エピローグ~正しい勇者と魔王の付き合い方~

「ユーキさん、会いたがっていたわよ」

 時折小鳥の鳴く声が聞こえてくる、晴天の魔王城。

 窓の外を眺めながらゆっくりと廊下を歩く、二人の少女の姿があった。

「あなたが魔王だと知っても、付き合いたい。たとえ今までの態度が私のための演技だと知っても、気持ちは変わらないって」

 レオンハルトに囚われたユーキを助けたアンリは、魔王城を空けていた。

 その間、アンリがどこにいたのかランは知らない。城にはアシュリーが残っていたが、彼女もアンリの行方を教えてはくれなかった。

「ねぇ、魔王。あなたはまたどこかへ行くつもりなの?」

 その魔王が帰ってきた。

 国王失踪で浮き立つキンダム城。隣国ディバインを警戒して物騒なまでに警備を厚くする城の中に忍び込んで、アシュリーが今日、その事実を伝えにきたのだ。いてもたってもいられなくなったランは、すぐさまこうして魔王城までやってきた次第である。

「……なぁ、勇者。あたしはこの世界にいて、いいのかな」

 城の入り口でランを迎えて以来終始無言だったアンリが、初めて口を開いた。「魔王」の肩書に似合わぬ、不安げな視線がランを見上げる。その表情は、勇者ランにとって宿敵の顔とは思えない、ただの弱気な少女のそれだった。

「あたし、今回のドルジとレオンハルトの件で思ったんだ。あたしは勇者のために良かれと思ってやったことでも、結果としてあたしがいるせいで、勇者を幸せにできないんじゃないかってさ。ううん、勇者だけじゃない。ユーキだって、アシュリーだって、それにドルジやレオンハルトだって。あたしがいなけりゃこんなことにならなかったんじゃないかって。そう思うんだ」

「……そんなこと、ないわよ」

 なんとか否定の言葉は口にしたものの、気休めにもならないとランはすぐに気付いた。

 レオンハルトはアンリを利用して、魔族の力を我が物にしようとした。

 ドルジはアンリを利用して、人間の国家一つを呑み込もうとした。

 だけど、それはランも同じようなものだ。ランだって、アンリを当て馬に、自分がレオンハルトと結ばれようと画策していたのだ。

 みんな、アンリを利用しようとした。そして、世界は揃って彼女を悪者に仕立て上げようとした。

 だから一番傷ついているのはきっと、ランでもユーキでもアシュリーでも、ましてやレオンハルトでもドルジでもない。アンリ自身なのだ。

 それなのに、アンリは全てを背負い込んでなお、ランたちを気遣ってくれている。

「なぁ、勇者」

 魔王の口調は思いのほかはっきりとしている。

「あたし、この世界を去ろうと、いや、去るつもりだ」

 だけど、アンリの顔は泣き出しそうな一人の少女の顔でしかなかった。

「どうして、よ」

 重苦しい空気に押し潰されたみたいに、ランの口から出た声は掠れていた。

「ユーキさんはどうするのよ……」

 違う。言いたいことはそんなことじゃない。

 気持ちでは分かっているのに、言葉が出てこない。もどかしい思いをしながらランが言葉を探していると、アンリが諦めたように笑った。やっぱり、魔王らしからぬ弱々しい笑みだった。

「ユーキはお前にやるよ、勇者。レオンハルトはあたしのせいでいなくなっちまったけど、お前はユーキのことも『好き』なんだろ? それに、あいつは良い奴だ。短い付き合いだったけど、それは分かる。あいつなら、レオンハルトと違ってお前を幸せにしてくれる。そう思うんだ」

 何度も自分で頷きながら、アンリは言葉を続ける。その言葉に偽りはないのだろう。涙をためながらも真っすぐにランを見つめる視線を見れば、それは嫌でも分かる。でも、それが分かるからこそ。ランはこれ以上アンリの顔を見つめていられなくなった。

「どうして、あなたは最後まで私のことを気遣ってるのよ……!!」

 廊下に並ぶ窓の外で小鳥が数匹、飛び立つのが見えた。「私は『勇者』! 何度も『魔王』であるあなたを殺しに来たのよ!? それなのにどうして……あなたは、私に優しくするの……?」

「そ、それは……」

 わずかに俯いたアンリが言葉を詰まらせる。

 やがて、アンリは覚悟を決めたように、ランを見上げた。

「あたし、さ。お前に幸せになってほしいんだ、『ラン』」

「だからどうし……」

 問いを繰り返そうとして、ランは言葉を止めた。

 目の前にあるのは先ほどまでの泣き出しそうな少女の顔ではない。

 覚悟と決意に満ちた気高い魔王の顔に、ランは鳥肌すら立った。

「あたしはランのことが、『好き』なんだ」

「え……?」

 アンリの雰囲気に呑まれたランは、ただ短く声を漏らす事しかできない。二人だけしかいない長い長い廊下に沈黙が一瞬流れる。だけどランにはその一瞬が、永遠にも感じられた。

「こんな気持ちを抱いたのは初めてだから、あたしもこの『好き』が、ランのレオンハルトやユーキに対する『好き』と同じなのかは分からない。だけどさ、ラン。あたしに料理や掃除を一生懸命教えてくれたランを見ている内に、あたしはランを幸せにしたいって思うようになったんだ。けど……あたしがいると、ランは幸せになれない。だから、あたしはこの世界を去らなきゃいけないんだ。好きな人には、幸せになってほしいからな」

 重々しい音と共に、アンリが廊下の扉を開け放った。

 いつの間にか二人は玉座の間の前までたどり着いている。

 まるで二人だけの世界に風穴を開けたかのように大きく開いた、妖しく輝く宝石の埋め込まれた玉座。そこに向かって、ゆっくりとアンリは進んでいく。

「だからさ、これでお別れだ、勇者」

 振り返ったアンリは満面の笑み。だけどその瞳には涙が満ちあふれている。まるで名残を惜しむようにじっとランを見つめたアンリは、無理やりな笑みを浮かべたまま、ゆっくりとランに背中を向ける。最後までランを見つめていた涙に共感したかのように、ランの瞳にも涙があふれた。

「この世界を去る」魔王が、どこに行くのか。ランには分からない。アシュリーに訊いても教えてくれないだろうし、魔王がこの世界を去った時点でアシュリーももうこの世界にいないのかもしれない。

 だけど、そんなことは関係なかった。

 ランにとってのアンリは、もはや「勇者」の宿敵である「魔王」ではない。

 玉座の間でひっくり返ったランに、手を指し伸ばしてくれたアンリ。

 いつかランを料理で満足させたい、と意気込んでいたアンリ。

 海岸通りでゴロツキ共からランを守るため、本気で怒りを示してくれたアンリ。

 短い期間で積み重ねてきた二人の想い出が、次々と自然に脳裏に浮かんでは消えていく。

「アンリ」


 気付けば自然に、ランの口は動いていた。


「私もあなたのこと、好きなの! だからお願い。別れようだなんて言わないで!」


「え……?」

 驚いたようにビクンと全身を震わせ、玉座へと向かっていたアンリが足を止める。

「ラン……お前、今、なんて……?」

背中を向けているため、表情は分からない。

言い切った。

だけど、ランの中で後悔や羞恥はもうない。

「あたし、この世界に残ってもいいのか……?」

 少女のその声は喜びに震えている。

そんな気がして、ランは穏やかに笑みを浮かべた。

「えぇ。私のために、この世界に残りなさい。私の大切なアンリ」


 百戦目、和解。ゼロ勝九十九敗一分け。

 かくしてランとアンリの花嫁修業は白紙に戻る。

そして、ランにとっての「女の戦い」も同時に幕を閉じたのであった。


                                      〈了〉

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正しい花嫁修業のやり方~悲恋の勇者と王妃になりたくない魔王の場合~ メンヘライⅢ @manhelei

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