3―4

「今日はもう帰っていいわよ、お疲れ様」

「お疲れさまでしたっ! それでは……また明日!!」


 メグは笑顔でペコリと頭を下げた。

 サロンの扉を開けて、あっ、と何かを思い出したかのように声を上げると、

「コーネリア様、ごきげんよう!」

 と、習いたての挨拶をしてサロンをあとにした。


――パタンッ


 扉が閉まる音がする。次いで、コーネリアの耳に聞こえてきたのは、誰かがバタバタと廊下を走る足音だった。

 恐らく、メグが廊下を走っているのだろう。音がどんどん遠ざかっていく。

 前にも、廊下は走らないと教えたはずなのだが、どうやら全く覚えていないようだ。

 コーネリアが、小さくため息を吐いて頭を抱えた。


「次は『いかなる場合でも廊下は走らない優雅なご令嬢講座』をやるべきなのかしら……?」


 そう独り言ちて、コーネリアは再びため息を吐く。


――カチャッ


 しっかりと閉められたはずの扉が開く音がした。

 扉には、使用中の札を掛けておいたはずだ。他の生徒が、使用中のサロンに入ってくることは基本あり得ないことである。とすれば、メグが忘れ物でもしてサロンに戻ってきたのかもしれない。

 コーネリアは、手にしていたティーカップをソーサーの上に戻すと、扉を振り返った。


「どうしたの、忘れ物……」

「やあ!」

「ディオ……!!」


 ディオが、扉にもたれかかるようにして手を振っていた。


「メグ嬢がここから出ていくのが見えたから気になってね。こんなところに二人っきりで、一体何をしてたの?」

「講座よ」

「え?」

、よ」


 訳が分からないといった表情を浮かべるディオにコーネリアは、

「一から話すわ、どうぞ座って」

 と、向かいのソファへ座るように促す。

 言われるままに、ディオがソファへと腰を下ろした。


「今朝、メグがステファニア様と初めてお会いしたのよ」


 ディオが、相槌の代わりにゆっくり頷いた。


「その時にステファニア様がメグのことを『木から舞い降りた妖精』とか何とか言ってたけど」

「……木から舞い降りた妖精?」

「ねぇ、ディオ。あれのどこが木から舞い降りた妖精なの……?」

「さぁ……?」


 妖精じゃなくて隕石の間違いでしょ!? と声を上げて、コーネリアがテーブルに拳を叩きつけた。ティーカップに注がれたアールグレイが、チャプンッと音を立てて揺れている。

 どうやら、メグを受け止めたのは余程痛かったらしい。痛かったのよ、とコーネリアがぶつくさと文句を続けている。

 しばらくして、満足したらしいコーネリアが、ふぅ、と息をつく。

 そうして、アールグレイを一口含んでコクンと喉を潤した。


「前世でプレイしてた時から少し思ってはいたけど……ステファニア様ってかなり変わってるわよね」

「そうかな?」

「そうよ。そうじゃなきゃ、この私をお姉様と呼び慕うなんておかしいわ!」

「……それ、自分で言っちゃう?」


 声を上げたコーネリアに、ディオがツッコミを入れた。

 が、コーネリアが言うこともまた、尤もな話だった。何せ、ゲーム上のステファニアはコーネリアを嫌っていたのだから。


「だって、ゲーム上ではコーネリアはステファニアにのよ?」


 一体いつの間に好かれていたというのか。過去のステファニアとの思い出を辿ってみる。


 確かに、幼い頃からステファニアとよく遊んでいた。城の中庭で鬼ごっこをしたり、アサシンごっこと称して中庭の木に登ったりして遊んでいた。危ない遊びをして見つかっては、ステファニアと一緒にコーネリアの母親と――ステファニアの母親である――王妃からこっぴどく怒られたのは言うまでもない。

 といっても、別にステファニアと仲良くなりたいと思って彼女と遊んでいたわけではない。親の付き添いで城に訪れ暇を持て余したコーネリアが、一人で遊んでいたステファニアを巻き込んで遊んでいただけである。

 ステファニアに好かれるような行動など、した覚えがまるでないのだ。

 となれば、考えられる理由は一つである。


 記憶が戻るより以前から、今のコーネリアとゲーム上のコーネリアとで、ステファニアとの関わり方が違ったのだろう。

 といっても、ゲームのストーリーより以前の話は描写されていないため定かではないが。


「こんなこと、他の人に言ったら不敬罪に問われそうだから絶対言えないけど……」


 一呼吸置いてコーネリアが、

「感覚も好みも、普通じゃない……狂ってるわ……」

 と、至って真面目な顔をして呟いた。

 

「でね、その時に……今度の日曜に催される茶会にメグも来ないかってステファニア様から直々に誘われたのよ」

「へぇ、それはすごいね?」

「だから、ステファニア様に失礼のないように令嬢の立ち振る舞いをレッスンしてあげたのよ。まあ……あの人はそんなの一切気にしないんだろうけど」


 『令ロマ』のステファニアは、令嬢のれの字も感じられないメグを気に入っていたのだ。もちろん、コーネリア自身もステファニアが礼儀が出来ているか否かで好き嫌いを決める人間ではないことくらい分かりきっている。

 それでもコーネリアは、メグに令嬢としての立ち振る舞いを指導したかったのだ。……悪役として、彼女を罵るために。


「――……って、散々いびり倒してやったのよ!!」

「いびりというかなんというか……」

「なのに……なのに! あの子ったら、全く私の嫌がらせに気付いてないのよ!?」


 鈍感とかいうレベルじゃない! と、コーネリアは顔を両手で覆って嘆く。コーネリアの話を聞くに、どうやら今日も失敗に終わってしまったようだ。

 そんな彼女の頭を撫で、

「ご愁傷様……」

 と、ディオが慰めの言葉をかければ、

「あら! 他人事じゃないのよ、ディオ」

 と言って、さっきまでの嘆きはどこへやら、コーネリアはにこやかに笑みを浮かべた。


「……というと?」

「前に言ったでしょう? ノルベルト攻略ルートでは貴方も悪役キャラクターだって」

「そうだね」

「で、貴方も悪役を手伝ってくれるんでしょう?」

「勿論だよ」


 ディオの言葉に、コーネリアがニヤリと口角を上げた。


「……ということは、次はディオの番よ!」


 悪役令嬢コーネリアは学園やパーティーでメグとノルベルトの恋を妨害するのに対し、ディオは城内で妨害を図っていた。

 ノルベルトの側に仕えねばならない学園内とは違い、ディオの他にも護衛騎士がいる城内では自由に動くことができる。だからこそ、彼は城内で妨害を図るのだ。

 ある時はわざとノルベルトに急用の仕事を与え、ある時は嘘をついてメグを城から追い出し、またある時はメグに剣先を向けて脅す。

 なんて質が悪い嫌がらせだろうか。それでも、ディオはユーザーから多大な人気を得ているのだが。


「あの子、どうせ迷子になるだろうから……その時にとっ捕まえて意地悪してあげなさいな」


 なんとも悪役らしい言葉を呟いて、コーネリアはフフフ…と、不気味に笑っていた。

 その彼女は、さながら悪役キャラクターのようである。


「全てはメグとノルベルト様の恋を……」


 そこまで言ってコーネリアは徐に立ち上がって、

「悪役として応援するために!」

 と、意気込んで拳を頭上に突き上げたのだった。

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