながら自己流でやって行く方が性に合う気がする。

 悩むようなら、その時に少し手助けしてやるぐらいでいいだろう。



「なんだ。瞳ちゃんの彼氏だからって、いじめんのかと思った。」


 相変わらず、ナオトはそう言って笑う。


「…まあ、見た目に反して真面目なようだから、そこは許すとしよう。」


「しかしバックがもっと頑張らなきゃなあ。あれじゃ、神くんがもったいない。」


「確かに。」


「ギターは磨けば光る思うで。」


「何も考えてないのか、スタジオの時も今日も、能天気な感じで弾いてたな。」


「えっ、それええんちゃうの。」


 ナオトとマノンの会話を聞きながら、ミーティングルームに入ると。


「高原さん、お電話です。」


 待ってましたと言わんばかりに、スタッフが受話器を掲げた。


「ああ、ありがとう。もしもし。」


『あ、お父さん?あたし。』


「どうした。」


『…TOYS、どうなったのかなって。』


「ああ…まあ、合格だな。」


 これが聞きたくて電話して来たのか。

 電話してくれるのは嬉しいが、彼氏の心配かと思うと…少し面白くない。


『良かった…あ、今夜はどうするの?』


「帰るよ。」


『分かったー。じゃ、ご飯作るね。』


 今まで、俺の出張や瞳のテスト期間で会わない週末もあったが。

 だいたいは、一緒に過ごす。

 しかし毎回外食だ。


「…無理しなくていい。外で食べよう。」


『えー?あたしの料理の腕、信用してないの?』


 周子に聞いた。

 瞳は何も出来ない。

 …しかし、ここで作る習慣をつけさせるのが親の役目なのか…?



「…分かった。食える物を頼む。」


『もー!!ビックリさせてやる!!』


 ガチャ


「……」



 週末だけは…俺もさくらと離れなくてはならない。

 目は虚ろなままだし、反応も良くはないが…昔に比べると、少しだけ動くようになった指や、増えた瞬きの回数。

 それらが…俺を幸せにする。


 …寂しい思いをさせた瞳に申し訳ないと思いながらも…

 俺の至福の時は、今もさくらとの時間だ。



「…ある意味ビックリだ。」


 マンションに帰ると、キッチンはさながら戦場だった。


「でも!!見た目に反して美味しいと思う!!」


 瞳の力説に促されて、お皿の上に乗っている何かを口にするも…


「…これもある意味ビックリだ…」


「……」


 キッチンがこんなになるまで頑張ろうとしてくれた娘。

 愛しくないわけがない。


 瞳…


 すまない。



 * * *


「ただいま。」


「おかえりなさいまし。」


 日曜の夕方。

 いつものように瞳を寮に送り届けて、その足で家に帰った。

 仕事がないわけじゃないが、さくらと一日でも離れると、俺の充電が足りなくなる気がする。



「何か変わった事は?」


 いつものように声をかけると。


「…いえ、特には…」


「…そうか。ありがとう。」



 サカエさんに礼を言って、さくらの部屋に入る。

 横たわったさくらは、いつもと変りなく…ボンヤリとした表情。


「…ただいま、さくら。」


 そう言って頭を撫でると。


「……さ……」


「…え?」


 さくらが…言葉を口にした…!!


「さ…っさくら?な…何だ?何が…」


 慌てまくったが、一度深呼吸をして。


「…さくら…ゆっくりでいいから…何か…言いたい事があれば…」


 一言ずつ、さくらに…話しかけた。

 すると…


「…た…」


 た?


「か…し…」


 ……


「さ…ん…」


「……」


 タカシ…さん…?


 俺は立ったまま、さくらを見下ろした。

 いつも通り…と思ったが…

 こうして見ると、ここ最近のさくらにしては…ボンヤリとした表情が増している気がする。


 だが…

 こんな時に口にする名前だ。

 思い入れのある人物に違いない。


 タカシ…

 さくらの身内か?


 …トレーラーハウスに来た男は…違う。

 あいつは、『ヒロ』と呼ばれていた。


 タカシ…


 それからさくらはうっすら開いていた目を閉じて、眠りについたようだった。

 声が聞けて跳び上がりたい気分だったが…妙に引っ掛かるものがあって…それはなくなった。



「サカエさん。」


 俺はさくらの部屋を出ると、キッチンにいるサカエさんに声をかけた。


「はい。」


「…今、さくらが言葉を…」


「えっ?」


「タカシという名前を言ったように思うんだが…聞いた事が?」


「……」


 俺の問いかけに、サカエさんは眉間にしわを寄せて考え込んだが。


「いいえ…本当に、お名前だったんですか?」


 首を傾げて言った。


「…そうか。それもそうだな。」


 いや…

 確かに『タカシ』という名前だった。


 ずっと聞きたくて仕方なかったさくらの声。

 それを聞き間違えるはずがない。

 さくらの言葉一言一句を…どんなに俺が待ち焦がれていたか。



 いくら考えても分からなかった。

 帰国する際、さくらの荷物は一通り持って帰った。

 さくらの持ち物は少なかったし、その中に名前が書いてある物…


 …そう言えば…

 さくらはアドレス帳を持っていなかったな。

 まあ…さくらの付き合いと言ったら、俺の知ってる範囲では…カプリのオーナーや、ケリーズの面々…か。


 日本人の知り合い…


 一度日記を書いた物を俺に見られてからは、それらしい物は書いた形跡がなかった。



 …こんな時に…

 もっと、あれこれ聞いておけば良かった…と後悔する。

 今が大事なら過去はいい。

 そう思って、さくらと離れていた二年間の事は聞かなかった。

 だが、あの二年間で…さくらには何かあったんじゃないだろうか。

 ピンクのチューリップを見て悲しくなるような、何かが…



 * * *


 さくらが『タカシ』と言う名を口にして以来、さほど変わった事もなく時が過ぎ。

 庭の桜が満開になった頃。

 突然瞳が、シンガーになりたいと言って、俺を驚かせた。


 正直…嬉しかった。


 周子は少し嫌そうだったが、それで瞳が落ち着くなら、チャレンジさせたらどうかと提案した。


 周子が反対した理由は…シンガーになる事が、そんなに簡単じゃない事と。

 父親の名前が大きすぎて、きっと瞳がプレッシャーに潰されるという心配からだった。

 俺からしてみれば、瞳がそこまで気にかけているものだろうかと少し笑えたが。


 瞳は周子が昔作った曲でオーディションを受け、まあ…課題は多いが合格した。

 ただ…日本でウケる気がしない。

 スクールを卒業する頃に、アメリカでデビューを勧めてみようと思った。

 それまでは日々特訓だ。


 アメリカと言えば…


 俺達Deep Redが所属していたアメリカの事務所の経営が傾き始め、ビートランドに吸収合併してくれないかと打診があった。

 今までも提携してやって来たが、経営陣の高齢化に伴いアーティストも他の事務所への移籍を希望したりと、厳しい状況だ。

 そこで俺は、ナオトと共に今後の方針をたてるべく、渡米する事にした。



「久しぶりだなー。」


 ナオトが事務所の前に立ちはだかって言った。


「何年ぶりだ?」


「マノンばかり来てるからな。」


 事務所の向かい側にあったカフェは、少しオシャレになっていて。

 それが余計に事務所を古く感じさせた。



「俺はTRUEを見に来たから、二年振りかな。」


「そうか…晋の新しいバンドか。」


 さくらが事故に遭った日…晋も事件に巻き込まれていた。

 丹野廉が銃弾に倒れた日だ。


 できれば晋たちのバンド、FACEには…ビートランドのアーティストとして世界に羽ばたいて欲しかった。

 まさか…あんな事件に巻き込まれるなんて…


 ベースの臼井は帰国してスタジオミュージシャンをしているが…あれだけの腕を持っていながら…外へ出ないのがったいない。

 俺個人の想いとしては、臼井にもまたバンド組んで、世界に出て欲しいが…

 こればかりは、臼井本人が決める事だ。


 廉が死んで、晋はしばらくギターを弾かなかった。

 その浅井晋は、四年前…あの事件から六年経ってようやく、バンドを結成した。


 ナオトにとっては、年下だが義兄にあたる晋。

 なぜか両親に会うぐらいにしか帰国しないらしい義兄に、ナオトは『愛想無し』とボヤいている。


 …そう言えば…

 さくらと再会させてくれたのは、晋と廉だった。

 ふいに、あの日の出来事が蘇る。


 ケリーズの前で撮った写真を見せられた。

 ピースサインをしている晋の後に、ケリーズ。

 そして、その中でレジを打っているさくらの姿。


「……」


 あの三人は…プレシズで顔見知りだ。


「ナッキー?」


 考え込んで立ち止まった俺に、ナオトが声をかける。


「あ、いや…何でもない。」


 突然のように、あの時気にならなかった事が気になり始めた。


 ケリーズなんて…晋と廉は、あの場所に何しに行ってたんだ?

 二人には無縁の通りな気がする。



「…晋、いるかな。」


 事務所に入りながらつぶやくと。


「晋より…懐かしい顔がいるな。」


 ナオトが上を見て笑った。

 俺がそこを見上げると…


「やあ、久しぶりだね。」


 ジェフが、二階から手を振っていた。


 手を振っていたジェフは…一人じゃなかった。

 階段を上がって行った俺達が見たのは、ジェフの足にへばりついている…

 小さな女の子。



「…誰の子だ?」


「俺の子だよ。」


「…周子との?」


「…なんだ。ヒトミに聞いてないのか?」


 瞳にどころか…周子にも聞いてない。

 ジェフは少し不機嫌そうに。


「日本に行った途端、こちらとは関係ないって感じだな。」


 低い声で言った。


 女の子は、ジェフにそっくりだった。

 もしかして…この子が生まれた事で、瞳が疎外感を持って反抗期に…?

 それならそうと、言ってくれればいいものを…

 なぜ二人とも何も言わないんだ。

 まあ、瞳はヤキモチなんてカッコ悪くて言えないんだろうが。


 周子…

 教えろよ。

 祝いぐらい贈ったのに。



「こんにちは。何歳だい?」


 ナオトがしゃがみこんで問いかけると、女の子は恥ずかしそうにジェフの後ろに隠れながらも。


「…五歳…」


 小さな声で言った。


「名前は?」


 俺はあえてジェフに聞いた。


「グレイス。」


「可愛いな。」


「ありがとう。」


 別に、ムカムカもしないが…いい気もしない。

 俺には知る義務はないとでも思ったのかもしれないが…瞳の反抗期のキッカケや原因は、極力知っておきたかったのに。


 そうは言っても、このグレイスに罪はない。

 ジェフと周子が結婚…再婚して、今度こそ出来た子供だ。

 それはそれで喜ばしい。



「周子、頑張ったんだな。」


「ああ。本当に。」


「幸せにな。」


「ありがとう。」



 そんな会話をして、ジェフとは別れた。


 その後、俺とナオトは…

 ジェフが、この事務所をビートランドに買収されるぐらいなら辞める。と、退職した事を聞かされた。

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