いつか出逢ったあなた 34th

ヒカリ

第1話 「こんにちは。」

 〇高原 瞳


「こんにちは。」


 あたしが深々とお辞儀をすると、目の前のその人は…


「…え?瞳…ちゃん?」


 目を丸くして、驚いた顔。


「はい。」



 目の前のその人は…父さんの愛した人。

 ううん…今も、愛し続けてる人。


 さくらさん。



 今日、あたしは…何の連絡もせず、桐生院家を訪れた。



「え…っと…知花?」


「いいえ。」


「千里さん?」


「いえ…」


「…華音…は、ないわね…」


「…さくらさんに…会いに来ました。」


「……」


「お邪魔していいですか?」


「あ…ええ…どうぞ。」



 スリッパを出されて。

 それを履いて、ゆっくりとさくらさんについて家の中に入る。


 前々から思ってたけど…大きな家だな。

 あたしは、外からしか見た事がない。



 先月亡くなられた、さくらさんのご主人のお仏壇に手を合わさせてもらった。

 写真のご主人は、柔らかい笑顔の人。

 生前は、何かと…父さんとお酒を酌み交わしたりもしていたようだけど…娘のあたしにも、不可解だ。


 なぜ…父さんは、さくらさんを奪った形になったこの人と…友人関係にあったのだろう。




「お待たせしてごめんなさい。」


 さくらさんが、お茶と羊羹を持って現れた。


「こんな物しかないんだけど…」


「いただきます。」


「……」


「……」


 静かな時間が流れた。



「…母に…聞いた話だと…」


 あたしが話し始めると、さくらさんはゆっくりと視線を上げた。


「あたしは、小さな頃…さくらさんのファンだったって。」


「ファン?」


 あたしの言葉に、さくらさんは少しキョトンとされた。


「ええ。歌ってるさくらさんを見て、ゴキゲンになってたそうです。」


「…お母さん…そんな話を?」


「はい。晩年は特に…」


 あたしの言葉に、さくらさんは目を細めて…柔らかく微笑んだ。

 だけど…


「さくらさんが歌ってるレストランに行って…客席で美味しい物を食べながら、さくらさんの歌を聴く。それが楽しみだったって。」


「…レストラン…」


 さくらさんは、首を傾げた。


「…?」


 あたしがその様子を眺めていると。


「あ…ごめんなさい。」


 さくらさんは小さく謝って。


「実は、昔の事があまり思い出せなくて…」


 さくらさんは伏し目がちになって…口元は優しく笑ったままなんだけど…

 その表情は寂しそうだった。


「事故に遭って…から…ですか?」


 確かさくらさんは事故に遭って…ほぼ寝たきりの状態で。

 そんなさくらさんを、父さんが日本に連れて帰って…献身的に、身の回りの世話をしていた…って聞いた。



「そうみたい。何となく…ボンヤリと何かが…霧の向こうにあるのに、それが分からないって感じなのかしら。」


「…すみません…こんな事話して…」


「ううん、いいのよ。嬉しいわ。」



 余計な事を言ってしまっただろうか…と、少し気になったものの…

 あたしはお茶を一口飲んで続けた。


「…母は…ずっと後悔してました。」


「……」


「本当なら、あなたが結ばれるはずだった父を…奪った…って。」


「そんな事…それに、私は自分で選んでここに来たんですよ?」


「…知花ちゃんが居たから…じゃないですか?」


「…え?」


「父から聞いたんです。あなたは、知花ちゃんを死産したと聞かされて…その存在を知らなかったって。」


「……」


「その知花ちゃんが、生きてたと知った…だから…ここに来た。」


 あたしの言葉に、さくらさんはしばらく黙っていたけど。


「…もし、そうだとしても…もう、昔の話です。」


 そう、小さくつぶやいて…笑った。


「…さくらさん。」


 あたしは、座布団から降りて…畳に手を着く。


「…瞳ちゃん?」


 そして、さくらさんの目を見て…


「お願いです…父と…結婚して下さい。」


 そう言って、頭を下げた。


「何…何言ってるの?そんな事やめてちょうだい。顔を上げて?」


 さくらさんはあたしの隣に来ると、あたしの手を取って。


「こんなおばあちゃんに、そんな話…血圧が上がっちゃうわ。」


 笑いながら…そう言った。


 おばあちゃんだなんて…

 さくらさんは、全然年相応に見えない。

 可愛らしくて…まるで少女のようだ。



「出来れば…」


 あたしは、さくらさんの手を握り返して。


「あなたの事を…母と呼ばせてください。」


 真顔で…言った。


「……」


 それには、さくらさんも絶句して。

 ふい、と目を逸らして…


「…周子さんが…」


 小さくつぶやいた。


「母の願いでもあるんです。」


「……」


「お願いです。さくらさんの気持ちは…まだ、あの頃と変わっていないんでしょう?」


「……」


 それから…

 さくらさんは、何も答えてくれなくなった。

 これ以上困らせるのも…と思って、あたしは帰る事にした。



「…突然来て、ぶしつけにすみませんでした。」


 門まで送ってもらって、あたしが頭を下げると。


「…ううん…会いに来てくれて、嬉しかった。」


 さくらさんはまるで…友達みたいに気さくにそう言って。


「ありがとう。」


 優しく…あたしを抱き寄せてくれた。



 〇神 千里


「…BEAT-LAND Live alive?」


 その企画を高原さんに打ち明けられた時。

 俺は、少しばかり口を開けたままになってしまった。


 なぜかと言うと…


 高原さんの亡くなった奥さんで、作詞家の藤堂周子さんのトリビュートアルバム。

 現在、これが事務所をあげての大イベントと言うか…所属アーティストの中でも選ばれた者だけが参加できている物であるとは言え、結構なハードスケジュール。

 それでなくても、ボーカルを取る紅美が、エマーソンから直々にオファーを受けて渡米中。

 その関係でスケジュールもかなりタイトになっているのに…


 高原さん。

 あんた、何だって俺らをこき使う事に命をかけたがる?



 企画書に目を落としたまま無言でいると、高原さんが笑いながら言った。


「不満か?」


「…企画自体に不満はないけど、こんな大イベントなら…もっと時間をかけてやるべきじゃないかと。」


 組んだ足の上に企画書をバサリと音を立てて置いて。


「せめて、来年の夏にするとか。」


 そう意見すると。


「千里、忙しいのが好きなクセに…おまえも年取ったな。」


 高原さんは、相変わらず笑ったまま。



 いや…

 いやいやいやいや。

 こんな立派な企画書見せられたら…誰だって慎重にっつーか…

 もっとしっかり時間かけて練ってやりたくなるっつーの。


 それでなくても、去年の周年イベントも大した事やったつもりなのに…

 この企画書には、事務所所属の全アーティスト総出。と記してある。


 …全く…

 この事務所に所属してるアーティストが、何人いると思ってんだ?



「どうしても、今年やりたいんだ。」


 どこぞで拘りぬいて買ったという、クッションの良さそうな大きな黒い椅子に身を沈めて、高原さんは言った。


「もう俺達も歳だ。来年なんて言ってたら、メンバーの誰かが死んじまうかもしれない。」


「……」


 高原さんと朝霧さんは、今もこうして音楽の事に躍起になっているせいか、歳の割に随分若く思えるが…

 それは…否めない。

 実際、Deep Redは老いぼれ集団と言われても仕方ない年齢になっているし。

 キーボード担当のナオトさんは、入院中。



「これ、いつ発表しますか?」


「もう少し煮詰めて、四月には全アーティストに伝える。」


「四月…」


 それまでに、具体的な事まで決定出来るか?

 それに、アーティストのスケジュールもおさえられるのか?


 俺は企画書の資料を開いて、ざっと読み進める。

 ステージのセットや大まかなタイムテーブル。

 音響スタッフに照明スタッフ…

 …もうここまで?



「…これ、俺が全面的にちょっかい出していいですか?」


 資料に目を落としたままで言うと。


「助かる。」


 高原さんは、目を細めて笑った。



「…ついでに聞きますが…うちで暮らす話、考えてくれてますか?」


「……」


 俺が高原さんを見据えてそう言うと、ゆっくりした瞬きと共に視線が外れた。


『一緒に暮らさなきゃ、あの事バラす』という聖の脅しにも屈さず、高原さんは桐生院家全員からの申し出を、のらりくらりとかいくぐっている。


「…あんまり贅沢な話で、考えただけで痛風になりそうでな。」


 そう言いながら、立ち上がると。


「みんなの気持ちは嬉しいし、十分伝わってる。ただ…老い先短い人間を、わざわざ引き入れるこたないだろ?ってのが、今んとこの俺の気持ちかな。」


 老い先短い…なんて自分で言いながら。

 俺から見ると、こんなにカッコいい70代がいるかよ。って文句が言いたくなる笑顔を見せた。




 〇早乙女さおとめ 詩生しお


「詩生。」


 事務所のロビーを歩いてると、珍しく…ノンくんに呼ばれた。

 俺の彼女、桐生院華月の兄で。

 DANGERのギタリスト、桐生院華音…くん。



「なんすか?」


 親父のお下がりだけど、めちゃくちゃ気に入っているオフホワイトのストラトを担いでノンくんに近寄ると。


「おまえんとこの親父さん、何か言ってないか?」


 意外な問いかけ。


「…何かとは?何について?」


「何かさ…最近、うちの親父怪しいんだよなー…」


 ノンくんは顎に手を当てて考え事をしているような顔。


「怪しいとは…?」


「何か企んでる的な。」


「イベントとか?」


「そう。」


「でも今…」


 そう。

 今は、作詞家の藤堂周子さんのトリビュートアルバム制作の真っ最中。

 当初、女性ボーカルだけでの録りのはずが、アレンジを加えた曲に関してのみ、男性ボーカリスト採用って事になって。

 名誉なことに、俺は丸々二曲と、神さんのバックコーラスで二曲も歌わせてもらえる。


 そして、その曲ごとに変わるバンド編成も…すごい。


 世界のDeep Redと言われた高原さんのバンドのギタリスト、朝霧真音さんがうちの親父と弾いたり…

 ノンくんと陸さんが弾いたり…


 もう、このセッション大会のようなお祭り騒ぎに、みんな浮かれる気持ちを持ったのは、ほんの一瞬。

 後は、緊張感やプレッシャーとの戦い。

 普段はメンバー同士のクセだと思っている事も、大御所や他バンドの人から見ると…


「遅い!!」


「そこ、雑過ぎる!!」


 味でもクセでもなく…

 ただの下手くそに格下げ。


 そんなわけで、俺達は今、ツアーの合間だと言うのに…

 とてつもない個人練に時間を割いている。



「うちの親父が一人で動くわけないからさ。何かやるとしたら…陸兄と早乙女さんと、朝霧家が絡んでるだろうなと思ってさ。」


 朝霧家。に笑ってしまった。


 さすがに希世は入れてもらえてないだろうけど、マノンさんと光史さんは親子だが、まるで友達かのように…二人で色んな事を練っている。



 小さな頃から知ってる大御所の皆さん方は、昔は『優しいオジサン達』だったが…

 自分が音楽の道に進む事を意識するようになって、その人達は知ってる『優しいオジサン達』から『偉大な大先輩方』になった。


 おかげで、むやみやたらに馴れ馴れしく声なんてかけれない。

 向こうがフランクに声を掛けてくれても、だ。


 自分の生まれ育った環境には感謝するが…

 苦境とも言える。

 それは、俺達DEEBEEのメンバー全員が思ってる事。


 そんな偉大な先輩たちは、最近…



「そう言われてみると…」


 そうだ。


『陸んち行って来る。』


『今日陸んち寄って帰るから。』


『陸んちに居るから飯要らない。』


 うちの親父…ここ最近、陸さんの名前を連発してる。



「そう言われてみると?」


「二階堂家に入り浸りのような気もするかな…何かと言うと、陸さんちに寄るって。」


「…あそこなら、今は紅美も学もいないからな…」


 確かに…怪しい。


 SHE'S-HE'Sが、新しく曲を発表するなんて話もないし。

 なのに親父の不在は、アルバム制作前ぐらいに頻繁だ。

 二階堂家には立派な地下スタジオがあるし…


「トリビュートアルバムの事で行ってるのかなって思ってたけど…」


「そう言われたらそうとも取れる。けど、なーんか怪しいんだよな…」


 俺とノンくんがそんな話をしてると。


「あれ?詩生、こんな所でのんびりしてていいのか?」


 うちのドラマー、希世が来た。


「あ、ちょうど良かった。」


 ノンくんがそう言って、希世にも俺と同じ事を問いかけると…


「そう言えば…最近親父も爺ちゃんも、陸さんちによく行ってるなあ。」


「……」


「……」


「え?何?」


 いったい…何が企まれてる?


 正直…


 体がもたねー…!!



 〇早乙女さおとめ 千寿せんじゅ


「なあ、若い奴らが薄々勘付いてるで?」


 陸んちの地下スタジオで、朝霧さんが言った。


 今日のラインナップは…朝霧さん、神さん、浅香さん、アズさん、陸、光史、マコ、そして俺。

 本当は参加したがってるナオトさんは、病み上がりのため…申し訳ないけど遠慮してもらってる。



「ま、バレてもいいんだけどな。」


 神さんはそう言ったけど。


「いや、トリビュートアルバムに集中できなくなるから、まだ隠しておいた方がいいだろ。」


 浅香さんがそう言って…


「だよな。京介でさえそうなっちまったもんな。」


 神さんにからかわれてる。



 本当はここに、知花と聖子も参加するはずだったけど…

 さすがにいつも二階堂家に全員集合してると、「何か企んでる」って気付く奴らが出て来てもおかしくない。

 実際、この前ロビーで詩生を捕まえてコソコソと話してる華音の姿を見た。


 …さすが神さんの息子。

 鼻が利く。



「セン、ハリーと連絡ついたか?」


 陸に聞かれて、俺は無言のまま、指で丸を作る。

 ハリーとは、DEEBEEのプロデューサーであり…俺の、歳の離れた腹違いの弟。


 実の父親である浅井 晋が、結婚したのは知ってたけど…

 息子が産まれたなんて、一言も…



 その、腹違いの弟ハリーは、詩生と同じ歳。

 若干22歳にして、あの高原さんをも唸らせる腕のいい音楽プロデューサー。

 レコーディングエンジニアとしてだけではなく、コンサート会場でのPAエンジニアとしての腕も高く評価されていて、この大イベントの音響はハリーに任せたい、と。


 連絡をした時、ハリーは少し照れながらも…


『おー、兄やん…俺に電話って、なんですの…ん…って、敬語んなるなあ。』


 電話での声は…親父に似ている気がした。

 いまだ行方不明の親父を思い出して、少し切なくなったが…ハリーが元気でいてくれるのが、せめてもの救いだ。



「トップ、誰持って行く?」


 みんなで資料を眺める。


 出演者の持ち時間は決まった。

 後は、出演順の並びだ。



「高原さんの希望はなかったんですか?」


 マコの問いかけに、神さんと朝霧さんは顔を見合わせて。


「ナッキーの希望で言うたら…トップはDANGERなんやけど…」


 朝霧さんが、少し言葉を濁した感じで答えた。


「DANGERか…」


 陸が腕組みをして溜息をついた。


「あいつら、ステージ経験って…」


「先月、向こうで出たやつだけだな。」


 神さんの言った『向こう』とは…

 紅美ちゃんのボーカル録りが上手く進まなくて、そのチームだけが二週間渡米し。

 その間に偶然揃ってしまったDANGERは、カプリという店で思いがけずライヴをした…と。


 その様子はこっちの事務所にも中継され、その出来の良さに大満足だったのは高原さんで。

 それからしばらくは、あのステージの映像が事務所内で流されていた。


 …いつも俺のギタークリニックに足を運ぶ華音と紅美ちゃん。

 確かに…彼らには、まだまだのびしろがある。



「一意見として、いいですか。」


 手を上げて、発言する。


「DANGERがトップ…俺もいいと思います。」


「根拠は?」


 俺の意見に、神さんが足を組んで問いかけた。


「まだ彼らのステージはあの一つしか知られてない。だけど…彼らはまだまだ上手くなります。」


「…確かにな。」


 隣で光史も頷いた。


「それに…トップに持って行く事でインパクトを与えたら…後のバンドの刺激にもなります。」


「なるほど…DANGERは責任重大やな。」


 朝霧さんが楽しそうに笑う。

 …軽くマゾですか。



「じゃ、これで…明日会議で決定事項を回して、明後日館内発表しよう。」


 最終ミーティングが終わり、神さんが資料を置いて言った。

 そんな中、俺と陸と光史とマコは…目を細くして、軽く冷や汗もかいていた。


 …俺達SHE'S-HE'Sは…

 神さんのF'sや、朝霧さんの…世界のDeep Redを差し置いて…

 トリを飾る事になった。


 ビートランドでは大御所と言われる立場になりつつあるが…それでも、俺達が憧れて、その背中を追ってきた人達の後というのは…


「…本番までに、何キロ痩せるかな…」


 お祭り大好き男の陸でさえ。

 そんな弱気な事を言ってしまう決定だった。



 〇高原夏希


「……」


 BEAT-LAND Live aliveの資料を机に置いて、椅子に深く沈み込む。


 …ここまで、一気に駆け抜けてきた。

 生まれ育ったリトルベニスから日本に来て…

 ナオトと出会い、ゼブラとミツグに出会い…

 そして、マノンと出会ってプロを目指す夢が出来た。


 思えば…あの日から、ずっと走ってばかりだった気がする。



 天井に顔を向けて、目を閉じる。

 走馬灯のようにと言うと大げさだが…それでもメリーゴーランドのように、優しく思い出が駆け巡った気がした。


 あの時は…笑ったな…

 あの時は…苦しかったな…

 だが、どれも…今となっては宝であり、財産でしかない。



「…さくら…」


 どれぐらいぶりに…口にしただろう。

 もう、何年も呼んでいない名前。


 手を伸ばせば…さくらはすぐそこにいた。

 …他人の、妻として。


 俺も、また…さくら以外の女性と結婚をした。

 藤堂周子。

 さくらと出会う前に、恋に落ちたはずの相手。


 …いや、確かに愛はあった。



 さくらの気力が戻って、桐生院家とさくらの繋がりを知り…知花という娘がいる事も知り…

 さくらを桐生院に送ってからの俺は、何かを一つ成遂げたつもりになっていたのかもしれない。


 手の平を見ても、何もない。



 あの時は…一人で笑った。

 …笑うしかなかった…。

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