第2話 「いったい…何があったんだ?」
*29thの最終話の続きです
〇高原夏希
「いったい…何があったんだ?」
兄の
…そりゃあ、そうだ。
俺だって、まだ何も信じられない。
…信じたくない。
兄の視線は、ベッドに横たわったさくらに向けられている。
「一言も喋れないのか?」
「今の所は。」
「今の所はって…事故からどれぐらいだ?」
「三ヶ月。」
「医者はなんて言ってる?」
「…気長に治療するしかないってさ。」
「……」
そう。
気長に…治療するしかない。
だが、その治療も…何をどうすればいいのか…
さくらは事故に遭った。
俺と会う約束をしていた…12月のあの日。
アパートに向かう途中、さくらの働いているケリーズの前で、呼び止められた。
「ニッキー!!大変よ!!サクラが…!!」
さくらが…?
さくらがどうしたって…?
教えられた病院に行くと、さくらはベッドの上で、うつろな表情で天井を見ていた。
焦点の定まらない視線…
口は少し開いたままま…
「さくら…」
俺の呼びかけにも、さくらは答えなかった。
握った手も、握り返さなかった。
一緒に日本に帰るはずだった。
これから、明るい未来が待っているはずだった。
いつかさくらは俺の事務所に所属するシンガーとして、世界にその歌声を届けるはずだった。
…なのに…!!
「…一生、面倒を見るつもりか?」
兄の言葉に小さく笑う。
「面倒を見る?まさか。」
「じゃあ…」
「ただそばにいるだけだ。」
「…夏希…」
未だ反応を見せない、さくらの頬に触れる。
「ただ…そばにいるだけだ。さくらのそばに…」
「……」
そうだよ。
さくら。
俺は、ずっと…おまえのそばにいる。
だから…おまえも…
どうか、ずっと…
俺のそばにいておくれ。
〇島沢尚斗
「ナッキー。」
俺が声をかけると、ナッキーは振り向いた途端…
「よおナオト。久しぶりだな。」
ギュッと、俺に抱きついた。
「…なんだ。この抱擁は。」
「人恋しくてさ。」
「……」
目を細めて、無言でナッキーの背中をポンポンと叩いた。
ナッキーが事務所を立ち上げて七ヶ月。
その間に、色々な事があった。
俺達もアメリカから日本に帰って来たり…その際に家を建てたり…
向こうでの生活が長くなっていたから、なかなか日本に慣れない自分もいたり…
そんな事はさておき。
FACEのボーカル、丹野 廉が…死んだ。
事件に巻き込まれて、銃弾に倒れた。
FACEのギタリストで、俺より年下だが義兄である浅井 晋は…そんな最悪な光景を…目の当たりにした。
フロントマンを失くしたFACEは解散。
晋はギターを弾く情熱を失っている。
…いつか、また…とは言っていたが…
戻るものだろうか。
ベースの臼井は帰国して、事務所でスタジオミュージシャンとして弾いている。
あれだけの腕を持っていながら…もったいない。
ナッキーが、日本から世界へ発信するバンド第一弾として頭に置いていたFACEの解散。
その存在が無くなって、ナッキーは出鼻をくじかれた形だが…
そんな事よりも…
ナッキーの力の源。
さくらちゃんが…
「ナッキー、見合いでもして結婚したらどうだ?」
俺が耳元でそう言うと。
「…なんだ。唐突だな。」
「人恋しいんだろ?」
「…誰でもいいわけじゃない。」
「……」
さくらちゃんは…ナッキーについて帰って来なかった。
らしい。
らしい。と言うのは…誰も真相を知らないからだ。
とにかく…聞いてもナッキーが何も喋らない。
元々秘密の多い男だが…話さなきゃ分かんねーだろ。
いつも大勢に囲まれているナッキー。
なのに人恋しい…なんて、矛盾してるだろ。
そう思いながらも、ナッキーの言葉に深く頷けてしまうのは…
それが。
その相手が。
さくらちゃんじゃないとダメなんだって事を…
痛いほど、分かっていてるからだ。
〇高原 瞳
「もうイヤ。」
あたしがそう言うと、ママは小さく溜息をついて。
「…瞳。」
いつもの、低い声。
しかも、名前しか言わないって何?
ママには意見はないの?
「ヒトミ、ママは君の事を想って…」
横から口を出して来たのは、ママの旦那のジェフ。
…元旦那で、また旦那のジェフ。
「うるさいなあ…父親でもないクセに、偉そうに口挟まないでよ。」
あたしがそう言うと…
パシン!!
ママの手が、あたしの頬を打った。
「スー…それはいけないよ…」
ジェフがママの肩に手を掛けて言ったけど。
「そんなにここが嫌なら、パパの所に行けば?」
ママは冷たい声でそう言った。
パパ。
写真でしか見た事のない…あたしのパパ。
あたしとパパの写真は、あたしがまだ抱っこされてるぐらい小さい頃。
そんな頃しか会ってない人の所へ行けって?
「ヒトミ、大丈夫かい?ママは君の事をとても愛してる。だから…」
「…行く。」
「…え?」
あたしの肩に掛かったジェフの手を振りほどいて。
あたしは、ママの目を見て言った。
「パパの所、行く。連絡しておいてよ。あたしがそっちに永住するって。」
「…ヒトミ…」
「……」
ジェフは悲しそうな目をしたけど。
ママは、何も変わらなかった。
少し冷たい目であたしを見て…
「…好きになさい。連絡はしておくわ。」
相変わらず低い声で…そう言った。
あたしは部屋に入ると、ママに叩かれた頬に手を当てて…少しだけ泣いた。
ベッドに倒れ込んで、自分が口にした言葉を後悔した。
…パパの所へ行く…なんて…
あたし、パパと上手くやってけるのかな…
一緒に写った写真を手にして眺める。
パパは…世界のDeep Redと言われるバンドのボーカリストだった。
…今も、なのかな?
解散はしてないけど、活動もしてない。
ただ、今はバンドでって言うより…ミュージシャンを育てる人って事で有名。
世界中のミュージシャンが、Deep Redのニッキーの音楽事務所に入りたい。って、その門をたたくらしい。
その入り口はかなり狭いらしいけど。
パパ…か。
今まで呼んだことのない存在。
…あたし、マザコンのクセに…
ママから離れて、何も知らないパパの所へなんて行けるのかな…
だけど、もう我慢の限界だった。
ここにはいたくない。
〇高原夏希
「…は?」
『だから、瞳があなたの所に行くって言ってるの。』
俺は周子からの電話に、しばらく瞬きを忘れた。
「いや、ちょっと待て。俺の所に来るって…」
『あなたと暮らしたいんですって。』
「……」
俺と、暮らしたい?
瞳が?
確か、瞳はもう15歳。
最後に会ったのは…いつだ?
さくらがいなくなった日の、トレーラーハウス…だった気がする。
帰国する前に一度、会いに行こうとしたが…都合が良過ぎる気がしてやめた。
ただ、家の近くまで行って、庭で水やりをしている姿は見た。
あれが…6歳の時か。
ポニーテールにした髪の毛。
水色の服を着ていた。
帰国してからは一度も周子と連絡を取り合っていなかった。
瞳の様子も知る事はなかった。
それなのに…いきなり同居を申しだされても…
『瞳のためなら、何でもしてくれるんでしょう?』
周子が低い声で言った。
「出来る事と出来ない事がある。だいたい、なんでそういう事になったんだ?」
『……』
周子は少しだけ間を開けて。
『…ジェフと再婚したの。』
意外でもない言葉を出した。
「いつ。」
『五年前。』
「そっちの事務所に行く事もあったのに…全然知らなかったな。それはおめでとう。」
『ありがとう。』
「で?ジェフと瞳の折り合いが悪いのか?」
『そんな感じよ。反抗期も手伝って、ジェフに酷い事ばかり言うの。』
反抗期か…
俺にはなかった気がする。
15歳…
母が死んだ歳。
「学校は?」
『そっちのアメリカンスクールに入るって言ってるわ。』
「……」
瞳が可愛くないわけじゃない。
むしろ、何年も会ってないだけに…愛しさも増すだろう。
俺の血を分けた娘。
「周子の手に負えない娘を、俺がどうにかできると思うのか?」
『あの子、あなたに似てるわ。』
「は?」
『だから、言う事は聞かなくても…何か見つけてくれるんじゃないかって期待してる。』
周子は迷いのない声でそう言って。
『宜しくね。パパ。』
少しだけ…笑い混じりの声で、そう言った。
〇藤堂周子
久しぶりに夏希に電話をした。
何年ぶりだろう。
その用件は…瞳を引き取ってくれ。といったもの。
できれば…あたしの手元に置いていたい。
瞳は、あたしの…本当に大切な娘。
だけど、ジェフと再婚した今、瞳は…思いやりの欠片さえ持てない子になってしまった。
再婚は失敗だったと思った。
だけど…これ以上、ジェフにも瞳にも、辛い思いをさせたくなかった。
ずっと、あたし達親子を見守り続けてくれていたジェフ。
幸せにしてあげたい。
そう思った。
なのに…
瞳は、ジェフを目の敵にする。
『…もし瞳がこっちに来るとしても、一緒には暮らせない。』
電話の向こう、困った様子の夏希がそう言った。
「どうして?」
『さくらがいるんだ。』
「……」
言葉が出なかった。
夏希とあの子は破局したのだとばかり…
『誰も知らないから、口外するなよ。』
「…え?」
『ナオト達も知らないんだ。俺がさくらと一緒に居る事。』
「どういう事?」
あたしが怪訝そうに問いかけると。
『…さくらは、帰国前に事故に遭って…廃人のような状態なんだ。』
夏希は…予想だにできない言葉を出した。
「……なんですって…?」
『あんな状態のさくらを、瞳に会わせたくない。』
「……」
言葉が出なくなった。
そして、頭の中にめぐったのは…
あたしが彼女に対して吐き出した、酷い言葉の数々…
あんな事を言わなければ…今頃二人は…とっくに幸せになっていたのに…
「…廃人って…どうなの?」
『…喋れないし、視線も定まってない。呼びかけへの反応もない。』
「動けない…の?」
『植物状態とは、また違うんだ。だから…根気強く話しかけたりリハビリしてる。』
「……」
胸が痛い。
あたしは…
瞳の問題があるにしろ、幸せな家庭を築けているのに。
「…夏希。」
『ん?』
「来週、行くわ。」
『え?』
気が付いたら、言葉にしていた。
いいえ…
そうしなきゃ…と思った。
「あの子に…会わせて。」
〇高原夏希
「ただいま。」
事務所を立ち上げて9年が経った。
この9年…
さくらは事故当時と何も変わらないまま。
ボンヤリと宙を眺めたまま、言葉も発さない。
そんなさくらの体をマッサージしたり、風呂に入れたり…髪の毛を撫でて、頬にキスをして寄り添って眠る。
どんなに疲れていても、さくらに触れ合う瞬間が、俺にとっては至福の時だ。
「おかえりなさいませ。」
「何か変わった事は?」
俺は前髪をかきあげながら、住み込みで働いてくれているサカエさんの顔を見た。
帰国する前に、さくらの世話と家の事をしてくれる人材を探した。
すると、昔看護婦をしていたという年輩の女性が、人づてに噂を聞いた…と言って、履歴書を手に現れた。
色々話してみて、サカエさんになら任せられると思った俺は、さくらを連れて帰国した。
「今日はベッドの横にお花を飾ってみたんですけど、視線が少しそちらに…」
「えっ。」
習慣のようにかけていた言葉。
『何か変わった事は?』
それに対して、サカエさんの言葉はいつも決まっていた。
『特に何も』
それが…
今日は違った!!
「旦那さまのお好きな、赤いガーベラです。」
「…ありがとう。」
その言葉を聞いて、俺は急いでさくらの部屋に向かった。
視線が花に?
今まで、ずっと天井と言うか、宙を眺めていただけのさくらの視線が?
逸る気持ちを抑えて部屋に入ると…
「…さくら、ただいま。」
なるべく、いつもと同じようにそう言って、さくらが横たわるベッドに腰掛けて、髪の毛を撫でた。
すると…
「…さくら…」
さくらの視線が、少しだけ…俺に向いた。
さくらが俺を見た…!!
心臓が大きく動いた。
自然と俺の目には涙が溜まって。
それが、さくらの頬に…一滴落ちた。
「…すまない。」
ゆっくりと、さくらの頬を撫でる。
さくらは30歳だが、全く事故当時と変わらない。
この唇が、あの俺の大好きな声を発してくれたら…
そして、あの俺の大好きな笑い声を聞かせてくれたら…
視線が動いただけで、欲が出た。
「…さくら、愛してるよ。」
さくらの手を握り、気持ちをこめてつぶやく。
さくらの唇から返事は聞こえなかったが…
「……さくら…?」
さくらの右目から。
涙が…こぼれた。
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