第2話 海城匠 〜上手くいかない人生〜



高校卒業と同時に施設を退所した。

前に母親と住んでいた県営住宅から徒歩で15分ほど、国道沿いに立地する板金工場に就職が決まった。

工場の二階に寮があって、家賃がかなり安い。匠としては上々の出来といってよかった。


しかし安定した日々は長くは続かなかった。

日曜の朝だというのにスーツを着た男が匠の部屋に訪れ、半ば強制的にアパートを退去させられた。

工場の経営者が夜逃げしたとのことだった。



匠は行き場を無くしたがスマホがあったのは幸いだった。

施設にいる時に受診券を身分証として契約してあった。受診券とは親がいない子供のために児童相談所が発行している保険証のようなものである。


匠はマックやコンビニ、ファミレスを転々としながら働き口を探した。


とはいえ今の匠には身分証がなかった。

受診券は施設を退所する時に返却した。

保険証は手元に届く前に工場が潰れた。発行の手続きをちゃんとしていたかどうかも怪しいが。



身分証がないと契約社員はおろか派遣登録さえ出来なかった。ついでにいえば住所もないので履歴書も書けない。

仕方ないので身分証も履歴書も不要な日雇いのアルバイトをして食いつないでいた。



それにしても24時間営業の店は住所不定の人間に冷たい。

店内で寝ているとまず注意される。お客様、と呼びかける声は嫌悪感を隠さない。


寝ていなくても、コンビニのイートインスペースのほとんどは夜になると閉鎖してしまうし、マックやファミレスは午前3時くらいに店内清掃という名目で客を一旦外に出す。

ドリンクだけで粘る匠に再び店内に戻る勇気はない。

必然と公園など屋外で過ごす夜が増えた。




公園で、いつものようにデータ容量に気をつけながらスマホで求人情報を探していた時、夢のような求人を見つけた。


身分証や履歴書の提示が不要なのはもちろんだったが、寮もついていたし派遣先によっては車の免許も取得させてくれるという。

働き口だけでなく住む場所も身分証も手に入るのだ。

一石二鳥、いや三鳥か、と匠は胸を弾ませ未来の自分に夢を見た。



けれど今の匠は知っている。

そんなに上手い話があるわけないと。


一石三鳥どころか飼い殺しだった。


給料からはよくわからない名目の費用がいくつも天引きされていたし、家賃も求人に載せていた額の倍だった。

夜遅くまで重労働しても残業代は支給されない。

働いても働いても金は貯まらない。搾取という言葉が浮かんだ。


車の免許も取れずじまいだった。しかし運転の仕方は教わった。

つまり匠は今、無免許で運転している。




結局半年ほどで無断で寮を出た。

飼い殺しは免れたが真冬の夜を屋外で過ごしたため高熱を出した。

まる2日ろくに動けなかったが匠はむしろ腹が減らなくていいと思った。


財布がすられたと気が付いたのは、熱が下がったので風呂に入ろうと銭湯へ行った時だった。


最初は半信半疑だった。

しかしいくらジーンズのポケットを探ってもないし、上着を脱いでひっくり返しても財布は出てこなかった。

わずかな希望を抱いて寝ていた場所に戻ってみたがやはりなかった。

現金もキャッシュカードも失くした。


不思議なもので、状況を受け入れた途端に腹が鳴った。

けれど食べ物を買おうにも金がない。

買えないとわかるとそれがスパイスになるのか益々腹が減る。





目的があったわけではなかった。

空腹が紛れるかとなんとなく夜道を歩いているうちに隣駅まで来てしまった。

ラーメン屋のドアが開いて客が出てくる。とんこつスープの良い匂いが鼻をかすめ、空腹感を刺激した。フラフラして意識が遠のきそうだ。


駅前の広場には終電を逃したのか酔いつぶれているのか、サラリーマンらしき男が数名、だらしない姿勢で寝ていた。


いつもなら無視する光景だが、この時は違った。無意識に彼らの1人の胸元に目が吸い寄せられる。


考えるより先に体が動いていた。


匠は寝ている男に近づき、コートの内ポケットからはみ出した財布を盗った。

男はそうなることを受け入れているかのように従順であり、一部始終が静かであった。





養護施設に頼ろうかと考えなかったわけではない。

どこかの工場とかバーとか、住み込みで働かせてくれそうなところを探そうとも思った。


だが施設は夫婦に心配をかける。

就職が決まったと報告した時の2人の笑顔。彼らを落胆させたくない。

住み込みの仕事も、どうせ前の会社みたいに給料は安く時間と労力だけが奪われていくのだろうと考えると荒んだ気持ちになった。


未来に期待できない。

どうせやるだけ無駄。


もはや日雇いのアルバイトをする気にもなれず、匠はスリをして生計を立てるようになった。


何が悪い。俺だってスられたんだ。

こんな風になったのは周りのせい、社会が冷たいせい。誰に吠えるでもないが、そう反発した。


しかしあの日ばかりはスリを慎むべきだった、あるいはもっと注意を払うべきだったと匠は心底悔いている。


あの日、スリが佐々木に見つかったのは運の尽きだった。匠が今運転している、恐らく盗難車であろうこの車を用意した佐々木だ。




つづく






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