精霊の手紙
王宮に勤める人々の中に、宮廷魔導士と呼ばれる役職があった。大仰な名称ではあるが、つまりは王宮付きの魔法の専門家である。
二十を少し過ぎた年齢のその青年も宮廷魔導士の一人であり、王都の魔法学園を優秀な成績で卒業した期待の若手と見られていた。
「おい、手紙が何通か来ているぞ」
個人に割り当てられた部屋で書類仕事をしていた青年の所へと、同僚の男がやってきたのはある日の昼過ぎのことであった。王宮付きの仕事をしていると、それなりの頻度で手紙をもらうことになる。もちろん必要な連絡も含まれるが、大半は商人の売り込みや学園生からの顔つなぎであった。
「それと、これもやるよ」
うんざりとしながら手紙の束を受け取ると、同僚の男はもう一通、簡素な封筒に入れられた手紙をつけ足してきた。
「何だ、これ?」
すぐに問い返すも、男は言い辛そうに目線を彷徨わせている。そのまましばらく待っていると、観念したようでぽつりぽつりと呟いた。
「送り主は俺でな。内容は、その、愚にもつかないのだが・・・」
それでも要領を得ない話にしびれを切らした青年は封筒を開けると、中の手紙をその場で読み始めた。同僚の男はますます気まずそうにするものの、止めることはなかった。
―私は精霊です。この手紙を読んだあなたに印をつけました。一週間後に迎えに行きます。もしも辞退する場合は、同じ手紙を誰か二人に渡してください。
「あんたな、こんな子どものイタズラみたいなことやって恥ずかしくないのか?」
青年にとって見覚えのある内容であった。王都の子どもの間で一時期流行った不幸の手紙の変形版のようであった。
「あぁ、いや、そうなん・・・だけどな。禿げ頭の書記官がいただろ?」
突然替えられた話の内容に、人のいいところのある青年は素直に思い返していた。
「うん? そうだな、三日前から王宮に来なくなって、夜逃げしたとか聞いたな」
「違う、逃げたとかじゃなくて、消えたんだ。忽然とな。それでこの手紙は元はあの書記官が四日前に俺に渡してきたものだ」
目を剥いて言いつのる同僚の様子に、薄ら寒いものを感じながらも青年は笑い飛ばした。
「精霊に連れ去られたって? あんたも俺も宮廷魔導士だろう、専門家がおとぎ話に怯えてどうする?」
そう言うと、魔法の専門家としての矜持を取り戻したのか、同僚の男は引きつった笑顔で同意を示した。
「そうだな・・・、俺がどうかしていたよ。初めに渡したのがお前で良かった、言ってくれなきゃもう一回恥をかくところだった」
「その言い方だと、すでにもう一通用意してたのか。まったく・・・」
不安は残しつつも、照れくさそうに頬をかく同僚は、そそくさと部屋を出て仕事へと戻っていったのであった。
その三日後、同僚の男は行方が知れなくなった。
「そんなバカな話が現実であるはずがない。二人とも激務に疲れて逃げただけに決まっている」
部屋の中を歩き回りながらつぶやき続ける青年には、明らかに余裕がなく、さながら手紙を持ってきたときの同僚と同じ雰囲気であった。机の上に取り出したままの、例の手紙をちらちらと見ながら、青年は自分を欺くように言い聞かせ続けた。
しかし、追い詰められた青年の心は長くはもたず、しばらくすると新しい便箋を取り出し、同僚から渡された手紙を凝視して、一字一句間違うまいと鬼気迫る様子で書き写し始めた。
「よし、これで誰かさほど親しくもない奴に、ふざけた振りをして渡してしまおう」
もはや不安と恐怖から逃れたい一心となってしまった青年は、自らが同僚へと説いた専門家の矜持をかなぐり捨て、手紙を懐へとしまって部屋を飛び出していった。
四日後、青年は王宮内の自分の部屋で、書類仕事に忙殺されていた。一週間前にバカにし、四日前に恐怖して、その後は愚かなことをしたと後悔していた手紙のことは、忙しさの彼方に忘れ去ってしまっていた。
「ふう・・・、まったく終わらないな。俺も投げだしてしまいたいよ」
己の社会的地位に満足している青年が、心にもない愚痴を言ってから苦笑した。そして言っても仕事は減らないことにため息をつきつつ、再び書類へと向き直った。
ふと肩に重みを感じて見ると、手が、黒々とした煤で形作った様な手がしっかりと青年の右肩を掴んでいた。
―迎えに来たよ
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