箱庭の片隅で

水硝子

第1話

 “幸せ”とは一体なんなのだろう。

 重い荷物を道の端のほうへと置きながら、青年はふと思案した。

 正義は悪がいないと分からない、というように、幸せ、も不幸がないと分からないのでは? と思ってしまったのだ。

「しょう兄ぃ。火、消えちゃうよ。早く早く」

 ふと、草の茂みから、栗色の髪が現れ、彼の名前を呼んだ。空色だった彼女のワンピースは、いつの間にか灰色へと姿を変えていて、髪の色だけが、綺麗に輝いているように見えた。

「あぁ。ゴメン。今行く」

 置いた荷物を再度手に取れば、彼女のあとを追うように、青年も茂みへと姿を消した。

 茂みを進んだ先に広がっていたのは、小さな集落のような場所だった。

 橙色の明かりを発しながら、燃えている焚火を中心として、半円を描くように家が建っている。

 少女に連れられるように集落へと戻ってきた青年は、あっというまに村の者に囲まれた。

「ショウ! 無事だったか」

「レン祖父さん」

「誰にも見つからなかったのか。すごいな」

 ショウが担いだままの荷物へと視線を落としたレンは、感嘆の息を零した。その荷物を適当に地面へと転がせば、自分の居場所がないくらいに人が寄る。

「シカ、鹿なのか?」

「いや、あれは鳥だろう。みりゃわかる」

「でも羽生えてないぜ? 鳥なのか?」

「どうみても鳥じゃねぇな、動物だろ」

 みんな思い思いに予想を口走りながらも、今日の晩飯が手に入ったことを喜び合う。栄養状態が良いとは言えない。しかし、それでもこの村から出ていく人は、誰一人としていなかった。

「はいはい。料理するんだからそこをおどき!」

 その声でぞろぞろと人が離れていったと思えば、ナイフを持った黒髪の女性が、ショウのことを見下ろしてした。

「ユーリおばさ……」

「なんだい! ショウじゃないか! 生きて帰ってこれたようで何よりだよ!」

「おば、叔母さん……くるじい……」

 ユーリの鍛え上げられた腕力に、いち青年の貧弱な筋力が勝てるわけもなし。ただ抱きしめられているだけだというのに、窒息状態に陥りそうになるほど、抱きしめられた。

「王都まで行ってたんだろう? 大丈夫だったのかい?」

 ようやく離されたと思えば頬を撫でられ、心配そうに見つめられた。

 ここから数キロ離れた先にある、発展した王都、アジャック。

 そこは昔本で読んだ、皆が幸福に暮らすという世界に少し似ていた。大きい鐘の塔に、にぎわう人々たち。お金は飛び交い、食べるものにも困りはしない。暴力沙汰がないとは言わないが、足を突っ込まなければ安全な国。無論本の世界では暴力すらもなかったのだが、それはファンタジーにすぎない。

 だが、そこを除けば、すべての人の理想郷がその王都にはある。

「大丈夫。足を突っ込んだわけじゃないからね。それに、情報の方が大事さ」

「なら、飯を食いがてら情報開示と行こうじゃないか。ショウ」

「うん」

 料理で男の手は借りねぇよ。というユーリをおいて、レンとショウは焚火の方へと向かった。

 焚火の周りにはショウが作った椅子が対象になるように4つ置かれている。皆がつかれたときに座れるようにと作ったはずなのだが、いつの間にか、森に住むリスや小鳥たちの居場所にもなっていた。

「んで。どうだったよ。アジャックは」

 椅子に二人して腰かけると、レン叔父さんは炎を見たまま、そうつぶやいた。

「変わってない。王のフィルダが税金をかすめ取ってるのか、状勢も傾いたままだった」

「……奴隷もか」

「……うん。奴隷制度も相変わらずだった。寧ろ前より悪化してたんじゃないかな」

 パチパチと炎から零れ落ちる音が、やけに大きく感じられるほど、辺りは静寂に包まれた。

「未だにフィルダは伝えてねぇんだろうなぁ、市民に」

「そりゃあそうだろうね。あんなの伝えたら、暴動が起きる」

 王都アジャックには、貴族しかしらない、しかし誰でも犠牲になるかもしれない制度がある。

 奴隷制度だ。ただ、それは王都内で使われるわけではない。王都内では奴隷を扱うことを禁止していているし、貴族も市民も平等である、というのが売りだからだ。

 しかし、王は売ることを制限しなかった。つまり、王都アジャックは市民も、下手すると貴族も知らない。奴隷商人の集う、闇の市場と化しているのだ。

「犠牲の上に成り立つ、平和? ……っつーのもあるっていうけどよ」

 レンが零した言葉を拾うように、ゆらりと炎が揺れる。

レンはショウの方へ向くこともなく、消えそうな炎を見たまま、薄い唇を開いた。

「それでもその犠牲を知らせない王ってのも……問題だよな」

「……ほんとにね」

 ショウの言葉に反応したように、フッと炎が消えた。

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