2―2

 先程の勢いはどこに置いてきてしまったのか、コーネリアは図書室の扉の前で一人佇んでいた。

 チラッと見上げた先には、教室の名前が書かれたプレートが壁にかかっている。プレートに図書室と書かれているのを何度も確認しては視線を落とし、深く息を吐いている。

 繰り返すことおよそ五分……彼女は明らかに緊張していた。


「メグ嬢は他にはどんな作品が好きなんだ?」

「そうですね……あ、『わたしたちのアデルおばさん』はよく寝る前に読んでもらってました!」

「あぁ、『わたしたちのアデルおばさん』か。俺も好きだったな」

「アデルおばさんが作ったプラムやチェリーが入ったフルーツリースケーキがとてもとても美味しそうで……!!」


 扉の向こうから、ノルベルトとメグの親しげな会話が聞こえてくる。


(それにしても……)


 少し声が大きいのではないか? と、コーネリアは眉間にしわを寄せ、目の前の扉を睨む。

 忘れかけていたが、二人が談笑している場所は図書室である。図書室は本を読む場所であるため、基本的には私語厳禁となっている。とはいえ、全く喋らないのも無理があるため、声を潜めて話す分には問題はないという暗黙のルールが存在している。

 が、二人が肩を並べて立っていた場所はコーネリアの記憶が正しければ、一番奥の窓際だった。唯一の出入り口である扉からはそれなりに距離がある。

 そこで声を潜めて話していたならば、扉の外に立っているコーネリアが会話の内容を聞き取れるはずがないのだ。


(話に夢中で声のボリュームに気付いてないみたいね。注意した方がいいのかしら……?)


 図書室で談笑など、他の利用者からすればなんとも迷惑な行為である。

 しかし、流石は攻略イベントというべきか。いつもは誰かしらいるはずの図書室には今、ノルベルトとメグ以外誰もいない。

 もっとも、他に利用者がいたなら流石の二人もここまで盛り上がりはしなかっただろうが。


(で、でも……あの二人の仲を邪魔するなんてバチ当たりだわ!!)


 そんな悪役令嬢らしからぬ考えを巡らせて、コーネリアは慌てたように頭を振りかぶる。


 悪役令嬢とは、主人公の恋を邪魔してなんぼの存在だ。

 間違っても、ここ最近のコーネリアのように二人の仲を邪魔したくないと考えたり、物陰に身を潜めて睦まじい姿をニヤニヤと口元を緩ませながら眺めたりはしない。


(危うくただのモブに成り下がるところだった!!)

 と、コーネリアは気を引き締めるように自分の頬をペチペチッと叩く。


「あとは……『ヘンゼルとグレーテル』も大好きなんです」

「それはまた何故?」

「お菓子で出来たお家なんてとても素敵じゃないですか!」


 喜々として語るメグにコーネリアは思わず、

「どれだけ食べ物に飢えているのよ!!」

 と、勢いよく扉を開く。


「あっ……」


 しまった、と思ったが時すでに遅し。

 扉は全開という言葉のとおりに開かれており、二人と視線が合っている。

 そんな二人は、バンッと音を立てて開かれた扉に対してなのか、大声でツッコミを入れたコーネリアに対してなのかは分からないが、驚いたと言わんばかりに目を丸くさせていた。


「あらいやだ、わたくしとしたことが……オホホホホ!」

「……ま、魔女みたいな笑い方です!」

「魔女ですって……?」


 メグの言葉にコーネリアは顔をしかめ、はぁ、と溜息を吐く。


「それは違いますわ、メグ様」

「え、そうなんですか?」

「魔女は、キーシッシッシッシ! ……と笑うのです!!」


 図書館に響く、コーネリアの不気味な笑い声。

 メグは、わぁ、と感嘆の声を上げて、目を輝かせながらパチパチと拍手をする。その姿はまるで幼い子どものようだった。


「勉強になります、コーネリア様!!」

「メグ様、ここは図書室よ。他に誰もいないとはいえ、もう少し声を控えめになさい」

「き、気を付けます!」


 コーネリアとメグの突拍子もない会話に、ノルベルトは思わず苦笑する。

 そうして、隣に立っているメグを見れば、いつになく満面の笑みを浮かべていた。

 彼女には、友達といえるような人がいない。貴族というのは、血筋を何よりも気にする人種である。孤児院育ちでグラウン家の養女になったという過去がある彼女に悪意を持って近づく者はいても、善意で近づく者は誰一人としていなかったのだ。

 が、コーネリアは善意をもって――コーネリアは悪役になろうとしているのだが、彼女は知る由もない――話しかけてくれている。メグはそれが嬉しくて仕方がないのだろう。

 そんな彼女の心情を理解して、ノルベルトは思わずクスリと笑みを漏らし、口元を慌てて手で隠す。


 ノルベルトがメグに夢中になっている間にもコーネリアが、

「ちなみに先程の笑い方は、なんですの」

 と、フフンと鼻を鳴らしながら自慢げに話している。


 いくら公爵の令嬢と言えど、笑い方までは決められてはいない。魔女の笑い方も高貴なご令嬢の笑い方も、勿論コーネリアの勝手なイメージである。

 が、令嬢になりたてのメグにとっては信憑性のある話らしい。なるほど、と頷いてポケットから取り出したメモ帳に懸命に笑い方をメモしている。……それをメモをしたところで、一体どこで活用するつもりなのかは謎である。


「というかコーネリア、今までその『高貴なご令嬢の笑い方』なんてしたことが一度でもあったか?」

「あら、それはきっと殿下がご覧になったことがなかっただけのことですわ。そんなことより……」


 お二人は随分と親しくされておりますのね、と頬に右手を添えて、コーネリアがにこやかに笑う。

 微笑むコーネリアは、男性なら見惚れてしまうほど美しい。流石は美人令嬢と謳われるだけのことはある。

 が、ゲーム内のコーネリアも今のコーネリアも所謂――残念美人というやつだ。

 前者は傲慢で高飛車なうえ、気に入らない人間は徹底的に排除しようとする典型的な悪女。そんな彼女を心の底から愛したのは、恐らく血の繋がった家族くらいだったに違いない。そして後者は、メグの恋を応援したいがために悪役になろうとしている女である。一言で言えば変わり者だ。


――コツッ……コツッ……


 ゆっくりとした足取りでノルベルトたちのもとへと歩み寄るコーネリアの足音が、図書室に響き渡る。

 二人の目の前まで来ると、コーネリアはピタリと足を止めて二人を交互に見やる。


「まるで……をされているかのようでしたわね?」


 あえて強調するように言い放っておどけた表情を消した。

 一転して緊張した空気へと変わるのを肌で感じたコーネリアは、

(見せつけてやるわ、私の悪役っぷりを!!)

 と、息巻くのだった。

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