第一章~正しい縁談の壊し方~

「いい?」

ラン・ヘーメライはわざとらしく腰に手を当てて言った。「イモニクは男の注意を惹くための必須レシピよ。だから、しっかりレシピを覚えるのよ、魔王」

 人間たちが住む、ミッドラン大陸、その海辺で栄える国キンダムからさらに南西に位置する小さな島、いわゆる「魔王島」。

 その中心部で長年時を経てきた城、つまりは魔王の居城の一室にて繰り広げられていたのは勇者と魔王の熾烈な闘い……ではない。

 最近表立った争いはしていないとはいえ、魔族が大量棲息する魔王島とその近辺の海域に近いキンダムは、長年魔族と人の争いの主戦場となってきた。だから、特にキンダム人にとってはこの魔王島やその近辺の海域への侵入は禁忌となっていた。

 だがその禁忌を敢えて冒す少女がここにいる。この少女・ランこそが、大陸人の誇る最強兵器「魔剣」に選ばれた「勇者」であった。

「ほら、今回は特別にイモの皮は剝いてあげたわ。だからあなたは肉とイモを食べやすい大きさに切りなさい」

 ところが、その勇者も今は魔剣を背中に背負ってはいるものの、それを使う気配はない。

 そもそも、彼女たちが向かい合うのは、幾度となく彼女たちが戦ってきた魔王の玉座ではなく、キンダム人の一般家屋ほどの面積を持った、広々とした炊事場なのである。

 のどかな日差しが差し込むその炊事場の一角。人類最高戦力の少女と、魔族の王たるアンリが二人して何をしているのか。

答えは見ての通りだ。軽い武装をした勇者ランは魔王アンリに「料理を教えている」のである。

「イモは好みにもよるけど、煮崩れしにくいタイプのものを選ぶといいわ」

 お題はキンダムの代表的家庭料理「イモニク」。

肉とイモをコトコトと煮込んだもので、これを食べた男は大抵「ヒトヅマの味がする」と大喜びする。

「ああ、もう、鍋に水を入れてそのままじゃないの。今の内に火にかけておきなさい。結婚して台所を守るなら、効率が大事な要素になるわ。色々なことを並行して同時に進められるようにならなきゃダメよ」

 ランが檄を飛ばし、アンリが露骨に面倒くさそうな顔をする。

長身とはいえまだ「少女」と言える容姿のランに、そのランと比べさらに童顔小柄ながら、ランと比べて女性らしい成長の見えるアンリ。彼女たちが炊事場で並んでやり取りをする様は、姉が妹に料理を教えているようで実に微笑ましい。

「はい、これ」

「ほぇ?」

「包丁使って肉とイモを切るのよ」

 ……だが、その当事者の内の一人、ランはすでに苛立ちを隠しきれなくなっていた。

 刃を手前に向けて差し出した包丁。

 せめて、それをさっさと受け取ってもらえれば良かったのだが。

 アンリは小首を傾げたまま少しの間沈黙し、やがて、

「ぷっ……! ぐはははははははは!」

 大笑いし始めた。

「なんだよ、勇者! お前、今度はそんなちっぽけな武器であたしに刃向おうっていうのかっ!?」

「……これはあなたが、」

「しかも! しかも、その構え! それじゃ自分に刃が刺さるし! バカだ! 大バカだ! 最近のキンダム人ってのは本当に面白いんだな! ぶははははっ!」

「……やっぱりあなたは……殺す!」

 普段は貞淑な印象を与えるであろうランの瞳に熱情的な輝きが満ちる。それと同時にランの手中で包丁が反転し、その切先が一瞬でアンリの白い喉元へと迫った。

 瞬きする間もないほどの一転攻勢。

それでも、アンリの無邪気な笑い声は部屋中に響き続けた。

「やめとけって! 魔剣使っても勝てないんだ。なのに、そんなちっぽけな刃じゃあたしには勝ち目ないって」

「くっ……どうして、こんな、やつに……」

 あっさりと躱された。全人類の恨みを濃縮したように憎しみを顔に表し、ランは唇を噛む。

決して派手ではないが淑やか。そんな、キンダム人女性らしい美しさはそこに残っていない。

「……分かった分かった」

 そんな悲壮な少女の脇をスタスタと軽い足取りで通過したアンリが、調理台の上に乗った食材に向かい合う。

「そんな怖い顔するなって。要は、あたしがこのイモとやらを切り刻めばいいんだろ?」

「……そうよ。だから、この包丁を、」

「いや、だからそんなゴブリンにも負けそうな剣なんて使わないって。何せ、」

「ちょ、ちょっと待ちなさい!」

 ランの制止を聞かず、アンリは左手中指に付けた指輪を外す。

「あたしは、魔王なのだからなっ!」

パチンと電気が走ったような音と共に、指輪が宙を舞う。

何よりも自信に満ち溢れた笑みを浮かべた口元が、小さく揺れた瞬間、

「きゃあああああっ!?」

轟音と悲鳴を巻き込み現れる、巨大な真空波。

思わず飛びずさり、腰を抜かすランの前で、包丁が、まな板が、食材が。

空中を舞い、そして……落ちる。

「ふぅ、いっちょあがりだ」

 まな板の欠片や、包丁の残骸の混じった「ソレ」を見下ろし、アンリは満足げに頷く。

 半分以上がペースト状になった「ソレ」はもちろん、原型を全く留めていなかった。

「あ、あなたねぇ……」

 腰を抜かしたままのランが震える声を絞り出した。

 床の絨毯は散り散りになり、散乱した食器類の破片が撒き菱のように床を埋め尽している。

 先ほどまで和やかだった(ように見えていた)キッチンは、一瞬で修羅の場と化していた。

「ほら、勇者。お前の言う通り、イモもニクも粉々にしてやったぞ」

「わ、私はイモと肉を食べやすい大きさに切れって言ったの! 粉々にしろなんて言ってないわよ!」

「うるさいなぁ。そんなのどっちにしろ同じだろ」

 ようやくショックから立ち直ったランがよろよろと立ち上がりながら言うが、アンリは反省する素振りもない。「食いもんなんて、食ってしまえばみんな一緒になって出てくるだけだ。結果が同じなんだから口に入りさえすればなんでもいいんだよ」

「そんなこと言ってる奴が、どうして……」

 ジャリ、とランのブーツの下で食器の破片が砕け散った。

 どうして、こんな奴が……。

 目の前の女に対する怒りが再び細かいトゲとなって、彼女の全身に刺さる。

「あたしは腹が膨れさえすればいいんだよ。だから、」

 だけど、そんなランの想いを踏みにじるように、アンリは笑う。

「たとえあたしは、お前んとこのご主人様と結婚することになっても、料理なんて必要ないと思ってるぞ」

 ……許せない。

 この女だけは、絶対に……。

 嫉妬の炎はやがて、ランの心に殺意をみなぎらせる。彼女は、無意識の内に腰元の剣を抜き、叫んでいた。

「魔王、あなたはやっぱり私が殺すわ! 死になさい!」

「へへっ。やっぱお前はそうでないとなっ!」

 憎悪と歓喜。

 対照的な表情を浮かべた少女たちの闘いが、やがて始まる。


 ……そして、局面は冒頭の舞台へと戻る。


     ◇◇◇


「……申し訳ございません、レオンハルト様……」

 濃い赤を基調とした絨毯が敷き詰められた玉座の間。

 一般的なキンダム家屋の敷地面積を軽く上回る広大なその空間にはしかし、二人の人影しかない。

 その内の一人、勇者ランは力なく俯いていた。

身体のライン同様、全体的に控え目な丸い小顔は絨毯の赤と見分けがつかないほどに赤く、その声は、魔王城で怒鳴り散らしていた少女とは別人のように消え入りそうなほど弱々しい。

「……顔を上げてよ、ラン」

 そんな少女に、玉座に座る若い男が優しく声をかけた。

雪のように白い肌に、輝くナチュラル・ブロンド。彼こそが、ランが幼い頃から勤めるキンダム城の主、国王レオンハルト三世であった。

「僕だって、君に難儀なことを押し付けてしまったと後悔しているんだ。一回二回の失敗、どうとも思ってないさ」

「そ、それは……私が期待されていないということでしょうか?」

「違う違う。君は昔から、少しだけ物事を悪い方に考える癖があるみたいだね。……何にせよ、君はゆっくりと時間をかけて、自分の任務を果たしてくれればいい。僕は、君に期待してるんだからさ」

「レオンハルト様……!」

 顔を上げると、レオンハルトの穏やかな目線がこちらを真っ直ぐに捉えていた。

……あぁ、レオンハルト様は私を見てくれている。

そう感じるだけで、ランは自分の失敗も魔王の存在も忘れて一瞬、甘美な絶頂を覚えるのだった。

「それに向こうだって、唐突な話で戸惑っているのだろう」

「……向こう?」

 だけど、それも一瞬のこと。

「魔王様……アンリちゃんのことさ。アンリちゃんも唐突にキンダム人の、それも王家に嫁ぐことになって困惑しているだろう。ゆっくり、時間をかけて彼女を立派な花嫁になれるよう、導いてほしい」

「あ、あぁ……」

 レオンハルトがその名を口にした瞬間、鋭い棘が心臓に刺さったような痛みを、ランは感じた。

魔王アンリ・マユ。

勇者ランの宿敵、魔人族の王にして……ランの想い人でも主でもあるレオンハルト三世を奪おうとする、幼稚で下賤な女。

彼女だけは絶対……許せない。

「僕とアンリちゃんの婚約は、人間と魔族にとって大きな一歩となるはずだ。僕たち大陸人と、アンリちゃんたち、魔族は長い歴史の中、殺し合い続けてきた。今でこそ、大きな争いはないものの、少しここから離れたところでは大陸人と魔族の間で『悲しい事故』が起きたなんて報告も耳にする」

 ランの気持ちを知る由もなく、レオンハルトは微笑んでみせる。

「僕たちは魔族のことを未だによく知らない。分かるのは彼らが僕たちにない『魔力』を頼みにして生きていることと、彼らがこの世界でないどこかから突如現れた、というくらいか。だけど、それは逆も然りだ。きっと今、アンリちゃんはこの縁談に不安を感じているはずだよ」

 やめて。そんなにあいつに優しくしないで……。

 そう叫び出したいのを抑えて、ランはただ唇を少しだけ噛みしめた。

「だから、僕たち、人間と魔族の共栄のため、力を貸してくれよ、ラン。これは、魔剣に選ばれた君にしかできないことなんだ」

 大好きなレオンハルトからの願いに、ランは小さく頷くことしかできない。

「何度も言うけれど、勇者ランよ。どうか、魔王アンリを、立派な花嫁にしてほしい」

「はい、レオンハルト様の仰せのままに……」

 上手く笑えただろうか。

 玉座の間を退出する時に、ランは少しだけ不安になった。


     ◇◇◇


「……それで、アタシにお呼びがかかったわけかぁ……」

 脂ぎった居酒屋の喧騒の中、アミ・ジャネットは苦笑を浮かべながら麦酒の入ったグラスを傾けた。木製のテーブルを挟んでその向かいに座るのは、顔をグチャグチャにしたルームメイト・ランである。

「ランがアタシを誘う時ってさ。基本的にランにとって悪いことが起きた時だけだもんねぇ」

「ひっぐ……辛いよぉ、アミちゃん……」

「おー、よしよし辛かったねー。こんな分かりやすい三角関係、学園ラブコメでも出てこないもんねー」

「こんなことになるなら魔剣なんて使えなくてよかったのにぃ……」

 ランが、ミッドラン大陸で現在唯一、魔剣「万物の根源(ゼロ)」を完全に扱える人間であることを、キンダム王国内で知らぬ者はほとんどいない。

 ゼロを携える者は魔力を持つ魔族にしか扱えない魔力を扱うことができ、さらに魔剣の加護のおかげで身体能力を飛躍的に向上させる。

このように「人類最大戦力」ともいえるランではあるが、そんな彼女も一人の乙女であった。そして、その事実をほとんどのキンダム人たちはまだ知らない。

「ずっと、ずっと私はレオンハルト様のことだけ見てきたのにぃ……」

「そうだねーランは一途だもんねー」

 いつもの展開に思わず雑な反応をしてしまうアミだが、ランは気付かない。「私の想いがあんな泥棒猫に負けるわけないのよぉ……」

 ランは、幼い頃からレオンハルトに恋をしていた。

 それだけなら身分違いの恋だけで終わったのだろうが、そのレオンハルトが魔王アンリとの縁談をランに打ち明けた辺りから話がややこしくなる。

ランが授けられた魔剣「万物の根源(ゼロ)」は、魔王との決戦の時に備えて人間が守り続けてきたもの。つまり、魔王にとって「万物の根源(ゼロ)」を扱える人間の戦士は天敵であり、逆もまた然りである。ゼロを扱える戦士「勇者」と魔王は、決闘を運命づけられた二人なのだ。

「どうしてよぉ……」

それが何の因果か、キンダムの王・レオンハルト三世を巡って、その魔王と勇者が見事な三角関係に陥ってしまった。しかも、魔王であるアンリの方があっさりとレオンハルトと結ばれそうになってしまったのだから、ランとしてはやりきれない。「どうして、レオンハルト様がよりにもよって魔王なんかに寝取られるのよぉ……」

「さ、さぁ……。人間と魔族の将来のためじゃないかなぁ?」

 正確にはランが元々レオンハルトはランと恋仲であった事実はないため、「寝取られた」というわけでもないのだけど。

そんな野暮な指摘は当然アミもしない。

その「天敵」に初恋の人を「寝取られた」事実だけで、ランは「悲劇のヒロイン」となってしまったのだ。

 だがさらに難儀なことに、人間の「嫁入り」の流儀を全く知らない魔王の「教育係」として、レオンハルトはあろうことかランを指名してしまった。事ここに至って、ランは自らの恋心を爆発させ、こうして酔いつぶれているのだ。

「というか、そんなに辛いなら断れば良かったのに」

「何言ってるのよ!」

至極まっとうな提言をする友人に、ランは激昂した。「レオンハルト様が私を頼って下さったのよ!? それを断るなんて……できるわけないじゃない……」

「めんど……損な性格だねぇ」

 えぐっ、えぐっ、としゃくりあげる友の姿に、思わず本音が零れ落ちそうになるアミ。だけど当然、ランはそんなアミの様子に気付いた様子もなく、恥じらいもなくオンオンと泣き喚いていた。

「けど、断らないと結婚しちゃうよ、レオンハルト様」

 実際にはランがレオンハルトの頼みを断ったところで、縁談は進むわけだが。

 それを口にすると余計ややこしくなりそうなので、アミも黙っておく。

「……きっと、これは試練であり、チャンスでもあるのよぉ」

 アミの言葉を聞いていたのか聞いていなかったのか。

不意に顔を上げたランは、鼻水混じりの声で語り始めた。「報われない想いと知りつつも、それでも愛する男のために尽くす女。きっと、レオンハルト様はそんな私の頑張りも見ててくれるわ……」

「あー……そうかもね……」

 やっぱり面倒くさい女だなぁ、と思いつつも愛想笑いを返すアミ。さすがはランの唯一の「友人」だ。

「……けどさ」

 面倒くさいからやめておけばいいのに。

 心の中でそう思いつつも、アミは目を赤くする友人にいらぬ助言をしてしまう。

「実際問題、このままじゃラン、引き立て役で終わっちゃうよ?」

「や、やっぱり……?」

「うん。だって、ランが役割を果たしてしまえば、魔王は完璧な花嫁になっちゃうんでしょ? それなら、キンダムと魔族の関係を考えても、レオンハルト様が結婚を取りやめる理由がなくなっちゃうじゃん」

「じゃ、じゃぁどうしたらいいのよ……」

 友人の言葉に、ランは半狂乱になって再び泣き喚いた。うら若き乙女の口から出たものとは思えぬ轟音に、酒場の喧騒が一瞬にして収束する。そして、「まーたいつものか」みたいな言葉があちこちで吐き捨てられた後、酒場の喧騒はすぐさま元通りになった。

「……唯一、この縁談を取り消せる存在がいると思う」

「……ほんと? ねぇ、それは誰? 私、その人のためなら何でもするわ!」

 頭を抱えながら呟くアミが、ランには女神のように見えたのだろう。

 すがるような目線で見上げてくる友人の肩を抱き、アミは囁いた。

「それは、他ならぬ魔王自身よ。あの子に、恋を教えてやればいい。レオンハルト様以外のキンダム人に対する恋を、ね」

「あいつに、恋を……?」

「そう。キンダムの別の男に対する恋心。そうすれば、レオンハルト様が魔王と結婚する理由もないし、魔王側もレオンハルト様と恋をするわけにはいかなくなる」

「そ、そうね……! レオンハルト様があんなのと結婚するのは、キンダムと魔族の関係のためだもの! 本当はあんなのと結婚したくないに決まってるわよね、レオンハルト様も! そうすればみんな幸せじゃない!」

「うーん、それは分からないけれど……」

 途端にポジティブシンキングを展開し始めたランに言葉を濁しながらも、アミは言葉を続けた。

「だから、ランは今のまま魔王に近づけばいい。そして、魔王を恋に導くの」

「魔王を、恋に……」

 何度もこくこくと頷き、卓上に置いてあった果実酒を一気に飲み干したランに、少し前までの悲壮感は全くない。

「ラン。恋は戦だよ。これはレオンハルト様を巡る、仁義なき乙女の聖戦」

「聖戦……。そうね、私、頑張るわ! 魔王を絶対、レオンハルト様以外のキンダム人の男に惚れさせるの!」

 その熱に浮かされたような友人の顔を眺めながら、今日は自分もいささか酔っているな、と考えるアミであった。

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