あるおばあさんの話3

 次の日の朝、いつものように、洗面台へ行き、何気なく鏡を見ると、自分の頭の上に、何かがついていることに気づいて、それが動物の耳だと気づくのに、少し時間がかかった。いったこれはどういうことだ。耳は小さな立ち耳で、赤茶色である。後ろには同じ色の巻き尾があった。目を一度つむって開いてみたが、やはりある。それでも信じられず、僕は、見ることはできないのに上を向いて、頭にある耳を触ってみようとした。すると、なかった。頭のあちこちを触ってみたが、なかった。どこにあっただろうかと思ってもう一度鏡を見ると、すでに頭の上から失われていた。目の錯覚だと思いたいが、実際に鏡に映っていたのは見たから、そういうわけにもいかない。しかし、鏡はありのままを映すのだろうか。ともかく、耳のことはさておき、美夏さんの友人のおばあさんの家に行く用意をしなければならない。ご飯を食べにいく時間を考えると、あまりのんびり考えている暇はない。


 今日の待ち合わせ場所も、下鴨神社の入り口のところである。家から近いと遅刻するという逆説は今日も当てはまってしまった。女の子はすでに来ていた。

「ほんま、遅れてごめんな」

「ううん。いつものことやし……」

 自己紹介をすると、その女の子は、斎藤敦子ということだった。白色の細長い耳があり、耳の内側は薄いピンク色になっている。しっぽは、小さくて白くて丸い。髪は、黒のクラシックボブであり、メガネをかけていて、口の右端の少し上あたりにホクロが1つあった。そして、ミニスカートにタイツである。左手で右手を胸のあたりで握って、僕の方をちらちらと見ている様子を見ると、どことなく僕を怖がっているようで、ニコっとして手を小さく振ってみたところ、顔をそらされてしまった。初対面なのに、よぉ! という感じで気さくに話しかけてきたあのかなたんとは正反対の性格のようだった。彼女としては、美夏さんが来るのはいいが、知り合いでもない訳のわからぬ男を連れて行くのがいやなんだろう。気持ちは分からなくはないが、ともかく話をうかがいに行くしかないのだ。どうも話しかけても無視されてしまいそうなので、とりあえず、心の中で、土下座をしてお願いしますと繰り返した。


 高野川を渡り、北東の方へ行ったところに、斎藤さんのおばあさんの家はあった。おばあさんは、穏やかそうな人で、僕への接し方も柔らかかったので安心した。

 本題に入ると、おばあさんは、悩んだ挙句、「鬼が笑う」の話をしてくれた。



「これは……」

 話の最後に、唐突に出てきた下ネタに、僕は思わず美夏さんの顔を見た。すると目が合って、お互いに笑った。大事なところを見せろと言われて、着物のすそをまくったとなれば、見せている部分はなんとなく想像がつく。そしてその想像の中でその大事な部分が光っているように思われ、その光が妙に神々しく感じるのだった。母娘を連れ戻そうと必死になっていた鬼にとって、その行為のどこに笑う要素があったのか分からないが、下ネタは偉大だということなのだろうか。それにしても、尼さんは、鬼にさらわれた娘を助けようとする母親や鬼屋敷から逃げようとする母娘を終始助けているとはいえ、なんでまた鬼屋敷から逃げるときに尼さんも一緒になってすそをまくっているのか……。個人的には娘さんの分で十分である。

「大事なところを見せると帰ることができるってことなんかな」

 そう美夏さんが言っている横で、少し耳を赤くしてうつむいている斎藤さんが見えた。

「この話やと、あんまり参考にならんかったか」

「いえいえ、そんなことないです。なんとなく帰る方法が見えてきた気がします」

「ほんまか。それならええねんけど……。そうか、純粋の人なんやな。そういえば、昔ばあさんから聞いたことあるわ。なんでも昔、そういう人がここに迷い込んだいうていろいろ騒ぎになったらしいねんか。なんやかんやあったけど、結局三ヶ月さんちに住むことになって、この町にもなじんどって……。でもその後、亡くなってるのが分かって、刀かなんかで刺された痕があったから誰かに殺されたんちゃうかっていう話になったんやけど、誰に殺されたのかもよう分からんし、鬼の仕業やって噂されてたらしい。」

「あの、その話、もう少し詳しく教えていただけませんか」

「う~ん、わしもばあさんから大昔に聞いた話やし、そう覚えてはおらんしな。そういえば、天狗のじいさんなら、なんか知ってるかもしれへんな。天狗のじいさんいうのは、東山のあたりに住んどるじいさんなんやけどな。その人は、いろんなことをよう知っとるし、なんか知ってるんちゃうか」

 天狗のじいさんというのは、どうやら銀閣のある慈照寺付近に住んでいらっしゃる方のようで、私設図書館を経営されているということだった。天狗というのは、物知りでいろいろな物事に通じており、そのせいか、我々のことをアホ呼ばわりしてくるかららしい。ほんとうにいろいろな物事に通じているなら、天狗ではないような気もするが。

 僕は、次の日その天狗のじいさんのところへ訪ねていくことにした。

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