3―3
「……で、挨拶の時の動作はこうするのよ」
――カチャン
音を立てて、ティーカップをソーサーの上に置く。
そうして、ソファから腰を上がってメグに向き合うようにして立つと、女性特有の挨拶の動作をしながら、細かく丁寧に説明をする。
「スカートを持ち上げるのはこのくらい軽くでいいの。そしたら片足を引いて、引いた方の足を膝を軽く曲げるのよ」
「こ、こうですか……?」
メグは、コーネリアの手本を真似るようにスカートの裾を掴むと、右足を引いて軽く曲げる。
「まあ、悪くないわね。ああ、それから……足を曲げると同時に腰を曲げて頭を深々と下げるとより良くなるわ」
「はいっ……!」
「これで流石の貴女も、上品に見えるんじゃないかしら?」
「腰を曲げて頭を下げると、上品に見える……と」
なるほど、と納得してメグは再びメモ帳に書き込んでいく。
一体何を書きこんでいるのかと、メモ帳を覗き込んでみれば、メモ帳の右側のページには『コーネリア様講座その二! ご令嬢の上品な挨拶の仕方』というタイトルらしき文章が可愛らしい文字で書かれている。
そのタイトルの下には、挨拶するにあたっての事細かな動作が記されており、重要なポイントにはわざわざ赤色のペンが使われていた。最早、メモ帳というよりは授業で使われているノートである。
(コーネリア様講座って何なのよ……!?)
今回の『ご令嬢の立ち振る舞いのレッスン』に関して言うならば、コーネリア様講座でもあながち間違いではない。
が、左側のページには『コーネリア様講座その一!各々の笑い方』というタイトルらしき文章も見える。恐らく、先日に図書室で会話したときのメモなのだろう。
「……ねえ、前から思っていたのだけど」
「はい、何でしょう……?」
「わざわざメモを取る必要はあるのかしら?」
右側のページの『挨拶の仕方』についてはまだわかる。
が、左側のページの『各々の笑い方』については全く持ってメモを取る必要性が見い出せない。
そのメモが役に立つ日は訪れるというのか、と疑問に抱いたのは言うまでもないだろう。
「何を言っているんですか、コーネリア様! もし万が一忘れてしまっても、メモさえ取っていればなんとかなるじゃないですか!!」
「万が一でもこの程度のことを忘れるなんて、鳥頭にもほどがあるでしょう!? いちいちメモを取らないで頭に叩き込みなさいよ!」
どうせメモがあるしって覚える気がないから覚えられないのよ! と、コーネリアは声を荒げた。
「大体ねぇ、茶会や夜会はほとんどドレスなの! メモ帳を懐に忍ばせておく余裕なんてないわよ!」
「そ、そんなっ……!」
――バサッ
音を立てて、メモ帳が床の上に落ちる。次いで、ショックを隠し切れない様子のメグが、まるで糸を切られた操り人形のように両足をふにゃりと折って膝をついた。
「ドレス……そうですよね、ドレスにポケットなんて……」
「ないわね」
「ど、どうしましょう……!」
「どうするもなにも、メモに頼らなくていいように完璧に覚えるしかないわよ」
容赦なく即答したコーネリアに、
「うぅ……頑張ります……」
と、首を垂れたのだった。
そうして、メグがご令嬢の上品な挨拶を覚えるまでひたすら練習をすること一時間。
「とりあえず、今日教えた通りに挨拶をやってみてごらんなさいな」
そう言って、コーネリアはゆったりとした動作でソファに腰を下ろした。
「わかりました! いきますよ、見ててください!」
メグは意気込んで、コーネリアに教えられた通りの動きをしてみせる。その動きは、流石に小一時間も練習しただけはあって様になっている。
本当のことを言えば、まだまだ覚えなくてはいけないことがあるのだが、挨拶についてはひとまずはこれで問題ないだろう。
「いいんじゃないかしら? 今日はこのくらいにしましょう。貴女も座りなさいな」
「はいっ!」
自分の向かいにあるソファにメグが腰を掛けるのを確認して、メグの目の前に置かれているティーカップにアールグレイを注ぐ。
「あ、ありがとうございます!」
お礼の言葉を述べるメグに対し、
「構わないわ」
と、返してコーネリアは、自分のティーカップにも同じようにアールグレイを注いだ。
本来ならば、傍に仕えた侍女や執事が行うべき作業である。
が、ここは学園である。コーネリアに仕える侍女も執事もここにはいない。いくらかのことは自分でやらなくてはならないのだ。
もっとも、ゲームの中のコーネリアならば、自分では動かずにメグにアールグレイを注がせるのだろうが。
指導にすっかり疲れきった彼女に、悪役令嬢をなりきる体力もそれを考える暇も残ってはいなかった。
「最初に比べたら上達したわね」
「本当ですかっ!?」
えへへ、と言ってふにゃりとしまりのない顔でメグが笑う。
(……その顔は可愛すぎるわ、反則よ!)
決して本人の前では――というか、ディオ以外の人の前では――言えない言葉を心の中で叫ぶ。
そうして、時間が経ってすっかり冷えてしまったアールグレイを口に含む。口内に広がるキレのあるしっかりとした味わいが、コーネリアの疲れた体と心を癒していった。
「ええ。要領の悪い貴女にしては頑張った方ね、まだまだだけど」
「コーネリア様に褒めてもらえて……私、嬉しいです」
突然、ゴホゴホッ、と咽だしたコーネリアにメグが慌てた様子で、
「大丈夫ですか!?」
と、心配した声をかける。それにコーネリアが、
「大丈夫よ……」
と、頷いて返した。
そうして、咳き込むこと数秒。どうにか息を整えて、ティーカップをソーサーに置くと、カチャリと食器がぶつかる音が響く。
「今日教えたことは基本中の基本なんだから、忘れるんじゃないわよ」
「え、えっと……」
「……いいわね?」
「……はい、善処します」
間を置いて漸く返された言葉は、なんとも歯切れが悪いものだった。あれだけ練習をしたというのに、それでもどうやら忘れない自信はないらしい。
はぁ、とコーネリアは小さくため息を吐いた。
(もしかすると、グラウン家の当主がメグの令嬢としての教育を緩やかにしているのって……彼女の要領の悪さのせいなのかしら)
そうに違いない、と結論付けて一人頷く。
「これはなかなかに骨が折れそうね……」
「え、何がですか?」
「なんでもないわ、こっちの話よ」
きょとんとした表情を浮かべているメグにそっと手を伸ばす。そのまま何の意味もなく――ただの腹いせである――ピンッとデコピンをした。
「いったぁい!!」
デコピンを受けて額に痛みが走ったメグが額を手で覆いながら、
「酷いですよ、何するんですかぁ……!」
と、悲痛な叫びを上げたのだった。
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