第2話 出会い

 それは爽やかな風が心地よい昼下がり。桜も散り、大学は落ち着きを取り戻していた。

 人を観察するのが好きだった私は授業の合間にベンチに腰掛け、行き交う先輩や後輩、見知らぬ学生に目を走らせる。皆が考え、行動し、選択している。その仕草の一つ一つに意味があり、影響し合いながら生き方としていくのだ。自分の思いもしなかった事が突然沸き起こり、感動、驚愕、恐怖、険悪といった感情が生まれる。良くも悪くもそれが生きていると思わせる。同じ行動だったとしても、見る者によりそれは変わるのだ。見る度に人はその一端を感情としてみせる。それが楽しかった。

 エリートコースなど糞食らえ、身の丈に合った就職先で十分。そう考えていた私は、暇を見つけては人通りの多い広間のベンチを陣取る。笑顔を見せ騒ぐ男達、隣り合って座り同じ本に目を落とす男女、壁に寄りかかり、誰かを待っているのか時計を気にする女の人。それらを眺めては、また視線を変えていく。

 その日もいつものようにベンチに腰掛け、行き交う人を眺めていた私は声を掛けられた。

「何時もここで何を見ているの?」

 声に顔を上げると、屈託のない笑顔が待ち受けていた。思った以上に距離が近い。私は平静を装い応える。

「人の行動を観察するのが好きなんだ」

「人間観察が趣味なの? そういうのは、もっとさり気無くするものだと思ってたわ」

 そう言って目を細める。それが裕子との初めての出会いだ。私は一瞬で惹かれてしまった。気づかれないように、趣味の話へ集中する。

 己の感覚を言葉にすることは困難で、人に伝える事はもっと大変だ。自分の物差しと他人の物差しは違う。普通だと思って生きて来た事が、実は異常だったなんてのは良く聞く話。

「予測した行動が同じだと親近感が沸くんだ」

 話を続けながら弾んでいく心を押さえつけようと必死に努力した。裕子は私の話に笑みを見せ、違った観点からの質問を投げかけてくる。難解な感情を受け止めてくれる気がして、有頂天になって話し続けた。

 後に裕子が話してくれたことがある。いつも私を校舎の上から見ていたと。人を観察していた私が見られる立場にあったとは可笑しな話だ。


 それ以後、裕子とベンチに座り話す機会が増えていった。

 カラスには見えない色があるという何気ない会話から始まり、人に見えない色があるとしたらと投げかける。

「例えようもない綺麗な色だと思うな。綺麗過ぎて見えないのよ。素敵でしょ」

「以外に地味な色が見えなかったりするんだよ」

「それは夢がないわよ。でも、現実味があるわね」

 そういって笑顔を見せる裕子が社長令嬢だと聞いた時、私は信じる事が出来なかった。人を観察する事が好きだとしても、人を見抜くことは出来ない。こう見えてもお嬢様だったのよ、と大袈裟に胸を張ってみせる裕子に嫌味は感じなかった。

「でも嫌なのよね。大人になるとそう見せなきゃいけない場面も増えるし、令嬢として話し続けるのも疲れるの」

 心の底から嫌そうに顔を歪める裕子を見て、思わず笑みが零れる。

「贅沢な悩みだな」

「それでも悩みは悩みよ」

 子供っぽく怒る裕子の姿に、令嬢を重ねる事は出来なかった。

 裕子は雑多の中から目的の人を探し出すことが得意だった。更に人の意見を汲み取るのも上手かった。社長令嬢として幼少から人と関わる環境の中で、培われたのだろう。


 年が明け、日が暖かくなってから私は裕子に告白した。場所は何時ものベンチだが、人のいない時間を選んだ。

「とっくに付き合ってると思っていたわ」

 数日前からシュミレーションし、恥を忍んで友人に相談までしたというのに、私は間違った答えしか導き出せなかった。

「でも、ありがとう」

 屈託のない笑顔で抱き着かれ、私の頬に口が触れる。顔に熱を感じながらも、たまらずに裕子を抱き寄せた。幸せを掴み取れた瞬間だ。


 大学を卒業してからも二人の関係は続いた。私は出版業に進み、裕子は親の会社で役職に就いた。裕子には二人の兄がいたが、父親は裕子にも一つの会社を任せようと考えているらしい。

 働き出してから私は一人暮らしを始めていた。何度か同棲しようと話をしたが、裕子は家から出る事を許されなかった。泊まる事は愚か、夜遅く帰る事も許さない。裕子の母親は理解を示していたが、父親は私の存在を認めず会おうともしてくれない。裕子も文句は言いつつも父親には逆らえないらしく、歯がゆい思いを抱きながら時は過ぎていく。


 数年後、私は車を買った。中古だったが、それなりに値の張る買い物だった。当時私が求めていたのは、中身より見た目だったのかもしれない。裕子の父親に認めてもらうにはどうするべきか。裕子に釣りあう男に見せるには何をすれば良いか。それだけを考えていた。

「この車って外見は素敵だけど、内装が質素よね」

 そう言って裕子はバックミラーに小さな人形を付ける。首に鈴の付いた熊の人形だ。

「車の中なんて誰も気にしないさ」

 私の事を言われているようで、反発するような口調になった。

「アクセントは大事よ。ね、可愛いでしょ?」

 笑いながら裕子は人形を指で弾き、鈴が小さく鳴った。


 交際は続き、二人は結婚の日を迎える。それは身内だけの小さな結婚式。初めての事で慌ただしかったが、幸せな時間だった。心残りは裕子の父親が来なかった事か。

 結婚してからも裕子は父親の会社を続けていた。私の収入もまだ少なく働いてくれる事は有難かったが、父親はいまだに私から裕子を取り戻そうと考えていた。私には一切取り合わず、裕子に事あるごとに家に戻る様に言っていた。そうならない為にも私は必死で働き、裕子に助けられつつ新居を買う。ゆくゆくは私の稼ぎだけでやっていこうと計画も立てていた。

 私たちは白い光を浴びた家具を眺めていた。この家具はまだ何も知らない。私たちが暮らしていく事で生活感を帯び、馴染んでいくのだ。窓から外を眺める裕子の背を見ながら幸せを感じた。

 愛しさが込み上げ、ありがとうと滅多に出ない言葉が自然と零れた。戸惑う裕子を後ろから抱きしめ、好きだと耳元で囁く。裕子も同じ言葉を囁き、私の腕に手を重ねた。

 優しい温もりと夢、全ての幸せがそこにあった。

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