第10話 常世神
「よかった…開いてた…」
午後八時を回っていたが、店内には淡いオレンジ色の照明が灯っていた。
オープンプレートを確認した俺は、背筋に走る悪寒を振り払ってからドアノブに手をかける。
引き扉をゆっくり開けると、ドアーベルの〝カランカラン〟という心地よい音が響き渡った。
奥のカウンターには昨日と同じく彫りの深いダンディーな
「いらっしゃいませ」
「まだ開いてるんですね。覚えてますか?昨日来た者です」
「勿論覚えてますよ。其方の席で綺麗なお嬢様とブルーマウンテンを飲まれてましたね」
「その綺麗なお嬢さんの事でお伺いしたいのですが、よく此方には来られるのですか?」
「ハイ。この一ヶ月、毎日のように来ておられます。お知り合いでは無いのですか?」
「昨日初めて会いました。連絡取りたいのですが…知りませんか?」
「さあ…ただ、今日はまだ来られてませんので、ひょっとしたら現れるかも知れません」
「そうですか…じゃあ少し待たせてもらいます。えーと…今日は普通のブレンドにします」
「よかったらお茶はいかがですか?良い茶葉が手に入ったんですよ。勿論お代は結構です」
「お茶?日本茶ですか?」
「ハイ。日本茶です」
俺は折角なのでカウンター上に荷物を置き、
程なくお茶は湯気に安らぐ香りを込めながら、俺の前に運ばれて来た。
「いただきます」を言いながら一口啜る。
美味い!昼間飲んだペットボトルのお茶とは比べ物にならない。
「ふぅー…ほっこりする。美味しいですね…これも富士の湧き水ですか?」
「ハイ。紅茶なら硬水の方が合いますが、日本茶はやはり軟水の方が合います」
「えっ?!富士の湧き水って軟水何ですか?」
「ええ。軟水の部類に入ります」
「へぇー…てっきり硬水だと思ってました。イヤーそれにしても美味しいなぁ…日本人はやっぱり日本茶かな…あっ!コーヒー店なのに失礼ですね。すいません」
「いえいえ、ここは喫茶店です。お気遣い無く。お茶は素晴らしいですよ…お茶と絹はシルクロードが東西に運んだ二大文化の花ですな」
「マスターはこの店開いて長いんですか?」
「いえ…まだ二年目です。脱サラして退職金と貯金を全部使って始めました。実はそれでも足りなかったので、家も手放しましたよ」
「へぇー…思い切りましたね。俺は優柔不断だから財産投げ売ってまで夢にかける事は出来ないだろうな…」
「星がね…星が示してくれたんですよ」
「星が?」
「そう。星がこんな腐敗した世の中を死んだように生きるなら、財産を投げ売って新しい富と生を受け入れよと…示してくれたんです」
「……マスター。俺、昨日来た時から気になってる事が有るんです。聞いていいですか?」
「ハイ。何でしょう?」
「表の植木や店内の観葉植物…何で柑橘類の植物ばかり何ですか?芋虫が沢山付いてましたよ。駆除しないと…」
「ああ。あれは祀っているんです」
「えっ?」
「柑橘類は黄金の林檎や
この時点で俺はマスターの有る変化に気付いていた。正直もう手遅れかも知れない…
「不老不死ですか…それも星の教えですか?」
「ええ…正確には現世を常世に変えて、全ての人間を魂だけの存在にしようとの事です。魂だけになれば、つまらない上下社会が無くなるはず。競争や差別、戦争が無くなるんです。そして歳もとらない。そう、不老不死になります。新しい富と生が得られるんです。お客様も今の社会に理不尽を感じてるんじゃ有りませんか?正しい者の正義がまかり通らない、そんなくだらない世の中をリセットしたいと思いませんか?」
「社会に不満は持ってます。けど、死んだら元も子もないんじゃないですか?」
「死ぬんでは無く、魂だけと成って永遠に生きるのですよ!富士は常世への扉!私は毎日通い、祈った。アサマ様にもこの思いは届いたはず…」
マスターの見開いた目が、瞳孔や虹彩だけで無く、白目の眼球ごと星のように輝きだしていた。
少女漫画のような綺麗でつぶらな瞳と言うようなものでは無い。暗闇で出会った動物でも、こんなにギラギラとは光らない。怪しくて、不気味で、寒気がするレベルだ。
「そうですか…マスター…もう一つ聞きたいんですが…実は俺、昔から少し霊感が有るんです。人に見えない霊がちょこちょこ見えたり、感じたりするんですよね…嬉しくない事なんですが。んで、昨日来た時も嫌な感触は有ったんですが、今日は更に強く成ってました。…マスター。はっきり言いますが、何かに取り憑かれてますよね」
「取り憑かれている?いいえ。これは自ら望んで我が体内に来ていただいたんです。今朝、茨城県まで行って
俺は愛鷹から預かっていた携帯を、見えないように取り出した。
アイツに知らせるのは癪だが仕方ない。んな事言ってる場合じゃ無いほどの一大事だ。
「あ、あの…マ、マスター…よかったらその中の人の御名前を教えて貰えますか?」
「…ああ…アノアノアノ…我のワワワァェあノ名前…かぁぁああああ…ああ…」
マスターは大きく口を開きながら、舌を出してレロレロしだした。
体が小刻みに震えている。
それを見て俺の手足も小刻みに震えだした。
震える手で、携帯をカウンター下に隠しながらいじっていたら…
「イッ!!」
携帯を持つ手が何かに止められた。
な、な、何?
何だよ…この感触……
「ワワワ…我の名はセオ…皆は、ヤヤヤ…闇夜を連れ来るるる…
マスターの声は回った扇風機の前で発声しているかのようにビブラートが掛かり、明らかに他人の声に変化していった。
ああ…中の人と交代してしまったんですね…
「ヤ、ヤミオコシ…さん。ですかね?…」
「そうぅぅ…【
カガセオ…又の名を
神話に出て来る邪神と言われる神だ…
「マイコさあぁぁあああん!!」
合図と供に窓の硝子が音を立てて砕け散った。
割れた硝子の中から小さな人影が入り込む。それは華麗に舞いながら宙返りを見せて、店のカウンターに降り立った。
「おおぉぉ!この時代のアワシマの
「ドスッ!お座敷に呼ばれたからには、派手に遊ばせていただく」
カウンターの上で、マイコさんがファイティングポーズを取る。
対面した【
「ドスッ!
目にも止まらぬ早さで手刀の突きを連打するマイコさん。
カガセオはその突きを、全て右腕一本でガードした。
平然な顔で笑っている。
一発で巨漢の大男を倒すマイコさんの突きなのにビクともしない…
「なかなかぁぁ…よき攻撃よぉぉ…」
よく見るとカガセオの右腕が濃い群青色に変色していて、明らかに硬化しているのも分かった。表面に光沢が有り、白く光る砂粒が交ざっている。まるで御影石みたいだ。
「ふんっっ…!」
〝バシッーン!!〟
「マイコさん!!」
カガセオが硬化した腕で、マイコさんを振り払った。
マイコさんは吹き飛ばされて、後ろの壁まではじき飛ばされる…
うわっー…マイコさんは強いので安心してたが、こりゃマズい!
相手はS級の怨霊だ!流石に分が悪いか?
てか、いきなりラスボス出て来るなよ!
ゲームでは有り得ない展開だろ!
「よき攻撃ぃぃ…しかし我には通用しなぁああああ…」
言いかけたカガセオの首に何かが刺さった。花簪だ。
「ドスッ!まだまだ!祇園流御座敷格闘拳は、これからが本領!」
マイコさんは立ち上がりファイティングポーズを取っていた。頼もしい。
「おおぉ…これは失礼ぃぃ…手強ぃぃのぉぉ…」
カガセオは硬質化した群青色の手で首の花簪を抜き取ると、軽くへし折った。
マイコさんは跳躍すると再びカウンターの上に立ち、カガセオと
俺は闘いの邪魔に成らないようにカウンターから一歩下がりたいのだが、愛鷹から預かった携帯を持つ手が、何かに抑えられたままで動けない。
手は何かヌメヌメした糸に絡め捕られているような…
俺は恐る恐るカウンター下を覗き込んだ。
見るんじゃ無かった…
目が合っちまった…
三日月みたいな瞳をした、半透明な老婆の幽霊と…
「ケッシッシッシッ…ほんれ…お前さんもワシらと共に常世に行きゃせんかえ?」
行きません。
「ケッシッシ…しかし…美味そうなお
駄目に決まってるだろ。
「お婆ちゃん…貴方がアブラオキメさんですか?」
「はいなぁ。
〝ビシッ〟
「ああっ!!」
牽制していたマイコさんが、いきなりヌメヌメした大量の糸に絡め捕られた。
全身を糸に巻き付けられて繭のようになり、その場に崩れ落ちる。
「ドスッ!不覚!」
回りを見ると体中に小さな突起物が有る、黄緑に水色が混じった何とも気味の悪い体色の芋虫が、ウジャウジャと湧いていた。
コイツらが糸を吐いたのか?
「常世神に逆らうなかれ…ケッシッシ…」
終わった。クソッ…浅はかだった…
もっと用心して来るべきだった…
どうする?
このまま殺されるなら一矢報いたい。
どうすれば…
「さて…お前さんも縛り括ろうかのぉ…その首を…」
糸が一斉に俺の方に飛んで来て、最後の足掻きをみせようとした時に、後ろから声がした…
「
その声の主は、俺に向かって飛んで来た糸を一瞬で切り刻ざんでくれた。
リズミカルにスパスパと…
神は芋虫何かじゃ無い。絶対こんなキモい虫じゃ無い。
本当の神は俺を助けてくれた、この可愛い可愛い蜂さんの妖精だ。
そう、現代版スクナヒコナの神様だ。
「テメェ…ホント面倒かける奴だな!テメェは大人しくお家でお布団被って、アニメでも見ながら寝てろや!」
口は悪いが。
「ビー!!どうしてココが?」
「この子が教えてくれたっチャ!」
「チャミさん!!」
後ろを振り向くと、扉の前には俺がクレーンゲームで取った鳥のマスコット人形を持ったチャミさんが立っていた。
「この子に昼間カットしたドウル君の髪の残りを括り付け、元の主人の所に戻るよう飛ばしたっチャ。何か胸騒ぎしたので、愛鷹が用意したホテルから抜け出して来たっチャ」
「これは、これはぁぁ…今の世のアワシマのぉぉ…姫様かなぁぁ?」
「そうっチャ!おっちゃんがヤミオコシ?起きたばかりで、超申し訳ないっチャが…」
チャミさんは申し訳ない素振りを全く見せず、悪戯っ子のような屈託のない笑顔でこう言った…
「もっかい、
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