第16話 酬われない英雄

「…本物の侍ですね。忠順公は…」


「はい…本当に立派な御方でした」


 焼け跡が残る目頭を擦りながら、茶坊爺は小さな口を僅かに開けて喜色を表した。__




 1707年。噴火した富士は周辺を火山灰で埋め尽くした。深い所は2メートルも積もったらしい。

 茶坊爺達は不死雛ふしびなの助けを借り、何とか怨霊達を鎮めるも、当時のアワシマの巫女をはじめ人形部隊は全滅。ただ一体生き残った茶坊爺も噴火で飛ばされ、酒匂川近くの降灰の山に埋まって身動きが取れないまま数日を過ごしたそうだ。そこに、たまたま通りかかった災害復興奉行(砂除川浚すなよけかわざらい奉行)に任命された伊奈忠順に助けてもらう。

 関東代官(関東郡代)でも有る忠順とは以前より顔見知りで、主人を失った茶坊爺はそのまま忠順公を主人とし、暫くは酒匂川に埋まった灰を浚う手伝いをしていたと言う。

 そんな有る日、忠順公の元に助けを求める声が…



「そんなに酷い状態でしたか?」


「はい。それは正に地獄絵図でした」


 茶坊爺は下を向き、思い返したく無い様子が伺える。

 聞いてるだけで怒りと哀しみが込み上げた。

 当時の富士周辺の村人達はどんな気持ちだったろう…



 幕府は見捨てたのだ。

〝亡所〟として…

 そう、火山灰の被害が酷かった富士近隣の村々を無き者としたのだ。

 まだ沢山の村人が生き残って居るのに、財政難から支援をバッサリ切ったのだ。

 火山灰で畑を失い、財と食料も失った村人達は餓死するしか無かった。

 忠順公は幾度も幕府に村人達を助けるように嘆願するも聞き入れて貰えず、居た堪れなくて自分の財産を全て村の復興に費やした。村の立て直しを手伝い、そして村人達に川浚いの仕事をしてもらっては賃金を与えた。

 だが被害に有った村は多く、到底追い付かない。


 忠順公の目の前で村人達は次々に餓死していった…

 見かねた忠順公は大それた作戦を決意する…それは…



「幕府の貯蓄米を勝手に持ち出した…」


「持ち出したのは某。夜な夜な駿府の米倉に忍び込み。一万三千石…現在の数字で二万トン近くの米俵を数日かけて運びもうした」


めいじたのは忠順公でしょ?」


 茶坊爺は白い歯を見せて微笑む。



 村人達の命を救うべき米俵は、誰もが寝静まった真夜中に被災地に均等に配られた。

 米を置いて行った者が名乗らずとも、皆が誰の行いか知っていた。

 忠順公だと…


 忠順公は覚悟の上の米泥棒だった。

 切腹の処分を待ったが、幕府からの咎めが一向に来ない。不思議に思って調べたら、どうやら生前の光圀公と仲が良かった老中が、米を配ったのは自分が許したからだと、いう話に成っている。

 忠順公はこのままだと老中に迷惑が掛かると思い、将軍宛に事の真相を一筆書いて、密かに自害を実行する。1711年。噴火から四年後の事だ…



「忠順公は最後に、こう言われました。『泣くな茶坊助。拙者一人の命で何千という命が救えたのだ。良いことでは無いか』と…」


「今のエラいさん方に聞かせたいセリフですね」


「『富士を頼む!』そう言って自ら命を絶たれました。某はそのめいを今も続けております」




 __時計の短針は午前二時を差していた。

 俺は茶坊爺の話を寝間で聞いた後、眠れずに再び応接室に来た。

 応接室の灯りはまだ点いたままだ。マイコやミョーミョー達は居ない。近くをパトロールしているのだろうか…

 ソファーに座り、何気なく外を見た。

 木のベンチにチャミさんが、こちらに背を向けて座っている。

 俺は立ち上がり、勝手口の扉を開けて外に出た。


 夏でも樹海の夜は肌寒い。

 チャミさんは振り向かなかったが、俺に気付いたようだった。


「寝れないっチャか?」


「ええ…」


「茶坊爺からお話しは聞けたっチャ?」


「はい。やっぱり粟島信仰や富士信仰のブームの裏には、光圀公や忠順公が絡んでたみたいですね。信者を増やして〝アワシマ〟と〝アサマ〟を応援したかったみたいです…他にも色々江戸時代の話をしてくれて、たいへん勉強に成りました」


「茶坊爺は生き字引っチャ。為に成る話いっぱいしてくれるっチャ」


「ええ、本当に…でも編集長は機嫌悪くするだろうな…」


「何でっチャ?」


「宝永大噴火に赤穂浪士は無関係だったからです。編集長は団塊世代だから赤穂浪士のファン何ですよ。茶坊爺に赤穂浪士の怨霊が居なかったか聞いたんですが、茶坊爺は『某も赤穂浪士のファンだから、居たら敵側に付いたかも』って、言ってました」


「チャハッハッハ…茶坊爺はお茶目っチャ」


 その時地面が揺れた。


「おおっ!地震っチャ。震度3位っチャかね?」


「ですね…」


「ドウル君は地震は怖く無いっチャ?」


「さとり世代ですから、地震よりもお化けやクリスマスの方が怖いです」


「クリスマス?」


「今年もボッチかと思うと、怖くて、怖くて…」


「チャハッハッハ…」


 いつの間にかチャミさんは、こちらを向いていた。目が少し腫れている。

 さっきまで泣いていたのであろう…


 俺はチャミさんの隣に座って、一緒に暗闇の森を眺めた。

 風の音さえ無く、森は驚くほど静粛している…


「ドウル君…」


「はい…」


「どうして記者に成ったっチャ?」


「死んだ爺ちゃんの影響ですかね…」


「お爺ちゃんの?」


「そうです。有る事件が切っ掛けでした…」




 __俺が中学生の頃、田舎の爺ちゃん家の近隣の村で、その事件は起こった。


 熊が頻繁に出没しては、田畑を荒らし回ったのだ。

 ちょうど夏休みで、俺は爺ちゃん家で過ごしてる時の事である。

 被害に遭った村は小さく、年寄りばかりで真面に働き手も居ない村だったので、村人だけでは対処しようが無く、県に依頼しても対応が遅くて猟友会もなかなか動かなかった…

 熊は売れないし、村からの報酬も期待出来ないからだろうと、見かねた爺ちゃんは単独でその村に乗り込み、熊を退治する事にした。


 その日は雨だった…

 熊は仕留めたが、爺ちゃんは帰り道で足を滑らせて崖から落ちて重症を負った。そして、その怪我が元で数週間後に亡くなる事に…__




「熊を退治した事は地元の新聞でニュースに成ったんですが…俺はショックを受けました」


「どうしたっチャ?」


「電子掲示板を見たら、爺ちゃんを讃える書き込みも有りましたが、『どうして熊を殺した』『人間のエゴ』『罰が当たったんだ』とか書かれていたんです。ああ、こういうクレームが有るから、県も猟友会もなかなか動かなかったんだと、大人に成って分かりました」


「そんなの気にする事無いっチャ。当事者じゃ無い人が、無責任に書き込むだけっチャ」


「書き込みの事を入院中の爺ちゃんに話すと、『確かに今まで沢山鹿を撃ったからな。罰かもしれんな』と、重傷なのに大声で笑い飛ばしました」


「チャハッハッハ…豪胆なお爺ちゃんっチャ」


「爺ちゃんが亡くなって都会に帰った俺は、毎日のようにガンシューをやるように成りました。『爺ちゃんは馬鹿だ。ゲームの中で射撃をすれば、幾ら動物撃っても何も言われないし、人すら撃っても捕まる事も、呪われる事も無いのに…』って、思いながら…」


「………」


「ですが…大学生に成ってから、爺ちゃんの命日に毎年沢山の野菜が届いてる事を知ったんです。『お蔭様で今年もこんなに実りました。守って頂いた村は今日も元気です』って、手紙が添えて有るのも知りました…」


「お爺ちゃんが助けた村の人達が送ってたっチャね?」


「はい。俺は自分の愚かさを悟りました。何、現実世界から逃げてるんだって…人に何言われようが、自分が損しようが、誰かが動かないと、弱い人や優しい人から人は消されていく…そう、そういう人を守れなければ…守れば、それは自分の子孫や人類の未来の為に成るんだと…」


「それで記者に…」


「そうです。俺は爺ちゃんみたいに強くない。だったら記者に成って爺ちゃんみたいなむくわれない英雄ヒーローを世間に広める記事を書こう。そういう英雄の力に成り、弱い立場の人達を守る記事を書こうと思って記者に成りました」


「立派っチャ…ドウル君…」


「全然立派じゃ無いですよ。結局何も出来て無いし、格好付けてるだけの無能です。それに比べてチャミさんは凄い。その若さで本物の英雄ヒーローだ。チャミさんは褒められる為に富士を守ってる訳じゃ無いと思いますが、俺は大いに讃えたい!世間に広く知らしめたい!」


「……チャミはちっとも凄く無いっチャ。只の自分勝手な馬鹿っチャ…」


「はぁ?何言ってるんですか?ずっとこんな森の中で人知れず、国民の為に富士を守っているんですよ。どこが自分勝手な馬鹿何ですか?!」


「ドウル君…今日、秋葉原に行きたいって言ったのは、次の人形制作の為じゃ無いっチャ。ただ単に遊びに行きたかっただけっチャ」


「それのどこが自分勝手何ですか?誰だって息抜きは必要でしょ?」


「だけど…そのせいで羅婆々は…チャミが樹海を離れ無かったら…ちゃんと富士を守っていれば……」


「チャミさん…」


 チャミさんは両膝を掴みながら俯いた。

 肩が微かに震えている。

 自責の念に駆られた涙は暗闇で見えないが、時折鼻を啜る音は隠せないようだった。


「連れだしたのは俺です!!悪いのは俺で、チャミさんは悪く無い!!」


「ドウル君は悪く無いっチャ…勝手に抜け出した罰が当たったっチャ…」


「ヤミオコシを復活させた奴や、樹海に平気でゴミ捨てる奴らに罰を与えずに、チャミさんみたいな良い人間に罰を与えるような神様ならこの世に必要無い!!これは罰じゃなくて試練なんですよ!これから起こるチャミさんの素晴らしい未来の為の試練!うん!きっと、そうだ!!」


「チャハ…ドウル君…ドウル君って本当に馬鹿みたいに優しいっチャね…」


「まぁ、正直馬鹿な所しか取り柄が有りませんし…」


「チャハッハッ…グズッ…」


 顔を少し上げたチャミさんは、鼻の周りが少し赤く成っていた。


「どうでもいいけど馴れ馴れしく女王蜂マスターチャミの体に触れるなよ、馬鹿記者!」


「オワッ!!」


 いつの間にか後ろにビーが飛んでいた。

 そして俺は熱く語っているうちに、いつの間にかチャミさんの両肩を掴んでいたみたいだ。


「泊まり込んだのは、口説くのが目的だったか…この真正ロリコン野郎」


「あっ、いや違う!ご、誤解だ、ビー!」


「ビー。何か見つけたっチャか?」


「アイツがこっちに向かって来てる」


「「アイツ?…」」


 ビーが指す方向を見ると、暗闇の中に小さな灯りが見える。灯りは動いており、少しづつ大きく成っているので、近づいて来ているのが分かった。


「灯りを付けているって事は人間か?」


「ああ、一応見た目はな。言っとくが、あれ懐中電灯じゃねえぞ。火の玉だ。今度は正体を隠す気は無いらしい」


「今度は?…そうか!…来てくれたのか…」


 桃色の灯りは大分だいぶ側まで来ていた。

 薄らとシルエットが浮かび上がる…

 帽子を被った女性のシルエットが…


「どうする?マスターチャミ。アイツが敵か味方かまだ分からない。足止めしようか?」


「無理っチャ。相手は世界トップクラスの魔法使いっチャ。ビーじゃ歯が立たないっチャ」


 その人は道では無く、森の中を最短距離で歩いて来たみたいだ。

 言ってる間に俺達の前に姿を現す。


 その〝超〟が付くほどの美しい顔には笑みがこぼれている。

 お洒落な山ガールみたいなファッションは、昼間会った時と同じだった。

 違うのは桃色の炎の玉が、彼女を包むように沢山浮いている事だ。

 俺は少し緊張気味に声を掛けた。


「今晩は、モモメさん。…いや、山の魔法使いの末裔…〝アサマ〟さん」



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