第6話 日本に来て一ヶ月。

 〇高原 瞳


 日本に来て一ヶ月。

 寮生活は快適だった。


 まあ…門限や、男の子を連れ込むとうるさい所は面倒だけど。

 食べはぐれる事はないし、ルームメイトも話の分かる子だし、みんなオシャレと男の子に興味いっぱいの子達だし。

 賑やかで楽しい。


 ママといたら…寂しかったから…

 来て良かった!!



 あたしのママは、遠い昔シンガーだったらしいけど。

 夢破れてソングライターになったらしい。

 だけどシンガーでは成功しなかったママも、ヒットメーカーとしては名を上げた。


 …本当は、あたしだって…歌いたい。


 昔から、あたしが歌うとママは喜んでくれた。


「上手よ、瞳。」


 そう言って、笑顔で抱きしめてくれた。


 何もかもが崩れたのは…5年前。

 あたしが10歳の時だ。


 ママが、ジェフと結婚した。

 どうも、再婚らしい。

 と言うのも、ママとジェフは、昔一度結婚していたみたいで、上手くいかなくて別れた…と。


 そんな人と、また結婚?


 まあ…ジェフはいい人だけどさ…

 あたしは、何となく…ママを取られたみたいで面白くなかった。


 リビングにたくさん飾ってある写真に、ママとジェフの結婚式の写真も加わった。

 それがメインみたいになって、あたしは少しつまんなかった。

 わざと…あたしのお気に入りを、その写真の前に置いたりもした。


 あたしのお気に入り。

 まだ赤ちゃんのあたしを、抱っこした男の人の写真。

 その写真は昔からあったのに…

 何となくだけど、詳しい事をママに聞く勇気がなかった。

 聞ける空気もなかった。


 だって、物心ついた頃からママと一緒にいたのはジェフで。

 あたしは、ジェフがパパなのかな?なんて思ってた頃もあった。

 だけど、あたしのパパは死んだ。ってジェフに聞かされて…

 やっぱり写真の人なのかな…って思った。



 パパは何で死んだのかな。

 で、やっぱりあの写真の人がそうなんだよね?

 詳しい事、ジェフに聞こうかな…って思った頃。

 遊びに来たクラスメイトのタマラが、写真を見ながらママに言った。


「この人は?」


「ん?それは、瞳のパパよ?」


 やっぱそうなんだ!!

 タマラ、ナイス!!


 だけど…その夜ママは言った。


「瞳、いつかは言わなくちゃって思ってたんだけど…言えなくてごめんね。」


「…何?」


「あなたのパパは…死んだってジェフが言ったそうだけど…生きてるの。」


 …え。


「…どこにいるの…?」


「日本よ。」


「日本…」


 それは、ママの生まれた国。

 あたしは、一度も行った事はない。


 写真の中の人が。

 死んだと思ってた人が。

 生きてた。

 そして、あたしのパパだった。

 知った途端に、あたしの中で色んな気持ちが湧いた。


 パパに会いたいな。


 パパは、大きくなったあたしを見て、どう思うんだろう?



「どうして…離婚したの?」


 少しだけ遠慮がちに問いかけると。


「…ママとパパは、結婚してないの。」


 予想外の言葉。


「……え?」


 結婚してない…?


「色々あってね…」


「…色々って…何で…ママは、パパを愛してなかったの?」


「愛してたわよ。とても。でも、それだけじゃ…どうにもならない事もあるの。」


「…パパが、ママを愛してなかったの…?」


「…そんな事ないわ。パパはとても優しい人で、いつもママと瞳を大事にしてくれてた。」


「…一緒に、ここで暮らしてたの?」


 写真は、この家の前で写ったもの。

 あたしは…てっきり…家族なんだと思ってた…


「…いいえ。瞳が生まれる前は、一緒に別の所で暮らしてたけど…彼は忙しい人だから…」


「パパ…パパは、何してる人なの?」


 ママと写真を交互に見ながら言うと。


「…パパは、Deep Redっていうバンドでボーカルをしていた人よ。」


 ママは…静かな声で言った。


 …ボーカリスト?

 だからママ…

 あたしが歌うと、嬉しそうだったの?

 あたしの中に、パパを見てたの?


 …結局…

 パパは、あたしが出来たから…ママを捨てたんだ。

 あたしは、そう思った。


 そして、今もパパを愛してるママは…

 あたしの中にパパを見てる。


 …あたしは…

 パパには…望まれてなかった子供なんだ。



 その頃を境に、あたしは少しグレ始めた。

 あんなに大好きだったママが遠くなった。

 だって、ママは結婚したんだもん。

 ジェフが一番になったんだよね?


 思う事は多々あったけど、口に出す事はなかった。

 それが余計、あたし達の溝を深めた。


 そして…決定的だったのは…あれだ。



「ヒトミ、君は…お姉ちゃんになるんだ。」


 ジェフが…幸せそうな顔で言った。


「…え?」


「スーに子供が出来た。」


「……」


 ママが…妊娠?

 え?

 ガラガラと足元が崩れる気がした。


 あたしは…

 ママを独り占めしていたかった。

 なのにジェフが来て…さらには、赤ちゃんが産まれる?

 それは…ジェフとママが望んだ子供?


 …何なのよ…

 あたしの存在って…

 何なのよ…



 翌年、あたしに妹が生まれた。

 ジェフにそっくりな、外人顔。

 あたしには、ちっとも可愛く思えなかった。

 だって、ママに似てる所なんて見当たらない。


 あたしは…ずっと、心の中で言い聞かせてた。


 あたしは一人っ子。

 あたしは一人っ子。

 妹なんて、いない。


 そして…

 その妹が成長していくにつれ、ママとジェフが、あたしを邪魔者扱いしているように思えたあたしは。


「パパの所に行く。」


 そう、ママに言った。


 会った事もないパパ。

 あたしを望まなかったパパ。


 困らせてやる。


 そう思ったあたしは、最悪なメイクとファッションで日本に来た。



 パパが空港まで迎えに来てくれてるから。ってママに言われたけど。

 まずはガッカリさせてやれ。って思った。

 だって。

 ママがパパに送った写真は、思い切り清楚な感じの一枚。

 あたしがこんな恰好で日本に来たなんて知ったら、ママは頭を痛めるんだろうな。


 あたしは…パパの今の顔を知ってる。

 音楽雑誌で調べた。

 活動休止してるクセに、今も世界のDeep Redって呼ばれてるバンド。

 そして…ビートランドって音楽事務所の創立者。


 歌ってないのに…音楽雑誌に載ってた。

 インタビュー受けてた。

 アメリカの音楽雑誌なのに。

 日本にいるクセに。

 夢を語ってた。


 日本から、世界へ羽ばたけるアーティストを育てたい。

 …実の娘は育てられなかったクセに。



 キャリーケースをだるそうに引っ張りながら、ガムを口に入れて、あたしは歩いた。

 そして…視線の先に、見付けた。

 …パパ…高原夏希。


 ドキドキした。

 背が高くて…何だか…すごく、カッコいい。

 ジェフなんか、比べものになんない。

 オーラが…見える気がする…

 あの写真立ての写真と…変わんないよ…


 あたしがゆっくりと歩いて、パパの前に立つと。

 パパは無言であたしの姿をじっと見た。


「……」


「……」


「……」


「…何か言えば。」


「…今向こうでは、そういうのが流行ってるのか?」


「は?」


 何それ。

 それが第一声!?


 あたしが眉間にしわを寄せると。


「…可愛くない。」


 パパはさらに信じられない言葉。


「何様よ。」


 あたしは斜に構えてパパを睨んだ。

 だって…14年ぶりに会う娘に、可愛くないって…!!

 …まあ…あたしもこれが可愛いとは思ってないけどさ…

 …困らせたかったのに、こんなので再会したのを後悔…してる?



「可愛いって言って欲しければ、そのメイクはやめる事だな。」


「別にあんたに褒められなくたっていい。」


「あんたなんて言うな。ちゃんとお父さんって呼べ。」


「よく言うわ。ほったらかしてたクセに。」


「その父親の所へ来るって言ったのは誰だ。」


「あの家を出るための手段よ。」


「手段には使われてやる。だが最低限のルールは守れ。」


「…最低限のルールって…?」


「週末は一緒に食事をする事。そして、ちゃんと『お父さん』って呼ぶ事。」


 …ドキドキした。


 最初は、寮に入れって言われた事に腹を立てた。

 やっぱり、あたしは邪魔者なんだ。って。


 だけど…週末一緒に食事?

 お父さんって呼べ?


 …何よ。

 何なのよ…って思う反面…

 Noって言わせないって顔…

 だけど、このテンポのいい会話…

 何だろう…



「…なんで『パパ』じゃダメなの。」


「年頃の女と歩いてて『パパ』なんて呼ばれたら、俺はすぐにゴシップ誌に載っちまうからな。」


「…それ、面白い。」


「面白くなんかあるもんか。」


「じゃ、こんな恰好のあたしとこうしてたら、すぐ載っちゃう?」


 パパの腕に、しがみついてみた。

 パパは一瞬、あたしの顔を見たけど。


「…こんなメイクじゃない時にして欲しい。」


 溜息をついてうつむいた。


「何よ。お気に入りなのに。」


 うーん…もう自分で言うのも辛い。

 こんな恰好、するんじゃなかった。


「何度も言うが、可愛くない。」


「うるさい。おっさんに可愛いって言われるの、ゾッとするからいい。」


「おっさんじゃない。お父さんって呼べ。」


「いちいち命令しないでよ、おっさん。」


 あたし…ずっとドキドキしてる。

 パパって…お父さんって…

 カッコいい。


 あんなに固く誓ってた、パパを困らせてやる作戦は。

 すぐに、あたしの中から消えた。


 だけどあたしは…


 無意識に、パパを困らせ続ける事になる。


 * * *


「ねー、瞳、また呼び出されたんだって?」


 授業が終わって、あたしはルームメイトのサラ(日本人)と街に繰り出した。


「だって、門限破ったって言っても、たった10分よ?他の子達なんて帰って来ない事もあるのにさ。」


「あんたが真面目に玄関から帰ってくるからよ。」


「…うそ。みんなどこから帰ってんの?」


「角部屋の子に甘い物渡したら、窓から入れてくれるわよ。」


「…そんな手があったのね…」


 そうか…みんな上手くやってるんだな。

 でもさ、そういうのって、もっと早く教えてよね。


 あたしは心の中でそう思いながら、サラの行き着けだと言う雑貨屋に入った。


「ねえねえ、これいいと思わない?」


 サラがピンキーリングを手にして言った。


「ふうん…あたし、あまりアクセサリーは興味ないな。」


「えー、瞳って美人なのに、絶対損してるよね。」


「損してる?どうして?」


「だって、もっと自分を磨いたり飾ったりすれば、もっともっと目立つ美人なのに、何だかもったいないよ。」


「……」


 飾らなくても…今のあたしを好きになってくれる人が現れたら。って、あたしはどこか夢見がち。

 でも、あたしはモテないわけじゃない。

 サラが実家に帰ってる間に、ちゃっかり男子寮の男の子を連れ込んだ。

 適当にエッチできる相手は、そこそこにいる。



「あ、ごめ…」


 棚の下の方にあったラクダ柄の敷物を見て立ち上がると、人にぶつかった。

 あたしが謝ろうと顔を上げると。


「いや、悪い。俺も見てなかった。」


「……」


 ドキッとした。

 長い前髪の隙間から…力のある目。

 その目はすぐにあたしから離れて、どうでもいいようなシンプルな絆創膏に向かった。

 あたしは…つい、その人の姿を目で追う。


 シンプルな絆創膏を手にしたその人は、レジでお金を払うと外に出て行った。

 あたしはサラの存在も忘れて、後を追う。

 するとその人は…隣の建物に入って行った。

 ガラスドアの外から中を見ると…スタジオ。


「…スタジオナッツ…」


 入り口に書かれた文字を読んで、再び中に目をやる。

 すると、そこにはさっきの人と…違う人がいて。

 さっきの人は、絆創膏をその人の指に巻いてた。


 …男同士で、そういうのって…何だかちょっと…可愛い。


 それにしても、ここってスタジオって事は…バンドしてる人?

 …聴きたいな…


 あたしは雑貨屋に戻ると、サラに。


「ごめん。あたしちょっと今日は遅くなる。角部屋の子にワイロ渡しておいてよ。」


 そう頼んで。

 何か言ってるサラを残して、スタジオに入った。



 受付には女の人が座ってて。

 あたしはペコリと、できるだけ笑顔でお辞儀しながら通り過ぎた。


 …ふう。

 止められなかった。

 良かった。



 階段を上がって…ドアの丸い小窓から中を見る。


 …ここじゃない…

 ここでもない…


 一つ一つ部屋を覗いてると…


「…いた。」


 三階の端っこのスタジオに、その姿が見えた。

 マイク持ってる…って事は…ボーカルだよね。

 できるだけドアに顔を近付けて、音を聴く。


 …ボーカルか…

 あたしも、歌いたいな…

 本当なら、あたしってサラブレッドだよね。

 ママもパパもシンガーだもん。


「……」


 やがて中からかすかに聴こえて来た声に、あたしは背筋が伸びた。


 …何…これ。

 すごい…!!

 …どうしよう…体が震える…


 出来るだけ声が聴こえるように、あたしは小窓に耳を合わせた。


 ああ!!何これ!!

 あたし、この人と仲良くなりたい!!


 そう思ったあたしは、練習が終わるまでの間、ずっとそうやって歌に聴き入った。

 そして、片付けが始まったのを見届けて…下に降りて、外で待ち伏せた。


 すると、少し経って…


「アズ、おまえあのクセ直せよ。」


「そんなの言ったって無理だなあ。」


 絆創膏貼ってあげてた人と、一緒に出て来た。

 それから、他のメンバーも。

 四人は集まって何か話してたけど。


「んじゃな。」


「また明日ー。」


 それぞれ、散らばった。


 チャンス!!



「あの…」


 あたしは、その人を追って…思い切って声をかけた。


「あ?」


 振り向いたその人の目は…やぱり強くて。

 あたしは…一瞬飲まれそうになったけど。


「…さっき、隣でぶつかった?」


 その人は、雑貨屋を振り返って言った。

 覚えててくれた!!


「そ…そう。覚えてた…の?」


「ああ。」


 あたしは嬉しさのあまり笑顔だけど…

 目の前のその人は、ニコリともしない。


 ゴクン


 あたしは息を飲みこんで。


「あたし、シンガーになりたいの。」


 負けないぐらい、強い目…のつもりで言った。


「…は?」


「だから、お願いします。あたしに、ボイストレーニングしてください。」


「……は?」


 キョトンとしてるその人に。

 あたしは深々とお辞儀して。

 そして、顔を上げた時には笑顔で言った。


「あたし、瞳。あなたの声、好きになった。」


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