3―2

 そうしてしばらくして、時刻は午後五時を回っていた。

 ごきげんよう、と挨拶を交わした生徒たちが、各々の馬車に乗って学園を去っていく。


 そんな中、いつもは一目散に学園を去っているはずのコーネリアは、今だに学園内のサロンに残っていた。

 いかにも高級そうなソファーに腰を掛け、手にしているティーカップには温かいアールグレイが注がれている。

 今度の日曜日に催されるステファニア主催の茶会。それに向けて、貴族になりたてで作法も知らぬメグに令嬢の立ち振る舞いを指導するためである。仁王立ちで指導するコーネリアの姿は、心なしか、いつになくやる気に燃えていた。


「ごっ、ごきげんでござるですわ!」

「貴女のごきげんは聞いてないし、なんなのその口調は!? どこの国の言葉なのよ!!」

「私にもわからないですぅ……!」

「もう一度!!」


 コーネリアのスパルタな指導にメグは、ヒィーッ、と悲鳴を上げて目の縁に涙をためた。


(……そんな顔をしたって無駄よ、メグ。ノルベルトはさておいて、今の私には効かないんだから!!)


 メグのためだ! と心を鬼にして、コーネリアは指導を続ける。

 といっても、自分の作法に不安を抱いたメグから指導を頼まれてやり始めたわけではない。コーネリアがメグを半ば無理やり連れ込んで始めたことである。そう、ただの自己満足に過ぎなかった。

 最早これは、メグのためというよりは、コーネリア自身のため、といった方が正しいだろう。

 今朝、ステファニアが提案した『ノルベルトも誘う』という発言。それを聞いたコーネリアは、パッと閃いたのだ。


 メグをノルベルトに相応しい女性に磨きつつ、同時にメグに嫌がらせを行える方法、を。


 それが、この『ご令嬢の立ち振る舞い指導』だった。

 生まれてすぐにノルベルトの婚約者に選ばれ、幼い頃から皇后になるための教育を受けてきたコーネリアの指導があれば、流石のメグも令嬢としての振る舞いがしっかり身につくことだろう。そして、コーネリアは指導といいつつ嫌味を含ませた言葉で罵倒し、悪役を演じることができる。

 まさしく一石二鳥だった。


「令嬢が挨拶をする時は、両手でスカートの裾をつまんで……軽く持ち上げるのよ」

「はいっ!!」


 コーネリアの言葉を聞いたメグが、勢いよく腕を振り上げた。勢い良く持ち上げられた制服のスカートは、膝より少し高めの位置で揺れている。ソファに腰を掛けているコーネリアが少しでも身を屈めてしまえば、メグのスカートの中が見えてしまいそうだ。

 状況を知らない者が今この場を目の当たりにしたならば、コーネリアの目の前でスカートを思いっきりたくし上げているメグは、下着を見せつけようとしているようにしか見えないだろう。その様はまさに、ただの露出狂へんたいである。

 そんな彼女を一瞥するとコーネリアは、はぁ、とため息を吐いて頭を抱えた。


「……というか、そんなにスカートをたくし上げてどーするのよ! 軽くって言ったでしょう、軽くって! もしかして貴女、下着を見せつけたいわけ!?」

「はい!」

「えっ……見せたかったの!? この変態!!」

「ちっ、ちちち違います! 軽くってところに反応して返事したんですよぉ……!」


 すがりつくような目でコーネリアを見つめると、メグはコーネリアにしがみ付いた。


「コーネリア様なら構いませんけど、誰彼構わず見せたりなんてしないですぅ……!!」

「ちょっと待って、私ならってそれってどういう意味なのよ!? というか、離れなさい!!」

「だって同じ女性ですし……!」

「誤解を招くからやめてちょうだい! あと、抱き着くのはやめなさいと言っているでしょう、いい加減にしないとデコピンするわよ!!」

「それは嫌です!!」


 余程メグはコーネリアのデコピンが苦手らしい。デコピンという言葉を聞いた途端、勢いよくコーネリアの体から離れた。

 胸を抑えてハァハァと肩を揺らし、大きく呼吸を繰り返すこと数秒。

 そうしてコーネリアは、ふうっ、と息を整えると、

「さて……レッスン再開よ!」

 と、意気込んでパンパンッと両手を叩いた。それを見たメグは、

「うー、分かりましたぁ……」

 と、諦めたように眉を下げたのだった。


 メグは一応、グラウン家でも令嬢としての教育を受けてはいる。

 が、メグのペースで覚えていけばいい、というグラウン家当主の方針により、その教育は随分と緩やかなものだった。


 急いだって仕方がないと考える彼の気持ちも分からないでもない。

 が、彼女はいずれ――前世の記憶があるコーネリアと、それを聞かされたディオしか知らないことだが――王子であるノルベルトと結ばれる事になる。

 ゲームの中でノルベルトがメグと結ばれた後に二人が正式に結婚をするのは、メグが学園を卒業したすぐ後だ。二人の想いが通じて結婚するまでに残された時間は、たった一年と短いものである。

 元々孤児院で育った彼女が皇女として相応しい女性になるためには、相当の努力を重ねなくてはならない。

 正直なところ、メグのペースでいい、なんて呑気なことは言ってられないのだ。


「令嬢の挨拶なんてものはとりあえず、こんにちはだろうがさようならだろうが、『ごきげんよう』と言っていれば問題ないわ」

「ごきげんよう……ですね?」

「そうよ。まあ、他にもいろいろあるのだけれど……今教えたところでじゃ覚えきれないでしょう。とりあえず今は基本を覚えるのよ、せいぜい頑張りなさい」


 要領の悪い貴女、という言葉は、ゲームで何度も目にしてきた悪役令嬢コーネリアの台詞だった。

 主人公メグが何か失敗をする度に、悪役令嬢コーネリアはメグを要領が悪い、と罵って嘲笑うのだ。もっと他に罵る言葉があるだろうに、と思わずにはいられないほどである。

 というか、公式サイトのキャラクター紹介ページに彼女の決め台詞として紹介された台詞すら、『なんて要領の悪い孤児なのかしら』だ。ゲームの中のコーネリアは要領を気にしすぎである。


(ゲームと同じような言葉を使ったのだから、流石のメグも堪えるでしょ!)


 コーネリアは、自信ありげに胸を張った。

 が、コーネリアの意に反してメグは、

「はいっ! 頑張ります……!!」

 と、真剣な面持ちで頷いて、ポケットから取り出したメモ帳にメモを取っている。


 ―――結論から言えば、彼女はコーネリアの嫌味なんて全く気にしていなかった。ゲームで何度も目にしてきた台詞でさえ、この結果である。


(そうだわ……このくらい強い心がないと主人公やっていけないもの! 私もこのくらいで感嘆に諦めてはダメよ……なんたって私は悪役令嬢なんだもの……!)


 ポッキリと折れかかった心をなんとか奮い立たせて、アールグレイを喉に流し込んだ。

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